こごえるふゆにさようならを
びょおびょおと、空が荒れ始めたのを知らせるように、まるで獣の唸り声のような風の音が鳴り響いていた。
「また吹雪が来そうだなぁ…」
住処の中で風音に耳ざとく反応したゴン太は、[[rb:苧麻 > からむし]]の繊維を編んで作られた布団からもそもそと顔を出し、それを体に巻き付けるようにしながら、地面を踏みしめ外を見に行く。
普段なら裸でも平気なゴン太と言えど流石に真冬は辛かろうと、山の家族が獣や鳥の抜け毛や羽根、枯れ草などをかき集め中に詰め込んだその布団は、見た目の割に暖かい。
「今日もまた虫さん達がここにひと休みしに来てくれるかな。吹雪が止むまでの間だけでもいっぱいお話したいな」
ひとりでいるのはさみしいから。
思わず知らず、そんな一言が漏れた。
森で迷子になったゴン太を育ててくれた山の家族は、雪の降りしきる季節の今は住処の奥で深い眠りについている。
遥か昔絶滅を逃れた恐竜から進化した存在である山の家族達は見た目こそ人間とさほど変わらないものの、爬虫類に近い体であるがゆえに寒さには弱く冬眠する必要があるのだ。
しかし人間であるゴン太には冬眠する事は出来ない。そのため春になり暖かくなるまでの間は山の家族が秋のうちに集めてくれた木の実やそれを干した物などを食べ、山の家族が作ってくれた布団に籠って大半の時間を一人で過ごしていた。
勿論、ずっと一人という訳では無い。冬の間でもゴン太の元を訪れる者はいる。
「あ…!」
風の合間に聞こえてくる小さな小さな音に耳を澄まし、それが空耳で無いと確信したゴン太はぱあっと顔を綻ばせ、住処の入口に向かって駆けていく。
「みんないらっしゃい!ゆっくりしていってよ!」
しゃがみこみ、元気良く話すゴン太の目の前には、雪の上でも動きを鈍らせる事なく蠢く無数の小さな虫達がいる。
冬の間は時々訪れる彼らだけがゴン太の話し相手だった。
「今日は外ではどんな事があったの?吹雪が止むまでたっぷり聞かせて欲しいな」
にこにこと幸せそうな笑顔でゴン太は虫達に話しかける。
けれど、雪の降らぬ季節の虫にするように、彼らに手を差しのべる事はしない。
それは無論、彼の本心ではなく、出来ない。してはならない事だからだ。
「ごめんね。本当は皆を手に乗せて運んであげられたら良いんだけど、ゴン太の手は君達には熱すぎるから…」
氷よりも冷たい世界で生きる虫達は、その体が凍てつかぬように進化した代わりに温もりには耐えられず、人肌程度の熱でもすぐに弱ってしまう。
そのために触れ合う事は許されず、ゴン太は少しだけ距離を置いたまま小さな虫達の小さな囁きを耳に留め、それにうんうんと相づちを打ったりするだけに留まっていた。
「そっかぁ!美味しいごはんがいっぱい埋まってる場所を見つけられて良かったね!ゴン太も…あっ」
気付けば風の音は止み、雲の切れ間からうっすらと日差しが差し始めていた。
「……もうそろそろ、みんな帰る時間だね…」
名残惜しげに、ゴン太は呟く。
一匹の羽虫が心配するようにゴン太の頭上を飛び回ったが、ゴン太はそれを見てふるふると軽く頭を振った。
「いいんだ。みんな晴れてるうちに溶けた雪の中のごはんを食べるんでしょ?ゴン太だってお腹が空いたら何か食べないと死んじゃうんだし…みんなのごはんの時間は邪魔出来ないよ」
いってらっしゃい。また来てねとゴン太は一匹、また一匹と去っていく虫達を見送る。
「……今度は、何匹ここに戻ってこられるのかな…」
やがて全ての虫がいなくなると、ゴン太は呟いた。
この場所に来る虫達もずいぶんと顔ぶれが変わった。冬が本格的になり始めた当初の頃に現れた者は既にもう、冷たい川の中に卵を産み付け終えてその命の灯火を尽かせている事だろう。
「仕方ない…よね。虫さん達の命はゴン太よりもずっとずっと短いから。いつかみんないなくなっちゃうのは」
自身に言い聞かせるようにそう言いつつも、やはり心にぽっかり空いた風穴のような空しい気持ちは隠せない。
(やっぱり、冬はあんまり好きじゃないな)
春さえくれば深い眠りに落ちている山の家族や多くの虫達、巣穴に籠ってじっと耐えている獣達が次々に目覚めてまた寂しさを感じる暇すらない程に賑やかな森での生活が待っている。
けれど今は、冷たくほとんどの生き物が息を潜めたこの季節の間は、雪氷の上で生きる虫達が去ってしまえばゴン太の孤独を癒してくれる存在はどこにもいなくなる。
「早くみんな目覚めないかな…そしたら……」
自身の口から出た言葉にハッとし、それを打ち消そうと頭を勢いよくぶんぶん振る。
(ああ、だめだ。またこんな事考えちゃうなんて…春が来る頃には冬の虫さん達はもう卵を残して死んじゃうのに。こんな事…まるであの虫さん達の死を望んでるみたいな事考えちゃうなんて…ゴン太はなんてひどい事を…)
ぎゅっと、堪えるように体に巻いた苧麻の布団を握りしめる。
(だけど…やっぱりさみしいよ)
誰かと触れ合いたい。独りじゃないという実感が欲しい。
けれど、温もりが毒となる小さな儚い命の友人達に、ただでさえ短い命を懸命に燃やす彼らにそれをお願いする事など出来ない。
「……寒いなぁ…」
ゴン太は住処の寝床へとぼとぼ戻り、再び布団を被って眠りにつこうとする。
しかし、体はどうにか温められても心の中は隙間風が吹くように冷たいままだ。
「ゴン太も…人間じゃなかったら良かったのにな…そしたら、みんなと一緒に……」
そのまま目を閉じ。暗い世界に、深く、深く落ちていく──
「……!…ゴ…太!」
「んん…?」
体を揺すられる感覚に意識が少しずつ戻っていくと共に、暗かったはずの世界が薄ぼんやりと光に照らされている事に気付く。
「おい!ゴン太ってば!」
「…あ、れ?王馬…くん?」
目の前には、森にいるはずの無い人物がいた。
「やっと起きたか。この寝ぼすけ」
どことなく不安げな表情をしているかのように見えたが、獄原がぼんやりしたままの視界を戻そうとぐしぐしと目を擦り、眼鏡をかけ直してみれば、王馬はいつも通りの飄々とした笑みを獄原に向けていた。
「ここ…学校?」
きょろきょろと辺りを見回してみれば獄原が目覚めたそこは山の家族と暮らしていた住処ではなく、学校の教室だった。
窓の外ではしんしんと雪が降りしきっている。
(あ、そっか…ゴン太はもう森じゃなくて本当の家族のところに戻って…それから希望ヶ峰学園に入学したんだっけ)
机の上には雪氷生物に関する知識を記したノートが書きかけの状態で乗っている。
(これを書いてたせいで、あの頃の事思い出しちゃったのかな…?)
「お前が教室で居眠りなんて珍しいじゃん。なんかうなされてたけど悪夢でも見たの?」
「うん…ちょっと昔の夢見て…ところでみんなは?王馬君以外どこに行っちゃったの?」
「んー?実はゴン太が寝てる間にオレとゴン太だけしか居ない世界に来ちゃったみたいなんだよね。どうしよっか?」
「ええっ!!?」
思わず獄原は勢いよく立ち上がる。その勢いでぐらついた机からノートと筆箱の中身がばらばらと床に落ちた。
「なんてね!嘘だよ。もう放課後だからみんな先に帰ったり別の教室に行ったりしただけ」
「そ、そうなの?良かった…」
獄原は胸を撫で下ろすと、しゃがみこんで床に落ちた筆記用具を拾う。
王馬はノートを獄原より先に拾い、書きかけのページを眺めた後、獄原の方へちらりと目線を向けた。
「オレもゴン太なんて放っといてさっさと帰って新しい悪事の計画でも練ろうと思ったんだけどさー、お前が机に突っ伏したままなんか熊みたいにずっと唸ってるから何事かと思ってつい叩き起こしちゃったんだよね」
「あ…ごめん…ゴン太のせいで余計な心配させちゃって」
筆記用具を手に抱え、獄原は王馬を見上げる。
「全くだよもう!オレの貴重な時間を奪った埋め合わせはきっちりしてもらうから覚悟しとけよ!」
「う、うん!ゴン太に出来る事なら何でもするから、ゴン太が役に立てそうな事があったらいつでも言ってね!」
「にしし…言ったな?後で無理とか言わないよね?」
「勿論だよ!紳士は約束を絶対に守るんだ!」
「よーし!それじゃあそれとっとと片付けて帰るぞ!今日は寄宿舎の前で夜通しで超巨大雪だるま作りだー!」
「夜通し!?王馬君、寝不足になっちゃうよ!?」
「はぁ?悪の総統が夜更かししないでどうするのさ。どうせゴン太だってぐっすり居眠りしたからあんまり眠くならないだろ?」
「え、ええと…」
「まさか、無理とか言わないよね?」
「うう…わ、分かったよ…何でもするって言ったのはゴン太だもんね…ゴン太頑張っておっきな雪だるまさん作るよ」
「そうこなくっちゃ!」
王馬はノートを獄原に押し付け、満足げににんまりと笑う。
「ほら、さっさと行くぞゴン太」
獄原が筆記用具とノートを机の中に片したのを確認すると、王馬は手を差し出した。獄原はその手をそっと掴む。
そこには確かな温もりが、今ここに王馬が居るという実感があった。
「えへへ…」
「何笑ってんの?」
「あっ、ごめん!その…王馬君と一緒に居られるのが嬉しくて…」
「全く、単純だなぁお前は」
繋いだ方とは逆の手で頬をかき、はにかむような笑みを浮かべる獄原を見た王馬は悪態をつきながら顔を背けて教室を出ようとしたものの、されど握りしめた手だけは離そうとしなかった。
(もう、きっと大丈夫)
王馬に手を引かれながら、獄原は心の中で呟く。
(王馬君も、他のみんなもいるから…だからきっともう大丈夫)
心が冷たく凍える日々に耐え続ける冬は、きっともう来る事はない。
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