語る烏に騙る烏(八咫烏パロ王獄)


まず王馬が最初に思ったのは「何だこいつ」だった──



谷間たにあいの外れ、幾つもの枝分かれした隧道ずいどうの中のひとつを根城とし、部下を従えて日々享楽的な生活を続けている山烏の王馬は、その日一人で次の作戦を練っていた。

「うわああっ!!」

「ん?」

がらがらと土砂が崩れ落ちる音と共に聞こえてきた叫び声に、王馬はそれまで組み上げていた思考を止め、顔を上げる。
谷間に繋がる隧道の中でもかなり入り組んだ所にある王馬の根城はそうそう人が迷い込んでくるような場所では無く、されど聞き覚えの無い声に一体何事かと腰を上げ、音のした方へと行ってみれば、そこには崩れた壁だったものの上に転がる巨躯の男がいた。

「いったたた…あ!人がいた!良かったぁ!あの、君は誰?ここってどこなの?あっ、ごめんなさい。まずは自分から名乗らなきゃ失礼だよね…ゴン太はゴン太だよ!」

鬼火灯籠を片手に上等そうな赤墨色の狩衣に身を包んだ、彫りの深い品のある顔立ちの大男は王馬の顔を見るなりその外見に見合わぬ幼い言動と表情を浮かべて語りかけてきた。
なりは大きいのに、まるで殻の外の世界を知ったばかりの雛鳥のように幼いその仕草に、王馬は唖然とする。

「あの…聞いてるかな?」
「……どっから入って来たんだよお前!ここオレの家なんだけど!!」
「うわっ!?ごめん!え、と…多分この間の地震と大雨のせいだと思うんだけど、ゴン太のお屋敷の近くに大きな穴が開いてるの見つけてね。もしも誰かが落っこちちゃってたら大変だと思って降りてうろついてたらゴン太迷っちゃって…それでちょっと壁に寄り掛かろうとしたら崩れて…」
「あー…。確かにこの間でっかい揺れがあった気が…」

山内の地下には数多くの自然に出来た横穴が張り巡らされており、それは場所によっては山内の外にまで繋がっているものもあるという。
たまたま天災によりこの男の家の近くにあった空洞が脆くなり崩れ、ここに繋がったという事なのだろう。

「君のお家壊して本当にごめんなさいっ!」
「全くだよ!何しちゃってくれてんのさ!オレの大事な住みかに冷たい風が入り込むようになったらどうしてくれんだよ!」
「あわわ…い、今すぐ塞ぐよ!」

王馬に責め立てられ、ゴン太と名乗った男は着ていた着物が汚れるのも構わず慌てて崩れた岩と土を手でかき集め、自身の現れた穴を塞ごうとする。

(いや、何で穴の向こう側からじゃなくこっち側から塞ごうとしてんだよこいつ。自分の帰り道無くなるだろ)

王馬は呆れ返ったものの、ゴン太がいつその事実に気が付くのか気になり、そのまま見守る事にした。

しかしゴン太が気が付く気配は一向に無く、王馬の膝が隠れる程度まで穴が埋まったところで王馬は口を開く。

「あのさ、今更なんだけどお前ここ塞いでどうやって帰るつもり?」
「えっ?それはまた同じところから……あっ」
「お前が出てくとなるとまた崩してあっち側から再度埋め直すしか無いよね?」
「気付いてたのに言ってくれなかったの!?」
「いやー、まさかずっと気付かないままここまで岩と土積み上げるなんて思ってなかったしさー。あーあ、骨折り損だね」
「うう…ゴン太、なんて馬鹿なんだろう…」
「もう良いよ。この穴のせいで冷たい風が入り込むなんて嘘だし」
「えっ!?嘘なの!!?」
「っていうのも嘘だけどね」
「えっ…えっ…?」
「もー、考えてもみなよ。これだけ横穴まみれの所に住んでるんだよ?こんな穴の一つや二つ増えたところで寒々しさなんて対して変わらないって」
「そ、そうなの…?」

王馬の言葉に振り回され、どう反応すべきか迷うゴン太はこてんと首を傾げてみせる。

「っていうかさ、お前その格好からして宮烏だろ?何でわざわざ自分で降りて来てるんだよ。お貴族様らしく下男とかにでも任せとけば良かったのに」
「だっ…駄目だよ!ゴン太はお屋敷にお勤めしてる人達を危ない目に合わせたくないんだ。ゴン太は丈夫だし、もしも誰かが落ちて怪我してても背負って助けられるから…」

その物言いに、王馬はどこか違和感を感じる。
宮烏ならば普通は多少なりとも下層民に過ぎない山烏の事を自分達とは別の存在として扱うはず。だが下男という言葉をわざわざ屋敷の勤め人という言葉に言い換える辺り、ゴン太は明らかに山烏と宮烏を同じ対等な存在として見ているようであった。

「ゴン太って言ったっけ?お前宮烏なのにほんっと変なやつだな」
「…やっぱりそう、なのかな?ゴン太、宮烏らしくないかな…」
「普通の宮烏は山烏の身の安全なんて気にしないよ。あいつらにとっては山烏なんて使い捨ての道具程度でしかないんだからさ」
「…ゴン太には分からないよ。だってみんな同じ八咫烏にんげんなのに…」
「ま、そういう考えの宮烏がいても良いんじゃない?下々の者に威張り散らすしか能の無い嫌味ったらしい馬鹿の宮烏よりはマシだし」
「……!」

俯いていたゴン太は王馬のその一言を聞くとびっくりしたように顔を上げた。

「良いのかな…?ゴン太このままでも」
「良いの良いの。それより家に帰りたいんでしょ?オレここら辺の道はどこがどこに繋がってるか大体分かるから案内してやるよ」
「本当!?わぁっ…ありがとう!親切な人に出会えてゴン太嬉しいよ!」

ゴン太はぱあっと顔を輝かせて王馬の手を取る。

「にしし…任せときなよ」
(ついでにちょっと手間賃がてら貴重品とかでも請求するつもりだけどね。こいつチョロそうだから吹っ掛けても問題無さそうだし)
「あ、そういえばゴン太、まだ君の名前聞いてなかったんだけど」
「ああ、オレは小…いや。王馬って呼ばれてるよ」
「王馬君て言うんだ。それじゃよろしくね。王馬君」
「はいはい。そんじゃしゅっぱーつ」

王馬はゴン太が途中まで積み上げた土壁を勢いよく蹴飛ばして壊すと、そのまま先へ進む。

地震だけでなく大雨のせいもあったというだけあり、隧道の奥の方へと進むと岩山のひび割れから入り込んだ水でところどころぬかるんでいた。

「うっわ…結構深い水溜まり出来てる…この向こう岸の道歩いて来たって本当?」
「うん。間違いないと思う。この水溜まりとあっちの壁の窪みの形に見覚えがあるから」

砂糖の塊を多めにつぎ込み明るさの増した鬼火灯籠を掲げ、ゴン太は呟く。

「うーん…あの先に行く道は他にもいくつかあるけど、このまま突っ切った方が早くはあるんだよねえ」

羽衣うえでいる王馬は若干泥水に浸かったところでさほど問題無いが、上等な着物を羽織ったゴン太はそうはいかないだろう
いくら大柄な体躯とはいえ、足首程度は確実に濡れる深さのため、袴の裾が泥で汚れるのは確実であった。

「よし、濡れるのもやだしちょっと遠回りしていこう」
「濡れるのが嫌なの?だったらゴン太が背負っていくよ」
「は?いや濡れて困るのはオレじゃなくて」
「大丈夫だよ。ほら」
(…こいつ人の話聞いてんのか?)

王馬に背を向けてしゃがみこんだゴン太に何を言うべきか迷ったが、仕方なくそのまま負ぶさる。

「王馬君しっかり掴まった?」
「うん」
「それじゃ行くよ」

自身の袴に泥水が染みていくのも気にせず、ゴン太はにこにこと上機嫌で水溜まりの中をざぶざぶ歩いていく。

「お前さー、嫌じゃないの?」
「何が?」
「何がって…この状況だよ。折角の着物が泥だらけじゃん」
「うーん…でもゴン太は王馬君が濡れないで済む事の方が嬉しいから…」
「はぁ…」
(そういえばここに入ってきた理由も誰かが穴から落ちたりしてないか確認するためだったっけ?自分の事より人の心配とかどんだけお人好しの箱入り坊っちゃんなんだよ全く…)

ゴン太の大きな背中は思いの外心地好かったため、水溜まりを越えた後も王馬は彼の好意に甘えてそのままおぶさり続ける事にした。

「なあ、ゴン太はどの領の出身なんだ?」

危険な道へ入り込まないように指示を出しつつ、王馬はゴン太に問いかける。

「南領だよ。南領の獄原家。そこがゴン太の家族が住んでるところなんだ」
「南領か…まさかオレの住んでる場所がそんな方まで繋がってるとはねー」

確かに彫りが深く骨太なゴン太は南家筋の宮烏らしくある。
しかし八咫烏の宗家を支える四家のうち黒い噂が最も絶えないのは現在の皇后の出身かつ、日嗣の御子の実母を暗殺した疑いにより当主の座がすげ代わったとされる南家であり、目の前で裏表の無い温和な表情を浮かべるこの男がそんな血生臭い血筋の者とは王馬にはどうも思えなかった。

「王馬君は南領の人じゃないの?」
「オレ?オレは中央で暮らしてる里烏だよ」
「へぇー!」
「まあ嘘だけど」
「嘘なの!?」
「いくら里烏でもこんなみすぼらしい羽衣姿で過ごしてる訳ないじゃん。本当は谷間暮らしだよ」
「たにあい…?って、どこの領?」
「谷間は四領と中央のどこの統治場所でもないよ。訳ありのならず者達が集まって暮らしてる無法地帯の地下街の事だから」
「ええっ!?危なくないの?」
「そりゃあ毎日危険と隣り合わせだよ!こういう道で迷ったら二度と戻れない可能性だってあるし、荒っぽくてがさつな連中は多いし…とは言ってもオレもちょっとしたお尋ね者だからね。上の方で暮らしてたらいつとっ捕まって斬足の刑に遭うか分からないし、谷間で暮らしてる方が楽なんだよ」
「王馬君…一体何したの?」
「んー?ちょっと怖~い宮烏の人達をからかって遊んだり?」
「そ、そんな危ない事しちゃ駄目だよ…皆にちゃんと謝らなきゃ」
「ゴン太は馬鹿だなぁ。さっきも言ったけど、普通の宮烏は山烏の事なんてどうでも良いと思ってるんだよ?何もしなくてもただちょっと機嫌を損ねさせたってだけで山烏や里烏を酷い目に遭わせてくる宮烏だっているんだから。オレは他のヤツらの代わりにやり返してあげたりしてるだけだよ」
「うう……でも、出来ればゴン太は皆に仲良くしてて貰いたいなあ…」
「それはお前が宮烏だから言える綺麗事だよ。世の中そんな単純じゃないんだぞ」
「……そうだよね。ごめん…」

その後も王馬がゴン太に嘘をついたり、ゴン太のとんちんかんな受け答えに王馬が突っ込みを入れてはゴン太が凹んだりしつつ、隧道を二人であちこち回り続け、一刻程経った頃になってようやくゴン太が入ってきた大穴を見つける事が出来た。
地上まで繋がっているだけあってかなりの高さがあり、いつ崩れてもおかしくない岩壁を伝って移動するのはかなりの困難な筈だと王馬は思った。

「高いな…転身すれば出られそうだけど、よくお前こんな…」
「うん。ゴン太もそのつもり」
「は?」

言うが早いかゴン太は着物を脱ぎ捨て、そのまま大烏へと転身した。
それに面食らったのは王馬である。
宮烏は普通、鳥形を晒す事への忌避感がある。それだというのに目の前にいたこの男は何の躊躇いもなく転身し、鬼火灯籠と着ていた着物を三本の足で掴むとガアッとひと鳴きして地上へと飛び上がった。

「っ…待てよおい!」

王馬も慌てて鳥形になり、一気に駆け上がる。

王馬が地上に飛び出して見たのは、翼とも羽衣ともつかないちぐはぐな袖を何とかしようと悪戦苦闘するゴン太の姿だった。
ゴン太は王馬が追ってきたのに気が付くと、困ったように笑う。

「あ、ごめんね…ゴン太、鳥形になるのは得意なんだけど、人形じんけいになるのは下手くそだから転身し直すといっつもこうなっちゃうんだ。もう少し待ってて」
「……お前、本当に宮烏か?」
「………」

王馬の一言に、ゴン太の動きがふいに止まる。

「…生まれは。ね」
「生まれは?」
「ゴン太ね。小さな頃に南領のはしっこで迷子になって、それから十年くらい人の姿が取れなくなっちゃってたんだ。こっちに戻ってこれるまでずっとただの烏だったから、宮烏としての感覚が分からなくなっちゃってて」

今までゴン太へ抱いていた違和感の正体を、王馬はようやく理解する。
ゴン太が山烏への差別意識を持たず、あまりにも物事を疑わないのは箱入りだからではなく、そもそも山内の常識というものを知る術が無い状況下で育ったせいだったのだと。

山内には外界と繋がる門がいくつか存在するが、その正式な経路を経ずに山内から出てしまった場合山神から頂いた神性の証とされる三つ目の足を失い、ただの烏と成り果ててしまうという話は王馬も聞いた事がある。
幼子が慣れない場所でさ迷い、うっかり境界線を踏み越えてしまうというのはあり得ない話では無い。

「ゴン太の家族は帰ってきたゴン太を迎え入れてくれたけど、宮烏の人達は皆ゴン太の事を『血筋だけの馬』って呼ぶから、ゴン太はこれ以上家族に恥ずかしい思いをさせないようにお屋敷の母屋じゃなくてここの離れで暮らしてるんだ」

『馬』とは人のままで生活する事の叶わない立場故に一生鳥形で生きる事となった者の事を指し、転じて宮烏達の奴隷のような立場として生きる下賤な者達の事を意味する。
故に宮烏は鳥形を晒すのを恥とし、生涯転身する事無く生きるのが当然であり、貴族意識が特に高い者は一度でも転身した事のある者を穢れた存在として扱う事も少なくは無いのだ。

血統だけは高貴の下賤な育ちの子
なまじ血筋だけは確かな故に手に余らせる事となった厄介者
特殊な育ち方をしてしまったせいで身分差というものを理解出来ない愚か者
それが周囲の彼への評価なのだろう。

「あっ、勿論ゴン太もちゃんとした宮烏になろうと頑張ってるよ?そうしたらもう、ゴン太のせいで家族に迷惑かける事もなくなるから」

ようやく転身を終えて、土埃だらけになった着物を羽織り直しながら笑うゴン太は、痛々しい程に優しい表情だった。

「お前ってやつは…」
「?」
「いや、やっぱ何でもない。それよりもさー、気が向いたらまたここに来て良い?オレこの場所気に入っちゃった!」
「うん!良いよ!」
「よっしゃー!じゃあ今日からお前はオレの子分な!」
「えっ…ゴン太、王馬君の子分なの?」
「何か文句あんのかよー。オレは山内を陰から支配する存在なんだよ!何を隠そうオレのご先祖さまは金烏なんだから」
「そうなの!?」
「そうだよ。これはバレると大問題だからお前にだけ話す秘密なんだけど、オレのひいひいひい…兎に角ずっと大昔のじいさんは、かつて跡継ぎ問題のごたごたで都落ちした宗家の人なんだ!」
「ええっ!?じゃあゴン太すごく失礼な事しちゃったんじゃ…」
「失礼なんてもんじゃないよ!オレの住みかの壁は壊すしさー。だから子分になる事で許してやるって言ってんの」
「わ、分かったよ…」
「にしし…じゃあそういう事で」


(こんな人を疑う事を知らないお人好しが貴族としてまともに生きられる訳がない。何かの政略に良いように巻き込まれてそれこそ馬のように使い潰されるだけだ)

どれだけ荒唐無稽な嘘をついても信じるゴン太の姿に、王馬は内心そんな思いを抱く。

(折角こんなにもつまらなく無さそうな奴を見つけたんだ。そうそう手放してたまるか。お前だってこんな息苦しい籠の中に居るよりオレの側に居る方がずっと楽しめるんだって事をオレが証明してやるよ)

唐突な出会い方をした無垢な宮烏に目をつけた大嘘つきの山烏は、にたりと楽しげに微笑んだ。
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