憧れ焦がれは移り変わりて

  憧れ焦がれは移り変わりて


 これは、彼らがまだ幼い頃の話。
「オルステッド!オルステッド!」
 朝食を食べ終え、さて今日は何をして遊ぼうかと考えていた矢先のオルステッドの耳に、扉をノックする音と共に聞き慣れた声が響いた。
「ストレイボウ?待ってて、今行く」
 玄関の扉を開けてみれば、そこには古びた本を抱えたストレイボウが息を切らしながらも目を輝かせて立っていた。
「どうしたの?こんな朝早くから」
「詳しい事は後で話すからちょっと来てくれ!おじさんおばさんごめん!ちょっとオルステッドを借りてく!」
「はいはい。二人とも気を付けるんだぞ」
「村の外には出ないようにね」
「はい!」
「はぁーい。行ってきまーす!」
 元気よく返事をすると、二人は手を繋いで駆けて行った。
「どこに行くの?」
「村外れの空き地だ!あそこなら周りが高い崖で囲まれてるから魔物も出ないし、人気も無いからちょっとくらい危ない事してもそうそう叱られたりしないからな」
 声を弾ませそう答え、浮き足立ちながら走るストレイボウにぐいぐいと手を引かれるオルステッドは、まだ彼よりも背が低いのもあり道中何度か転けそうになる。
 ようやく空き地に辿り着くと、まず二人はぜえぜえと荒くなった息を整える事となった。
「はぁ……はぁ……そ、それで?一体どうしたの?」
「ふー……ええと、実はな。魔法を覚えたんだ」
「魔法!?」
「ああ。まだ小さな火を出すくらいだが……見てろよ?」
 ストレイボウは人差し指を立て、目を閉じると呪文を唱える。そうして言葉を紡ぎ終えた瞬間、ぼわりと指先に火が現れた。
 それは蝋燭に灯るのと同じ程度の、小さな火を出現させるだけの初歩の初歩とも言えるようなものだったが、オルステッドを驚かせるのには十分であった。
「すごい!いつの間にこんな事出来るようになったの!?」
「まともに出来るようになったのはつい昨日だ。ここ最近、毎晩家族が寝てる隙にこっそりこの本に書いてある魔法を練習してたんだ。たまに真夜中に見つかっては危ない事するなだの、夜更かしして貴重な油を無駄にするなだの叱られたりもしたけどな」
 ストレイボウは苦笑しながら火を消すと、もう片方の腕に抱えていた本をオルステッドに渡す。中には小難しい言い回しの言葉の羅列が詰め込まれており、簡単な絵本ですらまだ飛ばし飛ばしでしか読めないオルステッドはぱらぱらとページをめくって眺めているだけで頭がくらくらした。
「ストレイボウは何でも出来てすごいなぁ……」
「この程度、最低限の魔力と知識さえあれば誰だって出来るさ」
「うーん……でも、やっぱりすごいと思う。だってこの本に書いてある事を理解して、そうしてそれを頭の中で形にして、それでようやくこうやって魔法として使えるんでしょ?うまく言えないけど、それってやっぱりすごい事だと思うんだ」
「……ま、お前がどう思うかは自由だがな」
 オルステッドに言われた言葉がとても嬉しくて、けれどまだこの程度の魔法しか使えない自らがそこまでの称賛を受ける事が何だか気恥ずかしくて、ストレイボウは少しひねくれた返事をする。
「あーあ、おれもストレイボウみたいに魔法が使えるくらい、頭が良くなれたらなぁ」
 オルステッドが不意に漏らしたその一言に、ストレイボウは思わず目を見開いた。
「〝おれ〟?」
「あ」
 まるで悪戯が見つかってしまったとばかりに咄嗟にオルステッドは口を手で覆い、ばつの悪そうな顔でストレイボウを見、ややあってからおずおずと喋り出す。
「やっぱり、変、かな……?」
「あ、いや……少し驚いただけだ。どうしたんだ?今までお前、自分の事は〝ぼく〟って言ってたくせに」
「笑わない?」
「理由によるな」
「じゃあ、言わない」
「冗談だ。笑わないさ」
「……その……ストレイボウみたいに〝おれ〟って言ったら、カッコいいかなって……」
「つまり何だ。俺の真似って事か?」
「うん……でも、母さんには乱暴な言葉は使っちゃ駄目って言われたし、やっぱり今まで通りの方がいいよね……?」
「お前の好きにしたら良いだろ」
「へ?」
 しょぼくれ、うつむいていたオルステッドはストレイボウの返答に顔を上げ、目をぱちくりさせた。
「俺は別に構わないから、おばさんの目が届かない家の外でくらいはお前の好きに言えば良いじゃないか」
「!……うん、ありがとう。ストレイボウ」
 まるでひまわりが咲くかのようにはにかみ、そうして何度もおれ、おれ、と自らに言い聞かせるかのごとく繰り返すオルステッドの姿に、ストレイボウは何故だか胸の奥がふわふわとくすぐったくなるのを感じた。

 そうして、それからまただいぶ経ってからの事。
「あっ、ストレイボウ。また空き地に行くの?」
 空き地の方へと歩くストレイボウを見つけたオルステッドは彼に駆け寄り、話し掛けた。
「ああ。今度は雪を作ってみようと思って」
「雪を降らせられるの?」
「あまり大掛かりなのは流石に今の俺には無理だけどな。大気の中にある小さな水の粒を凍らせて、雪の結晶を作るんだ。上手くいけば手のひらの上に軽く積もらせるくらいは出来ると思う」
「へぇ~。面白そう!おれも隣で見てても良いかな?」
「勿論だ。行こうぜ」
「うん!」
 オルステッドはストレイボウに差し出された手を握り、二人は共に空き地へと向かう。
 ストレイボウが新しい魔法を──それは例えば、そよ風を吹かせたり、割れた陶器をくっつけて元通りに見せかけたり、ほんの短い間だけ幻を見せたりと大半が子供騙しのような些細な効果のものばかりであったが──覚えてはそれをオルステッドに見せ、その度にオルステッドがストレイボウを称賛するという光景は、いつの間にか二人の中でいつもの日常と化していた。
「さて、と……それじゃ両手を差し出してみろ」
「こう?」
「ああ。見てろよ?」
 ストレイボウがオルステッドの手をやんわりと支えながら詠唱を始めると、途端に周囲がすうっと冷えはじめ、ふうわり、ふうわりと白い小さな粒がオルステッドの手のひらに舞い降り出す。
「わぁ……!」
 最初のうちはオルステッドの体温ですぐ溶けていたそれは徐々に量を増し、やがてその手のひらを白く染め上げた。
「すごい……けどすごく冷たい」
「そりゃ雪だしな。当然だろ」
 くすくすと、二人は笑う。楽しそうに、いつものように。
 そんな彼らのささやかな日常を壊したのは、切り立った崖の上から聞こえた不気味な唸り声であった。
「ん?」
「何だ……?」
 突如聞こえた不気味な唸り声に崖の上へ目を向けると、そこには二人を見下ろす巨大な獣が居た。
「ま、魔物!?」
「何でこんなところに……!?」
「グァウッ!ガルル……ゥ……グルァァァ──ッ!!」
 絶壁に根を張る木々を足場代わりにしながら魔獣は飛び降り、二人に対して威嚇の咆哮を上げる。
「う、わ……」
「くっ……!」
 目の前の出来事に驚きすくみ上がるオルステッドを見て、ストレイボウは咄嗟に、呪文こそ覚えはしたもののまだ一度も試した事の無い攻撃魔法を唱えようとした。
(俺が、こいつを守らねえと……!)
 だが、ストレイボウが言葉を紡ぎ終えるよりも早く魔獣が彼目掛けて突進し、ストレイボウは勢いよく地面に叩き付けられる。
「がはっ!!」
「ストレイボウッ!?」
 オルステッドが慌てて駆け寄るが、魔獣の巨体に突き飛ばされ、まともに受け身も取れないまま強く体を打ったストレイボウは、痛みで立ち上がる事もままならない。
「ストレイボウ!ストレイボウ!?しっかりしてくれよ!!」
「ッ……逃げ、ろ……オルステッド……皆に、伝え……」
「ストレイボウを置いていける訳ないじゃないか!」
「馬鹿……お前……だけ、でも……」
「グルルル……」
「……っ!」
 オルステッドは近くに落ちていた木の枝を手に取ると、ストレイボウを庇うように魔獣の前に立ち塞がる。
「よ、せ……オルステッド……」
「おれだって……おれだって戦う!ストレイボウみたいに魔法は使えなくても、おれだって!!」
 声を震わせながらも自らを勇気づけるかのごとくそう叫び、オルステッドは魔獣目掛けて駆けながら木の枝を大きく振りかぶった。
「はぁぁぁぁ──っ!!」
「ギャウッ!?」
 枝は見事に魔獣の眉間を打ち、ほんの少しだが魔獣を怯ませ、たじろがせる。
「あっ!?」
 だが、思っていた以上に魔獣の頭は硬く、そのたったの一撃だけで枝は簡単にへし折れてしまった。
 追撃が来ないと見るや魔獣は体勢を立て直し、さっきはよくもやってくれたなとばかりにオルステッドを睨み付け、身を低く構える。
「く、来るなら来い!今度はその目を突いてやる!」
 オルステッドもへし折れ鋭利に尖った枝の切っ先を魔獣に真っ直ぐに向け、刺し違え覚悟のカウンターの姿勢を取る。
 それから、一体どのくらい──ほんの数秒しか経っていないのか、はたまた何時間も経ったのか──もはや分からなくなるほどに睨み合っていたオルステッドと魔獣だったが、ふと、急に魔獣が何かに気が付いたかのようにそわそわと落ち着かない態度を取り始めた。
「……?」
 警戒を緩めぬように目だけは魔獣をしっかり見据えたまま耳を澄ませてみれば、ざり、ざり、と何者かがこちらに歩いてくる音がする。
「ようやく見つけたぞ。崖下の村へ回り込んだのはどうやら正解だったようだな」
 背後の人物は魔獣を威圧するような低い声で呟く。それに気圧されたのか、魔獣は唸り声を上げつつ後退りしだした。
「おい、そこの小僧。下がっていろ」
 背後にいた人物。立派な鎧を身に付けた剣士はオルステッドの肩に手を置くと、ぐいと引き寄せて彼を自らの背の後ろへと下がらせる。
「あの……おじさん、誰……?」
「……説明は後だ」
 剣士は剣を構え、魔獣に鋭い視線を送る。
「グゥルルルル……」
 魔獣も先に倒すべきはオルステッドではなく剣士の方だと判断したようで、若干引け腰になりつつも剣士に向かって身構える。
「…………」
「ヴヴヴヴ……」
「…………」
「ヴヴ……グルァァァッ!!」
 暫しの対峙の末、先に仕掛けたのは魔獣の方であった。
 魔獣は巨大な牙を剥き出しにし、剣士の喉笛にその牙を突き立てるつもりで距離を詰める。
「おおおおおお──ッ!!」
 だが、その牙が届くよりも前に剣士は竜のような形をしたオーラを剣に纏わせ、それを魔獣目掛けて放った。
「グギャアアアアッ!?」
 竜のオーラに焼かれた魔獣は断末魔の叫びを上げながら転がり身悶え、やがて、見る影も無い程にその身を黒く焦がしながら動かなくなった。
「は、ぁ…………」
 目の前の強烈な光景に放心し、オルステッドはその場にへなへなと座り込む。
「怪我は無いか?」
「あ……おれは……けど、けどストレイボウが……どうしよう……もしもストレイボウが死んじゃったら、おれ……おれ……っ!」
「そこの小僧か……」
 オルステッドが今にも泣き出しそうな顔で呟くと、剣士は左肩を押さえてうずくまっているストレイボウの横に腰を下ろし、その部分に触れた。
「ぐっ……!」
「骨をやったようだな。だが命に別状は無いようだ」
「本当!?本当に!?」
「ああ。少し待っていろ。私の連れがもう少しでこちらにくるはずだ。そいつならこのくらいの怪我、すぐに治してやれる」
 剣士の言う通り、暫くすると髭を蓄えた僧侶がこちらに歩いて来た。
「頼まれ事は解決したようじゃの」
「ああ。全く……王国兵がこの程度の魔物相手に私を頼るなど、先が思いやられるものだ。それよりこいつを治してやってくれ」
「おっと。怪我をしたのか。どれ、今癒してやろう」
 僧侶が祈祷をすると、あっという間に体から痛みが消え失せ、ストレイボウは驚きながら身を起こした。
(骨……折れてたはずなのに……)
「まだ痛むところがあるかの?」
「え?あ……大丈夫、です。ありがとうございます……」
「そうかそうか。それは何よりじゃ」
「ストレイボウ……良かった……良かったぁ~!」
「わっ!?お、おいこらオルステッド!離れっ……落ち着けよ馬鹿!」
「だって、だってストレイボウが死んじゃったらって思ったら……うう……うああああんっ!!」
「……はぁ、全く」
 安堵感からしがみつき、わあわあと泣き出すオルステッドに呆れながら、ストレイボウはその髪をくしゃくしゃと撫でてやる。
「俺もお前ちゃんとこうして生きてる。もう、それで良いだろうが」
「ひっく……ひっく……う、うん……」
 オルステッドは目をぐしぐしとこすり、涙を拭う。
「ああ、こら。そんな強くしたら目が傷付くだろ」
「ご、ごめん……」
「ふぉっふぉっふぉっ。仲良き事は美しかな」
「ところで、お二人は一体……?」
「おっと、自己紹介がまだじゃったの。ワシはウラヌス。そしてこっちの男がハッシュじゃ」
「ウラヌス……ハッシュ……なんか聞き覚えが……」
「……あ──っ!!」
「うおっ!?き、急に大声出すなよ……」
「だってだって!勇者ハッシュ様とその相棒の僧侶ウラヌス様だよ!?」
 オルステッドの言葉に、ストレイボウもようやく目の前の二人の正体に気付く。勇者ハッシュと僧侶ウラヌスと言えばかつて魔王を倒しルクレチアを救った英雄である。
「何故そんなお二人がこんなところに?」
「この崖の上にある森に強い魔物が出たとの報告があっての。本来ならば正規の王国兵が討伐に向かうはずだったのじゃが……」
「自分達では腕に自信が無いから勇者様に頼みたいと、そう言って私に押し付けてきたのだ。私達は便利屋では無いと言うのに」
「まあまあ、それだけお主の腕を信頼しておるという事じゃろうて」
「……ふん」
 ハッシュは不機嫌そうに立ち上がると、オルステッドとストレイボウに背を向け歩き出した。
「あっ、待って下さい。助けて貰ったお礼を……」
「必要ない」
 取りつくしまもなくぴしゃりとそう言われ、結局ハッシュは行ってしまった。
「やれやれ、相変わらずの頑固者じゃな。すまぬのう二人とも。ワシも行かせて貰うとするわい」
「はい……」
「ウラヌス様。ストレイボウを治してくれて本当にありがとうございました!」
「ふぉっふぉっ……二人とも、いつまでも仲良く元気での」
 ウラヌスはにこにこと柔らかい笑みを浮かべて二人に手を振りながら、ハッシュの後を追って歩いて行った。
「勇者、か……思っていたよりも愛想が無かったな。ウラヌス様の方がよっぽど人が出来てる」
 英雄達の姿が見えなくなった後、ストレイボウはぽつりと呟く。
「でも、カッコ良かったよね!ドラゴンの形の炎がこう……バーンってなって!すごかったよね!?」
「え?あ、ああ……そうだな」
「すごいなぁ……おれもいつか、あんな風になれたらなぁ……」
(……は?)
 どこか遠く焦がれるようなオルステッドのその表情は、いつもストレイボウに向けていた尊敬の眼差しと同じものだった。
(何であんな奴に、そんな顔すんだよ……お前は……)
「俺だけ……見てれば良いのに……」
「えっ?ごめん。ぼーっとしてて聞いてなかった。今何て?」
「あ、いや……何でもない……ただの、独り言だ」
「そう……?あっ!ねぇねぇ。やっぱりどうせなら〝私〟って言った方がそれっぽいかな?」
「……ああ、そう、だな……」
 楽しそうに私、私と繰り返すオルステッドの姿に、ストレイボウは何故だか胸がしくしくと痛むのを感じた。

 二人がかつて英雄と呼ばれた者達と再び相見えるのは、そしてストレイボウが自らの胸の内を焦がすその想いの意味を知るのは、それからまだまだずっと先の事である。
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