汚泥まみれの二人の話

最近、二人の事を魔王と呼び、殺しに来る者達が格段に増えた。ルクレチアの兵士。名声欲しさに新しい勇者を名乗ろうとする者。他国から来た腕自慢の者。それぞれ多種多様な人間達が魔王山の近くに現れては二人の手で始末されていった。

うんざりしそうな程、もはや何人手にかけたか分からない程に相手にしてきた頃、王国兵達が軍を成して魔王山の麓に集結している事にストレイボウが遠視の魔法で気付く。


「数の暴力でどうにかするつもりかよ…いい加減諦めて欲しいもんだ」
「こちらに攻め込む敵意は無いと、ただ私達をそっとしておいてくれれば何も危害は加えないと見逃した者達に散々告げたはずなんだがな…」
「国をどうにか出来るだけの力がある俺達の存在自体が恐怖だから理由付けて始末したいだけなんだろう」
「……アリシアも、国を引っ掻き回した私達の事を憎んでいるだろうしな」

魔王山を開く鍵でもあるブライオンはオルステッドの手の内にあるため、そう簡単には侵入出来ないであろうが、石壁を破壊されて無理矢理押し入られる可能性も無くはない。

「迎撃しよう」

そう提案したのは、オルステッドの方だ。

「本気で言ってんのか?」

ストレイボウは眉をひそめ、オルステッドを睨む。

「ああ。いくら数が多くても王国の全勢力を…という訳じゃないんだろ?」
「俺は言ったはずだぞ。お前が俺以外に殺されるのは許さねえと。なのにみすみす危険の中に放り込ませろと?」
「君が隣に居てくれるなら私は負けないよ」

澄んだ物言いだった。
今から行おうとしている事は大量殺戮に過ぎず、そしてそれを行わざるを得ない状況に追い込んだ相手に言うにはあまりにも真っ直ぐな程に。

「…お前も大概イカれちまったな」
「そうかもね…けど、誰にも邪魔されたくないのが君の望みなんだろう?ならやるしかないじゃないか。どんな事があっても私は君に付いていくと決めたんだから」
「……そうだな」

あくまでも、自身のためではなく人のために動くのがこいつらしいと思いつつ、そこまで言われて発破を掛けられたのではやらない訳にはいかないなと、ストレイボウはそれに付き合う事にした。

「それじゃ…入口を開くよ」

オルステッドはブライオンを構え、魔王山の入口を開く。
現れたオルステッドとストレイボウの姿を目にした兵達は次々どよめいた。

「おお…」
「魔王達だ…」
「魔王どもめ…人間を襲いに降りてきたな」

「…勝手言いやがるぜ」

ストレイボウは辟易した声で呟く。

「再三告げたはずだ。私達は二人だけで共に魔王山で大人しく生きる。ルクレチア王国にはもう関わるつもりも無いと」
「だがお前達が自ら平穏な暮らしを手放し、俺達を殺しに来たと言うのならば、振りかかる火の粉は払わせて貰う。死にたくないやつは気が変わらんうちに帰れ」

オルステッドとストレイボウがそれぞれ剣と杖を構えると、兵士達はざわざわと怯えだす。

「魔王どもの戯言に耳を貸すな!敵前逃亡は反逆罪として処罰するぞ!!」

しかし兵隊長らしきグリーンナイトが一喝すると、兵士達は覚悟を決めたように二人に向かって来た。

「………ま、こうなるよな…そそり立て!白銀の牙!!」

ストレイボウの叫びと共に辺り一面に巨大な氷塊が現れ、数人の兵士がその中に閉じ込められる。

「ひ、ひいっ!」
「ま、魔導士の方を…ストレイボウの方を先にやれ!」
「させるか!!」

オルステッドはストレイボウに狙いを定めた兵士を行かせまいと、一歩前に踏み出して刃を振るう。
兵士の首がばっくりと裂け、血飛沫が飛んだ。

「ぐっ…!?」

その瞬間、オルステッドは急に顔をしかめる。

「どうした!?」
「心配ないっ……援護を!」
「ああ…褐色の砂塵よ、我に勝機を!」

ストレイボウがを砂嵐を巻き起こし、数名の兵士が視界を奪われる。

「はぁぁぁっ!!」

オルステッドは風を纏わせた刃で自身の周囲の砂嵐を吹き飛ばしつつ、砂で目をやられた兵達を一網打尽にする。

「ッ!」

またしても、オルステッドの顔が一瞬苦痛に歪む。
だがそれでもオルステッドは止まらず、鬼神の如き勢いで眼前の兵達を斬り伏せた。

「青き嵐よ、叫び轟け!」

ストレイボウの雷撃が兵達を穿ち、痺れて動けない彼らをオルステッドが斬り刻む。
二人の連携の取れた動きに、徐々に兵達の動きが鈍くなっていった。

「…っは…はぁ…はぁ…」

しかし、オルステッドの方も妙に辛そうにしていた。片手で胸を押さえ、その顔は青ざめている。

「隙ありぃ!!」

それに気付いたグリーンナイトが自らオルステッドに襲いかかり、剣を向けるかと思いきやフェイントをかけ、オルステッドの腹を鉄靴で蹴り飛ばした。

「かはっ…!」

溝尾に食らわされた一撃にオルステッドは膝をつく。

「オルステッド!」
「死ねぇい!」

ストレイボウが動揺し、詠唱を中断したところにグリーンナイトが迫る。

「っ…させるかああぁぁぁーーッ!!」

オルステッドは立ち上がり、ストレイボウに差し迫る刃に横から一撃を食らわせて逸らした。

「貴様っ…!」
「やらせるものか…やらせてたまるものかァァッ!!」

激しい鍔迫り合いの末、勢いで勝ったオルステッドの切っ先が相手の腕の付け根に突き刺さり、怯んだグリーンナイトが一瞬身を引いたのを狙ってオルステッドは足を蹴り飛ばして転倒させる。

「今だストレイボウ!!」
「ああ!…炎の檻に囚われるがいい!!」

ストレイボウが構え、魔法を発動する。
グリーンナイトを包み込むようにしてレッドケイジが発動し、断末魔さえ上げる暇すら与えずその身を炭に変えた。

「た…隊長が!」
「ひぃぃっ!!」

司令官を失くした兵達は、後は烏合の衆だった。
恐れから硬直して大した抵抗も出来ず、オルステッドに斬り殺される者。死にたくない思いから逃げ出し、ストレイボウの魔法の餌食になる者。
ほとんど抵抗の出来ない者達を徹底的に殲滅していく二人の様は、まさしく魔王と言われるにふさわしい所業であった。

暫くして、辺りにはオルステッドとストレイボウ以外、誰の気配も無くなっていた。

「終わったか…?」
「みたいだ…な……」
「オルステッド!」

膝から崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返すオルステッドに、ストレイボウは駆け寄る。

「大丈夫だ…怪我はしてないよ。少し疲れただけだ…」

青ざめた顔で冷や汗をかきつつもブライオンを頭上に掲げて入口を閉ざすと、オルステッドは立ち上がろうとする。
しかし、その肩をストレイボウが押さえつけ、阻んだ。

「…なあ、お前、何を隠してる?」
「何をって…」
「明らかにおかしい。いくら人数が多いとはいえお前があんな奴ごときに、あんな風に苦戦するはずが無い。それに兵士を斬り伏せる時、何度かしかめ面をしてただろ。単なる具合の悪さでは無いはずだ」
「……大丈夫だから…気にしなくて良い」

オルステッドは何とかして笑顔を取り繕う。その背が、歪になっているのにストレイボウは気付く。
何かを隠すような行動するオルステッドが気に食わなかったストレイボウは、その身を引きずり倒した。

「ッ…!?ストレイボウ!駄目だ!!見たら…!」

制止も聞かずオルステッドを脱がせようとし、鎖帷子ごとシャツの背中側を捲った瞬間、眼前にぶわりと広がったものにその手が止まった。

「お前…これ…」
「…っ………」

オルステッドの背には、赤い翼のようなものが生えていた。それも腰まで覆う程の大きさで。
そしてそれが解放された途端にオルステッドの息づかいが安定しだし、苦しんでいたのはこれがずっと身体を圧迫していた息苦しさのせいだったのだとストレイボウは理解した。

「……ここ最近、何か背中に違和感があったんだ…それが、さっき急激に広がっていって。血を浴びれば浴びるほど、殺せば殺すほど、どんどんそれが強まって…」
「これは…お前が手にかけた奴らの怨恨が引き起こしたものか…?お前の身体を、奴らの憎しみが蝕んでいるのか……?」
「ストレイボウ…?」

急に空気が冷えた気がして、ストレイボウの方へ顔を向ければ、明らかに表情が曇っている。それを見てオルステッドはひゅっと息を飲んだ。

(あ…まずい)

その表情は、ストレイボウが独占欲に駆られるがあまり、喪失感への恐れのあまりオルステッドを無理矢理組み敷こうとする時、よく見せる怒りの顔だった。

「ストレイボウ…落ち着っ…うあっ!?」

ストレイボウはオルステッドをうつ伏せにし、その上に馬乗りになる。

「待っ…!?話を……い゙っっっ!!?」

そして、ストレイボウは力ずくでオルステッドの羽根をぶちぶちと毟った。

「痛っ!…あ、が…痛い…嫌だ…や、頼む…話、をっ…」
「お前は、お前は俺のなのに…!こんなもの、許さねえ…許さねぇ!!あいつら…勝手に…」
「っあ゙!!?やめっ…痛っ!や゙ぁっ!!」
「何で…何で他の奴らが、お前の身体を……何で…こんなもん…ふざけるな!!」
「あ゙あ゙あ゙っ!!やめてくれ!!やめてくれぇぇぇぇっ!!!」

嫉妬心からの憎悪に駆られたストレイボウに、オルステッドの声は届かない。
身体の一部を何度も何度も執拗に引きちぎられる痛みにオルステッドは必死でもがくが、ストレイボウに乗り掛かられているせいでままならない。

閉ざされた魔王山の中に絶叫が響き続け、四半刻ほどした後、ようやくそれは止まった。

「はぁ…はぁ……」
「かっ、は…ひっ…ひっ…ひ、ぁ…は…」

痛みにずっと叫び続けていたオルステッドは、今にも死にそうな顔で、浅い呼吸を繰り返す。

結論を言えば、どれだけ羽根を毟り続けようが、オルステッドの翼が失われる事は無かった。背中が引き裂かれ血塗れになるほど執拗に羽根を引きちぎり抜いて傷付けたたところで、毟られた箇所からまた新しい羽根が生え出し、元通りになってしまうのだ。

「ひ、や…だ…も、ゆるし、て…ゆる、して……いたいの、は、もう、いやだ…ゆるして…ゆるし、て…くれ…」
「……!…」

我に返ったストレイボウは、痛みに震えるオルステッドと血塗れになった自らの手を見て、自分のした事を理解する。

「…何、して…俺……」

例え相手が襲ってくる敵であろうがオルステッドが他者と関わる度に嫉妬心で心を塗り潰されて正気を失い、その度にオルステッドに無理を強いてしまう事は多々あった。だが、ここまで極度の苦痛を強いる行為は初めてオルステッドを犯した日以来だ。

「ゆるして…たのむ……」
「オルステッド……すまなかった…もうしない」
「ス、ト……?やっと、落ち着いたの…か?」
「ああ…すまない。また俺は…」
「……とりあえず、どいてくれ…」
「あ、ああ…」

ストレイボウは慌ててオルステッドを解放する。オルステッドはよたよたと身体を起こすとストレイボウに寄りかかり、その身を抱き締めた。

「オルステッド…?」
「大丈夫…大丈夫だから…」

幼子をあやすように頭を撫でられ、ストレイボウは困惑する。

「怖かったんだろ…?私が、君以外に、取られるのが…分かってるから、知ってるから…安心してくれ…ストレイボウ」
「オルステッド…」
「……なあ、ストレイボウ…私の身体はきっともう元には戻らない。分かるんだ。この翼は、多分もっとずっと前から…私が人殺しを躊躇わなくなった頃から、既に私の身体の奥底に根付いてしまっていたものなんだ。既に私の身体の一部なんだよ」

髪に触れる手が、不意に止まる。

「ストレイボウ…私が、こんな醜い姿になっても、君は変わらず私を愛してくれるのか?」
「…ああ。当たり前だ」
「なら、良いよ…私も君を許すから…私を一人にしないでくれるのなら…それで…」

だから、ひとりぼっちにしないでくれ。
みすてないでくれ。
そうでなければ、わたしはいったいなんのために、つみをかさねてきたのか、なんのためにばけものにまでおちたのか、わからなくなってしまうから。

抱き締められているせいでストレイボウにはオルステッドの顔は見えなかったが、震える声で、紡がれる言葉で、どんな表情をしているのかは嫌と言う程に伝わってきた。

「それは俺の台詞だ…お前に去られたら、俺は一体何のためにお前を…ここまで…」
「はは…もう私はどこにも行けないよ。こんな身体じゃ…」

赤い翼がばさりと開き、ストレイボウを包んだ。

「君に見捨てられたりしない限りは、君が私を求めてくれる限りは、私はずっと君の傍らにいるよ…何があっても私はずっと…君だけの傍にいる…私の居場所は、君のところだけだから…」

ストレイボウの頬に手を寄せ、オルステッドは泣き晴らした顔で微笑む。元は日溜まりのようだったはずの笑みは今ではどこか陰を孕んだ月明かりのようになり、その瞳の色は、琥珀色から石榴色へと変化していた。
その言葉に、姿に、ストレイボウの心の中のぽっかりと空いていた部分へ、すとんと何かがはまるような音がした。

(もうお前は、二度と俺の元から離れられないんだな…?もう二度とお前を誰かに奪われたりしないんだな?)

オルステッドが、彼がもはや絶対に自分の元から離れられない、離れようとしないという事への安堵が、そして日の当たる場所を歩くはずだった彼がようやく自分と同じ所まで堕ちてくれたのだという満足感が、ストレイボウの心を満たした。

「…オルステッド」
「ん?」
「愛してる」
「うん。知ってる」
「お前は?」
「…分かっているだろう?私が君へ抱えるこの想いは、この感情は、君の抱く愛とはまた違う形のものだ。けれど…私だって君を愛しているよ。命に変えても惜しくない程に…君を手放したくない」
「…そうか。ならもう、それで良い」

──たとえ形は違っても、それが自分にだけ向けるたった一つの愛ならそれでも良い。

「俺はお前を誰かに奪われたら、きっと本当の意味で魔王になるかもしれない」
「私だって、君を失ったら、きっと身体だけじゃなく心まで魔王に堕ちると思う」

──すれ違いながらでも、行き着く果てが同じならばそれで良い。

「だからお前は絶対に殺されるな」
「君も絶対に死なないでくれ」

(俺達は)
(私達は)

二人で一つの魔王だから。
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