分かち合う事など出来ないが



(あいつの痛みを分かってやれない私に出来ることなど限られているだろうが、少しでもその苦しみを和らげられるのならば、その手をずっと握りしめていてやりたいと思ったんだ)



ある晩。ワイドの館の客室に寝ていたケルヴィンはノックの音で叩き起こされた。
慌ててベッドから立ち上がり扉を開けてみれば、そこにはギュスターヴが立っていた。

「悪い。一晩だけで良い。一緒に寝てくれ」

ギュスターヴの突拍子も無い一言に、またいつもの悪ふざけかと思ったケルヴィンはため息を吐いた。

「今何時か分かっているのか?ふざけてないで戻れ」
「………うん。そうだよな。すまなかった」
「?」

いやに素直なギュスターヴをケルヴィンはいぶかしげに見、自室に帰ろうと踵を返した彼の肩を掴む。

「何かあったのか?」
「………何でもない」
「何でもないって態度じゃないだろう。こんな夜更けに来たと思ったらそんな」
「何でもないって言ってるだろ」

口では否定しつつも、ギュスターヴの身体は明らかに震えている。

「そんな状態のお前を放っておけん。話だけでも聞いてやるからとりあえず入れ」
「………うん…」

ケルヴィンに言われるがまま、ギュスターヴは部屋に入る。
普段ならノックすらせずにずかずかと勝手知ったるという態度で部屋に入ってくるはずのギュスターヴがここまで大人しいというのは極めて珍しい事で、ケルヴィンは困惑した。

「一体どうしたんだ?」

ギュスターヴをベッドに座らせると、ケルヴィン自身もその隣へ座る。

「隣で一緒に寝て欲しいんだ。理由は…明日落ち着いてから話すからさ」

月明かりに照らされたギュスターヴの表情はあまりにも頼りなく、弱々しかった。
少なくとも就寝する前はいつものように書類の整理をケルヴィンに押し付けたり鍛練に巻き込んだり、とにかくケルヴィンを振り回してはけらけらと笑っていたはずだ。

「頼む。後でちゃんと訳を話すから」
「…仕方ない。今日だけだからな」
「うん。ありがとう」
「何だかお前が素直だと調子が狂うな」
「ひっでぇ。そういう事言うかよ。俺だって時々は素直に人を頼る事くらいあるだろ」

ギュスターヴはぎこちなく笑ってみせようとしたが、ケルヴィンには困り顔にしか見えなかった。

大の男二人で寝るには少々狭かったが、何とか二人は共にベッドに潜り込む。

「へへっ…」
「何だ?急に笑い出して」
「いや、あったかいなって…一人は、寒いからさ…」
「…そうか」
「うん…おやすみ。ケルヴィン」
「ああ、おやすみ」

ようやく寝付ける。ケルヴィンはそう思ったが、これだけでは終わらなかった。
暫くすると、静かに寝始めたはずのギュスターヴが荒い呼吸を始める。

「っは…はぁ…う、ぐ、うう…」
「ギュスターヴ?」
「や、だ…いかないで…お願い…嫌だ。嫌だよ…」
「おい?ギュスターヴ?どうした?」

ケルヴィンが身体を揺さぶると、ギュスターヴはぼんやりと目を開ける。
しかし悪夢から完全に目覚め切れないのか、その表情は虚ろだ。

「…ケルヴィン……?」
「一体どうし…うわっ!?」

逃がすまいとでも言うほどに強くしがみつかれ、ケルヴィンは動揺する。

「ケルヴィン…行くな…行かないでくれ。頼む。お願い…」
「落ち着け!おい…ギュスター…っ!?」

唐突に口付けされ、思わず固まった。
最初は軽く触れるだけだったが、舌を絡め取られ、徐々に深くなってく。

「んっ…ぅ…ぶはっ!?おいっ!何を…」
「や、嫌だ…お願い…行かないで…僕を一人にしないで……」

無理矢理引き剥がすと、ギュスターヴは泣いていた。
いつもの横柄な態度は完全に消え失せ、そこにいるのはただただ孤独に怯えて泣きじゃくる小さな子供のようだった。

「ギュスターヴ!目を覚ませ!!」
「!?」

ケルヴィンが叫ぶとギュスターヴの身体がびくりと跳ね、虚ろだった目に光が戻る。

「……ケル、ヴィン…?あれ?何で俺、ここに…」
「覚えてないのか?自分で泊めてくれって言っただろう」
「あ……」

ようやく我に返ったギュスターヴは手で顔を覆うと、やっちまったと一言呟く。

「悪い。自分の部屋に戻る…騒いでごめん」
「待て。あんな風にうなされてる姿を見せられてそのまま帰せる訳ないだろう?」

逃げるようにベッドから出ようとしたギュスターヴの腕を掴み、布団の中に引き戻す。

「話してくれ。どうしてあんなに怯えていたんだ?」
「…たまにさぁ、皆が俺を置いて居なくなる夢を見るんだよ」
「居なくなる夢…」
「最初はフィニーの王宮の中でお父様とお母様が俺の手を引いて笑っていて、お母様のその隣にはフィリップもいて、とても幸せなところから始まるんだ」

まだ自分が空っぽの出来損ないって知る前の幸せな記憶から。もう二度と見る事の叶わない光景から。と、ギュスターヴが言葉を紡ぐ声は重々しい。

「けど、お父様が立ち去って、それからシルマール先生やお前達が現れるけど、やっぱり居なくなって。必死で追い掛けてるうちにいつの間にかお母様も居なくなって…そして真っ暗なところに一人で取り残されるんだ」

ケルヴィンは、かけてやる言葉が見つからなかった。
それなりの長い付き合いから、彼の普段の傍若無人な態度も周囲への劣等感やその悲しみを誤魔化すための虚勢だとは知っていたが、まさかあんなにもうなされる程に周囲の人間に離れられる恐怖に怯えているとは思ってもみなかった。

(それだけお前の抱えている傷は深く、どう足掻いても塞ぎようが無いのか)

「目が覚めて、これは夢だって気付くんだけど、でもやっぱりお父様に石ころ以下だと捨てられた事も、お母様が亡くなった事も本当だって思い出して、それで…」
「もういい、分かった。分かったからもう喋らなくていい」

また泣き出しそうなギュスターヴの姿を見ていられなくて、ケルヴィンは言葉を遮った。

「その夢はいつから見るようになった」
「お母様が亡くなった頃から。普段はこういう時、フリンのところに押し掛けるんだけど、あいつ今日居ないから…」

フリンは今日、ギュスターヴの命令でワイドの外へ諜報活動に出ていた。明日の朝には戻る手筈にはなっていたのだが、ギュスターヴ自身、まさかその日に限って悪夢を見るとは予想してなかったのだろう。

「どうしようって散々迷って、お前のところに来た。きっと困らせるって分かってたけど、でも、お前以外にこんな事、明かせなくて…」

ワイドの領主を失脚させ、その座を奪った身であるギュスターヴがこのような弱みを見せてしまえば、ギュスターヴ側に付いたばかりの臣下達も不安がるだろう。
きっと、この日ケルヴィンが居なければ、そのまま泣きながら一人で夜を明かしていたはずだ。

「その、ああいう事はフリンともするのか…?」
「ああいう事?」
「…さっき抱きつかれて…キスされたから」
「……あー…うん。たまに…今ここに確かに存在するんだって、確認したくて…」

あいつにも悪いとは思ってるんだけどさぁ。と続けるギュスターヴに、ケルヴィンは少しだけ沸き立った感情をぐっと堪える。

(やめろ。と言って聞けるようなものじゃないのだろうな…明らかにあの時のギュスターヴは錯乱してほぼ無意識にやっていた)

孤独に怯える彼を落ち着かせるためにはどうしようも無かったのだと、ケルヴィンは自分を無理矢理納得させる。

「なあ、ギュスターヴ」
「何だ?」
「手」
「て?」
「握っててやるから。手を出せ。そうしたら少しでも安心出来るだろう?」
「……」

おずおずと、差し出されたギュスターヴの手にケルヴィンは指を絡める。

「私はお前の元から去ったりしない。約束するよ」
「……お前はいつかヤーデを継がなきゃならない身だろう?俺の側にいたら、いつかナ国を裏切るような真似になるかもしれないんだぞ?」
「それでも、だ」
「……ふ、はは…お前ほんっと馬鹿が付くほどの生真面目だよなぁ」
「誰が馬鹿だ。そっちこそ人を疑うな馬鹿」
「はは…」

へにゃりと崩れるような笑みを浮かべ悪態をつくギュスターヴに、ケルヴィンも少しだけ安堵する。

「不安なら手を握りしめれば良い。私はここにいるから」
「うん…ありが、とう……」

ふつりと緊張の糸が切れたのか、ギュスターヴはまどろみに落ちた。

「……」

ケルヴィンはギュスターヴの髪を、頬を、そっと撫でる。
長い金の睫毛に彩られたその寝顔は、かつてケルヴィンが想い焦がれた彼の母によく似ていると思った。

(私には、お前が受けてきた苦しみも悲しみも分かち合ってやる事など出来はしないが、それでも手を取りお前を支えてやる事だけは出来る)

いずれその行為が自らをも破滅に追い詰める事になるのだとしても、繋がれたこの手を放す気にはなれなかった。

「せめて今だけは、お前が安らかな夢を見れる事を祈ってるよ」
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