愚者の金
──それから数十年後
ギュスターヴが南の砦で亡くなり、そして長年ギュスターヴの残したハン・ノヴァの都を取り合ってきた宿敵とも言うべきカンタールも死去し、ようやくケルヴィンは形ばかりのハン・ノヴァの統治権を得た。
「……では、これで」
「ええ、城の統治権は貴方に任せましょう。ただし…」
ハン・ノヴァの都市を纏める元老院の代表は、ケルヴィンを冷ややかな目で見る。
「分かっています。私は一度、自らの民の為に貴方達ハン・ノヴァの住人を見捨てた身ですから。都市の統治は引き続き貴殿達にお任せします」
「なら結構。我々の指導者はギュスターヴ様ただ一人であり、カンタール侯でもなければましてや貴卿でもありませんからな」
そう言い放つと、元老院の代表はケルヴィンに背を向け、そのまま振り返る事無くがらんどうの会議室から去って行った。
「………」
ただ一人、その場にぽつねんと残されたケルヴィンもまた会議室を後にすると、そのまま城の奥へと進み、そして、とある部屋の前に立ち尽くす。
「…ハン・ノヴァを見捨てた日から、ずっとここには足を踏み入れられなかった」
ぽつりと、独語する。
「あいつの都と民を見捨てた私がここに立ち入る資格など、本来ならば無いのだから」
まるで誰かに言い訳しているかのような言葉を。
そうして意を決したように扉を開け放つと、ケルヴィンは部屋の中──ギュスターヴの自室へと足を踏み入れた。
幾年も昔に主を失ったその部屋は、部屋の主を慕う者達の手によって大切に手入れされていたのであろう。あの日からまるで時が停まったままであるかのように、ほとんど何も変わらずそこにあった。
乱雑に置かれた筆記具や用紙皮も、表紙から幾ばくも進んでいないところでしおりの挟まれた本も
この部屋の主が部屋を後にして、そして帰って来なくなったあの日のまま
ずっと、何年も。
「変わらないな。ここは」
最後にここで部屋の主と会話した日から、ほとんど、そのまま。
ふと、机の上を見ると、散らばる羊皮紙の中にいやに黄ばんだものがあった。
「……?」
妙に気になり、周りのものを退かしてみれば、その羊皮紙の上には今にも崩れそうな黄褐色の石が乗っていた。
「これは…」
時の流れから切り離されたような空間でそれだけが随分と風化し、見る影も無くなっていたが、ケルヴィンはその石に確かに見覚えがあった。
それはずっと昔、ワイドで見たあの黄鉄鉱だった。
「あいつ…こんなものを文鎮代わり使ってたのか…」
そういえば真新しい羊皮紙を使って書かれたはずの書類が、やけに黄ばんだ状態で戻ってきた事が何度があった事を、ケルヴィンはふと思い出す。
「こんな錆びた鉄の塊など使っていれば同然か。全くあいつときたら……」
そう呟いたところで、ふいに目頭が熱くなる。
気づけば羊皮紙にぽたりぽたりと丸い染みが出来ていた。
「……!!」
抑え込もうとしても視界は涙でぼんやりとするばかりで、もはや溢れてどうする事も出来ない自分の感情に、ケルヴィンはその場にがくりと膝をついた。
「……っ…」
(あいつを無理矢理この大陸に帰らせたりしなければ、こんな事にはならなかったのだろうか)
あのままワイドに居続ければ、例え心の奥底に塞がる事の無い傷を抱えたままだとしても、あれ以上傷付く事も無かったかもしれない。
ようやく絆を取り戻した筈の弟を目の前で失う事も、それがきっかけでギュスターヴが覇道を突き進む事も無かったかもしれない。
もはや取り返しのつかない事だとしても、後悔の念は後から後から止めどなく溢れだす。
『まるで俺みたいだよな』
ふいに、あの時のギュスターヴの言葉が甦る。
(……この石がお前だと言うのならば、さしずめ私はその石を求め続けた愚者じゃないか。必死に追い求めたものはもう、何処にもありはしないのだから)
本当はこの城を取り戻す事も無意味だった事くらい、ケルヴィンも分かっていた。
自分とカンタールの覇権争いに巻き込まれながら、この国は貴族になど頼らず民達だけの力でここまで復興してきたのだ。今さら名ばかりの指導者など、誰も必要とはしていない。
ただ、ギュスターヴと共に築き上げたこの場所を失いたくないという、己のエゴを貫き通すためだけに、ケルヴィン自身もいつの間にか戻れぬ道へと突き進んでしまった。
(……なあ、ギュスターヴ。私は一体…)
一体、どうすれば良かったのだろうか
一体、何処で道を誤ってしまったのだろうか
一体、どうすれば、お前を救ってやる事が出来たのだろうか
(今さら考えたところで、もう何もかもが手遅れでしか無いのだが)
お前はもう、どこにもいないのだから。
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