賢者と猫弟子と若者達

(あの方の考えは私には全く分からない)


この間も、いきなり捨て猫を拾ってきたかと思えば、それに人化の魔法を教えて弟子にするなどと言い出すのだから。


(全くもって、あの方の意図は分からない)







かつかつかつかつ、と、明らかに怒りに満ちた強く早い足音が、聖堂の一角にある小部屋へと近付いてくる。



「ソロン様!!ここにいらっしゃったのですか!」
「ん?どうしたのだねユーグ。私はこれを読むのに忙しいのだ。手短にしてくれ」


激しい口調で駆け込んできたユーグをさして気にする様子も無く、ソロンは机の上に開かれた読みかけの書物に目を向けたまま、静かに応える。

「あの猫は…キャミはどこですか!?一言言ってやらねば私の気が収まらぬのです!」
「キャミならばそこの木の上で寝ているが?」

ソロンが指差す方を見ると、確かに開かれた窓の外で、枝葉を広げるオークの木の枝に体を預けて眠るキャミネコの姿があった。

「あいつめ…人を散々な目に遭わせておきながら…っ!」
「少し落ち着きたまえ。何があったのか分かるように話してくれないか?」

今にも窓から身を乗り出して飛び掛からんばかりに殺気立つユーグをたしなめるように、ソロンはやんわりとした口調で言った。

「これを見て下さい!キャミにやられたのですよ!」

そう叫ぶユーグの服は、ところどころ焼け焦げたような跡があった。

「聖堂騎士の寄宿舎から出ようと扉に手を掛けたところ、そこに急に魔方陣が浮かび上がり、雷撃が放たれたのです…この神聖な場所でこんなイタズラをしでかす者など、あいつ以外にはおりません!」
「ふむ…確かに少々やり過ぎだな。怪我人が出るのは困る。やるなら軽く痺れる程度に……」
「私はそのような事を申しているのではありません!二度とこのような下らない真似をしでかさぬように、あの猫の躾をもっと徹底して頂きたいのです!!」
「猫は犬と違うのだよユーグ。犬ならば自分よりも上の立場の者の命令は聞くが、猫は自分の気分次第で動く。言うことをきかすのはそう簡単では無い」

ユーグの方から目を離し、再び本の文字の羅列を追いながら、ソロンは答える。

「ですが…!」
「あの子に人の道理など通用しない。あの子はそんな物に関心など一切無いのだから。君もそれはよく分かっている筈だろう?」
「……っ!」

やわらかな、けれど有無を言わさぬソロンの物言いに、ユーグは唇をぎりっと噛む。



「……ソロン様は、あの猫に対しては随分と寛大であられるのですね…」


煮え繰り返った腹をどうしても抑え込む事が出来ず、ユーグは顔を伏せながらもソロンに向かって皮肉めいた言葉を投げ掛ける。


「この間だって、あの猫のイタズラの手助けに、クリフをわざとそそのかしたりなんてして…ソロン様は少し、あの猫に対しては甘過ぎると……少なくとも私は、そう思います…」


言い終えてから、目上の人に向かってなんという口をきいてしまったのだろうと、ユーグは罪悪感にとらわれる。



(仮にも賢者たるお方に向かって私は…ああ、きっと御機嫌を悪くされたに違いない……)



しかし、ユーグが恐る恐る顔を上げてみれば、予測に反してソロンは驚いたかのように目を見開いて、ユーグをじっと見据えていた。



「!?」


いつも全てを分かりきったような、それでいてあえてとぼけているかのような、どこか含みのある微笑みを浮かべているソロンが初めて見せた、まるでそんな事を言われるとは思ってもみなかったとでも言いたげな表情に、ユーグは驚愕した。


「ソ、ソロン…様?」
「…………そう、見えるのかね?」
「え?」
「いや………ふむ、そうか……」


質問の意味を計り兼ねて固まるユーグをさして気にも留めず、ソロンは机から立ち上がるとその横を通り過ぎ、そのまま部屋からこつりこつりと出ていった。


「…………」


(やはりあの方の意図は私には理解全く出来ない……)


読みかけで放置された本のページが、窓から入り込んだそよ風でぱらぱらとめくれる。


(理解は出来ない…が、先程の行動を見るに、つまりは……)



「例え賢者と呼ばれるに到った人であったとしても、やはり己自身の感情は理解し切れないものなのだろうか…」



ユーグは自身の行き着いた答えを噛み締めるかのように、ぽつりと呟いた。






「ふぎゃっ!!?」


外から聞こえた甲高い叫びに、ユーグが窓に駆け寄ると、木の枝から落下したと思わしきキャミネコがそそくさと駆けていく姿が見えた。




「……………」



そんなキャミネコの姿を見てつい、良い気味だ。などという、聖堂騎士にあるまじき考えが胸をかすめた事を、ユーグは少しばかり恥じるのだった。
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