コドク狼

「──い……生…トーワ先生!」

「…ん……んん?」

肩を揺すられる感覚に、トーワは目を覚ます。

「ああ、ジルか。どうした?」
「先生がうなされていたので…顔色真っ青ですよ?大丈夫ですか?」

ジルと呼ばれた青年は、薬瓶や書物で乱雑になった机に突っ伏して寝ていたトーワの顔を心配そうに覗き込む。

「ああ、問題ない。少し小さい頃の夢を見ていただけだ…」
「そうですか…?このところ研究で根を詰めてるようですし、あまり無理はしないで下さいよ?寝るならちゃんとベッドで寝てください」
「ああ、分かっているさ」

「本当に分かってるのかしらね…」

「うおっ!?ユナもいたのか!」
「いたのかとは失礼ね。今日は冷え込むからせっかくシナモン入りの暖かいシードルを持ってきてあげたっていうのに、貴方ったら研究の途中で寝落ちてた挙げ句うなされてるんだもの…うっかり薬でも倒したらどうするのよ?危なっかしいったらありゃしないわ」

ユナと呼ばれた女性はため息混じりにトーワに説教する。

「あー…悪かったって…」
「全く、もう貴方も若く無いんだから無茶しちゃ駄目よ?疲れてるのに無理するから悪夢なんて見るのよ。急患でも来ない限りは駄目だと思ったらその日は無理せず寝ること、いいわね?」
「へいへい。分かってるさ。第一この研究が完成するまでは死ぬに死ねんよ」
「はは…確かに『死なないため』の研究のために死んだらもとも子も無いですもんね」

ジルが苦笑する。

「まぁ、出来る限り急ぎたい気持ちはあるがな。ワシがもう若くないのは確かだし…それに、この研究が成功すればお前がしわくちゃのばーさんになる姿も見ないですむ訳だしな」
「ちょっと!それってどういう意味よ!!」
「だってお前だって老けるのは嫌だろうが?年食うと辛ぇぞぉ~?シワは増えるし腰は痛いしすぐ息切れするしよ。ワシも若い頃のピンピンしてた頃の体に戻りてぇもんだよ全く」
「そりゃ、そうだけど……あーもう!そんな意地悪言うような人にはシードルあげない!!」
「あ、悪い悪い。頼むからそれくれよ。薄着で寝てたから寒くてかなわん」

憤慨するユナを見て、トーワはくっくと悪戯っぽく笑った。


ギュスターヴ13世が行ったアニマ教徒粛清の日、水路から流されながらも奇跡的に生き延びたトーワはラウプホルツまで亡命し、その後50年近くもの間、獣医として働いていた。獣術や生物学に長けたトーワは腕利きとして知られ、一般人のペットから貴族達の乗馬用のギンガーまで幅広く治療している。
40歳も年下の妻であるユナは以前飼い犬を世話してやった貴族の娘、ジルはそこの使用人の息子であり、トーワの腕前に感服した二人は彼に猛烈なアタックを繰り返し、ついにはトーワも相手の貴族も折れて結婚と弟子入りを認めたのだった。
あの日、父親に見捨てられて以来人に心を許す事が中々出来なかったトーワだったが、いつも何かと自分の世話を焼いてくれる二人はいつしか彼にとってかけがえのない存在になっていた。

そんなトーワが本業の傍らやっていた研究というのが、人のアニマをアニマの循環から切り離し、不老不死の存在に変えるというものである。
まだ若い頃にトーワが迷いこんだラウプホルツの奥地で発見した古い塔。
建物にかけられた術によってその地に括られ、星に還る事の出来ぬ迷いアニマが飛び交うその中に居たのは、人の姿を保ったままグールへと変貌した古い時代の人間達だった。
失敗に終った不完全なものではあったものの、自身のアニマを永久に保存し、不老不死の存在に変えるその術は、トーワにはとても魅力的なものに映った。願わくば自分も同じように──否、彼らのようにグール等にはならぬまま、完全なる不老不死へとなれぬものかと、そう思って以来、彼はずっと研究を重ねていた。
しかし研究は中々思うようにいかないまま年月だけが過ぎ、トーワも何度も諦めようと思った。

それでも、どうしても諦め切れなかった。

(このまま研究を諦めたら、きっとワシはあの二人よりずっと早く死ぬだろう)

愛する者達を置いて、自分だけ先に逝かなければならない。トーワはそれがたまらなく嫌だった。
最初は自分の為だけに研究していたトーワだったが、ユナやジルと過ごすうちに、いつしかトーワはこの研究を完成させて、ずっと永遠に三人で暮らしていられたらと、そんな思いを抱くようになっていた。



「はぁ…この方法も駄目か…出来うる限り古い文献を取り寄せて漁りまくってはみたが、参考になるものは中々見つからんな」

夢にうなされてから数日後。古ぼけた本とにらみ合いながらトーワはぼやいていた。

(あの塔内にあった文献にはアニマを肉体から分離する事で不老不死になったと書いてあった…しかしそれだけでは恐らく駄目なんだ。一体どうしたら…)

「一人で考え込んでても答えは出ないか…少し酒場にでも行って気分転換でもするとしよう」

トーワは座りっぱなしで凝り固まった体を伸ばして立ち上がると、書庫で本を読んでいたジルに声をかけに行く。

「ジル、ワシは少し飲みに行ってくる」
「こんな時間からですか?もうすぐ日付が変わりますよ?」
「ん、たまにはな…多分遅くなるだろうから急患が来たら頼むな」
「はい、僕にどんと任せて下さい!」
「おう」

愛想よく自分を送り出してくれるジルに返事をし、トーワは家を後にした。

「……うー寒っ!!早く酒飲んで体を温めねぇと…」

深夜の冷えきった空気に当てられながら、トーワは早足で歩く。
家々はもう軒並み明かりを消して静まりかえり、カイロ代わりと護身用を兼ねて持ってきた灯の槍から放たれる朧気な炎と、煌々と光輝く月明かりだけが頼りだった。

「もし研究を完成させる事が出来たらこの国ともおさらばだろうな…長年居続けた場所だから名残惜しいが、ずっと老けも死にもしないんじゃバレちまうだろうし」

(でも、三人で当てもない旅をするのも良いかもしれねぇな…そうだ、南大陸にも一度は行ってみよう。こちらには無い珍しいツールがあるって話だしな)

研究が完成した後の未来に想いを馳せ、つい、ふふっと楽しげにトーワは笑みをこぼす。

そんな時だった。

「随分と楽しそうだな」

ぞわりと、まるで濁った水のように本能的な嫌悪感が沸くような、それでいて酷く懐かしいアニマの気配を感じたのは。

(こいつは…このアニマは…!)

どくりどくりと心臓の鼓動がどんどんと速くなる。

(間違えようも無い。いくら年月が経とうとも忘れられる筈がない…!)

トーワが声のした方角を見ると、そこには月明かりによって淡く輝く金髪をなびかせる、鋼の鎧に身を包んだ男が薄笑いを浮かべながらたたずんでいた。

目の前にいる、自分よりもずっと若々しい男の姿に見覚えは無い。
しかし、そのアニマはまぎれもなくトーワがよく見知った者のものだった

「てめぇ…デレク…!」
「ほぉ…この体でも分かるのか。真アニマ教教主の息子トーワよ」
「そのアニマ、忘れるものか…てめぇ、よくもオレの前に面ぁ出せたもんだなデレク!!」
「…はて?何をそんなに怒っているのだ?『あの体』の頃に貴様に何か恨まれるような事をした記憶は無いのだが」
「てっ…めぇぇぇっ!!!!」

トーワは感情任せに灯の槍を金髪の男目掛けて振り上げる。

しかし金髪の男の体を貫く寸前、槍はトーワの握っていた所から上の部分が一瞬にしてバラバラになり、地面へと落ちていった。

「なっ…!?ぐぅっ!!」

その原因が、いつの間にか金髪の男の側に立っていた銀髪の騎士だと気が付いた時には既に遅く、瞬時に詰め寄ってきた騎士によってトーワは喉元を締め上げられ、持ち上げられる。

「か…はっ…!」

(なん、だ…こいつ……人間の動きと…力じゃ、ねぇ…っ!)

みしみしと、あとほんの少し力を入れさえすれば簡単に首の骨を折ることが出来そうな程に締め上げられ、トーワは意識が飛びかける。

「止めろ、サルゴン。そいつにはまだ用がある」
「ですが…」
「止めろ。と言っているのだ。命令が聞けんのか」
「……はっ…申し訳ありませんギュスターヴ様」

サルゴンと呼ばれた騎士がいきなり手を離した事で、トーワは思い切り地面へと叩き付けられるように落ちた。

「っ…けほっ…げほっ……は…?ギュスターヴ様だと?…おい、何の冗談だよ…」

酸欠で上手く頭が回らないまま、トーワはギュスターヴを見上げる。

「…あの日、13世の襲撃に遭った日、オレや他の信者共を見殺しにして親父と逃げようとした後何があったって言うんだよ……何でてめぇがあいつと同じ名前なんか名乗ってんだよ…?ふざけんな…ふざけんなよ!!」
「落ち着け。我が部下の力である程度音は散らしてるとはいえ、あまりわめき散らすと街の住人に聞こえるぞ」
「っ…!!」
「そう睨むな。そうか…何をそんなに怒っているのかと思えばまさか気付かれていたとはな…」
「この目でてめぇらが逃げる所を見ちまったからな。つっても、オレが見たのは親父が魚人に襲われて水路に落ちるところまでだ…どうせてめぇはその後親父も見捨てて一人であの場から逃げおおせたんだろ?あぁ!?」
「半分正解で半分間違いと言ったところか。あの体も殺されたよ。流石にあの人数の兵士に追われては逃げ切れなかった。『私』はあの体に最後の力を振り絞らせて水路に落ち、そうして流されながら新しい持ち主が現れるのを待ち続けた。そうして幾度かの代替わりを経て、今この体を手に入れたのだ。13世の子孫を名乗って争いを巻き起こすのに相応しい体をな」
「持ち主…?まさか……」

トーワはギュスターヴを名乗る男が見覚えのある卵形のクヴェルを抱いている事に気付く。

「てめぇの正体は…そのクヴェルなのか?」
「そうだ。そして貴様が求めているものの終着点でもある。いずれ朽ちる定めの肉体を捨て、精神体のみをクヴェルの中に移す事で我らは永遠の命を手に入れたのだ」
「な…何でオレの研究の事まで知って……」
「そりゃあ、あれだけベラベラ喋ってればね」

ギュスターヴの背後から黒髪の青年が姿を現す。

「こやつは我が部下のイシスだ。ここ二、三日貴様の家を見張らせていた。なにぶんこやつは音のアニマの資質が強いのでな。あんな薄い壁一枚隔てた先の会話を聞く事くらい造作もない」
「盗み聞きかよ…そこまでしてオレに再び関わろうとする理由は一体何だ?またろくでもない事考えてんだろ?」
「ああ、私は今ギュスターヴの子孫として名乗り上げるために兵を募っている。その中でも特に優れた精鋭…エーデルリッターとなるだけのアニマを持つ者が必要なのだ。子孫である事の信憑性をより確かな者にするための優れた部下がな」
「まさかオレにその部下になれと…?冗談じゃねぇ!何でてめぇみたいな奴にオレが従わなきゃならねぇんだ!!」
「永遠の命が、欲しくはないのか?」
「…!!」
「私に従えば、お前の欲しいものも手に入る。こやつらのように人の限界を超えたアニマと身体能力もな。どうだ?悪い話では無かろう」
「……てめぇなんぞに頼らなくたって、オレは自分の力で研究を完成させてやるさ…」
「その老いぼれた体の寿命が尽きる前に、出来るのとでも思っているか?」
「うるせぇっ!!オレはあいつらと…ユナやジルと共に生きるんだ!」
「あの女と助手か。全くもって愚かな奴だな。貴様は」

ギュスターヴはさもおかしそうに不敵な笑みを浮かべる。

「どういう意味だ」
「言っただろう?見張らせていたと。あの二人は貴様が目を離している隙に、貴様を殺して研究成果を奪う為の計画を練っていたそうだぞ」
「は……?」

ギュスターヴの言葉が理解出来ず、トーワは目を見開く。

「…っば、馬鹿言ってんじゃねぇよ!!あいつらがそんな事する訳ねぇ。そのガキが適当なデタラメ抜かしてるだけだ!!」
「失礼だね。そんな下らない嘘を言ったとして、僕に一体なんの得があるっていうのさ」

イシスが冷ややかに言い放つ。

「…っ……とにかく、オレはてめぇ等なんかの仲間になるなんざごめんだ!金輪際オレ達の側に近寄るな!!」

トーワはそのまま自分の家へと舞い戻ろうと踵を返す。

「そうか、それは残念だな。だがもし明日の朝までに気が変わったならば、宿屋まで来ると良い。この体の本名であるデーニッツという名で宿泊しているからな」
「しつけぇよ。その卵の殻を叩き割られたく無ければとっととこの国から消え失せろ」

トーワは吐き捨てるように言い、月明かりのみとなった夜道を歩いて行った。

「…良いのですか?秘密を知ったのに殺さなくて」
「案ずるなサルゴン。奴は必ず戻ってくる。そうだろう?イシス」
「ええ、今頃家の中はお楽しみの最中でしょうから…」
2/3ページ
スキ