コドク狼

(例え、外の世界の住人にとって、ここの住人の信じるものが酷く歪曲した幻想であったのだとしても、あの頃のオレにとってはそれが全てだったんだ。オレこそがこの世に選ばれた存在だと思っていたんだ)

疑問を持った人間を異常者と称し、疑問を持たない人形を清き者と称していようが、蹴落とすか蹴落とされるか、食うか食われるかの弱肉強食であろうが、この崇高なる教義についていけない方がおかしいのだと、所詮それっぽっちのアニマの持ち主だと見下していた。

(だって、どうして疑えようか、だってそれを肯定する言葉は数あれど、否定の言葉なんざ誰もただの一度も吐きゃしなかったんだから)

だから、あのいびつな世界から解き放たれたその時、ようやく、自分なんてこの世にとっていてもいなくても大差変わりはしない、ちっぽけでからっぽな何もない単なる一つの生き物でしか無いと、理解したのだった。






──時は1256年。ハンの廃墟の奥深くの真アニマ教本部での事

「ああ、トーワ様。ここにいらっしゃったのですね」

卵形のクヴェルを抱えた男が、崩れかけた瓦礫の間から漏れる光を明かりにして本を読んでいた少年に話し掛ける。

「ん?デレクか。何の用だよ」
「ほら、この間信者同士の間に生まれた子供。どうやらあまりアニマが強くないようでして。教主様は早めに処分してしまえと申しておりましたが…先日トーワ様が開発中の人のアニマを強化する術の実験台が欲しいと申していたのを思い出しましたので」
「おお!そりゃ助かるぜ。小さいガキの方が実験台には使いやすいし、何より成功すりゃあ上質なアニマの持ち主として成長出来るんだからな」

卵のクヴェルを持つ男デレクの言葉に、トーワと呼ばれた少年はまるで新しい玩具でも与えられたかのように喜ぶ。

「そういや、そいつの両親は何て言ってたんだ?」
「父親の方はただ処分するよりも出来損ないの自分の子供がお役に立てるならその方が良いと。ただ母親は我が子を取り上げられるのがよほど苦痛だったのか泣いて暴れておりました」
「ふーん…なら母親の方はここから追い出せ。このアニマ教の信者でありながら出来損ないのガキなんざ産んだ役立たずはこの教団に不要だ」
「はい。承知しました」
「ああ、もちろん付き添いなんて付けずに一人でこっから追い出せよ?ひひひ…楽しみだな。産後の体で果たして無事地上まで辿り着けるか見物だぜ。途中でモンスターやグールに食われなきゃ良いけどなぁ」

トーワはおよそ子供らしからぬ下卑た笑いを浮かべ、楽しげに呟いた。

教主の息子として生まれたトーワは、この場所に潜む信者に次期教主として持ち上げられ、崇められていた。
事実、まだ年端もいかない子供であるにも関わらず、その身に宿るアニマと頭脳は並大抵の大人よりも優れており、生まれ持ったアニマの強さで地位が決まるこの教団内では絶大な地位を持ちうるだけの資質を兼ね備えていた。
しかし、その年齢で自分より遥かに年上の者達から崇められる事が当然となってしまったトーワは、当然の事ながら常に人を見下し続ける不遜な子供となり、信者達に対して傍若無人な態度や非道な行為を取る事も多かった。
中でもとりわけ残虐だったのが、アニマのさほど強くない、かろうじて術不能者と言われない程度の信者を実験台にし、後天的に強いアニマの持ち主へと作り替えようとしていた事である。

誰もトーワを止める者は居なかった。何故ならこの場所ではアニマが強くなければ生きる価値すら与えられ無いのだから。
アニマが弱い事をコンプレックスとした信者は自ら望んで実験台となり、また術不能者の子供を産んだ親は救いを求めて我が子を差し出した。
しかし、実験は思うようにいかず、大抵良くてほんの少しだけアニマの質が向上するだけ。悪くて実験に使ったクヴェルにアニマを喰われ、モンスターに変化するという有り様であった。
それでも、トーワにとって人体実験ほど楽しい遊びは無かった。人一人の命が自分の手に委ねられている、その、まるで神になったかのような感覚が、トーワにとって何よりも甘美な魅力だった。

(オレは優れている。だから出来損ないの奴らに何やったって良いはずなんだ)

ずっとそう、信じていた。

『あの日』が来るまでは──



「ギュスターヴの兵が来たぞ!!」

誰かが叫んだその一言で、教団内は途端に騒然とする。
ギュスターヴ13世によるアニマ教徒の殲滅作戦。それによってトーワ達は窮地に立たされた。

「畜生!あの出来損ないめ!!」
「私達が何したって言うのよ!」

術不能者であるギュスターヴ13世への罵詈雑言をわめき散らす者。

「邪魔だ!!どけ!!」
「ちょっと!押さないでよ!!」
「おい、そっちの道はもう駄目だ!!こっちに逃げろ!」
「助けて!!死にたくない!」

押し合いながら必死で逃げようとする者。

「人間になって甦れますように。モンスターや石ころのアニマになりませんように…」

既に死を覚悟し、せめて来世も良いアニマへと転生出来るようにと祈る者もいた。



「はぁ…はぁっ…!!」

トーワもまた、ギュスターヴの兵達から逃げていた。

「くそっ!!どうして出来損ないのあんな奴等に、優れたアニマを持つオレ達が殺されなきゃならないんだよ!!」

息を切らせ、まだ兵の入り込んでいない通路を探しながらトーワは必死で駆けていく。

「邪魔よ!」
「痛っ!?何すんだてめぇ!!」

一人の教徒に突き飛ばされ、トーワは怒鳴り散らす。

誰も次期教主のはずのトーワの身など心配しなかった。
皆自分の命を守るので精一杯だったのだから仕方ないとはいえ、トーワはほんの数時間前まで自分を持ち上げていた教徒達の、手のひらを返すような態度に憤りを感じた。

「いたぞ!!アニマ教徒だ!!」
「女子供も全て粛清せよとの命令だ!殺せ!!」
「ひいっ!?嫌…嫌ああああ!!!!」

「畜生…この道も駄目か!」

先程自分を突き飛ばした教徒の叫び声を聞いて、トーワは慌てて道を引き返す。

見つかる訳にはいかない。どれだけ頭が良かろうと、アニマが優れていようと、所詮まだ幼い子供のトーワには大勢の大人の足からなど到底逃げ切れないのだから。


「はぁ…はぁ…あっ、親父!デレク!」
「おや、トーワ様」
「ゼェ…ゼェ…おお、トーワ。お前も無事だったか」

暫く戻った先の交差路で教主とデレクに出合い、トーワは少しだけ安堵する。

「良かった。生きてたか…こっちの道はもう駄目だ。既に兵が迫ってきてやがる」
「そうか…こちらの道にはまだ兵が来ておらんからお前はこちらから逃げると良い」

そう言って教主は自分達の来た道を指差す。

「親父は…?」
「私はあちらの方の道へ行く。教主として他の生き残った教徒達を探しだして逃がさねばならんからな」
「私も最後までお供頂く所存であります」
「む、無茶いうなよ!既にこれだけ包囲されてるんだぞ!!一人二人でならまだしも大勢で逃れられる訳…」


「いたぞー!!逃がすなー!!」


「まずい!!…さあ、さっさと行け!!」
「親父…デレク……畜生!二人とも死ぬんじゃねぇぞ!!」

教主に背中を押され、トーワは苦々しげな表情を浮かべながら言われた道に逃げ込んだ。


「まだガキがいたぞ!!」
「殺せ殺せー!!」

「なっ…!?」

しかし、ほんの少し進んだ先で兵に見つかり、トーワは慌てて小路へ逃げ込む。

(何で…こちらにはまだ兵は来ていないって言ってたのに…来るのが早すぎんだろ…!!)

「待て!」
「殺されると分かってて待つ馬鹿が…どこにいるかってんだよ!!」

せめて少しでも怯ませて足を止めさせようと、トーワは持っていた炎と獣のクヴェルを使い、炎と獣の合成術フレイムナーガを兵に向かって放つ。
しかし、獲物に食らい付くはずの炎の蛇は相手の鋼鉄製の防具に遮られ、跡形もなくかき消えてしまった。

(金属製の装備!!鋼の13世が術に対抗するために造り上げたって奴か…!)

「くっそ!!」

術が通じない以上なす術は無く、トーワは再び逃走する。

(畜生…畜生畜生!!何で…何でオレ達より遥かに劣る奴らにオレ達が殺されなきゃならないんだよ!!どうしてアニマの無いクズ共なんかにオレ達が負けなきゃならないんだよ!!)

アニマこそ全て、アニマの無いものに生きる価値など無い。
そう教えられてずっとそう信じて生きてきたのに、今自分達の命をおびやかしているのは紛れもなくアニマを持たざるものだった。

(オレ達の…オレ達の信じてきた事は無意味だったっていうのかよ…!!)

自分が今までずっと正しいと信じていたものが粉々に砕けていき、どん底へと叩き落とされたような気持ちになった。

「っは…はぁっ…はぁっ…!!」

それでも、トーワはがむしゃらに走って逃げ続けた。

(こんなところで死んでたまるか…殺されてたまるか!!)

生きたい。まだ死にたくない。ただそれだけの思いで。


逃げ続けた先でトーワ行き着いたのは、ハン帝国時代より流れ続ける水路だった。

(しめた!この下の水路の壁には小さい溝がある。大人の図体じゃ無理だがオレくらいなら十分足場にして下に降りていける…あとは泳いで逃げりゃ……)


しかし、そうしようとした矢先、水路を挟んだ反対側にいた人物の姿にトーワは目を奪われ、思わず立ち止まってしまった。

そこには、他の教徒達を連れて逃げると言ったはずの教主とデレクがいた。

「あ…」

トーワは即座に理解した。
さっき出会った時に言われた言葉は嘘だったのだと。

(あいつら、元からオレ達を見捨てるつもりだったんだ)

自分達が逃げるだけの十分な時間を稼ぐ、ただその為だけに、教主とデレクはトーワを囮にしたのだ。

「あんな事言っておいて…親父も結局他の奴らより自分の命を優先しやがったの……がっ!!?」

突然後頭部に痛みが走る。
教主とデレクの姿に気をとられていたトーワは、いつの間にか追い付いた兵に槍の柄で殴り付けられたのだ。

「ぐ…うわっ!?」

頭を殴られた衝撃でトーワはふらついて足を踏み外し、下の水路へ真っ逆さまに落ちる。

その間際にトーワが見た最後の光景は、魚人に襲われ、自分と同様に水路に叩き落とされる父親の姿だった。

「ぶあっ!!?ぶっ…あがぶっ!!…」

落ちた瞬間思い切り水を飲み込んでしまい、息苦しさから必死にもがくも、水の流れに負けてうまく浮き上がれない。
そのままトーワの意識は徐々に薄れていく。

(ああ…くそ……これが、報いか……アニマの無い奴らを、見下してきた…オレ達の…)

そのままトーワは気を失い、流されていった。
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