水虎は竜の夢を見る

(拾い子の俺に、親父はよく鋼の13世様の話を語ってくれた)

『そんでな、あいつ俺のファンだとかぬかしやがったんだ』
『おやじすっげー!!』

(遠い存在であるはずのあの人の事を親父があいつ呼ばわりしていたのは、まだこの人が船長を継ぐずっと前。この銀帆船団が海賊から商人へと転身したばかりの頃、一緒に戦ったからだと言う)

『なぁおやじ。俺もぎゅすたーぶ様にあえるかな?』
『……どうだかな。あの野郎、跡形もなく消えちまったから…』

(その言葉が、いつもこの話の終わりだった)



「…い……おい!」
「ボルス…きろ」

ざざ、ざざ、と、波しぶきの音が心地好く耳を掠める。
さんさんと輝く太陽の光が暖かく、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

「ボルス~」
「おーい!ボールースーー!!」
「いい加減起きろ~」

そんな絶好の昼寝日和を邪魔するかのように、仲間達の騒がしい声が耳元で響く。

「おいボルス!てめぇ見張りサボってねぇでいい加減起きろ!!」
「あーもううっせえっ!!」

自分を呼び起こそうと怒鳴り散らす仲間に切れたボルスが体を起こした瞬間、ごっつんと、傍から見ても本人達からしてもとても痛そうな音がした。


「「いっ…でぇぇぇ~~っ!!!」」


ボルスと仲間の声が、大海原へ響いた。

「ってぇ~…なんだよグレアム!!人がせっかく気持ち良くうたた寝してるってのに邪魔すんなよ!」

額をさすりながらボルスがごちた。

「てめぇこそいきなり何の前フリもなく起きるんじゃねぇよ!!あーいて…これで顔が変形して女の子にモテなくなったらお前のせいだかんな」

グレアムと呼ばれた男も顎をさする。

「元々お前はそんなモテる顔してないだろ。むしろこれでちっとは色男になったんじゃねーの?」
「一度も女と付き合った事ねぇてめぇに言われたかねぇよチェリー野郎」

ボルスの言葉に、グレアムも負けじと返した。

「てめっ…人の気にしてる事を!!」
「はいはいそこまでそこまで。ボルスもグレアムもカッカしない」

グレアムの隣にいた男が制止しようと二人の間に割って入る。

「パオロ…でも」
「あんまり騒いでると喧嘩両成敗って事でまたバットさんに叱られるぜ?しかもお前見張り番のくせに寝こけてたんだろ?俺達が告げ口したらメシ抜きにされても文句言えない立場なんだからな」
「うぐぐ…」
「それよかバットさんが呼んでるぜ?」
「そうそう、俺らはそれでお前を呼びに来たんだよ」
「ふぁぁ~…ったくあのクソジジイ…人の睡眠を邪魔しやがって」

ボルスはさも面倒くさそうに言った。

「それバットさんに聞かれたら殺されるぞ…」
「はっ!!あのヨボヨボな爺さんに負ける訳ねーだろ」
「…お前こないだ船長にボッコボコに叩きのめされて一週間近く寝込んでたくせに」
「お前はいちいちうるせーんだよグレアム!!」

ボルスは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「ボルスはいつも口ばっかだよな」
「そうそう、いつまでもガキっつーか自分の力量が計れない身の程知らずっつーか」
「くっ…てめーら見てろよ!!いつか俺はお前らなんて足元に及ばない立場の人間になってやるからなー!!」

涙を浮かべ、捨て台詞を吐きながらボルスは船内へと走って行った。

「ほんといつまで経ってもガキくせーよな。あいつは」
「まぁいいじゃねーか平和で」
「ま、それもそうだな。さてと!俺達も積み荷の確認に戻るか」
「だな」

苦笑いを浮かべつつ、二人もまた自分達の仕事へと戻っていった。




「くっそグレアムとパオロめ……おーい親父。来てやったぞ~」

ボルスは船長室のドアを開け、叫ぶ。

「遅ぇぞボルス。俺が呼んだら一分以内に来いっていつも言ってんだろうが」
「文句ならパオロ達に言ってくれよ…あいつらが早く用件言わないのが悪いんだから」

ボルスの養父であり、銀帆船団の二代目の船長となった男。バットの言葉に、ボルスは不服そうに愚痴をこぼした。

「ふん…まぁいい。それよりお前、また勝手に商品の値下げて売っただろ?勘定が合わないぞ」
「えっ!!?んなバカな!ちゃんと値引きした分は俺の給料から出し…」
「…やっぱりか。こないだの商人がやたら高いとか文句言うと思ったら」
「あ!さてはカマかけやがったな!!」

バットはため息をつく。

「もうちょい客を見極める目を養えって言ってるだろ?お前が今回値下げしてやった客、よく金が無い振りして安値で商品買おうとするんだから」
「う………」
「こんな調子じゃお前が一人前の商人としてやっていけるのはいつになる事やら…」
「い、いいんだよ別に!どーせ俺はいつか軍人になるんだから」
「まーたおめぇはその話か…いい年こいて"いつかギュスターヴ軍で働きたい"なんて夢みたいな事ぬかしてんじゃねーぞ」
「夢じゃないっつーの!!俺は絶対叶えてみせる!」
「…もし仮になれたとしてもお前じゃすぐ死ぬぞ」
「んな事やってみなきゃ…」

「分かるさ」

一瞬の出来事だった。

音もなくスッとボルスの首筋に剣が沿えられ、つぅっと血が伝う。

「!!?」

ボルスは驚きのあまりその場から一ミリも動け無かった。

「お前は甘い、甘過ぎる。仲間には牙を向けられないと思っているようだが、戦いじゃ皆自分の命が一番大事だ。誰かの我が身可愛さの裏切りの果てに殺されるなんて、良くある話だぜ?」

バットは剣をボルスから離し、しまい込む。
世界の厳しさを語るその目は、現在の商人としてのものではなく、かつて海賊として生活していた頃のものであった。

「お前は優しい、それは人に好かれ易いってこった。それ自体は悪い事じゃねぇぞ?どんなに強かろうが人望がなけりゃ誰もついてきやしないからな」
「親父…」
「だがなボルス、それは同時に隙を生む事になる。相手を信用しきっちまえば今みたいに殺気も感じ取れず殺される可能性が高まる。今回の客との取引だってそうだ。一度弱みを見せれば簡単に足元掬われるぞ」
「………」
「とにかく今は頭を冷やせ。冷静にならなきゃより一層視野が狭まるだけだ」

そうしてまた、いつものバットの表情に戻った。

「…ああ、悪かった」

ボルスは踵を返し、船長室を後にしようとする。

「あ、ちょっと待てボルス」

しかし腕をがっちり掴まれる。

「?…まだ何かあんのかよ」
「お前さっき見張りサボってただろ?ついでに俺の事ヨボヨボのクソジジイって呼んだだろ?ここボロいからお前らの声がよーく聞こえたぜ?」
「なっ!!?ななななんなん何の事言ってんだハハハハ…俺がそんな事言う訳…」

気付くと目の前に剣先が迫っていた。

「今回の勝手な行動も含めて仕置きだ。罰として船内の大掃除一人でやれ」

有無を言わせぬ笑顔であった。

「そりゃねーぜ親父ぃぃぃぃぃぃ!!!!」

ボルスは思わず泣きべそをかいた。




「…あーくそ!!全っ然終わらねぇ!」

夜中になっても全く終わらない掃除に嫌気がさし、ボルスはデッキブラシを投げ出すと、今さっきまで掃除していた地下室を抜け出して甲板へと赴く。

「ちょっと休憩でもしなきゃやってらんねぇぜ…」

何時間か前にピカピカに磨いたばかりの床は、今は水も綺麗に捌けて寝転ぶのに丁度良い感じになっていた。

「よっこらしょっと…おー絶景かな絶景かな」

ごろりと大の字になってみれば、空には満天の星がきらめいている。

「…頭冷やせっつってもなぁ、どうしたらいいのか俺にはサッパリ分かんねぇよ」


──いい年こいて"いつかギュスターヴ軍で働きたい"なんて夢みたいな事ぬかしてんじゃねーぞ。

バットに言われた一言が、頭に響く。

「…最初に夢を見させたのは親父の方じゃないか」



『なぁなぁおやじ!ぎゅすたーぶさまにおれもあいたい!!ねぇ、どうやったらあえるかなぁ?』
『さぁな…まぁ、ハン・ノヴァの兵士になって城に出入り出来るようになればもしかしたら何か手掛かりは掴めるかもしれないが』
『ほんとに!!?』
『ああ、だがあそこは今所有権が…』
『おやじ!おれ、でっかくなったらぐんじんになる!!』
『は?』
『そんでぎゅすたーぶさまにいつかかならずあうんだ!』
『……ぷっ!』
『なっ…なんだよ!わらうなよ~!!』
『くくっ…ああ悪い悪い…そうだな。じゃあ夢に向かって頑張らねぇとな』


ボルス自身も今更もう、鋼の13世に会えるなどとは思ってもいない。
ただバットが、何処の馬の骨かも分からないみなし子の自分をここまで育ててくれた大切な父親が、頑張れと言ってくれた夢を途中で投げ出したくは無かった。

「…我ながら頑固だよなぁ……さて、一休みしたしもう一丁頑張るか!早く終わらせねーと夜が明けちまうぜ」

ボルスはそう言ってまた地下室の掃除へ戻って行った。
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