とこやみの音色
からんからんと、店の扉にくくりつけられた呼び鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ…」
「おう!久しぶりだなイシス」
「ロータスおじさん!!」
「へへ、やっぱツール買うならここが一番だからな」
そう言って手を振ったのはイシスの得意先の中でも一番古参の人物、ヴィジランツのロータス。
店に立ち寄る都度いつも旅の話を聞かせてくれるからか、イシスもこの気さくな中年男性には自然と笑顔で話せた。
「今度はどんな仕事だった?」
使い古されたツールを修理しながらイシスはロータスに問う。
「今回はヴァイスラントに行ったんだけどよ…いや~死にかけたぜ」
「し、死にかけたって……」
「メガリスがあったから入ろうとしたんだが、巨大なバケモンが立ち塞がってたんだよ」
「倒せたの?」
「あんなのに勝てやしないさ…みんなして命からがら逃げてきたよ」
「はは…それじゃ骨折り損だったね」
「そうでもないぜ?ほれ」
ロータスはカウンターの前に赤い石を置く
「?……この感じ…ツールじゃない…何だか力が溢れてくるみたいな不思議な感じ…」
「ご名答。それはホットストーンって言うクヴェルさ」
「これがクヴェル!?」
「ああ、すげぇだろ?ヴァイスラントじゃ高値とはいえ普通に店で買えるんだ」
「へぇぇ~」
イシスは目を輝かせる。
「っと…そんでまた結構武器壊しちまったんだよ。わりぃけどまたチップ買い取ってくれ」
そう言うとロータスは重たげにカウンターに袋を乗せる
「うっわぁ…やり過ぎだよコレ」
「だから緊急事態だったから仕方ないんだっつーの」
「分かってるけど…なるべくならツール壊さないでね」
そう言ってイシスはチップの料金をロータスに渡した。
「さっき直した武器の分はちゃんと差し引いたからね」
「へいへい…なぁイシスよ」
「…ディガーとして旅に出る気はないかって言いたいんでしょ?」
「おう、お前のアニマ感知能力ならタイクーン間違いなしだぜ。どうだ?俺と一攫千金を狙わねーか?」
「悪いけど、僕はここを…母さんの思い出が詰まったこの店を捨てたくないから」
「……そうか、なら仕方ないな」
「うん、ごめんねロータスおじさん」
「なーに、気にすんなよ。そんじゃ俺はそろそろ行くとするわ。連れ合いを待たせてるんだ」
ロータスはそう言うと踵を返し、扉に手をかける。
「またそのうち寄るからな。今度はお前にも何か珍しい手土産でも持ってきてやるよ」
「うん、また来てね」
イシスは笑顔を浮かべ、ロータスを見送った。
「ディガー…か」
そして、ロータスの気配が完全に無くなったところで、イシスは小さく呟く。
イシスも全く興味がない訳ではない。ロータスの持ってきたクヴェル。自分があのような物を手に入れられたらどんなに嬉しいだろう。
「けど…やっぱり僕はこの店を手放せやしないよ」
例え人に妬まれ酷い扱いを受けても、イシスにとって母の面影を感じさせてくれるこの店だけが自分の居場所だった。
「それに…僕はこの子達をまたツールとして送り出さなきゃ」
イシスはさっきのチップを手に取る。
『ツカッテ』
『ボクタチハ、マダツカワレタイ』
イシスにはチップがそう言っているように聞こえた
「…大丈夫。僕が君達をまた生まれ変わらせてあげるから」
そう言ったイシスの声はまるで慈しむような声だった
「君達ツールの破片も僕もまだこの世界には必要とされてる…そうでしょ?母さん」
それから数日経った、ある日の事であった──
「ただいま…」
「おかえりお兄ちゃん!」
父の怒号が聞こえない事と久しぶりに聞くジュノーの明るい声にイシスは少し驚く。
「何かあったの?」
「うん!あのね、今ラウラさんが来てるの」
「ラウラ?」
「お父さんがよく行く酒屋さんの従業員さんなの。すっごく優しいんだぁ」
「へぇ…」
「あら、おかえりなさい。君がイシス君ね」
「…初めまして」
家の奥から聞こえてきた、聞き覚えのないその声が、イシスはとても嫌味ったらしいものに聞こえた。
「あなたのお父さんから話は聞いてるわ。目が見えないのに大変ねぇ」
「……僕は…」
「え?」
「僕は…目が見えない事をただの一度だって不便と思った事はありません。不便利を生み出しているのは僕を欠陥品と思って見下す父達の言葉ですから」
「あら…ごめんなさいね」
「………」
(そう、目など見えなくともこんな人間の心情など手に取るように分かる。僕を見下している。けれどそれを悟られないようにしている猫撫で声…)
この女は多分、まずい事を言ってしまったと苦笑しているのだろう。そうして心の中では、どうやって機嫌を取るか考えているのだろう。
「…ごめんジュノー、僕もう寝るから」
「え~!?せっかくラウラさんが美味しいお料理作ってくれたのに」
「ごめん…食欲が無いんだ」
「でも…」
「いいのよジュノーちゃん。また今度食べてもらえば」
「………本当にすみません」
「イシス君が謝る必要は無いわよ。けどいつかは私の料理食べて頂戴ね」
「…はい」
それだけ言うとイシスは自分の部屋に向かった。
(………生意気そうなガキねぇ…)
ラウラの冷たい視線を、知るよしもなく。
その翌日、店でイシスがツールの手入れをしている時の事。
からんからんと鳴り響いた呼び鈴に、イシスは工房の奥から慌てて出てくる。
「いらっしゃ…」
「ふぅん、以外といい店じゃない」
扉の前に立っていたのは、昨晩の女だった。
「…ラウラさん…でしたっけ」
「あら、名前覚えててくれたのね?嬉しいわ」
ラウラは感情を込めずにそう言うと、近くの鉄槍を手に取った。
「ツールだけかと思ったら金属製品も取り扱ってるのね」
「店の定休日には裏の工房で鍛えてるんですよ」
「君はアニマに頼って生きているって聞いたからてっきりこんなの感知出来ないと思ってたんだけど」
「金属でも種類によってアニマへの干渉度合いが違いますからね。逆にアニマの希薄さを感じ取れれば不可能な事ではないんですよ」
「ふぅん…」
「それでどうしたんです?今日はそんな事聞きに来た訳じゃないでしょう?」
「分かってるじゃない」
ラウラのドス黒いアニマが自分に向けられるのを感じ、イシスは身を強張らせる。
「……っ」
まるで蛇のようだと、イシスは思った。
「…君にはご機嫌取りは通用しないみたいだから単刀直入に言わせて貰うわ。この店をあたしによこしなさい」
「嫌ですよ」
「きっぱり言うわね」
「当たり前でしょう。母が亡くなって以来ずっと守り続けてきたこの店をどうして無関係の貴女に譲らなければならないんですか」
「無関係…ねぇ」
ラウラは持っていたバックから二つの紙を取り出すと、片方をイシスに見せ付ける。
「あたしね、君のお父さんと夫婦になったの」
「はっ…?」
ラウラの思わぬ言動に、イシスの思考が止まった。
「もう来ていいわよ」
「へいへい、邪魔するぜ」
「ラウラちゃん、押さえとくのってこのガキか?」
「なっ…!?離せっ!!」
ラウラの呼びかけとともに二人のガラの悪い男が店に乱入したかと思うと、イシスをあっという間に床に捩じ伏せた。
恐らくラウラが働いていたという酒場の客であろう。
「それでね、あたし昔から自分の店を持つのが夢だったの」
ラウラはイシスを見下ろすように呟いた。
「あの人の許可だって取ったし、あとはあんたさえ首を縦に振れば良かったんだけど…言う事聞いてくれないなら実力行使しかないわね」
「ふっざけんな!!離しやがれこのクソアマ!!売女!!」
物静かで大人しそうな姿からは想像出来ぬような汚い言葉で、イシスはラウラを罵った。
「…ガキが調子乗ってんじゃないわよ」
ラウラはハイヒールでイシスの右手を、骨が折れるのではないかという程に思い切り踏み付けた。
断末魔にも似た叫びが、店内に響く。
「まだ自分の立場分かってないのね…この店の経営者は既にあたしなのよ?」
ヒールのピンでイシスの手を踏み続けながら、ラウラはもう片方の紙をちらつける。
それは、権限者の名前がラウラへと書き換えられたこの店の権利書であった。
「あぐっ…う……この…悪女が…っ!」
「………」
ラウラの足に、より一層力が篭る。
「ぐぅっ…!!」
「正直あんた邪魔なのよね。どうしてくれましょうか」
「男娼に売っちまえばいいんじゃねえの?この顔と珍しい目の色だし、きっと高値が付くぜ」
「そうねぇ、この子中性的な顔立ちだし、肌も白いし…むしろその手の貴族共に愛玩用に売り出した方がいい商売になるわよ」
「ひっ…!?」
ラウラ達の言っている事が分からぬほど、もう幼くはない。
イシスの体は恐怖でガタガタと震えていた。
「…やぁね、冗談よ。」
怯えるイシスの姿に機嫌を良くしたのか、ラウラはようやくイシスの手を解放する。
「最初はそれも有りかなと思ったんだけどね。あんたの技術を見て考え直したのよ」
そう言ってラウラはしゃがみ込むと、赤く血の滲んだイシスの手へ生命の水をかけた。
「な…何、で…?」
「だって利き手が駄目になったら、もうツールが作れないでしょう?」
その時のラウラの声色は、凍りつくほどに残虐そのものだった。
「あんたにはあたしの金づるとして働いてもらうわ。死ぬまで…ね」
──それから、幾月経った事だろう。
「キャッキャッ…」
「アハハ…」
「…………」
天井から人々の楽しげな声が聞こえる。
イシスはただ一人、元は店の倉庫として使われていた地下室でツールを作り続けていた。
店の資源を潤すためにと、ラウラはイシスのツールを裏ルートで売り捌いているのだそうだ。
耐久性に優れた品質の良い物ばかりのおかげで売れ行きはとても上々らしい。
「つまりは…盲目って知られなきゃ普通に売れるって事なんだよね」
イシスは自嘲気味にこぼす。
「どうしてかなぁ…同じ事なのに、どうして人って先入観だけでここまで変わるのかな」
「なんて言ったっけあいつ。ここがツール屋だった時に店員してた子供」
「イシスだよ」
「あーそうそう。あいつも目は見えないわモンスターに襲われるわで散々な人生だったよな」
「ラウラちゃんも大変だったねえ~。籍を入れたその日に義理の息子が死んじまうなんて」
そうやって哀れむような声を立てるのは、かつて自分のツールを買いに来ていた人々だった。
今はもうすっかりラウラにほだされ、常連と化している。
「ええ…辛いけど…でも頑張らなきゃ。あの子が残してくれたこのお店を守る事だけが私に出来る唯一の事だもの」
外ではイシスはモンスターに襲われて死んだという事にされているらしい。
その話題が出る度にラウラは悲劇の母親を演じ、客の同情を買うのだ。
「……くそっ…」
イシスは、怒りを必死で堪える。
生きている事を悟られてはいけない。自分の存在は周囲には邪魔なだけなのだと、必死に自分に言い聞かせる。
(どうせ外に出ても忌み嫌われるだけ…それならば例え名も無きツール職人としてでも、ここで愚直にツールを作っている方がマシなんだ…)
暫くすると、店じまいを済ませたラウラが地下に降りてきた。
「今日は幾つ出来たの?」
「…12個」
「たったそれだけ?もう少し生産量増やしなさいっていつも言ってるでしょう?」
「そこら辺の三流職人の質より量な粗悪ツールと一緒にしないで下さい。これ以上は無理なんです」
「………ま、仕方ないわね。アンタ達!さっさと運びな!!」
「へいっ」
「合点承知で」
ラウラはイシスの作ったツールを纏めると、手下達に渡した。
「ほら、あんたも」
そう言ってラウラは、顔がほとんど隠れるくらいの深めのフードの付いた真っ黒なコートをイシスに手渡す。
「収集、頼むわよ」
「……はい」
イシスはそれを羽織ると、促されるまま夜の岩荒野へ歩いて行った──
「……石獣のタグが5個に悪魔草の牙が34個…それにプロテクターが14個…これだけあれば十分かな」
モンスターの体から取れるツールや防具を道具袋へとしまい込みながら、ぽつりと呟く。
イシスが歩いて来た場所には、モンスター達の亡骸で道が出来ていた。
昼は地下室でツール作り、夜は岩荒野を駆け巡り素材集め。イシスは最近ろくに睡眠も摂らずずっと働き詰めだった。
辺りにもうモンスターの気配が無いのを確認すると、イシスはウエストバッグから筒状の物を取り出す。
それは母のパンフルートだった。
これ以外の、母を思い起こさせるような品物は全てラウラに処分されてしまったが、唯一イシスが肌身離さず持っていたこれだけは壊されずに済んだのだ。
「…ねぇ、母さん…何でこんな事になっちゃったんだろうね?」
イシスはパンフルートに向かって、問い掛ける。
(必死に、自分に言い聞かせようとした。
僕はみんなに必要とされないと分かっている。けど、やっぱり…諦めきれない)
「僕のアニマは確かにここにあるのに、どうしてだれも気がついてくれないのかな…」
イシスは静かにパンフルートへ唇を寄せると、悲しげな音色を響かせた。
まるで、誰かを必死に呼びとめるかように。誰かに気付いて貰いたくて、必死で叫んでいるかのように。
しかし、ただただ誰かに気付いて欲しくて吹き続けるその曲は、人の耳に届く事なく岩肌の中へと消えて行った。
「いらっしゃいませ…」
「おう!久しぶりだなイシス」
「ロータスおじさん!!」
「へへ、やっぱツール買うならここが一番だからな」
そう言って手を振ったのはイシスの得意先の中でも一番古参の人物、ヴィジランツのロータス。
店に立ち寄る都度いつも旅の話を聞かせてくれるからか、イシスもこの気さくな中年男性には自然と笑顔で話せた。
「今度はどんな仕事だった?」
使い古されたツールを修理しながらイシスはロータスに問う。
「今回はヴァイスラントに行ったんだけどよ…いや~死にかけたぜ」
「し、死にかけたって……」
「メガリスがあったから入ろうとしたんだが、巨大なバケモンが立ち塞がってたんだよ」
「倒せたの?」
「あんなのに勝てやしないさ…みんなして命からがら逃げてきたよ」
「はは…それじゃ骨折り損だったね」
「そうでもないぜ?ほれ」
ロータスはカウンターの前に赤い石を置く
「?……この感じ…ツールじゃない…何だか力が溢れてくるみたいな不思議な感じ…」
「ご名答。それはホットストーンって言うクヴェルさ」
「これがクヴェル!?」
「ああ、すげぇだろ?ヴァイスラントじゃ高値とはいえ普通に店で買えるんだ」
「へぇぇ~」
イシスは目を輝かせる。
「っと…そんでまた結構武器壊しちまったんだよ。わりぃけどまたチップ買い取ってくれ」
そう言うとロータスは重たげにカウンターに袋を乗せる
「うっわぁ…やり過ぎだよコレ」
「だから緊急事態だったから仕方ないんだっつーの」
「分かってるけど…なるべくならツール壊さないでね」
そう言ってイシスはチップの料金をロータスに渡した。
「さっき直した武器の分はちゃんと差し引いたからね」
「へいへい…なぁイシスよ」
「…ディガーとして旅に出る気はないかって言いたいんでしょ?」
「おう、お前のアニマ感知能力ならタイクーン間違いなしだぜ。どうだ?俺と一攫千金を狙わねーか?」
「悪いけど、僕はここを…母さんの思い出が詰まったこの店を捨てたくないから」
「……そうか、なら仕方ないな」
「うん、ごめんねロータスおじさん」
「なーに、気にすんなよ。そんじゃ俺はそろそろ行くとするわ。連れ合いを待たせてるんだ」
ロータスはそう言うと踵を返し、扉に手をかける。
「またそのうち寄るからな。今度はお前にも何か珍しい手土産でも持ってきてやるよ」
「うん、また来てね」
イシスは笑顔を浮かべ、ロータスを見送った。
「ディガー…か」
そして、ロータスの気配が完全に無くなったところで、イシスは小さく呟く。
イシスも全く興味がない訳ではない。ロータスの持ってきたクヴェル。自分があのような物を手に入れられたらどんなに嬉しいだろう。
「けど…やっぱり僕はこの店を手放せやしないよ」
例え人に妬まれ酷い扱いを受けても、イシスにとって母の面影を感じさせてくれるこの店だけが自分の居場所だった。
「それに…僕はこの子達をまたツールとして送り出さなきゃ」
イシスはさっきのチップを手に取る。
『ツカッテ』
『ボクタチハ、マダツカワレタイ』
イシスにはチップがそう言っているように聞こえた
「…大丈夫。僕が君達をまた生まれ変わらせてあげるから」
そう言ったイシスの声はまるで慈しむような声だった
「君達ツールの破片も僕もまだこの世界には必要とされてる…そうでしょ?母さん」
それから数日経った、ある日の事であった──
「ただいま…」
「おかえりお兄ちゃん!」
父の怒号が聞こえない事と久しぶりに聞くジュノーの明るい声にイシスは少し驚く。
「何かあったの?」
「うん!あのね、今ラウラさんが来てるの」
「ラウラ?」
「お父さんがよく行く酒屋さんの従業員さんなの。すっごく優しいんだぁ」
「へぇ…」
「あら、おかえりなさい。君がイシス君ね」
「…初めまして」
家の奥から聞こえてきた、聞き覚えのないその声が、イシスはとても嫌味ったらしいものに聞こえた。
「あなたのお父さんから話は聞いてるわ。目が見えないのに大変ねぇ」
「……僕は…」
「え?」
「僕は…目が見えない事をただの一度だって不便と思った事はありません。不便利を生み出しているのは僕を欠陥品と思って見下す父達の言葉ですから」
「あら…ごめんなさいね」
「………」
(そう、目など見えなくともこんな人間の心情など手に取るように分かる。僕を見下している。けれどそれを悟られないようにしている猫撫で声…)
この女は多分、まずい事を言ってしまったと苦笑しているのだろう。そうして心の中では、どうやって機嫌を取るか考えているのだろう。
「…ごめんジュノー、僕もう寝るから」
「え~!?せっかくラウラさんが美味しいお料理作ってくれたのに」
「ごめん…食欲が無いんだ」
「でも…」
「いいのよジュノーちゃん。また今度食べてもらえば」
「………本当にすみません」
「イシス君が謝る必要は無いわよ。けどいつかは私の料理食べて頂戴ね」
「…はい」
それだけ言うとイシスは自分の部屋に向かった。
(………生意気そうなガキねぇ…)
ラウラの冷たい視線を、知るよしもなく。
その翌日、店でイシスがツールの手入れをしている時の事。
からんからんと鳴り響いた呼び鈴に、イシスは工房の奥から慌てて出てくる。
「いらっしゃ…」
「ふぅん、以外といい店じゃない」
扉の前に立っていたのは、昨晩の女だった。
「…ラウラさん…でしたっけ」
「あら、名前覚えててくれたのね?嬉しいわ」
ラウラは感情を込めずにそう言うと、近くの鉄槍を手に取った。
「ツールだけかと思ったら金属製品も取り扱ってるのね」
「店の定休日には裏の工房で鍛えてるんですよ」
「君はアニマに頼って生きているって聞いたからてっきりこんなの感知出来ないと思ってたんだけど」
「金属でも種類によってアニマへの干渉度合いが違いますからね。逆にアニマの希薄さを感じ取れれば不可能な事ではないんですよ」
「ふぅん…」
「それでどうしたんです?今日はそんな事聞きに来た訳じゃないでしょう?」
「分かってるじゃない」
ラウラのドス黒いアニマが自分に向けられるのを感じ、イシスは身を強張らせる。
「……っ」
まるで蛇のようだと、イシスは思った。
「…君にはご機嫌取りは通用しないみたいだから単刀直入に言わせて貰うわ。この店をあたしによこしなさい」
「嫌ですよ」
「きっぱり言うわね」
「当たり前でしょう。母が亡くなって以来ずっと守り続けてきたこの店をどうして無関係の貴女に譲らなければならないんですか」
「無関係…ねぇ」
ラウラは持っていたバックから二つの紙を取り出すと、片方をイシスに見せ付ける。
「あたしね、君のお父さんと夫婦になったの」
「はっ…?」
ラウラの思わぬ言動に、イシスの思考が止まった。
「もう来ていいわよ」
「へいへい、邪魔するぜ」
「ラウラちゃん、押さえとくのってこのガキか?」
「なっ…!?離せっ!!」
ラウラの呼びかけとともに二人のガラの悪い男が店に乱入したかと思うと、イシスをあっという間に床に捩じ伏せた。
恐らくラウラが働いていたという酒場の客であろう。
「それでね、あたし昔から自分の店を持つのが夢だったの」
ラウラはイシスを見下ろすように呟いた。
「あの人の許可だって取ったし、あとはあんたさえ首を縦に振れば良かったんだけど…言う事聞いてくれないなら実力行使しかないわね」
「ふっざけんな!!離しやがれこのクソアマ!!売女!!」
物静かで大人しそうな姿からは想像出来ぬような汚い言葉で、イシスはラウラを罵った。
「…ガキが調子乗ってんじゃないわよ」
ラウラはハイヒールでイシスの右手を、骨が折れるのではないかという程に思い切り踏み付けた。
断末魔にも似た叫びが、店内に響く。
「まだ自分の立場分かってないのね…この店の経営者は既にあたしなのよ?」
ヒールのピンでイシスの手を踏み続けながら、ラウラはもう片方の紙をちらつける。
それは、権限者の名前がラウラへと書き換えられたこの店の権利書であった。
「あぐっ…う……この…悪女が…っ!」
「………」
ラウラの足に、より一層力が篭る。
「ぐぅっ…!!」
「正直あんた邪魔なのよね。どうしてくれましょうか」
「男娼に売っちまえばいいんじゃねえの?この顔と珍しい目の色だし、きっと高値が付くぜ」
「そうねぇ、この子中性的な顔立ちだし、肌も白いし…むしろその手の貴族共に愛玩用に売り出した方がいい商売になるわよ」
「ひっ…!?」
ラウラ達の言っている事が分からぬほど、もう幼くはない。
イシスの体は恐怖でガタガタと震えていた。
「…やぁね、冗談よ。」
怯えるイシスの姿に機嫌を良くしたのか、ラウラはようやくイシスの手を解放する。
「最初はそれも有りかなと思ったんだけどね。あんたの技術を見て考え直したのよ」
そう言ってラウラはしゃがみ込むと、赤く血の滲んだイシスの手へ生命の水をかけた。
「な…何、で…?」
「だって利き手が駄目になったら、もうツールが作れないでしょう?」
その時のラウラの声色は、凍りつくほどに残虐そのものだった。
「あんたにはあたしの金づるとして働いてもらうわ。死ぬまで…ね」
──それから、幾月経った事だろう。
「キャッキャッ…」
「アハハ…」
「…………」
天井から人々の楽しげな声が聞こえる。
イシスはただ一人、元は店の倉庫として使われていた地下室でツールを作り続けていた。
店の資源を潤すためにと、ラウラはイシスのツールを裏ルートで売り捌いているのだそうだ。
耐久性に優れた品質の良い物ばかりのおかげで売れ行きはとても上々らしい。
「つまりは…盲目って知られなきゃ普通に売れるって事なんだよね」
イシスは自嘲気味にこぼす。
「どうしてかなぁ…同じ事なのに、どうして人って先入観だけでここまで変わるのかな」
「なんて言ったっけあいつ。ここがツール屋だった時に店員してた子供」
「イシスだよ」
「あーそうそう。あいつも目は見えないわモンスターに襲われるわで散々な人生だったよな」
「ラウラちゃんも大変だったねえ~。籍を入れたその日に義理の息子が死んじまうなんて」
そうやって哀れむような声を立てるのは、かつて自分のツールを買いに来ていた人々だった。
今はもうすっかりラウラにほだされ、常連と化している。
「ええ…辛いけど…でも頑張らなきゃ。あの子が残してくれたこのお店を守る事だけが私に出来る唯一の事だもの」
外ではイシスはモンスターに襲われて死んだという事にされているらしい。
その話題が出る度にラウラは悲劇の母親を演じ、客の同情を買うのだ。
「……くそっ…」
イシスは、怒りを必死で堪える。
生きている事を悟られてはいけない。自分の存在は周囲には邪魔なだけなのだと、必死に自分に言い聞かせる。
(どうせ外に出ても忌み嫌われるだけ…それならば例え名も無きツール職人としてでも、ここで愚直にツールを作っている方がマシなんだ…)
暫くすると、店じまいを済ませたラウラが地下に降りてきた。
「今日は幾つ出来たの?」
「…12個」
「たったそれだけ?もう少し生産量増やしなさいっていつも言ってるでしょう?」
「そこら辺の三流職人の質より量な粗悪ツールと一緒にしないで下さい。これ以上は無理なんです」
「………ま、仕方ないわね。アンタ達!さっさと運びな!!」
「へいっ」
「合点承知で」
ラウラはイシスの作ったツールを纏めると、手下達に渡した。
「ほら、あんたも」
そう言ってラウラは、顔がほとんど隠れるくらいの深めのフードの付いた真っ黒なコートをイシスに手渡す。
「収集、頼むわよ」
「……はい」
イシスはそれを羽織ると、促されるまま夜の岩荒野へ歩いて行った──
「……石獣のタグが5個に悪魔草の牙が34個…それにプロテクターが14個…これだけあれば十分かな」
モンスターの体から取れるツールや防具を道具袋へとしまい込みながら、ぽつりと呟く。
イシスが歩いて来た場所には、モンスター達の亡骸で道が出来ていた。
昼は地下室でツール作り、夜は岩荒野を駆け巡り素材集め。イシスは最近ろくに睡眠も摂らずずっと働き詰めだった。
辺りにもうモンスターの気配が無いのを確認すると、イシスはウエストバッグから筒状の物を取り出す。
それは母のパンフルートだった。
これ以外の、母を思い起こさせるような品物は全てラウラに処分されてしまったが、唯一イシスが肌身離さず持っていたこれだけは壊されずに済んだのだ。
「…ねぇ、母さん…何でこんな事になっちゃったんだろうね?」
イシスはパンフルートに向かって、問い掛ける。
(必死に、自分に言い聞かせようとした。
僕はみんなに必要とされないと分かっている。けど、やっぱり…諦めきれない)
「僕のアニマは確かにここにあるのに、どうしてだれも気がついてくれないのかな…」
イシスは静かにパンフルートへ唇を寄せると、悲しげな音色を響かせた。
まるで、誰かを必死に呼びとめるかように。誰かに気付いて貰いたくて、必死で叫んでいるかのように。
しかし、ただただ誰かに気付いて欲しくて吹き続けるその曲は、人の耳に届く事なく岩肌の中へと消えて行った。
