とこやみの音色


ナ国のグリューゲル郊外の夜道を歩く、一人の青年の姿があった。

夜闇に溶けるような黒髪とは逆に、その透けるような白い肌と青白い目は月明かりに照らされて、ともすれば幽霊とも見間違いられそうな外見である。
光を感じるはずの部分すらまるで曇りガラスをはめ込んだように無機質で、それが一層青年の異質さを際立たせていた。

「…ただいま」
「おいイシス!またてめぇの出来そこないツールを俺の店に出したのか!!」
「文句があるならアンタが働いたらどう?酒ばかり飲んでないでさ。それともそのアル中で震える手じゃ満足にツールだって作れない?」

蔑むような目付きで青年イシスは父親を睨む。

「てめぇ…腕も未熟な青二才のくせに俺に歯向かおうってのか?ここまででかくしてやった恩を忘れやがって」
「アンタに育てられた覚えなんかないよ」

イシスがそう言い放つと、父親は青年を殴った。

「えらく生意気な口を聞くようになったな?えぇ?」
「誰がアンタの酒代を払ってやってると思ってるんだ!自分の店すらほっぽらかして子供の世話になってる癖に!!」
「何だと!!」

「二人共いい加減にしてよ!!」

二人が振り返ると、イシスによく似た黒髪に、紫の瞳をした少女が泣きそうな顔をしていた。

「あ………ごめんジュノー」
「…お帰り、お兄ちゃん」
「ただいま…」
「ジュノー!そんな野郎に構わなくていい」
「お父さんも止めてよ!!お兄ちゃんのお世話になってるのは本当の事でしょ!!」
「………」
「意地張って…馬鹿みたい」
「けっ…勝手にしやがれ」

父親は自分の部屋へずかずかと歩いて行った。

「全くもう…ほらお兄ちゃん。早く冷やすわよ」
「?」
「頬、腫れてるでしょ」
「あ…うん」
「変わったわね…父さん」
「……うん…」
「あ、別にお兄ちゃんを責めてる訳じゃないからね!」
「分かってるよ…でも結果的に家族を目茶苦茶にしたのは僕だから…」

イシスは申し訳無さそうに顔を伏せた。


産まれた時から変わった目をしているとは言われていた。けれどそれ以外は何の変哲もない。いたって普通の子供で、父も母も気にも止めなかった。
家さえ継いでくれればいいと、立派な職人にさえなってくれればいいと。両親はただそれだけの思いだった。

「大変申し上げ難いのですが…お子さんはどうやら目が見えていないようです」

先天性の盲目──それを告げられたのは彼が7歳の時だ。

「そんな…」
「嘘でしょう先生!?」

両親の驚きようは当たり前であった。何故なら彼はそれまで『ごく普通に見えている』ように過ごしてきたのだから。

「視力を補うためなのかこの子のアニマを感知する力は異常なまでに秀でています…今まで何ら支障が出なかったのはそのためでしょう」

事実が発覚する発端になったのは、ほんの些細な出来事であった。子供同士の単なるじゃれ合いのような喧嘩でイシスは目の辺りを叩かれたのだ。
心配した両親がイシスを医者に連れて行ったところ、彼の視覚は元々全く機能していないという事実が突き付けられた訳である。

「何でそんな…何でよりによってうちの息子なんですか!?」
「お父様、障害というものはどんな人の子にだって出てくる可能性はあるんですよ」
「何故…何故あの子が…」

母が苦しげに嗚咽し、泣き崩れる。

「…それにしても今まで全く支障が無かったなんて信じられん…この子のアニマ感知能力は化け物並だ」

医者はカルテを見ながら、そう呟く。

「………どういう事なの?僕は目が見えてないって…」

母がハッとして振り返ると、そこにはイシスの姿があった。

「イシス!待ち合い室で待ってなさいって言ったでしょ!?」
「ねぇ…とうさ……」
「俺に触るな!!この出来そこない!!」
「っ!!?」

ついさっきまで優しかったはずの父にはね付けられ、イシスは怯えたような表情を浮かべる。

「ああ何て事だ…俺は俺の後も継げないようなタダ飯食らいを育てきたのか…畜生……代々続くうちの店も俺の代で終わっちまうなんて…親父や爺ちゃんに申し訳が立たねぇよ…」
「あなた…何て事言うの!!」
「うるせぇ!こんな奴俺の息子じゃねぇ!!」

「とう…さん?何で…」

ヒステリックに叫ぶ父を見て、幼いイシスはただただ唖然とするしか無かった。

盲目が発覚して以後、父は酒に逃げ飲んだくれてはイシスを殴るようになり、今まで普通に遊んでいたはずの友達すらも彼を避けるようになった。

ただ、母だけはイシスの目が見えないと分かった後も変わらず愛情を注ぎ、いつもイシスを庇ってくれていた。



「母さん見て見て!!」

イシスの盲目が判明した三年後の事。
自分の背丈の半分以上はあろう杖を抱えながら、イシスは母の元に駆け寄る。

「なぁに?…あら、それもしかして…」
「うん!若木の杖だよ。僕が作ったんだ」

幼い頃に父から教えて貰ったツールの作り方を思い出しながら作ったのであろうその杖は、商品として売ってもいい位に完璧な仕上がりをしていた。

「まぁすごいじゃない!!」
「えへへ…ちゃんとツールとしての役目も果たすんだよ…ニードルショット!!」

イシスはポケットから拾ってきた小石を取り出すと地面に向かって杖を向けた。それによって杖に宿る樹のアニマと小石に宿る石のアニマが組み合わさり、無数の針となって地面に突き刺さる。

「この年で合成術まで使えるなんて…やっぱりあなたは駄目な子なんかじゃない。素晴らしい子だわ」

母はイシスの頭を撫でた。

「これを見せれば、きっとあの人もあなたの事を認めてくれるわよ」
「本当に!?」

それを聞くとイシスの表情は更に明るくなった。

「僕、父さんに見せてくる!!」

イシスは杖を抱え、父親の元へ走って行った。

「父さん!」

家でいつものように酒を飲む父の下にイシスは駆け寄る

「あ?何だよ」
「これ見て!僕が作った杖だよ」
「…これを?」
「うん!」

これで父も褒めてくれる。やっと認めてくれる。そうイシスは信じていた。

なのに、結果はあまりにも酷いものであった。

「ふん…こんなもの」

父は杖を引ったくると真ん中からへし折った。

「ッ!!?」
「お前みたいな奴が作ったツールなんて使い物にならねぇんだよ」
「ぁ…」
「あなた!!何て事するのよ!!」
「出来そこないの作った出来そこないツールをどう処分しようが勝手だろうが」
「あんたって人は…この子はね!!」
「…もう、いいよ」
「イシス…」
「父さんなんか大っ嫌い!」
「イシス!?待ちなさい!」

母の制止も聞かず、イシスは涙を堪えながら外へ飛び出した。



「うっ…ひっく…いっしょ…けんめい…つくったのに……」

町外れの茂みの中で、イシスは泣いた。
どんなに拭っても拭っても涙はとめどなく溢れ出す。何日もかけてやっと作った初めての作品を実の父に壊されたショックは、あまりに大き過ぎた。

「もう…家になんて帰るもんか…」

それから、どれほどの時間が経っただろうか。泣き疲れていつの間にか眠ってしまったのか真上に来ていたはずの太陽はとっくに落ちて、もう沈みかけていた。

「もうこんな時間か…お腹空いたなぁ…でもどうせ…家に帰ったって……」

そんな事を思った時、母がイシスを呼ぶ声が聞こえた。

「イシスー!どこにいるのー?」
「!?……母さん」
「イシス!そんなところに…」
「来ないでよ!」

近付こうとした母をイシスは激しく拒絶する。

「分かってるよ!目の見えない僕は皆にとって邪魔だって事なんかとっくにさ!!」
「イシス…」
「もう…ほっといてよ…」

(もう誰にも愛されなくてもいい…期待を持つだけ無駄なんだ)

そうして、少しの沈黙の後。ふわりと優しい音色がイシスを包んだ。

「…?…これは……」

その音は母の元から発せられている。

「これは…樹と音のアニマ…?」
「そうよ。これはパンフルート…私があなたのツールの破片と音のチップを掛け合わせたの」

母はイシスに近付くと力いっぱい抱き締めた。

「かあさ…」
「イシス、人っていうのはね、みんな誰かに必要とされるために生まれてきたのよ」
「みんな…僕も?」
「ええ、あなたのツール作りの腕は素晴らしいわ。きっとあなたが大きくなったら沢山の人達があなたを必要としてくれるはずよ」
「本当に?」
「本当よ」

母はイシスに向かって優しい声で囁く。

「あなたは駄目な子なんかじゃない……例えあなたが周りに認められなくても…あなたは私の最愛の息子よ」
「…かあさん……」
「だからもう泣かないで。私の可愛いイシス」
「…うう…うあーーん!!」

イシスは母の胸に飛び込み泣いた。ありったけの思いを込めて。
イシスにとって、イシスの存在を否定しない母だけがたった一つの救いだった。

けれど、運命はその唯一の救いすら無情にも奪ってゆく。


「母さん…死なないで…」
「おかあさん…」
「泣かないでイシス、ジュノー…ゲホッゲホッ!!」

それからまた、三年後。母は風邪をこじらせ肺炎となっていた。
一人で店と家事を切り盛りし、子供達の世話までしていたのだからその苦労は想像を絶する程だったろう。

「イシス…これをあなたにあげるわ……」

母はベッドの側に置いてあった箱を取ると、震える手でそれをイシスに手渡した。

「これって…あの時のパンフルート…?」

綺麗に箱に納められたパンフルートには殆ど傷がなく、どれだけ大切にしてきたのかよく分かった。

「私はもう長くないから…あなたが独りぼっちにならないように…それを……私と思って…」
「そんな事言わないでよ…元気になってよ…」
「……」

イシスも母のアニマがもうすぐ星に還る事くらい分かっていた。それでも言わずにいられなかった。

「店は僕が何とかするから母さんは家でゆっくりしてて…ね?」
「あたしもお兄ちゃんのお手伝いするから…」
「…ありがとう…あなた達は本当に立派な子だわ」

母はイシスとジュノーの手をそっと握る。

「イシス……あの人や…ジュノーの事…お願いね…」
「………分かってる…分かってるから無理して喋らないで」
「ジュノー…お兄ちゃんの言う事…ちゃんと聞いてね」
「…嫌だ…嫌だよ……死んじゃ嫌だよお母さん!!」
「………さようなら…」

母のアニマが体から抜け出すのが、イシスに伝わった。

「かあ、さん…」

イシスはその場にへたり込む。

「お母さ……うぁぁーーん!!」
「ジュノー…」

ジュノーは母の亡骸に縋り声を上げるが、イシスは何故か涙すら出なかった。

「…大いなるアニマよ…どうか母さんのアニマを受け入れて下さい……」

イシスには、そう呟く事しか出来なかった。


それからはイシスが店を継ぎ、ジュノーが家事をする事になった。
イシスはほぼアニマ感知に頼っているために、目で見るよりも遥かにツール内のアニマを引き出す事が出来た。そうして出来たツールは完成度が高く耐久度も優れている。

しかし世間の目は甘くはない。地元の職人はイシスの腕を妬み、客足を途絶えさせようと様々な嫌がらせをしてきた。店に心無い落書きをされたり、石を投げ付けられて窓を割られた事も少なくはなかった。
勿論それでもイシスのツールを認めてくれる人もいたが、そのなけなしの金ですら父はすべて酒に替え食い潰す。

人々の冷たい態度はイシスの心を捻曲げ、16歳になった彼はついにほとんど笑わなくなってしまった。
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