来福の獣

これは蒼真が新たなる魔王を求める者達との戦いを終え、再びの平穏な生活に戻った数ヶ月後の出来事。


「有角!頼む、ちょっと服買うのに付き合ってくれ」

ぱんっ!と勢いよく手を合わせ、拝むようにそんな事を言い出した蒼真に、有角は怪訝そうな顔をした。

「お前の趣味に合うような服装を俺が選べると思わんが」
「いや、服って言っても浴衣なんだよ。どんな色のが合うか客観的に見てくれる人が欲しいっていうか…弥那にはちょっと内緒にしときたいから、口の堅いあんたが適任かなって」
「…詳しく説明しろ」
「来月末に夏祭りがあるだろ?それで弥那に今年は一緒に浴衣を来て回ろうって言われたんだけど、浴衣なんて小学生の頃以降着たことないから、その……丈が…」
「なるほど、それで今の体格に合うものを買い直さないとならない、と」
「…………」

蒼真は気恥ずかしそうに頷く。

「分かった。付き合ってやる。さっさと行くぞ」
「えっ?お、おい!ちょっと待てよ!そっちはショッピングモールの方向じゃ…」
「和服なら良い店を知っている」
「それ、高い服屋だったりしないよな?俺あんまり金無いんだけど…」
「そのくらいは経費から賄える」
「それってつまり買ってくれるってことか?」
「ああ」
「なんか…悪いな。別にそういうつもりで頼んだ訳じゃないんだけど…」
「気にする必要は無い」

相も変わらずの仏頂面のまま、振り返る事すらせず答える有角に蒼真は戸惑いつつも、その後ろを付いて行くのだった。

「ここだ」

二人が歩き続けて数十分経った頃、有角は町外れに建つ呉服屋の前で立ち止まる。
年季の入った木造建築は老舗の風格を漂わせており、蒼真は口をぱくぱくさせながら店と有角を交互に見る。

「い…いやいやいやいや!?こんな明らかに高そうな店なんて身に余るって!」
「金はこちらで出すから気にするなと言っているだろう」
「いや気にするっての!!俺は別に既製品の浴衣で充分なんだから!」
「今後またお前の体型が変わらないとは限らないだろう。こういうしっかりした店で作って貰えば新たに買い替えるよりも安い値段で仕立て直して貰えるぞ」
「そ、それはそう、かもしれないけどさ…」
「理解したなら行くぞ」
「おい有角待てってば!おい!」
「いらっしゃいま…おや?有角さんでしたか。お久しぶりにございます」

がらがらと玄関の引き戸を開ける音を聞いて現れた老人は穏やかな笑顔を浮かべ、深々とお辞儀をした。

「急に来てすまない」
「いえいえお気になさらず。本日はどのようなご要件でしょうか?」
「こちらの知り合いが着る浴衣を仕立てて貰いたい」
「ああ、承知しました。お二人ともどうぞこちらへ」

老人にうながされるまま二人が部屋に入ると、そこには色とりどりの反物が所狭しと並べられており、蒼真は思わず息を呑む。

「こちらの棚にあるものが主に男性用の浴衣などに使われる生地にございます。どのような色合いや柄が良い等はありますでしょうか?」
「え?あ…えと、そうだな…出来れば白とか灰色とか青とか、大体そんな感じの色のが良いかな。柄に関しては…そういうのあんまり詳しくないから…」
「承知しました。ではご希望の色合いの中からお気に召すものを探していきましょう」

老人は棚からいくつかの反物を取り出し、それを蒼真の前で広げた。

「こちらの蝋色ろいろに白の蚊絣かがすりはどうでしょう?」
「うーん…悪くはないけど、ちょっと色が暗すぎるかな…」
「なるほど。ではこちらのはな色に淡藤あわふじ色の籠目文かごめもんは」
「そうだな…とりあえず保留で」
「かしこまりました。では次はこちらの…」

そうやって蒼真はいくつもの着物を眺めるものの、中々これと言って琴線に触れるものが見つからず、徐々に見終えた反物が山のように積み重なっていく。

「なんかすみません…中々決められなくて」
「良いんですよ。お着物は一生ものですからね。後で後悔しないようにゆっくりとお決めになって下さい」
「は、はい…」
「さて、次は…おっとと」

老人がうっかり落とした反物が転がり、広がりながら蒼真の足元で止まる。
白地に瑠璃るり色で描かれたその柄に、蒼真は目を奪われた。

「これ、もしかして蝙蝠こうもり?こんな柄もあったのか…」
「ええ。現代では西洋の吸血鬼や悪魔の使いというイメージが強くなったせいかあまり使われなくなりましたが、蝙蝠文はかつては吉祥文として扱われていた歴史ある文様なんですよ」
「吉祥の文様?蝙蝠が?」
「蝙蝠は中国語で蝙蝠ビャンフーと発音するが、それが福が偏り来るという意味合いを持つ偏福ピャンフーと発音が似ているという理由で福を呼ぶ模様とされ、その思想が日本にも伝わったそうだ」

それまで静かに蒼真を見守っていた有角が口を開く。

「そうなのか?」
「それだけじゃありませんよ。日本じゃ蝙蝠は人に害を為す虫なんかを食べてくれる益獣でしたからね。かつては子の成長を願う背守りの柄の一つとして、魔除けにも使われていたんです」
「蝙蝠が…魔除け?」

蒼真は茫然としながら足元に広がる蝙蝠の文様を見つめた。
蒼真の中では蝙蝠と言えばやはり人を襲い血を吸う吸血鬼とその眷属のイメージであり、自身の背負う宿命がその意識をより強めている。ゆえに蝙蝠の柄が人に福を呼び、人を守る魔除けとして扱われていた地が存在するという事実はにわかには信じがたいものであった。

「その柄、気に入りましたか?」
「へっ?あ…はい。出来ればこれで」
「承知しました。それでは採寸いたしましょうか」
「出来れば少しゆとりを持って裁断してくれると助かる。いずれまた仕立て直しをするかもしれないからな」
「はい。ではそのように」

その後はてきぱきと採寸と支払いを終え、蒼真と有角は店を後にした。

空は既に夕暮れ色に染まり、二人は落ちかけの日に照らされながら共に歩を進める。

「仕上がるのは一ヶ月後だそうだから夏祭りには充分間に合うはずだ」
「…………」
「蒼真?」
「…!」

有角の歩む音が止まったのに気が付き、蒼真ははっとした表情で振り返る

「ごめん。聞いてなかった…何?」
「いや、夏祭りにまではちゃんと仕上がるはずと言っただけだ」
「ああ、うん…」
「心此処にあらずといった感じだな。やはり理由はあの蝙蝠文か?」
「……ああ。まさか蝙蝠が福を呼ぶめでたいもの扱いだなんて、まだちょっと信じられなくてさ」
「俺も最初知った時は戸惑った」
「有角も?」
「そうだ。俺にとっても、蝙蝠は闇の眷属であり、己に流れる魔性の血の象徴のようなものだ。それがかつてこの国では魔を払い人に幸福をもたらす者の側として扱われていたと聞かされた時は、下らない冗談かと思ったからな」
「はは…だよな。その気持ちよく分かるよ」

淡々としつつも少し複雑そうな声色を滲ませる有角に、蒼真は苦笑いを浮かべる。

「それでな、なんていうか、その…」
「?」
「俺さ、転生したのが日本このくにで良かったなって…改めてそう思ったんだ」

照れ臭そうに笑って言う蒼真に、有角は目を見開いて数秒固まった後──

「……そうだな」

穏やかな笑みを浮かべ、静かにそう呟いた。

「えっ……有角…今笑った、のか…?」
「……気のせいだ。下らない事を言っていないで早く帰るぞ」

有角は直ぐ様いつも通りの無表情に戻り、足早に歩き出す。

「いや、笑っただろ」
「笑っていない」
「いーや絶対笑ったね」
「お前の見間違いだ」
「じゃあ何で急にそんな早足になってんだよ」
「そんな事はどうでもいい」
「照れるなよ」
「照れてなどいない」

どんどん速度を上げ、駆け足気味になりながら、二人の冷やかし冷やかされの会話は蒼真の家へ辿り着くまで続くのだった。
1/1ページ
    スキ