転生パロのダイポプ。 -再会して恋をして-
『今世』の言葉で言うと。
俺はワーカホリックというやつらしい。
ノートパソコンを持ってオフィスを右往左往したり、プロジェクトの進捗とクライアントの我儘に振り回され一喜一憂するシステムエンジニア。寝ても覚めてもプロジェクトの進行とシステム構築を最優先させる、まさに仕事中毒者である。
この『世界』に『魔法』はない。
『大魔道士として全うした人生』は『今世』ではただのお伽話に成り下がる。
それでもプログラムの組み方や、即座に反映され結果を映し出すシステム開発などは、なんだか魔法に少し似ている気がして、2徹だろうが3徹だろうが、気にせず、飽きずにこの仕事を続けている。
金は貯まる、使う時間がないだけで。
出会いも無い。時間がないので。
週の始めからそろそろ4徹に片足を突っ込みそうになったとき、金の貯まり様と出逢いのなさとに想いを馳せてトイレでサボっていたところに、ふと自分の携帯端末に連絡が入っているのに目が止まった。
【今週どこか暇だったりする?】
最後に遊んだのが数カ月前だ。ダイから短いメッセージが届いていた。
「『お前の為なら、喜んで膨大に溜まった有給使うぜ』…っと」
使い道がないと思ってた有給を、初めて”溜め込んでてよかった”なんて思いながら、返事を返してトイレを後にした。
:::
来る次の週終わり。
バッチリ有給も使って3連休。
シーズンも終わりそうな海に行こうと、ダイから提案された。
海なんてガキの頃以来だ。
水着はいるか?日焼け止めもか?換えのパンツとバスタオル。かさばるから小さいのにしよう。
移動は電車だから、暇つぶしに携帯ゲーム機でも持って行こうか?ダイもおんなじゲーム機持ってっかな、同じゲームで遊べっかな。
気分は遠足前の小学生。男なんて『どの世界』も一緒なんだと気付いて準備しながら笑ってしまった。
思ったよりパンパンになってしまったメッセンジャーバッグを担いでアパートを飛び出し、時間に余裕しかないのに駅に向かって走りだした。
始発に乗って、お互いの電車が合流する駅のホームで待ち合わせた。
ただ遊びに行くだけなのに、女の子とのデートに出かけるような胸の高鳴りを覚えた。まぁ、相手は男なんだが。
「おはよう」
空色を基調としたフードだけ白いパーカーに、ヒザ下まである瑠璃紺色のハーフパンツ。白いスニーカーとゴールデンイエローのショルダーバッグを引っ提げてダイが現れた。
「分かりやすい色味だこと」
「青好きだから。ポップだって緑じゃん」
薄緑色のカジュアルシャツの下に白いTシャツ、深緑のチノパンに黒のスリッポン。パンパンになっている白と黒の格子柄が目立つメッセンジャーバッグで出迎えた『元大魔道士』をみて、『元勇者』は笑った。
「カバンパンパンすぎ。水着持ってきた?海に入るか分かんないけど」
「念の為な、換えのパンツと…ゲーム機も持ってきた。おんなじの持ってる?」
「バイト代貯めてて中々手が出ないんだ。お裾分けプレイ?とかできる奴でしょ?興味はある」
電車が来るまでの間、他愛のない話をする。
それすらも『前世』ではなかなか叶わなかった些細な事だ。
まだ薄暗い空を眺めながらホームで二人、目的の電車を待った。
「専攻学科、なんだっけ?」
「医学」
「なんだか想像付かねぇなぁ、医学部」
「『前』はさ、勇者だったけど、『ここ』にはそんなのないだろ?どうしよっかなって考えた時に、みんなのこと思い出したんだ」
少しずつ明るくなってきた遠くの空を見つめて、ダイは続ける。
「俺はみんなによく「回復呪文」とかかけてもらったりしてさ。じいちゃんにマァムにレオナにポップ…アレってなんか嬉しくてさ。カラダがぽかぽかするっていうか、みんなの「頑張れ」も一緒に流れ込んでくる感覚。アレが嬉しかったんだ」
釣られて俺も遠くを見つめながら、静かに聞く。
「そう考えたら、『この世界』での「回復呪文」とか「解毒呪文」は、「医学」なのかなって思って。俺もそれが出来る人になりたいなって思ったんだ」
「それで医学部か」
「うん。違う形になるけれど、誰かの助けになれたら、やっぱり嬉しいから」
そこまで喋って、恥ずかしそうに顔を逸らす。
「なんだよ」
「…こんな話したの、お前が初めてだからさ」
ダイは小さく笑いながら目元を細めた。
相棒の「初めて」に付き合うのも悪くないもんだ、と顔を出し始めた輝く太陽を見て思う。
「…ま、勉強法で分かんない事とか、詰まった部分があったら言えよな。医学のことは分かんねぇけど、勉強の仕方なら教えられる。なんたって俺は」
「お前は昔から天才だったもんね、ポップ」
久方ぶりに聞いたその言葉に、まだホームに突っ立ってるだけだが既に胸が一杯になって泣きそうになった。
電車を乗り継いで3時間程、季節が外れかけている中海についた。
雲ひとつない空…とは言い難いが、天気は悪くなかった。
チラホラと水着で遊んでいる人もいて、水着が無駄にならなくて済みそうだと二人してホッと胸を撫で下ろした。
野郎二人の水着の着替えシーンなんか楽しくもなんともないので割愛するが、相変わらず青色のダイと緑色のポップだった、とだけ伝えておこう。その様を見てまたお互いにケラケラと笑った。
レンタルのサーフボードで波に乗ったり、沖の方まで出過ぎて監視員に大目玉をくらったりしたが、休憩で入った店の軽食が美味かったとか、可愛い女の子を見れたりとか(しただけでナンパまでは繋がらなかったが)、かなり楽しく一日を過ごすことができた。
日が沈み、辺りが暗くなる。
人の数が減ってからシャワールームに向かい、海のべたつきを洗い流して服を着込む。シャワールームからでると、昼間はそれなりにいた人の数も減り、もう砂浜に残っているのは俺達二人と夜の波打ち際ではしゃいで歩くカップルくらいだった。
まだ時間はあった。砂浜に座り込み、ぼーっと空を見上げる。空気が都会とは比べたら失礼なくらい澄んでいるからか、少しずつ星が見えるようになってきた。
「一日、割とあっという間に過ぎてくな」
横で体育座りをするダイにぼそっと呟いた。
「ホントだね。楽しかったなぁ」
砂を掴んではさらさらと掌から零しながらダイは言う。
「この後の予定は?」
「何にも考えてなかったや」
「じゃあ、気が済むまでここで寝そべってるか。時間ならある」
「有給がね」
「それならまだ沢山弾があるぞ」
「社会人は大変だ」
二人で空を見上げてクスクスと笑った。
ふと目をやると、それまで笑っていたダイが海の彼方を思い詰めた瞳で見ていた。
「どうした?」
上体を起こして砂を払う。ハッとした顔をして「何でもない」と言いかけた口が、静かに閉じて少し唇を噛んだ。
「なんか悩みごとか?もしかして相談があって声かけたか?」
「違うよ、遊びに誘いたかったのは本当で」
歯切れが悪そうに遠くを見つめる。こちらに顔も、視線も合わせようとしなかった。
「俺じゃ聞いてやれない悩みか?頼れる兄貴分だと思ってるぜ、俺は自分のこと」
暗くて表情が見えない。俺から次の言葉を投げる前に、ダイは小さく言葉を発した。
「…今日、すごく楽しかったなって」
何故だろう。
自分の心臓がさぁっと冷たくなる感覚がした。
「おいおいおいおい。やめてくれよ、なんだか怖いこと言い出しそうな雰囲気じゃねえか」
声が震える。
もう「置いて行かれる」のはゴメンだぜ?
「あっ、いや。違う。違うよ」
何かを察したのか、ダイは慌てた様子で顔を振り向かせる。
相変わらず暗くて顔はよく見えないが、声色はかすかに困惑の色を滲ませていた。
「ごめん、もうみんなを置いてどこかに行ったりしない。それは約束するから」
「なんだよ、俺はてっきり…」
「…聞いてくれるかな」
肩を窄めたシルエットだけが視界に映る。どうぞ、と言葉を促すと、ぽつりぽつりと話しだした。
「今日楽しかったなって言うのはホントにその通りで、ホントはレオナとかマァムとかも誘おうと思ってたんだ。…ほら、『帰ることも、お別れを言うことも出来なかった』からさ…みんなと一緒に、楽しい思い出作れたらなって。
…だったんだけどさ。なんだか急に思うところがあって。一番に謝んなきゃいけない奴がいるなって思って。そしたら、他のみんなを誘うのは今度にして、今回はそいつにいっぱい謝って、遊んで、俺は元気だよって。伝えなきゃいけない気がして」
横でただ海を眺めながら、ダイの声に耳を傾けた。
さざなみの音が遠くに聞こえる。その音よりも低い声で、ダイは話し続けた。
「そいつはね、最初はすごく情けないやつだったんだ。鼻水垂らして逃げまわって、置いて行かれたりもしたな。
遠く後ろにいると思ってたやつで。でも気がついたら少し後ろまで近づいてきて、次の瞬間には俺の真横に立っててくれてた。俺を追い越して、もっと先に進みそうな勢いで。心強かったな。先生にもない、兄弟子にも姉弟子にもない、お姫様にもなかった絆。最高の親友、相棒。
…俺は最後の最後で、その相棒の手を振り払ったんだ」
俺の手にダイの手が重なる。
がっ、と痛いくらいにそれを握られ、顔をしかめる。
「ダイ」
「俺はただ、お前に、みんなに、生きてて欲しかったんだ。俺に出来ることをしたかった。それが、逆にみんなを、お前を、傷付ける結果になると思ってなかったんだ」
「…ダイ、落ち着けよ」
ぎりぎりと軋む骨の感覚に気づいてか、ダイはぱっ、と手を離した。そのまま向きを戻し、また海を見つめる。
「前にも言っただろ。誰もお前を責める気持ちなんかもってないんだよ。無事であれと願いはしたが、誰一人として、帰ってこなかったことを咎める奴はいない。それだけみんな、お前が好きで大切なんだよ」
世界を救った、俺達を救ってくれたその小さな勇者を、誰が咎めようか。
生きていると確信した。
毎日仲間たちと共に太陽の方角を見据えた。
お前が帰ってくると確固たる自信を持ち、みんなは、世界は、俺は、お前を待ったんだ。
「現にお前は、帰ってきてくれたじゃねぇか」
『時代』も『世界』も飛び越えて、こうして再開できたじゃないか。もう何も悩まなくていい。俺達はもう、それで十分なんだよ。
さぁさぁと続く波の音。
お互い沈黙したまま、変わらず引いては寄せる波を見続けた。
「…お前を悲しませたのが、一番辛かったんだ」
視線もそのままに、ダイは続けた。
「『ここ』に来てからずっと後悔ばかりしてたんだ。お前の泣き顔が頭から離れなくて、「バカヤロー」の声も耳にこびりついたままで。
何年も何年も、毎日なんだか真っ暗闇で。先が見えているようで見えなくて。そばにいてもっとたくさん遊んだり、いろんなことをお前と経験したかった。お前ともっと冒険したかった。それだけがこの19年間、頭の隅から離れなくて。
コンビニで顔を見た時、他にごめんの言葉を考えてたのに、そんなのも全部抜け落ちて、ただ「ただいま」って言葉が口からでてた。
楽しいも悲しいも、怖いも怒れることも、全部横にお前がいてくれた。それがいつまでも心強かったから、だから、ごめんよりただいまって言いたかった。
遠く離れて初めて気が付いた。俺はお前と一緒に居たいし、ずっと俺の横に立って並んで歩き続けて欲しいんだって。
この気持ちをなんて言えばいいのか、何度も何度も考えたんだ」
遠くを睨んでいたダイは目を閉じ、口を噤む。
意を決したようにまた目を開き、想いを吐き出す。
「…考え抜いてたどり着いた答えが、もしかしたらこの想いは、”恋”なのかもしれない、と思った」
思わぬ言葉に目を見開いた。
あのちんちくりんの勇者とはあまりに無縁だった言葉に、思わず全身に力が入る。
更にダイは続ける。
「恋愛感情だと考えた時に、相手がお前ならいいと思った。お前がいいなんて変な感じだけど、嫌じゃなかった。むしろ嬉しくて、涙が出そうになって。
他の誰でもない、お前だからこそ、俺のそばにいてほしいって、思ったんだよ」
少しの間。
ダイは「そうか」、と小さく声を洩らす。
海を見ていた顔がすっ、とこちらに向き直る。
いつの間にかてっぺんに昇っていた月の光で少しだけ照らし出されたその顔は、どこか切なげに映って俺の心を掴んで離さなかった。
ダイの瞳が真っ直ぐに俺の目を見る。
視線がぱちっ、と音を立てて重なったような錯覚を感じた時、その真剣な眼差しの奥に熱を帯びた色を見た。
「『今』確信したんだ。俺、ポップのことが好きなんだって」
紡がれた言葉のあとに、恐ろしく大きくコクン、と自分の唾を飲み込む音が頭の中で響いた。
次第に熱を帯び始める自分の頬に、優しく潮風が当たっては後方に流れ去っていく。
『いつもの』俺だったら茶化しただろう。
何を面白いことを言ってやがるんだと。
向日葵色の瞳の奥に見えた怖いほど深く、濃い炎のような揺らめきに当てられて、それが冗談だと茶化すことのできない大きな感情であることを思い知らされる。
沈黙。
遠くにあるはずの波の音が、なんだかやけに大きく聞こえる。
その真剣な眼差しから目を逸らすことができない。
激しく鼓動を打つ己の心臓。
その鼓動の音が、沈黙の中で相棒に聞こえてしまいそうに思えた。
見つめ合い、身動き一つ取れなくなった二人の間を、ただただ潮風が通り過ぎて行く。
俺はワーカホリックというやつらしい。
ノートパソコンを持ってオフィスを右往左往したり、プロジェクトの進捗とクライアントの我儘に振り回され一喜一憂するシステムエンジニア。寝ても覚めてもプロジェクトの進行とシステム構築を最優先させる、まさに仕事中毒者である。
この『世界』に『魔法』はない。
『大魔道士として全うした人生』は『今世』ではただのお伽話に成り下がる。
それでもプログラムの組み方や、即座に反映され結果を映し出すシステム開発などは、なんだか魔法に少し似ている気がして、2徹だろうが3徹だろうが、気にせず、飽きずにこの仕事を続けている。
金は貯まる、使う時間がないだけで。
出会いも無い。時間がないので。
週の始めからそろそろ4徹に片足を突っ込みそうになったとき、金の貯まり様と出逢いのなさとに想いを馳せてトイレでサボっていたところに、ふと自分の携帯端末に連絡が入っているのに目が止まった。
【今週どこか暇だったりする?】
最後に遊んだのが数カ月前だ。ダイから短いメッセージが届いていた。
「『お前の為なら、喜んで膨大に溜まった有給使うぜ』…っと」
使い道がないと思ってた有給を、初めて”溜め込んでてよかった”なんて思いながら、返事を返してトイレを後にした。
:::
来る次の週終わり。
バッチリ有給も使って3連休。
シーズンも終わりそうな海に行こうと、ダイから提案された。
海なんてガキの頃以来だ。
水着はいるか?日焼け止めもか?換えのパンツとバスタオル。かさばるから小さいのにしよう。
移動は電車だから、暇つぶしに携帯ゲーム機でも持って行こうか?ダイもおんなじゲーム機持ってっかな、同じゲームで遊べっかな。
気分は遠足前の小学生。男なんて『どの世界』も一緒なんだと気付いて準備しながら笑ってしまった。
思ったよりパンパンになってしまったメッセンジャーバッグを担いでアパートを飛び出し、時間に余裕しかないのに駅に向かって走りだした。
始発に乗って、お互いの電車が合流する駅のホームで待ち合わせた。
ただ遊びに行くだけなのに、女の子とのデートに出かけるような胸の高鳴りを覚えた。まぁ、相手は男なんだが。
「おはよう」
空色を基調としたフードだけ白いパーカーに、ヒザ下まである瑠璃紺色のハーフパンツ。白いスニーカーとゴールデンイエローのショルダーバッグを引っ提げてダイが現れた。
「分かりやすい色味だこと」
「青好きだから。ポップだって緑じゃん」
薄緑色のカジュアルシャツの下に白いTシャツ、深緑のチノパンに黒のスリッポン。パンパンになっている白と黒の格子柄が目立つメッセンジャーバッグで出迎えた『元大魔道士』をみて、『元勇者』は笑った。
「カバンパンパンすぎ。水着持ってきた?海に入るか分かんないけど」
「念の為な、換えのパンツと…ゲーム機も持ってきた。おんなじの持ってる?」
「バイト代貯めてて中々手が出ないんだ。お裾分けプレイ?とかできる奴でしょ?興味はある」
電車が来るまでの間、他愛のない話をする。
それすらも『前世』ではなかなか叶わなかった些細な事だ。
まだ薄暗い空を眺めながらホームで二人、目的の電車を待った。
「専攻学科、なんだっけ?」
「医学」
「なんだか想像付かねぇなぁ、医学部」
「『前』はさ、勇者だったけど、『ここ』にはそんなのないだろ?どうしよっかなって考えた時に、みんなのこと思い出したんだ」
少しずつ明るくなってきた遠くの空を見つめて、ダイは続ける。
「俺はみんなによく「回復呪文」とかかけてもらったりしてさ。じいちゃんにマァムにレオナにポップ…アレってなんか嬉しくてさ。カラダがぽかぽかするっていうか、みんなの「頑張れ」も一緒に流れ込んでくる感覚。アレが嬉しかったんだ」
釣られて俺も遠くを見つめながら、静かに聞く。
「そう考えたら、『この世界』での「回復呪文」とか「解毒呪文」は、「医学」なのかなって思って。俺もそれが出来る人になりたいなって思ったんだ」
「それで医学部か」
「うん。違う形になるけれど、誰かの助けになれたら、やっぱり嬉しいから」
そこまで喋って、恥ずかしそうに顔を逸らす。
「なんだよ」
「…こんな話したの、お前が初めてだからさ」
ダイは小さく笑いながら目元を細めた。
相棒の「初めて」に付き合うのも悪くないもんだ、と顔を出し始めた輝く太陽を見て思う。
「…ま、勉強法で分かんない事とか、詰まった部分があったら言えよな。医学のことは分かんねぇけど、勉強の仕方なら教えられる。なんたって俺は」
「お前は昔から天才だったもんね、ポップ」
久方ぶりに聞いたその言葉に、まだホームに突っ立ってるだけだが既に胸が一杯になって泣きそうになった。
電車を乗り継いで3時間程、季節が外れかけている中海についた。
雲ひとつない空…とは言い難いが、天気は悪くなかった。
チラホラと水着で遊んでいる人もいて、水着が無駄にならなくて済みそうだと二人してホッと胸を撫で下ろした。
野郎二人の水着の着替えシーンなんか楽しくもなんともないので割愛するが、相変わらず青色のダイと緑色のポップだった、とだけ伝えておこう。その様を見てまたお互いにケラケラと笑った。
レンタルのサーフボードで波に乗ったり、沖の方まで出過ぎて監視員に大目玉をくらったりしたが、休憩で入った店の軽食が美味かったとか、可愛い女の子を見れたりとか(しただけでナンパまでは繋がらなかったが)、かなり楽しく一日を過ごすことができた。
日が沈み、辺りが暗くなる。
人の数が減ってからシャワールームに向かい、海のべたつきを洗い流して服を着込む。シャワールームからでると、昼間はそれなりにいた人の数も減り、もう砂浜に残っているのは俺達二人と夜の波打ち際ではしゃいで歩くカップルくらいだった。
まだ時間はあった。砂浜に座り込み、ぼーっと空を見上げる。空気が都会とは比べたら失礼なくらい澄んでいるからか、少しずつ星が見えるようになってきた。
「一日、割とあっという間に過ぎてくな」
横で体育座りをするダイにぼそっと呟いた。
「ホントだね。楽しかったなぁ」
砂を掴んではさらさらと掌から零しながらダイは言う。
「この後の予定は?」
「何にも考えてなかったや」
「じゃあ、気が済むまでここで寝そべってるか。時間ならある」
「有給がね」
「それならまだ沢山弾があるぞ」
「社会人は大変だ」
二人で空を見上げてクスクスと笑った。
ふと目をやると、それまで笑っていたダイが海の彼方を思い詰めた瞳で見ていた。
「どうした?」
上体を起こして砂を払う。ハッとした顔をして「何でもない」と言いかけた口が、静かに閉じて少し唇を噛んだ。
「なんか悩みごとか?もしかして相談があって声かけたか?」
「違うよ、遊びに誘いたかったのは本当で」
歯切れが悪そうに遠くを見つめる。こちらに顔も、視線も合わせようとしなかった。
「俺じゃ聞いてやれない悩みか?頼れる兄貴分だと思ってるぜ、俺は自分のこと」
暗くて表情が見えない。俺から次の言葉を投げる前に、ダイは小さく言葉を発した。
「…今日、すごく楽しかったなって」
何故だろう。
自分の心臓がさぁっと冷たくなる感覚がした。
「おいおいおいおい。やめてくれよ、なんだか怖いこと言い出しそうな雰囲気じゃねえか」
声が震える。
もう「置いて行かれる」のはゴメンだぜ?
「あっ、いや。違う。違うよ」
何かを察したのか、ダイは慌てた様子で顔を振り向かせる。
相変わらず暗くて顔はよく見えないが、声色はかすかに困惑の色を滲ませていた。
「ごめん、もうみんなを置いてどこかに行ったりしない。それは約束するから」
「なんだよ、俺はてっきり…」
「…聞いてくれるかな」
肩を窄めたシルエットだけが視界に映る。どうぞ、と言葉を促すと、ぽつりぽつりと話しだした。
「今日楽しかったなって言うのはホントにその通りで、ホントはレオナとかマァムとかも誘おうと思ってたんだ。…ほら、『帰ることも、お別れを言うことも出来なかった』からさ…みんなと一緒に、楽しい思い出作れたらなって。
…だったんだけどさ。なんだか急に思うところがあって。一番に謝んなきゃいけない奴がいるなって思って。そしたら、他のみんなを誘うのは今度にして、今回はそいつにいっぱい謝って、遊んで、俺は元気だよって。伝えなきゃいけない気がして」
横でただ海を眺めながら、ダイの声に耳を傾けた。
さざなみの音が遠くに聞こえる。その音よりも低い声で、ダイは話し続けた。
「そいつはね、最初はすごく情けないやつだったんだ。鼻水垂らして逃げまわって、置いて行かれたりもしたな。
遠く後ろにいると思ってたやつで。でも気がついたら少し後ろまで近づいてきて、次の瞬間には俺の真横に立っててくれてた。俺を追い越して、もっと先に進みそうな勢いで。心強かったな。先生にもない、兄弟子にも姉弟子にもない、お姫様にもなかった絆。最高の親友、相棒。
…俺は最後の最後で、その相棒の手を振り払ったんだ」
俺の手にダイの手が重なる。
がっ、と痛いくらいにそれを握られ、顔をしかめる。
「ダイ」
「俺はただ、お前に、みんなに、生きてて欲しかったんだ。俺に出来ることをしたかった。それが、逆にみんなを、お前を、傷付ける結果になると思ってなかったんだ」
「…ダイ、落ち着けよ」
ぎりぎりと軋む骨の感覚に気づいてか、ダイはぱっ、と手を離した。そのまま向きを戻し、また海を見つめる。
「前にも言っただろ。誰もお前を責める気持ちなんかもってないんだよ。無事であれと願いはしたが、誰一人として、帰ってこなかったことを咎める奴はいない。それだけみんな、お前が好きで大切なんだよ」
世界を救った、俺達を救ってくれたその小さな勇者を、誰が咎めようか。
生きていると確信した。
毎日仲間たちと共に太陽の方角を見据えた。
お前が帰ってくると確固たる自信を持ち、みんなは、世界は、俺は、お前を待ったんだ。
「現にお前は、帰ってきてくれたじゃねぇか」
『時代』も『世界』も飛び越えて、こうして再開できたじゃないか。もう何も悩まなくていい。俺達はもう、それで十分なんだよ。
さぁさぁと続く波の音。
お互い沈黙したまま、変わらず引いては寄せる波を見続けた。
「…お前を悲しませたのが、一番辛かったんだ」
視線もそのままに、ダイは続けた。
「『ここ』に来てからずっと後悔ばかりしてたんだ。お前の泣き顔が頭から離れなくて、「バカヤロー」の声も耳にこびりついたままで。
何年も何年も、毎日なんだか真っ暗闇で。先が見えているようで見えなくて。そばにいてもっとたくさん遊んだり、いろんなことをお前と経験したかった。お前ともっと冒険したかった。それだけがこの19年間、頭の隅から離れなくて。
コンビニで顔を見た時、他にごめんの言葉を考えてたのに、そんなのも全部抜け落ちて、ただ「ただいま」って言葉が口からでてた。
楽しいも悲しいも、怖いも怒れることも、全部横にお前がいてくれた。それがいつまでも心強かったから、だから、ごめんよりただいまって言いたかった。
遠く離れて初めて気が付いた。俺はお前と一緒に居たいし、ずっと俺の横に立って並んで歩き続けて欲しいんだって。
この気持ちをなんて言えばいいのか、何度も何度も考えたんだ」
遠くを睨んでいたダイは目を閉じ、口を噤む。
意を決したようにまた目を開き、想いを吐き出す。
「…考え抜いてたどり着いた答えが、もしかしたらこの想いは、”恋”なのかもしれない、と思った」
思わぬ言葉に目を見開いた。
あのちんちくりんの勇者とはあまりに無縁だった言葉に、思わず全身に力が入る。
更にダイは続ける。
「恋愛感情だと考えた時に、相手がお前ならいいと思った。お前がいいなんて変な感じだけど、嫌じゃなかった。むしろ嬉しくて、涙が出そうになって。
他の誰でもない、お前だからこそ、俺のそばにいてほしいって、思ったんだよ」
少しの間。
ダイは「そうか」、と小さく声を洩らす。
海を見ていた顔がすっ、とこちらに向き直る。
いつの間にかてっぺんに昇っていた月の光で少しだけ照らし出されたその顔は、どこか切なげに映って俺の心を掴んで離さなかった。
ダイの瞳が真っ直ぐに俺の目を見る。
視線がぱちっ、と音を立てて重なったような錯覚を感じた時、その真剣な眼差しの奥に熱を帯びた色を見た。
「『今』確信したんだ。俺、ポップのことが好きなんだって」
紡がれた言葉のあとに、恐ろしく大きくコクン、と自分の唾を飲み込む音が頭の中で響いた。
次第に熱を帯び始める自分の頬に、優しく潮風が当たっては後方に流れ去っていく。
『いつもの』俺だったら茶化しただろう。
何を面白いことを言ってやがるんだと。
向日葵色の瞳の奥に見えた怖いほど深く、濃い炎のような揺らめきに当てられて、それが冗談だと茶化すことのできない大きな感情であることを思い知らされる。
沈黙。
遠くにあるはずの波の音が、なんだかやけに大きく聞こえる。
その真剣な眼差しから目を逸らすことができない。
激しく鼓動を打つ己の心臓。
その鼓動の音が、沈黙の中で相棒に聞こえてしまいそうに思えた。
見つめ合い、身動き一つ取れなくなった二人の間を、ただただ潮風が通り過ぎて行く。