メフィスト夢

「暑い」
 ぽとりと一滴の溶けたアイスを睨み、呟く。チョコレートコーティングが溶け、衣類に付いてしまった。棒付きアイスの良いところは手が汚れないはずなのに、早く溶けてしまったので良さが台無しになった。
 天を仰いで呟く。
「暑い」
 室内空調が不調で今日いっぱいは冷房が効かない。扇風機と冷房機で室内温度を下げるが、効果はいまいちである。
 時計を見て一瞬考える。
「涼みに行きますか」
 今にも落ちそうなアイスを一気に頬張った。

 雪花の室内は涼しいを越えて寒い。周囲にいる彼女の使い魔たる雪兎は快適そうに寝ている。暑さから苦しまないようにしているのだろう。なお、熱源ならぬ冷源は彼女そのものだ。
 起こさないように忍び足で雪花のベッドに向かう。寝ている雪花はメッフィーのぬいぐるみを抱きしめている。顔色は血色が良く、安心しきった寝顔を見せている。そっとメッフィーのぬいぐるみを取り、雪花の背中側に置く。ぬいぐるみといえども、邪魔者は邪魔者、しかし自分の姿を模した愛らしいぬいぐるみだ。ぬいぐるみを雪花の隣で寝かせ、挟む構図にする。両手に花ならぬ、両手に悪魔。愛らしい姿に、紳士に挟まれればさぞかし幸せに浸れる彼女が見れるかと思いきや、彼女は寝苦しそうな表情を浮べた。嫌がらせに雪花の頬を撫でる。ひんやりとした肌がいつも以上に心地よい。手を取り、掌に口づけし、雪花を腕の中に入れようと腕を回した。
「なんですか寝不足悪魔」
 じと目で睨みながら雪花はメフィストの顔面に手を押し当て、拒否の姿勢を取る。
「そこにいる子達と同じく避暑ですよ」
「あの子達と貴方を一緒にしないでください、暑苦しい」
 悪態を付くときはこうすればいい。すぐさま犬の姿になり、雪花に見せる。雪花はしばらくメフィストを見つめ、腕の中に収めた。
「暑苦しい」
 そう言いながらも彼女は冷気を出してくれているらしく、体毛越しに撫でられても冷たさを感じる。
「寒かったら部屋から出てくださいね。寝ながら部屋を冷やしてますが、あの子達向けの室温なので、風邪を引きます」
「貴女を温めるのは慣れてますから」
「……今日は暑すぎるから温めに行かなくても大丈夫ですねって言った癖に」
「おや、来てはいけませんか?」
 雪花が表情を見せないように抱き締めようとするが、メフィストはするりと逃れ、人の姿になる。
 人の姿は便利だ。隠そうとする雪花の腕も防ぎ、押し倒す体勢を取れば全身も容易に見える。彼女の表情を暴くにしても痛がるほど力を入れていない。肉体上は男性であり、悪魔としても上位、力加減は必要不可欠。雪花の足で反抗する力が異様に強い為、念入りに固定している。
 雪花は不服そうに、睨む。赤みがある顔は暑さか、羞恥心か。
「いやあ、申し訳ありません。こんなに待たせていたとは」
 普段、彼女のベッドの周囲には雪兎の雪像たちはいない。今日が暑いのは事実だが、去年とも変わりない。
「暫くは私のベッドで寝ません?」
「本音は」
「貴女で涼みたい」
「時の王を凍らせて、朝までじっくり解凍コースにしましょうか」
 雪花の腕を掴む手がどことなく冷たさを増していく。
「そんなことをしなくとも」
 指を鳴らす。
 雪花の寝室にいる雪兎の雪像も、雪花も動かない。

「朝までいますよ」
 はっと気が付けば、メフィストが犬の姿に戻っている。雪花の腕の中に再び入り、心地よさそうに頬擦りしている。
 時間を止めた間に姿を変えたのは確かだが、何がしたかったのか理解できない。
「メフィスト」
「はい?」
「……犬の姿で暑くないんですか?」
 メフィストは眉毛の位置の毛を起用に上げ、応えた。
「ええ、だから涼みに来たんですよ」
 口元から微かにチョコレートの匂いがした。

  ***

「そんなことをしなくとも」
 雪花の反抗する足の力も一切ない。
 瞬き一つせずに雪花の瞳はメフィストを写す。
「朝どころか貴女が死ぬまでいるというのに」
 低く笑い、動かない雪花の唇を撫でる。唇は先程よりも色素が薄くなっている。今日くらいは外気温で温める必要はないなと高を括ればこのざまだ。
「失礼」
 雪花の瞼を指で伏せる。眠っているように見える方がまだいい。
 掴んだ雪花の手首を離し、寝転がる。彼女の手を取り、口元に持って行く。感覚はよくいる低体温の少女の指だが、余程力が強くなければ凍るほどの力はある。彼女の指に口付けたり、触れさせたり、余分な力をこちらで受け流していく。
(今日は指と首か)
 額、鼻、瞼、頬と口づけていく。首にキスをするが、反応は一切ない。面白くもない。冷えすぎた対策の一つで行っているにすぎない。
 彼女の時も止めなければ反応も楽しめるが、今は知らない方がいい。本当に凍らされかねない。
「涼みに来たつもりだったが」
 こんな行為、相手の反応を楽しむものだというのに、一方的にしていても面白くもない。ただ、触れていて気分は悪くない。
 彼女はただ一緒に寝ているだけだと思っている。合っているが、全てではない。
“折角ならもっと色んな所を触ればいいのに”
 胸の中心に手を触れ、触れるか触れないかの距離で口に近づける。
 素直だが、素直ではないのも無理もない。まだ現代の少女に求めるものではない。
「……とんだ生殺しだ」
 深々とため息をついたところで、このため息は彼女には聞こえない。

 犬の姿に戻り、雪花の腕の中に戻る。

 時を進め、雪花に頬擦りをする。
 この姿でなら、
「朝までいますよ」
 気が付いた雪花が不思議そうにメフィストを見つめてくる。彼女はメフィストが時を止めたとは気付いていても、何をされているのかは全く気が付いていない。これを知ったときの反応は楽しみだが、一体何時になれば言えるのやら。
「メフィスト」
「はい?」
「……犬の姿で暑くないんですか?」
 メフィストは眉毛の位置の毛を起用に上げ、応えた。
「ええ、だから涼みに来たんですよ」
 涼みに来たというのにかえって熱くなってしまった。
9/9ページ
スキ