メフィスト夢
彼と暮らして何年も経過しているが、存外一緒にいる時間は限られている。一緒にいるのは殆ど夜の、それも寝る前だ。
ベッドにいる時だけは信頼出来る。時間こそ不規則だが、来なかった日はない。
今日も雪花が先にベッドに入り、後からメフィストがやって来た。西洋にいたとされる名前の割にキャラクターの浴衣を着ているのは長年見ていても変人、変悪魔だ。彩度の高いピンクは見れば見るほど眠気が失せそうな色味だが、本人は一切気にしていない。
メフィストはベッドに近づき、雪花の頬を撫でる。
「大好きなお父様のことが待ち遠しくて起きていたとは、我が娘ながら健気ですね」
「娘でもないですし、待ち遠しくなかったです」
寝れなかっただけだが、都合のいい解釈で誤解されるのも癪に障る。
メフィストはベッドに入り、指を鳴らす。軽快な破裂音と共に煙が上がる。いつもの犬の姿で雪花の顔に近づき、お互いの鼻が触れる。
「この姿でも?」
ほれほれと届いていない前足で押してくるが、肉球を見せているだけになっている。
「……誘惑しているのか、からかってるのかどちらかにしてください」
じたばたと暴れるメフィストをぎゅっと抱き締めて押さえる。。肉球をぽむぽむと押し当てられるが、無視を決め込む。
「先に寝てもよかったのですよ」
「夜更かし寝不足悪魔にはいわれたくない」
「夜のゲームは欠かせませんよ」
「今日のゲームは?」
「きゅんきゅんむーん」
聞かなかったことにした。
雪花の冷めた視線を無視し、メフィストは今日遊んだゲームを長々と語る。登場人物の見た目は愛らしいが月の住人が生まれ変わりで、前世の記憶と因縁に悩まされる壮大なRPGらしく、やりこみが必要だと話す。メフィストはまだまだ語るが、はいはいと聞き流す。
いつもの犬の姿に癒されながら、学校で読んだ物語を思い出す。日本最古の文学作品で、誰でも読んだことがある物語だ。育ての親、求める人々のなすすべも無く姫が元の世界へ帰らされるしまう落ちだ。
一方的に語るメフィストの声を聞けば大抵は眠りにつくはずだが、今日はやけに頭が冴えている。眠いはずなのに寝れない。メフィストの長いゲーム感想のせいではない。
時計を見るとメフィストがベッドに入ってから、三十分が過ぎた。眠気はあるが、眠ることが出来ない。肉球を弄っていると、押し返される。
「寝れないのですか」
「あのオタク長文聞いて寝られるのは青狸くんのお友達くらいです」
ずっと話していたのは、話を聞いた相手が寝る前提だったらしい。子守歌のつもりであったなら、悪魔としての感性か、メフィスト本人の感性が特殊のどちらかだ。
少なくとも気を遣ってくれたので、メフィストの頭を撫でる。
「気にしないでください。メフィストはただでさえ寝てないんだから」
メフィストはベッドから出て犬の姿から人の姿へ変わる。くるりと周り、雪花に向けてうやうやしく右手を差し出す。
「では、ほんの少し私の道連れに付き合ってください」
差し出された手を取り、ベッドから下りる。
「付き添いなら」
「感謝いたします」
メフィストは雪花に向けて手を向け、3カウント唱える。
メフィストとお揃いの配色のワンピースに身に包まれた。帽子は小ぶりだが、飾りはメッフィーぬいぐるみ、うさぎ、濃いピンクと焦げ茶色のストライプ柄の大きなリボン。同じ柄のボタン、コルセット調のスカートはパニエでふわりと生地を盛り上げ、スカートの中が見えないようにガードされる。ブーツまで似たようなデザインだ。
メフィストは満足げに拍手する。
「いやあ、お似合いですよ」
「……ありがとうございます」
「本当ならハニハニシスターズの衣装を着て欲しかったのですが」
「却下」
素っ気ない言い回しをされてもにやける当たり、メフィストはにやにやと笑みを浮かべる。
バルコニーから出て、メフィストが指を鳴らす。
雪花の手元にはバスケットが握られ、中にはフルーツサンドやマカロン、パウンドケーキ、メッフィーの形のクッキー、マシュマロにビスケットを付けたシルクハット風の謎菓子まである。ティーセットもあればお茶会が出来そうだ。ちらっとメフィストを見るとどや顔でティーセットを浮かせていた。雪花がティーセットを見たのを確認すると直ぐに消した。
メフィストは恭しく手を差し出す。
「深夜の徘徊らしい服装になったことで参りましょうか」
「行き先は常識の範囲内でお願いします」
雪花も手を重ねる。
「失礼」
雪花を片手で抱えバルコニーから飛び降りた。
***
「ヨハン・ファウスト5世!」
「はい?」
ファウスト邸の屋根の上で家主を正座させ、仁王立ちで説教を始める。
「ここに来るために、バルコニーから下りる必要がありましたか?」
「バルコニーに鍵付いてないじゃありますんか。あのタイミングで部屋の扉まで行くのもロマンがありませんよ」
「下りてからしれっと玄関まで歩いて行くのがロマン」
「いやあ、愛らしい貴女が高いところ怖」
メフィストの頬を冷たいものが掠める。
「お茶会するか、雪達磨なるか選んでください」
「雪合戦にはまだ早いですよ」
メフィストが指を鳴らし、雪花もメフィストも浮遊する椅子に座る。ご丁寧に机も浮かんでいる。
「そうカッカッしてては寝れるものも寝れませんからね。怒り疲れて寝れるかも知れませんが」
霰一粒をメフィストの眉間に当てた。
紅茶の用意はお互いしつつ、雪花はメフィストと夜のティータイムを楽しむ。お互い特に話すことはしないが、雪花が次に食べるお菓子に迷うと指でお薦めを教えてくれたり、雪花もメフィストが食べてるお菓子に合う紅茶を煎れる。
「さて、そろそろ」
メフィストが指を鳴らし、いつもの犬の姿に変わる。更に雪花の元へ飛んできたので、慌てて受け止める。
「ちょっと。危ないですよ」
「落ちても、貴女なら足場も作るでしょ」
「……心臓に悪い」
見通されたか信頼してか期待してか、行動を読まれたのが歯痒い。兎に角顔を見せない為に、メフィストの頭の上に顎を乗せる。
「なんでこっちに座りに来たんです」
「食べさせてくれると期待しまして」
「その憑依体、早く虫歯になってください」
「虫歯の一つや二つ、何を今更」
前足で寄越せと要求してくる。催促する前足を握り、観念したことを伝え、バスケットからメッフィーの形のクッキーを取り出す。メフィストの口元に向ければ、彼は素直に口を開けて食べた。犬の姿なので、口元にはクッキーのかすが人間よりも付く。かすを払いながら、メフィストに問う。
「このお菓子を作ったのってウコバクですか?」
「ええ。気に入ったお菓子があれば、彼に伝えたください。喜ぶと思いますし、頼めば本格的なアフタヌーンティーセットも作ってくれるでしょう。今度お願いしますか?」
「お願いします。アフタヌーンティーもこの姿になってくれるんですよね」
「勿論、貴女の膝に乗せてくれるなら」
犬の姿に弱いことを知ってか、この姿の時は特にくっついてくる。尻尾を振り、喜んでいる。メフィストの真っ白い毛並みは似ていなくとも記憶が蘇る。
「………」
「どうしました?」
「……メフィスト」
「はい」
「……私はここにいていいんですよね?」
「勿論」人の姿に戻り、耳元で囁く。「“毎晩夜を共にする”。貴女との契約です」
お忘れではないでしょう?と、悪魔らしく口角をきつく上げて笑う。
雪花は立ち上がり、メフィストも少し後ずさりしつつ立つ。
「ねえ」
一歩、メフィストに対し、進む。
「私はいずれ虚無界に行くのですか?」
「それは私にも分かりません」
メフィストは静かに雪花を抱き締める。
「少なくともまだ私は退場するわけにはいきません。貴女がここにいる限り私は共にいましょう」
「虚無界でも会えますか」
「ええ」
ティーカップの中のミルクティーが凍る。揺れた波さえも、時を止めたかのように一瞬で凍った。雪花はそれに気付いていない。
「アイン。ツヴァイ。ドライ」
ゆっくり段階ごとに気持ちを落とすように指を鳴らし、雪花の意識を奪う。
虚無界であろうが、物質界だろうが変わりない。
かぐや姫ならば月の住人によって月の世界で帰らされるが、雪花は既に月の世界にいるようなものだ。
「とんだ道連れだ」
酷く大きい欠伸をし、ベッドに連れ込んだ。
