砂の城、看守の罪
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十数年前、クロコダイルがスクナ家の長女を連れてきた。
インペルダウンは七武海でも気軽に来れる場所ではない。クロコダイルがヤヒロを連れてこれたのは、ヤヒロの祖父の功績があってだ。能力者の能力の鎮静化、影響を抑える薬を開発した
マゼランに限らず、ありとあらゆる能力者からの攻撃の治療を行ってきた。
過去にも見たことがある長女の瞳は虚ろで、心を閉ざしている。
「クロコダイル、お前!」
「分かっている。だが、これはお前くらいしか出来ねえ。マゼラン」
クロコダイルは抱えた少女をマゼランに渡す。マゼランは自身の毒性を危惧し、受け入れるのを断る。
「このガキはちょっとやそっとの毒じゃ効かねえ。今くらいのお前がこいつを抱いても問題ねえさ」
クロコダイルから事前に申請されたものは、マゼランが少女ヤヒロの後見人になるということだ。断られることを視野に入れてない彼の行動に腹が立つが、ヤヒロの存在も無下にできない。
ヤヒロを抱えながらLEVEL4の居住区まで案内する。クロコダイルには両手に枷を付けられ、コートを脱いだ状態でついてきてもらう。
道中、囚人たちがマゼランの能力と難点のからかい、出せと怒号し、拷問の悲鳴が聞こえる。聞こえている間はヤヒロの耳を塞がせ聞こえないようにした。今だけ塞いだところで、ここで暮らすことになるなら聞き慣れることになる。共に暮らす不安はあるが、幼い身でマゼランの毒に耐えられるというのであれば大丈夫と思いたい。
来賓室に入り、ヤヒロに語りかける。
「君の家系は優秀な医者だと聞く。君はまだ幼いが優秀だと聞いた。私の毒の調査もやってくれるかね」
行く途中の説明に一切答えなかったヤヒロが微かに頷く。
「ああ、彼が連れてきてくれたんだ。君もお礼をお礼を言うといい」
振り向き、連れてきたクロコダイルを紹介する。
ヤヒロの目からぽたりぽたりと落ちる。
「わにさん……、貴方が、……貴方が私の両親を殺したの……?」
「……あァ」
彼はそっぽを向いて答えた。
ヤヒロを部屋で休ませると、クロコダイルが待機する部屋に向かう。彼はふてぶてしくも煙草をふかしている。
「貴様、先程言っていたのは本当か?」
「だったらどうする。俺ァここに入ることはしちゃあいねえぜ。あいつの親を殺したことも誰にも知られちゃいねえ」
「ならばなぜ俺に話す」
「お前だけで俺に何が出来る。ただの看守が出来るのは来た犯罪者を囲むことだろう。それよりも、交渉だ」
「なに?」
「あのガキは医者の娘でな、あの幼さでも充分なほど知識がある。元より、それを推薦してここ連れてきたんだが、お前の毒の解析が桁違いに優れている。側に置いてお前さんは損はしないだろう。既に解析したものがある。そいつは後で見ると良い」
「お前の要求はなんだ」
「……そいつの面倒さえ見てくれりゃあいい。もし、そいつがこの俺を刺し殺したいとでも言ってきたら会わせてやれ。殺されはしないが相手にはなる。なに、悪いガギじゃねえさ」
「……」
「今あのガキの敵から守れるのはお前だと踏んでる。生憎、俺の回りは敵しかいねえからな」
ヤヒロの両親が殺されてから、彼女の出自を調べた。曾祖父は新世界のワノ国の出身。祖父母は高度な医療科学に長けており、両親は父は薬学、母は外科と医者の一族だ。
現在一族は新世界の別の地方に実家を移し暮らしている。
何故、クロコダイルはマゼランに預けたのだろうか。
「まぜらんさん?」
「ん?すまない、起こしてしまったか」
寝室にヤヒロが入ってきた。眠い目をこすり、躓く。寸でのところでマゼランの掌でヤヒロを受け止めた。
「パパとママとわにさん、いないの?」
ヤヒロの言葉に心が痛む。夢の中で彼らと会っていたのだろう。
「今はみんなでかけているからね」
「でも、わにさんはいたよ………わにさん……」
ヤヒロの瞳から涙が溢れ、呼吸が乱れる。すぐに医療班を呼ぶ。トラウマにより精神的な不安定に陥り、過呼吸に陥っているとのことだ。
命には関わらないが、心が傷だらけになっているのだ。
マゼランにすがり、ヤヒロは過呼吸に、トラウマに苦しめられている。
十秒ほどゆっくり息を吐かせて呼吸していけば治まる。そう説明されて、優しく頭と背中を撫でる。
「……わ…に……さ……わに………さん」
「安心しなさい。私ならいる。わにさんがいない代わりに私がいるんだ」
手のひらに乗るほどの小さい少女の背中を撫でる。
「わにさん………なんで……なんでなの……?」
泣くヤヒロを宥めて、寝かし付ける。
寝室で一人考える。クロコダイルがヤヒロの両親を殺したのは本人が言う通りなのだろう。何故、ヤヒロは殺されなかったのだ。
ただ分かるのは、ヤヒロの敵から守るべく自分に託された、それだけだった。
ヤヒロがインペルダウンに来てから、月に一度差出人不明の荷物が届くようになった。荷物そのものは多くない。本一冊、ペン一本。その中に鰐の形をしたヘアクリップが届いた。ヤヒロは喜んでつけたが、マゼランは差出人がクロコダイルだと確信した。鰐にまつわるものはそれっきりで、他はその辺の少女が好きそうな物が送られていた。
「マーちゃん!マーちゃん!また届いた!」
「おお、そうか。何が届いたんだい?」
「メッセージカード!でも“dear yahiro”とだけで中身がないの」
「不思議なものだな」
今月はヤヒロの誕生日だ。
「ヤヒロは何が欲しいかね?」
うーんと唸りながら考えるヤヒロはそこらの子と変わらないようになった。
「マーちゃんが育てたお花が欲しい」
「なに?」
「マーちゃんは私くらいのころから“毒人間”だから花も育てたくても育てられないって言っていたじゃない。私なら毒に強いから、それで毒に強いお花を作ればいいの」
「あれだけ毒に強いお前が風邪を引くなんてな」
「パパの昇進のお祝いしたかったのに」
「お祝いは後でも出来る。まだ私が看てやれる状態でよかったよ」
「最初は風邪引いたときは、隔離されてパパが寂しがって泣いてたもんね」
マゼランは苦笑いする。
「いくらヤヒロが毒に強くても具合が悪い時だと免疫力も低下するものだ……。本当に心配したんだぞ。ほら、今月もいつものが届いた」
マゼランはラッピングされた小さな箱を渡す。中身はブリザードフラワーにされた薔薇の花束だ。
「お花の数が九つだ。不思議。送り主が分かればお返しが出来るのに……。パパも分からないんだよね」
「そうだな……」
誰が贈ってきているのかも、彼がどこにいるのかも知っている。
ヤヒロの心に傷を付けたものであり、助けるためにマゼランの元に送り届けた彼をヤヒロは受け止められるだろうか。
迷った挙句、結局彼の存在を明かすことはしなかった。
「父様、……最近は何か届いてない?……そう……。そう、聞いてください!この間の獄卒獣の暴動、なんとかなりそうなんです。鎮静効果と麻痺毒の配合が上手く行きそうで、もしまた獄卒獣やブルゴリ達に困ったら言ってくださいね。一緒に遊んでくれるのはいいんですけど、元気すぎるのは困ります。囚人たちにも遠慮はしませんよ」
勢いよく署長室に来たヤヒロの勢いにあっけにとられる。子犬のようにはしゃぎ、猫のようにのんびりと、よくぞ育ってくれたものだ。
「父様、外に行きませんか?本日の業務は終わったのでしょう?」
ヤヒロはマゼランの手を握り、連れ出す。直接触れられるのは彼女だけなのは既に知っていても、心のどこかで不安になる。握り返す力を弱めて離そうとするが、彼女はしっかりと握っているので離すに離れられない。
「お、おい」
「私も終わったところなので、付き合ってください」
署長室からマゼランを連れ出したヤヒロはどんどん上階に上がる。監獄署長を素手で連れ出す姿は囚人にも見慣れたもので、通り過ぎるときに揶揄される。ヤヒロの死角でしれっと軽い毒の呼気を吐いて懲らしめた。
ヤヒロとマゼランはついに一階にまで着いた。ヤヒロはさらに進み、ついにインペルダウンの出入り口に着いた。道中、ヤヒロは扉を開けて行った。
扉を開けた外は夜になっており、満天の星が輝いている。昼間のかすみかかった海面も今は冷えた空気で澄んでいる。
「ヤヒロ」
「開門許可は時間と共に先日時間厳守で申請したのを受理してくださったじゃないですか」
ヤヒロは手に持ったバスケットから敷布と座布団を置いて、マゼランを座らせる。更に保温容器からスープをカップに注ぎ、フグに刺身が入ったパックを取り出す。
始業前にヤヒロが厨房で何か話し込んでいたのが見えたが、そういうことか。
「ピクニックにするなら昼間のほうがいいだろう」
「昼間だったら警備の都合で許可を下ろせなかったでしょ」
全くもってその通りで反論されて、言葉に詰まる。同じ一階でも警備棟の広間だったらまだ昼間の許可は下ろせた。よりにもよって、唯一の出入り口を開門させ、この監獄署長を連れ込もうとする。こんなことが出来るのは彼女だけだろう。
自分も娘には甘いなと反省する。このことが食堂の職員に何も言われてないのを見ると、微笑ましく見られている。
「それに、父様は夜の方が落ち着くでしょう?インペルダウンの暗さとは異なる静けさですが、私はこの暗さと静けさも好きです」
ヤヒロはブーツを脱いで足を海水に浸けた。ぎょっとして思わずヤヒロの足を掴んで引き上げた。
「この下になにがいるか分からないお前じゃないだろう」
「このくらいなら平気ですよ。夜に活動する海王類も人の二本の為だけに来ませんって。前にした時も嚙まれなかったですしね」
「この間の申請はそういう意味だったのか……」
がっくりと肩を落とし脱力する。念入りに調べてくるところはヤヒロのいいところではあるが、かなりの危険行為に頭が、いや腹が痛くなりそうだ。
ヤヒロはマゼランの様子を気にせずにフグの刺身を食べる。彼女も毒に慣れており、マゼランの好物も平気で食べられる。
気が付けばまたヤヒロは足を海水に浸けている。ぴちゃぴちゃと遊んでいる。
マゼランは靴の足先でさえ海水につけたりはしない。能力者だから足を海につけないのではない。下手をすればこの海域にいる海王類を毒で殺さないか危惧しているのだ。
ヤヒロのように気軽に足を海水につけらえたのはいつだったか。
ぴちゃぴちゃと波打つ海と星空を眺めながら、スープを飲む。
「外の海はもっと綺麗だそうです」
足をばたつかせるのを止め、ヤヒロがぽつりと零した。
「そうか、ここよりもか」
「綺麗でしたよ。随分前ですけどね」
ヤヒロの手がぎゅっと握るのが見えた。彼女が両親といた頃から何年も経過している。両親のことを思い出しても泣くようなことはあまりないが、幸せな記憶も思い出すのが辛くなることがあるのだろう。
マゼランはヤヒロを抱え、膝に乗せる。ヤヒロは慌てて降りようとするが、マゼランが肩を添える。
「父様!私これでも大きくなったんですよ!」
「私から見ればまだ小さい」
むすっとむくれた顔を浮かべたヤヒロはやや乱暴に背中を預けた。
腹に当たるぬくもりとかわいい顔に癒されながら、星と御飯を楽しむ。
ヤヒロの肩を抱いて大きさを実感する。小さいとは言ったが最初に会った頃に比べれば大きくなったものだ。
「父様」
「どうした」
「いつか…、いつか一緒に海に行きませんか?夜の海辺は綺麗なんです。昼間のようなギラギラキラキラとしたものではなく、今のような静けさは父様も気に入ると思うんです」
優しく微笑みながらヤヒロは話す。
「遠い昔、ワノ国の北の端の実家に行ったことがあるんです。寒いところでしたが、晴れた空と舞い散る雪が海に反射した光景がとても綺麗でした。いつか一緒に……」
「いつか、な」
マゼランの仕事上、何より能力者である限り死ぬまでここを離れることはないだろう。
花に水を与える以上に叶うことのない、望みに近い約束をした。
年月を重ねるごとに届く間隔が広がり、年に一回だけのときもあった。それでも誕生月だけは届くのだ。
ヤヒロはインペルダウンの仕事を手伝うようになった。最初は遊び感覚で獄卒獣達との戯れから、戦闘訓練までこなす。基本的な立ち位置は医者だが、薬品の散布が可能であればLEVEL3の囚人の鎮圧も可能になった。
ありとあらゆる毒を用いて囚人、獄卒獣たちを制圧することから“小マゼラン”と呼ばれるようになる。父の名を冠する渾名にヤヒロは申し訳なさそうな顔をしたが、マゼランにとってはこそばゆかった。
地方の警備の指南のためにヤヒロは遠方に出張するようになる。帰ってきたときはマゼランに抱きついてくるのが定番となっている。その光景に副署長のハンニャバルが署長への願望と共にからかい、マゼランが毒のため息を吐いて懲らしめるのもまた馴染みの行動だ。
インペルダウンにある囚人が収監された。犯罪組織“バロックワークス”の構成員の一人だ。末端の犯罪者なのでLEVEL1に収監された。そこからだろうか。ヤヒロの様子がなにか落ち着きなくなったのは。
「父様………マゼラン監獄署長、お話があります」
ヤヒロから、アラバスタで医師の不足があることから手伝いに行きたいと頼まれる。
丁度、アラバスタにいる王家七武海から、医療技術の発達の為にヤヒロが要請された。あまりのタイミングの良さに、クロコダイルの姿が浮かぶ。
ヤヒロを止めたいが、アラバスタの医師不足は聞いている。悩みに悩み、七武海からの申請を許可してしまった。
ヤヒロがアラバスタに向かってから、インペルダウンにはヤヒロ宛の荷物は一切来なくなった。
長くいる職員からは同じように寂しがってくれる者もいた。任期は四年。あの海賊から預けられた期間の何分の一だ。
「署長、最近下痢が酷くなってませんか?私を署長にして、休んでもいいなじゃないですか」
「バカな部下にやすやすと明け渡すわけがなかろう。馬鹿者め」
実際、ヤヒロがいなくなってから下痢の頻度が増えたのは自覚している。下痢の頻度が少ない時は大抵ヤヒロから手紙が届いた時だ。
ヤヒロは手紙で近況を教えてくれる。だんだんとアラバスタで反乱が起きていることも。私には止めることは出来ないが、怪我をした人がいるならやるしかないのだと。
任期が近いことから、任期満了までいることを許可したが、マゼランの内心は早く無事に帰ってきてほしいことだった。その願いは叶えられた。
反乱は終わった。
アラバスタの反乱の原因はクロコダイルだと判明したのだ。この情報は秘匿され、知る者は多くない。
バロックワークスの社員が潜伏していた社員によって脱走された。警備の甘さか、それともバロックワークスの社員が狡猾だったのか。いずれにせよ、バロックワークスの社員の何人かは脱走させられてしまった。クロコダイルは煙草をふかしながら、その場に留まった。
インペルダウンに収監されて、十数年ぶりの再開に怒りで震える。所詮はこいつも海賊。このインペルダウンにいる以上、マゼランの権限で処分することを許可されている。ヤヒロの人生を狂わせた男に毒を吐きそうになるが、必死に怒りを抑える。感情に任せるままにむやみやたらに殺してはあの娯楽感覚で殺してきたシリュウと変わらない。
マゼランの心なぞ興味もなさそうに、クロコダイルはマゼラン含む所員を一別し、なにも言わずに檻に入っていった。
クロコダイルがインペルダウンに収監されて、少し後にヤヒロが帰ってきた。船から降りたヤヒロは今にも泣きそうな顔で、マゼランを見つめた。
マゼランは微笑んで迎える。
「父様……」
「ああ、おかえり」
抱き上げ、頬擦りする。
「こんな長旅だ。疲れただろう。まずは休みなさい」
ヤヒロを彼女の自室に連れて行こうとすると、海軍の一人が呼び止めた。
「マゼラン監獄署長、よろしいでしょうか」
説明を聞くと、戻ってきたヤヒロに対し海軍がバロックワークスとの繋がりを疑ってきた。事前に話は書類で知っていた。
書類はヤヒロが帰ってくる前に届いた。書類を見たときは怒りでインペルダウンを浸蝕しかけた。
吹き出しそうになる毒を抑え、手続きを行った。また会えて、すぐに引き離される。
血の繋がりこそない娘だが疑いを持たれ、マゼランは怒りを覚える。反抗しかけるマゼランをヤヒロが止める。
「と……、マゼラン監獄署長、お待ちください。海軍から疑われるのも道理です。………父様、大丈夫。しばらく、薬を作る暇はないかと思いますが、もう少しお待ちください」
見送る前にヤヒロから大きなトランクを渡される。
「父様、戻るまでこの荷物を預かってもらえませんか?……とても、大事なものなんです」
ヤヒロがインペルダウンに戻ってこれたのはひと月経過してからだった。
数ヶ月経過して、インペルダウンも元の騒がしい囚人たちだけの比較的静かな状態に戻った。ヤヒロとバロックワークスとの繋がりの疑惑が解けて、ほっとするマゼランだが、ヤヒロはほんの少し大人しくなった。笑みに陰りが見えたのだ。
ヤヒロの仕事の一つである能力者の身体調査と血液採取では、クロコダイルも例外ではない。ただ、彼に関してはマゼランが故意に後回しにさせた。ヤヒロとクロコダイルの、バロックワークスとの関係を疑うようなことは言われていないとはいえ、これまでずっと延期にしてきた。
受け持つ能力者リストを見ては、ヤヒロは肩を落としてきた。
黒ひげが白ひげ海賊団のエースを捉えたと聞く。エースはインペルダウンに一時的に捕らえられた後に処刑され、みせしめにされるという。
エースは白ひげ海賊団2番隊隊長であり、処刑は白ひげを誘き出すための餌と誰も彼も言っている。いつ白ひげが出るのか、あの囚人どもも看守たちも落ち着きが無くなってる。
マゼランはこれを好機だと捉えた。
「ヤヒロ」
愛娘に能力者の身体調査のリストを渡す。書き直されたばかりのもので、内容はマゼランとヤヒロにしか分からない。
今やインペルダウンはエースと白ひげの話題でもちきりになっている。仕事とはいえ、ヤヒロがクロコダイルの元に行くことを気にするものはいないだろう。
受け取ったヤヒロは伊達眼鏡の奥で目を輝かせた。瞬きをするといつも落ち着きを取り戻した。
「父様」
ヤヒロがマゼランをまっすぐ見て、マゼランは頷く。
「今やアラバスタでの関係をとやかく言う者はいないだろう。指定された時間のうちに行くといい。だが、充分注意しなさい」
見つめるヤヒロの顔を見て確信した。
十数年前の幼い恋心も持ったまま彼に会ったのだろう。
(クロコダイルに恋しているのだな)
エースの公開処刑で今日は忙しい。エースの収監からマリンフォードへの移送の手続きに、急に来たボア・ハンコックのエースの面会希望までしなくてはならない。
インペルダウンで侵入者が現れる。LEVEL2でモンキー・D・ルフィの侵入、バギーの脱獄が確認された。
先の侵入の知らせからしばらくして、LEVEL2の囚人が解放された。
マゼランの耳に入ったはずの侵入の情報はボア・ハンコックの美しさで吹き飛び、案内を先にさせた。
マゼランはボア・ハンコックをLEVEL6に案内し、帰らせた。
LEVEL2が囚人から解放され、暴動が起きている。囚人たちは看守達に任せ、マゼラン達はルフィを迎え撃つ為にLEVEL3の入口で待ち構える。
ルフィは既にLEVEL4に侵入されたと聞く。看守を向かわせるが歯が立たない。
(俺がやらねばならないか)
LEVEL4の階下でルフィの姿を観測する。
「ちょこまかと動きおって。ここまでだ鼠ども!」
毒竜(ヒドラ)を放ち追い詰め、毒ガス弾(クロロボール)で視界をと動きを遮る。毒フグを散布し足場を狭めていく。毒・雲(ドクグモ)で完全に麦わらを封じた。
侵入者らしいしぶとさに手間を掛けた。
ルフィは立ち上がる。しぶとさに苛立ち、立ち上がるルフィを殴り倒す。
なおも立ち上がり、新たな技で対抗をする姿に毒竜(ヒドラ)でとどめを刺す。ルフィは幾重もの毒に冒される。
ルフィはLEVEL5に放り込ませる処理を指示する。
逃げ遅れた看守達は医療班に連れて行き、ヤヒロに治療してもらう。朝ぶりに見た彼女は、気のせいか元気になったように見えた。
「すまないな。クロコダイルやエースの能力の解析に忙しくなるというのに」
「平気です。ようやく活躍出来そうですから、がんばります。父様こそ怪我をしていませんでしたか?」
ヤヒロがマゼランの腹部に触れる。
「平気だ。あとでまた狭くて暗いところに行きたいがね」
「……それとですが」
心配そうな顔で視線を動かす。
「彼は……治療しなくていいのですか?」
ヤヒロはそりに乗せられたルフィを見る。ヤヒロならば可能かもしれない、だがもう生かしておくにはいかない存在だ。
「指示は聞いただろう?やつはLVEL5に運び放り込ませる。それにあそこまで毒を重複していたらお前でも治療は難しいだろう」
「……分かりました」
LEVEL4に向かうと、看守とハンニャバル全員が倒れ伏している。看守によると、元バロックワークス社の一人でLEVEL3の囚人がハンニャバル達を倒し、逃げたという。LEVEL2の暴動は落ち着いた為、兵力をLEVEL3へ寄せるように指示をする。サディに指示を任せる。なんにせよこの混乱の原因たる麦わらのルフィは時期に死ぬ。監獄も元に戻るだろう。
毒の能力を使いすぎてトイレに籠る。
トイレの中で深くため息をつく。
LEVEL2の囚人が出てきたときは内心焦った。ただの囚人だけならば看守たち、ブルゴリ達で追い立てればなんとか出来る。
マゼランがただ一人なんとしても檻の中に閉じ込めておきたい人物がいる。ヤヒロには彼がいることを知られてはならない。
時間は午前零時を回っているが署長室に戻る。書きかけの書類を見ていると、看守の一人が入り、LEVEL5に投獄したはずのルフィが失踪している報告を受ける。
鬼の袖引きが起きたわけでもあるまい。ありえるとすれば、未だ見つかっていないあのLEVEL3の囚人が救いに来たとも考えられる。ルフィと分かれた者はマゼランからの攻撃の脅威を必死に説いていた。
「マゼラン署長、如何しましょう」
「うむ、まず警備を怠らず、何かあれ直ぐに俺を起こせ。仮にあの檻から出られたとしても、あの毒ではそう長くは生きられない。俺は休む」
マゼランは自室に籠る前に再びトイレに行く。平時でも下痢に悩まされている中で、能力を使うと特に頻度が増える。
「うう、お腹がいたい……」
トイレから出るとヤヒロが待っていた。
「ああ、ヤヒロか」
「父様、今日はこちらの薬を飲んでくださいね。能力の影響でまだ腸内はストレス下に置かれてますから」
「ああ、ありがとう」
薬の入った紙袋を受け取る。受け取った後もヤヒロは手渡した手の形で止める。
「どうした?」
「あの、……父様。今日は寝るまで付き添ってもいいですか?」
就寝の用意を整え、ヤヒロを迎える。彼女も寝間着に着替えている。
「まさか、一緒に寝ようとかではないだろうな」
「違いますよ」
予想を超える冷ややかな声音にマゼランは凹む。マゼランの様子を気にせず、ヤヒロはベッドから枕を取り、そこに座る。膝に持参したブランケットを掛けた。
「まあでも、膝枕も添い寝みたいなものですかね。はい、どうぞ」
「寝られるか」
視線が寝ないと出て行かないぞと言っている。根負けして、ヤヒロの膝に頭を乗せた。
「固かったら言ってくださいね」
「そんなことはない」
言葉を選びに選んで毒のある言い方になってしまう。ヤヒロは気にせず、アロマキャンドルを焚く。
「……ヤヒロ、能力者の毒の解析はどうだ?」
「え?……そうですね、クロコダイルの分もエースの分も補完はしただけで解析は後になります。今日は色んなことが起きたので調べるの“し”も出来ませんでしたからね」
彼の名前を呼ぶ瞬間に口元がほころぶのが見えた。ヤヒロ本人も気付いていないのだろう。
「明日は捜索中の囚人が見るかるといいですね」
マゼランの瞼の上に手を乗せて、優しくなでる。
「出来れば麦わらのルフィの死体も見つかって欲しいものだな……、怪談で済ませられるものではないのだから……」
「父様はゆっくり休んでくださいね」
「ああ……」
***
父の寝息が聞こえた。
「おやすみなさい、父様」
そっと頭に枕を当てて、部屋を出る。
ヤヒロは看守の誰も知らない抜け道に入った。
インペルダウンは七武海でも気軽に来れる場所ではない。クロコダイルがヤヒロを連れてこれたのは、ヤヒロの祖父の功績があってだ。能力者の能力の鎮静化、影響を抑える薬を開発した
マゼランに限らず、ありとあらゆる能力者からの攻撃の治療を行ってきた。
過去にも見たことがある長女の瞳は虚ろで、心を閉ざしている。
「クロコダイル、お前!」
「分かっている。だが、これはお前くらいしか出来ねえ。マゼラン」
クロコダイルは抱えた少女をマゼランに渡す。マゼランは自身の毒性を危惧し、受け入れるのを断る。
「このガキはちょっとやそっとの毒じゃ効かねえ。今くらいのお前がこいつを抱いても問題ねえさ」
クロコダイルから事前に申請されたものは、マゼランが少女ヤヒロの後見人になるということだ。断られることを視野に入れてない彼の行動に腹が立つが、ヤヒロの存在も無下にできない。
ヤヒロを抱えながらLEVEL4の居住区まで案内する。クロコダイルには両手に枷を付けられ、コートを脱いだ状態でついてきてもらう。
道中、囚人たちがマゼランの能力と難点のからかい、出せと怒号し、拷問の悲鳴が聞こえる。聞こえている間はヤヒロの耳を塞がせ聞こえないようにした。今だけ塞いだところで、ここで暮らすことになるなら聞き慣れることになる。共に暮らす不安はあるが、幼い身でマゼランの毒に耐えられるというのであれば大丈夫と思いたい。
来賓室に入り、ヤヒロに語りかける。
「君の家系は優秀な医者だと聞く。君はまだ幼いが優秀だと聞いた。私の毒の調査もやってくれるかね」
行く途中の説明に一切答えなかったヤヒロが微かに頷く。
「ああ、彼が連れてきてくれたんだ。君もお礼をお礼を言うといい」
振り向き、連れてきたクロコダイルを紹介する。
ヤヒロの目からぽたりぽたりと落ちる。
「わにさん……、貴方が、……貴方が私の両親を殺したの……?」
「……あァ」
彼はそっぽを向いて答えた。
ヤヒロを部屋で休ませると、クロコダイルが待機する部屋に向かう。彼はふてぶてしくも煙草をふかしている。
「貴様、先程言っていたのは本当か?」
「だったらどうする。俺ァここに入ることはしちゃあいねえぜ。あいつの親を殺したことも誰にも知られちゃいねえ」
「ならばなぜ俺に話す」
「お前だけで俺に何が出来る。ただの看守が出来るのは来た犯罪者を囲むことだろう。それよりも、交渉だ」
「なに?」
「あのガキは医者の娘でな、あの幼さでも充分なほど知識がある。元より、それを推薦してここ連れてきたんだが、お前の毒の解析が桁違いに優れている。側に置いてお前さんは損はしないだろう。既に解析したものがある。そいつは後で見ると良い」
「お前の要求はなんだ」
「……そいつの面倒さえ見てくれりゃあいい。もし、そいつがこの俺を刺し殺したいとでも言ってきたら会わせてやれ。殺されはしないが相手にはなる。なに、悪いガギじゃねえさ」
「……」
「今あのガキの敵から守れるのはお前だと踏んでる。生憎、俺の回りは敵しかいねえからな」
ヤヒロの両親が殺されてから、彼女の出自を調べた。曾祖父は新世界のワノ国の出身。祖父母は高度な医療科学に長けており、両親は父は薬学、母は外科と医者の一族だ。
現在一族は新世界の別の地方に実家を移し暮らしている。
何故、クロコダイルはマゼランに預けたのだろうか。
「まぜらんさん?」
「ん?すまない、起こしてしまったか」
寝室にヤヒロが入ってきた。眠い目をこすり、躓く。寸でのところでマゼランの掌でヤヒロを受け止めた。
「パパとママとわにさん、いないの?」
ヤヒロの言葉に心が痛む。夢の中で彼らと会っていたのだろう。
「今はみんなでかけているからね」
「でも、わにさんはいたよ………わにさん……」
ヤヒロの瞳から涙が溢れ、呼吸が乱れる。すぐに医療班を呼ぶ。トラウマにより精神的な不安定に陥り、過呼吸に陥っているとのことだ。
命には関わらないが、心が傷だらけになっているのだ。
マゼランにすがり、ヤヒロは過呼吸に、トラウマに苦しめられている。
十秒ほどゆっくり息を吐かせて呼吸していけば治まる。そう説明されて、優しく頭と背中を撫でる。
「……わ…に……さ……わに………さん」
「安心しなさい。私ならいる。わにさんがいない代わりに私がいるんだ」
手のひらに乗るほどの小さい少女の背中を撫でる。
「わにさん………なんで……なんでなの……?」
泣くヤヒロを宥めて、寝かし付ける。
寝室で一人考える。クロコダイルがヤヒロの両親を殺したのは本人が言う通りなのだろう。何故、ヤヒロは殺されなかったのだ。
ただ分かるのは、ヤヒロの敵から守るべく自分に託された、それだけだった。
ヤヒロがインペルダウンに来てから、月に一度差出人不明の荷物が届くようになった。荷物そのものは多くない。本一冊、ペン一本。その中に鰐の形をしたヘアクリップが届いた。ヤヒロは喜んでつけたが、マゼランは差出人がクロコダイルだと確信した。鰐にまつわるものはそれっきりで、他はその辺の少女が好きそうな物が送られていた。
「マーちゃん!マーちゃん!また届いた!」
「おお、そうか。何が届いたんだい?」
「メッセージカード!でも“dear yahiro”とだけで中身がないの」
「不思議なものだな」
今月はヤヒロの誕生日だ。
「ヤヒロは何が欲しいかね?」
うーんと唸りながら考えるヤヒロはそこらの子と変わらないようになった。
「マーちゃんが育てたお花が欲しい」
「なに?」
「マーちゃんは私くらいのころから“毒人間”だから花も育てたくても育てられないって言っていたじゃない。私なら毒に強いから、それで毒に強いお花を作ればいいの」
「あれだけ毒に強いお前が風邪を引くなんてな」
「パパの昇進のお祝いしたかったのに」
「お祝いは後でも出来る。まだ私が看てやれる状態でよかったよ」
「最初は風邪引いたときは、隔離されてパパが寂しがって泣いてたもんね」
マゼランは苦笑いする。
「いくらヤヒロが毒に強くても具合が悪い時だと免疫力も低下するものだ……。本当に心配したんだぞ。ほら、今月もいつものが届いた」
マゼランはラッピングされた小さな箱を渡す。中身はブリザードフラワーにされた薔薇の花束だ。
「お花の数が九つだ。不思議。送り主が分かればお返しが出来るのに……。パパも分からないんだよね」
「そうだな……」
誰が贈ってきているのかも、彼がどこにいるのかも知っている。
ヤヒロの心に傷を付けたものであり、助けるためにマゼランの元に送り届けた彼をヤヒロは受け止められるだろうか。
迷った挙句、結局彼の存在を明かすことはしなかった。
「父様、……最近は何か届いてない?……そう……。そう、聞いてください!この間の獄卒獣の暴動、なんとかなりそうなんです。鎮静効果と麻痺毒の配合が上手く行きそうで、もしまた獄卒獣やブルゴリ達に困ったら言ってくださいね。一緒に遊んでくれるのはいいんですけど、元気すぎるのは困ります。囚人たちにも遠慮はしませんよ」
勢いよく署長室に来たヤヒロの勢いにあっけにとられる。子犬のようにはしゃぎ、猫のようにのんびりと、よくぞ育ってくれたものだ。
「父様、外に行きませんか?本日の業務は終わったのでしょう?」
ヤヒロはマゼランの手を握り、連れ出す。直接触れられるのは彼女だけなのは既に知っていても、心のどこかで不安になる。握り返す力を弱めて離そうとするが、彼女はしっかりと握っているので離すに離れられない。
「お、おい」
「私も終わったところなので、付き合ってください」
署長室からマゼランを連れ出したヤヒロはどんどん上階に上がる。監獄署長を素手で連れ出す姿は囚人にも見慣れたもので、通り過ぎるときに揶揄される。ヤヒロの死角でしれっと軽い毒の呼気を吐いて懲らしめた。
ヤヒロとマゼランはついに一階にまで着いた。ヤヒロはさらに進み、ついにインペルダウンの出入り口に着いた。道中、ヤヒロは扉を開けて行った。
扉を開けた外は夜になっており、満天の星が輝いている。昼間のかすみかかった海面も今は冷えた空気で澄んでいる。
「ヤヒロ」
「開門許可は時間と共に先日時間厳守で申請したのを受理してくださったじゃないですか」
ヤヒロは手に持ったバスケットから敷布と座布団を置いて、マゼランを座らせる。更に保温容器からスープをカップに注ぎ、フグに刺身が入ったパックを取り出す。
始業前にヤヒロが厨房で何か話し込んでいたのが見えたが、そういうことか。
「ピクニックにするなら昼間のほうがいいだろう」
「昼間だったら警備の都合で許可を下ろせなかったでしょ」
全くもってその通りで反論されて、言葉に詰まる。同じ一階でも警備棟の広間だったらまだ昼間の許可は下ろせた。よりにもよって、唯一の出入り口を開門させ、この監獄署長を連れ込もうとする。こんなことが出来るのは彼女だけだろう。
自分も娘には甘いなと反省する。このことが食堂の職員に何も言われてないのを見ると、微笑ましく見られている。
「それに、父様は夜の方が落ち着くでしょう?インペルダウンの暗さとは異なる静けさですが、私はこの暗さと静けさも好きです」
ヤヒロはブーツを脱いで足を海水に浸けた。ぎょっとして思わずヤヒロの足を掴んで引き上げた。
「この下になにがいるか分からないお前じゃないだろう」
「このくらいなら平気ですよ。夜に活動する海王類も人の二本の為だけに来ませんって。前にした時も嚙まれなかったですしね」
「この間の申請はそういう意味だったのか……」
がっくりと肩を落とし脱力する。念入りに調べてくるところはヤヒロのいいところではあるが、かなりの危険行為に頭が、いや腹が痛くなりそうだ。
ヤヒロはマゼランの様子を気にせずにフグの刺身を食べる。彼女も毒に慣れており、マゼランの好物も平気で食べられる。
気が付けばまたヤヒロは足を海水に浸けている。ぴちゃぴちゃと遊んでいる。
マゼランは靴の足先でさえ海水につけたりはしない。能力者だから足を海につけないのではない。下手をすればこの海域にいる海王類を毒で殺さないか危惧しているのだ。
ヤヒロのように気軽に足を海水につけらえたのはいつだったか。
ぴちゃぴちゃと波打つ海と星空を眺めながら、スープを飲む。
「外の海はもっと綺麗だそうです」
足をばたつかせるのを止め、ヤヒロがぽつりと零した。
「そうか、ここよりもか」
「綺麗でしたよ。随分前ですけどね」
ヤヒロの手がぎゅっと握るのが見えた。彼女が両親といた頃から何年も経過している。両親のことを思い出しても泣くようなことはあまりないが、幸せな記憶も思い出すのが辛くなることがあるのだろう。
マゼランはヤヒロを抱え、膝に乗せる。ヤヒロは慌てて降りようとするが、マゼランが肩を添える。
「父様!私これでも大きくなったんですよ!」
「私から見ればまだ小さい」
むすっとむくれた顔を浮かべたヤヒロはやや乱暴に背中を預けた。
腹に当たるぬくもりとかわいい顔に癒されながら、星と御飯を楽しむ。
ヤヒロの肩を抱いて大きさを実感する。小さいとは言ったが最初に会った頃に比べれば大きくなったものだ。
「父様」
「どうした」
「いつか…、いつか一緒に海に行きませんか?夜の海辺は綺麗なんです。昼間のようなギラギラキラキラとしたものではなく、今のような静けさは父様も気に入ると思うんです」
優しく微笑みながらヤヒロは話す。
「遠い昔、ワノ国の北の端の実家に行ったことがあるんです。寒いところでしたが、晴れた空と舞い散る雪が海に反射した光景がとても綺麗でした。いつか一緒に……」
「いつか、な」
マゼランの仕事上、何より能力者である限り死ぬまでここを離れることはないだろう。
花に水を与える以上に叶うことのない、望みに近い約束をした。
年月を重ねるごとに届く間隔が広がり、年に一回だけのときもあった。それでも誕生月だけは届くのだ。
ヤヒロはインペルダウンの仕事を手伝うようになった。最初は遊び感覚で獄卒獣達との戯れから、戦闘訓練までこなす。基本的な立ち位置は医者だが、薬品の散布が可能であればLEVEL3の囚人の鎮圧も可能になった。
ありとあらゆる毒を用いて囚人、獄卒獣たちを制圧することから“小マゼラン”と呼ばれるようになる。父の名を冠する渾名にヤヒロは申し訳なさそうな顔をしたが、マゼランにとってはこそばゆかった。
地方の警備の指南のためにヤヒロは遠方に出張するようになる。帰ってきたときはマゼランに抱きついてくるのが定番となっている。その光景に副署長のハンニャバルが署長への願望と共にからかい、マゼランが毒のため息を吐いて懲らしめるのもまた馴染みの行動だ。
インペルダウンにある囚人が収監された。犯罪組織“バロックワークス”の構成員の一人だ。末端の犯罪者なのでLEVEL1に収監された。そこからだろうか。ヤヒロの様子がなにか落ち着きなくなったのは。
「父様………マゼラン監獄署長、お話があります」
ヤヒロから、アラバスタで医師の不足があることから手伝いに行きたいと頼まれる。
丁度、アラバスタにいる王家七武海から、医療技術の発達の為にヤヒロが要請された。あまりのタイミングの良さに、クロコダイルの姿が浮かぶ。
ヤヒロを止めたいが、アラバスタの医師不足は聞いている。悩みに悩み、七武海からの申請を許可してしまった。
ヤヒロがアラバスタに向かってから、インペルダウンにはヤヒロ宛の荷物は一切来なくなった。
長くいる職員からは同じように寂しがってくれる者もいた。任期は四年。あの海賊から預けられた期間の何分の一だ。
「署長、最近下痢が酷くなってませんか?私を署長にして、休んでもいいなじゃないですか」
「バカな部下にやすやすと明け渡すわけがなかろう。馬鹿者め」
実際、ヤヒロがいなくなってから下痢の頻度が増えたのは自覚している。下痢の頻度が少ない時は大抵ヤヒロから手紙が届いた時だ。
ヤヒロは手紙で近況を教えてくれる。だんだんとアラバスタで反乱が起きていることも。私には止めることは出来ないが、怪我をした人がいるならやるしかないのだと。
任期が近いことから、任期満了までいることを許可したが、マゼランの内心は早く無事に帰ってきてほしいことだった。その願いは叶えられた。
反乱は終わった。
アラバスタの反乱の原因はクロコダイルだと判明したのだ。この情報は秘匿され、知る者は多くない。
バロックワークスの社員が潜伏していた社員によって脱走された。警備の甘さか、それともバロックワークスの社員が狡猾だったのか。いずれにせよ、バロックワークスの社員の何人かは脱走させられてしまった。クロコダイルは煙草をふかしながら、その場に留まった。
インペルダウンに収監されて、十数年ぶりの再開に怒りで震える。所詮はこいつも海賊。このインペルダウンにいる以上、マゼランの権限で処分することを許可されている。ヤヒロの人生を狂わせた男に毒を吐きそうになるが、必死に怒りを抑える。感情に任せるままにむやみやたらに殺してはあの娯楽感覚で殺してきたシリュウと変わらない。
マゼランの心なぞ興味もなさそうに、クロコダイルはマゼラン含む所員を一別し、なにも言わずに檻に入っていった。
クロコダイルがインペルダウンに収監されて、少し後にヤヒロが帰ってきた。船から降りたヤヒロは今にも泣きそうな顔で、マゼランを見つめた。
マゼランは微笑んで迎える。
「父様……」
「ああ、おかえり」
抱き上げ、頬擦りする。
「こんな長旅だ。疲れただろう。まずは休みなさい」
ヤヒロを彼女の自室に連れて行こうとすると、海軍の一人が呼び止めた。
「マゼラン監獄署長、よろしいでしょうか」
説明を聞くと、戻ってきたヤヒロに対し海軍がバロックワークスとの繋がりを疑ってきた。事前に話は書類で知っていた。
書類はヤヒロが帰ってくる前に届いた。書類を見たときは怒りでインペルダウンを浸蝕しかけた。
吹き出しそうになる毒を抑え、手続きを行った。また会えて、すぐに引き離される。
血の繋がりこそない娘だが疑いを持たれ、マゼランは怒りを覚える。反抗しかけるマゼランをヤヒロが止める。
「と……、マゼラン監獄署長、お待ちください。海軍から疑われるのも道理です。………父様、大丈夫。しばらく、薬を作る暇はないかと思いますが、もう少しお待ちください」
見送る前にヤヒロから大きなトランクを渡される。
「父様、戻るまでこの荷物を預かってもらえませんか?……とても、大事なものなんです」
ヤヒロがインペルダウンに戻ってこれたのはひと月経過してからだった。
数ヶ月経過して、インペルダウンも元の騒がしい囚人たちだけの比較的静かな状態に戻った。ヤヒロとバロックワークスとの繋がりの疑惑が解けて、ほっとするマゼランだが、ヤヒロはほんの少し大人しくなった。笑みに陰りが見えたのだ。
ヤヒロの仕事の一つである能力者の身体調査と血液採取では、クロコダイルも例外ではない。ただ、彼に関してはマゼランが故意に後回しにさせた。ヤヒロとクロコダイルの、バロックワークスとの関係を疑うようなことは言われていないとはいえ、これまでずっと延期にしてきた。
受け持つ能力者リストを見ては、ヤヒロは肩を落としてきた。
黒ひげが白ひげ海賊団のエースを捉えたと聞く。エースはインペルダウンに一時的に捕らえられた後に処刑され、みせしめにされるという。
エースは白ひげ海賊団2番隊隊長であり、処刑は白ひげを誘き出すための餌と誰も彼も言っている。いつ白ひげが出るのか、あの囚人どもも看守たちも落ち着きが無くなってる。
マゼランはこれを好機だと捉えた。
「ヤヒロ」
愛娘に能力者の身体調査のリストを渡す。書き直されたばかりのもので、内容はマゼランとヤヒロにしか分からない。
今やインペルダウンはエースと白ひげの話題でもちきりになっている。仕事とはいえ、ヤヒロがクロコダイルの元に行くことを気にするものはいないだろう。
受け取ったヤヒロは伊達眼鏡の奥で目を輝かせた。瞬きをするといつも落ち着きを取り戻した。
「父様」
ヤヒロがマゼランをまっすぐ見て、マゼランは頷く。
「今やアラバスタでの関係をとやかく言う者はいないだろう。指定された時間のうちに行くといい。だが、充分注意しなさい」
見つめるヤヒロの顔を見て確信した。
十数年前の幼い恋心も持ったまま彼に会ったのだろう。
(クロコダイルに恋しているのだな)
エースの公開処刑で今日は忙しい。エースの収監からマリンフォードへの移送の手続きに、急に来たボア・ハンコックのエースの面会希望までしなくてはならない。
インペルダウンで侵入者が現れる。LEVEL2でモンキー・D・ルフィの侵入、バギーの脱獄が確認された。
先の侵入の知らせからしばらくして、LEVEL2の囚人が解放された。
マゼランの耳に入ったはずの侵入の情報はボア・ハンコックの美しさで吹き飛び、案内を先にさせた。
マゼランはボア・ハンコックをLEVEL6に案内し、帰らせた。
LEVEL2が囚人から解放され、暴動が起きている。囚人たちは看守達に任せ、マゼラン達はルフィを迎え撃つ為にLEVEL3の入口で待ち構える。
ルフィは既にLEVEL4に侵入されたと聞く。看守を向かわせるが歯が立たない。
(俺がやらねばならないか)
LEVEL4の階下でルフィの姿を観測する。
「ちょこまかと動きおって。ここまでだ鼠ども!」
毒竜(ヒドラ)を放ち追い詰め、毒ガス弾(クロロボール)で視界をと動きを遮る。毒フグを散布し足場を狭めていく。毒・雲(ドクグモ)で完全に麦わらを封じた。
侵入者らしいしぶとさに手間を掛けた。
ルフィは立ち上がる。しぶとさに苛立ち、立ち上がるルフィを殴り倒す。
なおも立ち上がり、新たな技で対抗をする姿に毒竜(ヒドラ)でとどめを刺す。ルフィは幾重もの毒に冒される。
ルフィはLEVEL5に放り込ませる処理を指示する。
逃げ遅れた看守達は医療班に連れて行き、ヤヒロに治療してもらう。朝ぶりに見た彼女は、気のせいか元気になったように見えた。
「すまないな。クロコダイルやエースの能力の解析に忙しくなるというのに」
「平気です。ようやく活躍出来そうですから、がんばります。父様こそ怪我をしていませんでしたか?」
ヤヒロがマゼランの腹部に触れる。
「平気だ。あとでまた狭くて暗いところに行きたいがね」
「……それとですが」
心配そうな顔で視線を動かす。
「彼は……治療しなくていいのですか?」
ヤヒロはそりに乗せられたルフィを見る。ヤヒロならば可能かもしれない、だがもう生かしておくにはいかない存在だ。
「指示は聞いただろう?やつはLVEL5に運び放り込ませる。それにあそこまで毒を重複していたらお前でも治療は難しいだろう」
「……分かりました」
LEVEL4に向かうと、看守とハンニャバル全員が倒れ伏している。看守によると、元バロックワークス社の一人でLEVEL3の囚人がハンニャバル達を倒し、逃げたという。LEVEL2の暴動は落ち着いた為、兵力をLEVEL3へ寄せるように指示をする。サディに指示を任せる。なんにせよこの混乱の原因たる麦わらのルフィは時期に死ぬ。監獄も元に戻るだろう。
毒の能力を使いすぎてトイレに籠る。
トイレの中で深くため息をつく。
LEVEL2の囚人が出てきたときは内心焦った。ただの囚人だけならば看守たち、ブルゴリ達で追い立てればなんとか出来る。
マゼランがただ一人なんとしても檻の中に閉じ込めておきたい人物がいる。ヤヒロには彼がいることを知られてはならない。
時間は午前零時を回っているが署長室に戻る。書きかけの書類を見ていると、看守の一人が入り、LEVEL5に投獄したはずのルフィが失踪している報告を受ける。
鬼の袖引きが起きたわけでもあるまい。ありえるとすれば、未だ見つかっていないあのLEVEL3の囚人が救いに来たとも考えられる。ルフィと分かれた者はマゼランからの攻撃の脅威を必死に説いていた。
「マゼラン署長、如何しましょう」
「うむ、まず警備を怠らず、何かあれ直ぐに俺を起こせ。仮にあの檻から出られたとしても、あの毒ではそう長くは生きられない。俺は休む」
マゼランは自室に籠る前に再びトイレに行く。平時でも下痢に悩まされている中で、能力を使うと特に頻度が増える。
「うう、お腹がいたい……」
トイレから出るとヤヒロが待っていた。
「ああ、ヤヒロか」
「父様、今日はこちらの薬を飲んでくださいね。能力の影響でまだ腸内はストレス下に置かれてますから」
「ああ、ありがとう」
薬の入った紙袋を受け取る。受け取った後もヤヒロは手渡した手の形で止める。
「どうした?」
「あの、……父様。今日は寝るまで付き添ってもいいですか?」
就寝の用意を整え、ヤヒロを迎える。彼女も寝間着に着替えている。
「まさか、一緒に寝ようとかではないだろうな」
「違いますよ」
予想を超える冷ややかな声音にマゼランは凹む。マゼランの様子を気にせず、ヤヒロはベッドから枕を取り、そこに座る。膝に持参したブランケットを掛けた。
「まあでも、膝枕も添い寝みたいなものですかね。はい、どうぞ」
「寝られるか」
視線が寝ないと出て行かないぞと言っている。根負けして、ヤヒロの膝に頭を乗せた。
「固かったら言ってくださいね」
「そんなことはない」
言葉を選びに選んで毒のある言い方になってしまう。ヤヒロは気にせず、アロマキャンドルを焚く。
「……ヤヒロ、能力者の毒の解析はどうだ?」
「え?……そうですね、クロコダイルの分もエースの分も補完はしただけで解析は後になります。今日は色んなことが起きたので調べるの“し”も出来ませんでしたからね」
彼の名前を呼ぶ瞬間に口元がほころぶのが見えた。ヤヒロ本人も気付いていないのだろう。
「明日は捜索中の囚人が見るかるといいですね」
マゼランの瞼の上に手を乗せて、優しくなでる。
「出来れば麦わらのルフィの死体も見つかって欲しいものだな……、怪談で済ませられるものではないのだから……」
「父様はゆっくり休んでくださいね」
「ああ……」
***
父の寝息が聞こえた。
「おやすみなさい、父様」
そっと頭に枕を当てて、部屋を出る。
ヤヒロは看守の誰も知らない抜け道に入った。