砂の城、看守の罪
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002.医者の皹
寝室の扉を閉じ、ヤヒロはずるりと扉にもたれながら膝を落とした。
今の音に気付いて扉を開けないか様子を見るが、彼は気付いていないらしい。
安堵して、手で顔を覆う。
顔が熱くて堪らない。
あの人嫌いが会社としての関係以外を求めてきた。
何を意味するのかは素直に考えればプロポーズに相当するのだろう。それとも優秀な医者として、あるいは二人だけの秘密の共犯としての延長で言ったのだろうか。
「………」
肉体関係は正直なところまんざらでもない。こんなことは女性との戯れの一つなのは知ってる。彼とて男だ。
容赦なく求め、それでいて優しい。遊びの割には体の扱い方が乱暴に見えて丁寧なのだ。
最初から優しかった。
両親が砂になった後、ヤヒロはサー・クロコダイルによってインペルダウンに連れてこられた。
マゼランが父となり、彼から出る毒の解毒薬や整腸剤を作り続けた。マゼランの毒は複雑で解毒薬も毎月作り変えられた。
インペルダウンでの暮らしはヤヒロからすれば楽しかった。マゼランを父として慕い、ブルゴリや獄卒獣と戯れる。一般的な環境ではないのは歴然だが、身の回りの人々は優しくしてくれた。
両親を亡くした寂しさを思って、ガスマスクが必須ではあるがマゼランが添い寝をしてくれたことがある。こっそりと外したときは叱られたが、毒に侵されることはなかった。
インペルダウンに収監された者の噂からある組織の名前を耳にする。
バロックワークス。トップが完全に秘匿された秘密主義の巨大犯罪組織で商才があるのか様々な商品を取り扱う。一般人から能力者まで様々いるようだ。
出張のたびに収容施設の人間からも聞き、バロックワークスの活動はアラバスタを拠点にしていると考えられた。アラバスタにはクロコダイルがいる。アラバスタの英雄として襲ってくる海賊をねじ伏せ守護している。
サー・クロコダイル。十数年ぶりに見る名前に動悸と震えが止まらない。
幼い頃は幾度か遊びに付き合ってくれた。助けてもくれた。
今や両親の敵でもある。
バロックワークスが取り扱うものに視線が向く。
深呼吸をして、伊達眼鏡をかける。
「父様………マゼラン監獄署長、お話があります」
マゼランから許可を得て、更に七武海からの要請でアラバスタに長期契約で赴任した。
国王に挨拶をし、その中に“彼”がいた。十数年ぶりの対面は歳を感じさせた。威圧感が増して、誰も寄せ付けない雰囲気を放っている。彼とは仕事上の挨拶程度に終わった。
アラバスタに赴任し、ようやくクロコダイルを診る時間が取れたのは数日経過した深夜だった。
自室で準備をしながら飴を舐める。蜜柑味の酸味と飴特有の甘さで眠気と緊張が少し飛んでいく。クロコダイルの部屋に向かう間に飴を舐め切ってしまった。
扉の前に立ち、眼鏡をかけて深呼吸をする。この数日の間に会う日はあれども二人っきりなのは今日が初めてなのだ。
ノックをする。
「サー・クロコダイル。起きてますか?」
「ああ」
腹の底から響く声に過去の恐怖と恋慕が胸を締め付ける。
扉を開けると、部屋にいた彼はマントを脱いだ姿だった。蝋燭で照らされた彼の表情は昼間の威圧感を減らし、どこか寂しげに見えた。
ヤヒロは部屋に入らず、扉の横に立ち一礼する。
「お久しぶりです……」
「んあ……。まあ、こんな時間まで仕事させて悪いな」
「いえ、お互い昼間は忙しいですから。夜の方が落ち着いて出来て助かります」
彼はベッドに腰掛け、ワインをグラスに注いだ。
「まず入れ。仕事と言っても俺への仕事はおまけみたいなものだろう」
「サーへのお仕事もちゃんとお仕事ですよ」
クロコダイルの右隣に座り、手を借りる。大きい宝石がついた指輪が外され、跡が薄っすら見える。男性の、それも体格の大きい異性の手は同じ人間の手とは思えない。クロコダイルの服の裾を捲りながら、自身の手の細さをクロコダイルの手の太さを見比べてしまう。
この手で両親は殺されたのだ。そう思うと震えが止まらない。
鞄から注射器を取り出そうと一度クロコダイルの手を放す。
ごとり。後ろから鈍い金属が寝室に響く。響く音の鈍さに一瞬殴られたかと錯覚した。
思わず固まって金属の塊とクロコダイルを交互に見てしまった。彼はそっぽを向いて表情が見えない。左手はあの象徴的な塊が外され、彼は自分で裾をめくり、先のない腕を見せる。
ずい、と眼前に腕を差し出される。
「血管ってェのはどちらかは見やすいことがあるんだろう。見づらかったら、こっちの腕も見ておけ」
ヤヒロは思考も動きも完全に固まっている。
「左手を見るなら、同じ左側にいたほうがやりやすいだろう」
クロコダイルが移動しようと腰を上げて、ヤヒロは慌てて彼のズボンをひっつかみ止める。クロコダイルも慌ててずり落ちかけたズボンを掴む。
「馬鹿野郎!なにしてんだ!」
「だ、だって!わにさん!」
ヤヒロは自身の顔が熱くなるのを自覚した。懐かしい呼び名に反応して、クロコダイルがその顔に似合いすぎるほどの悪い笑みを浮かべた。彼も昔ながらの呼び名を覚えていたらしい。
クロコダイルの腰を勢いよく両手で掴み、先ほどと同じ場所に座らせた。今こそそっぽを向いて欲しいが、彼はにやにやとこちらを見る。
伊達眼鏡が曇り、レンズを拭いて掛け直す。
「サー・クロコダイルは動かなくていいので、そこに、お座りください」
腕を消毒し、血液のサンプルを採取する。薬品を塗った止血のガーゼを当てる。懐中時計を見ながら話しかける。
「止血のために三十分はつけてくださいね。念のため、あと一時間はここにいるので、用があればお声掛けください。そこの机をお借りしますね」
「おいおい、こんな夜に寝室に呼び出したってことは意味は分かるだろ?」
「馬鹿いってないで、仕事させてください。寝てしまっても問題なさそうなら、そのまま帰りますから」
クロコダイルは不服そうにため息をついて、ワインを飲んだ。
「その書類を書き終わったらこっちに来い。社長命令だ」
ヤヒロはため息をついて、書類を片付ける。予定よりも片付ける枚数を多くして、クロコダイルが座るベッドに向かった。
クロコダイルは二つ目のグラスにワインを注ぎ、ヤヒロに渡す。ヤヒロもクロコダイルの隣に座り、グラスを受け取る。お互いグラスを当て、乾杯する。
「元気そうだな」
「サー・クロコダイルも、ですね」
「…………、“わにさん”」
「え?」
「いや……、アラバスタにゃあ慣れたか?インペルダウンの居住区も“焦熱地獄”に近づくこともあんだろう。まあ、似たような暑さだ。嫌でも暑苦しさには慣れるか」
「サー・クロコダイルも行ったことがあるのですか?」
「……昔、な」
あの送り届けた時以外にも来たことがあるのだろうか。
「……あの、サー・クロコダイル……」
「……」
彼は視線だけこちらに向け、ヤヒロの頭を掴む。
びくっとヤヒロは震え、目を閉じる。砂となり散る両親がフラッシュバックする。
息苦しさを感じ、自分が過呼吸に陥りかけていることに気付く。クロコダイルもヤヒロの異変に気付き、頭に乗せた手を背中に当てて擦る。
「おい……」
クロコダイルの声が遠く感じる。背中を擦られながら、彼の胸に押し当てられる。気遣われてるぬくもりに心地よさを感じる。だが、安堵と恐怖の感情が混じって、うまく考えられない。過呼吸の治し方は知っている。十秒ほどかけてゆっくり息を吐いていくのだ。口に手を当て、心の中で数を数え、息を吐く。
数分、数十分、時計を見てないのでどのくらい時間が経ったのか分からないが、呼吸が落ち着いた。彼もそのことに気付き、ため息をつきながら背中をぽんぽんと叩く。
「さっきの言葉は撤回だ。元気、とはいえないな」
「元気ですよ」
出来るだけ笑って見せたが、彼からは先のない左手でごつんと頭を叩かれた。
「もう寝ろ。俺はソファでも寝られる」
ぎゅっと裾を掴む。彼はそれを見て眉間に皺を寄せる。
「……俺はなにかしない保証はしねえぞ」
懐中時計を確認し、頷く。
遥か昔、幼い頃に会った人物とこうなるとは思いもよらなかった。いや、幼いころに描いていた夢の先はこうもありたいと願っていたのだろう。両想いであれば、の話だが。これは慰める為に抱くのだろう。
服に入っている薬品の小瓶を取り出し、鞄に仕舞う。仕舞い終えると、クロコダイルがヤヒロをひょいと抱えベッドに連れ込んだ。
ヤヒロの頬をそっと右手で触れ、撫でる。
「こんなにべそをかくようじゃ、まだ大人にゃほど遠いな」
逆光でも苦笑いを浮かべてるのが分かった。
「これでも大人です」
「確かに、体は大人だな」
クロコダイルは胸を擦る。鎖骨から胸にかけて手でなぞる。場所を知ってか、高い位置で指で軽く揉む。
「ふ……んっ」
シーツを掴み、声を上げるのを我慢する。
「おい、我慢するな」
ヤヒロの手をクロコダイルが指に絡める。指が絡む快楽と同時に恐怖でびくっと震える。この右手が何をしてきたのかは分かる。あの時、見てしまったのだ。人も物も全て枯れて砂となり崩れた。
気がつけば左腕にしがみついていた。ぼろぼろとシャツ越しに左腕を湿らせる。
「サー・クロコダイル……ひとつ、質問させてください」
再び過呼吸になりそうになるのを堪え、言葉を続ける。
「両親を……消せと指示した者のことは覚えてますか?」
クロコダイルの視線が腕に向く。痺れが来たのだろう。血液採取のときと今で弱い痺れ薬も投与したのだ。そうでもしないと答えてくれず、逃げられてしまう。
力なくクロコダイルは横たわった。腕で顔を隠し、呆れたようにため息をつく。
「……忘れろ」
「………わにさん、………なんで?」
幼い頃に呼んだ愛称で呼び、なぜ、なんでと、しゃくりあげながら、クロコダイルに問う。
彼は眉間に皺をよせ、視線のみこちらに向ける。
「これを聞くためにわざわざここまで来たってのか……!」
「そうでもしないと聞けないと思いましたから……」
「……くだらねえことしやがって」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「……少なくとも今は教えられねえな。俺の目的が終わるまでは忘れてろ」
「……そう、ですか」
服を整えようと服に手を伸ばすと、クロコダイルの左手がヤヒロの腰を捕まえた。
「おいおい、ここまで来て逃げ出すのか」
視線で左腕を指しながら、彼は底意地の悪い笑みを浮かべる。
「こいつが乾くまではいてもらおうじゃねえか」
目が覚めた時は空を眺めるとまだ暗く、朝日が上るまでまだ時間はあった。二の腕や胸、足の付け根に付けられたキスマークをぼんやりと眺める。ところどころ噛み痕もある。
主犯はのんきに煙草をふかして休憩している。あれだけ激しくして平気な顔しているあたり、噂通り女性慣れをしている。
ヤヒロが覚醒したことに気付いたクロコダイルは彼女の頭に手を撫でる。触れられたことで一瞬びくっとなるが、大人しく頭をくしゃりと撫でられる。
少しだけ薄れた恐怖感と多幸感に顔がふやけそうになるが、誰にも見つからないように早めに部屋から出ないとなとも考える。
撫でるクロコダイルの右手を掴み、頬擦りする。右手のあたたかさに顔が緩み、頬を摘まれた。
「へにゃい(いたい)」
「お前、バロックワークスの仕事もやっているな?」
「………気付いていたんですか」
「知ってて七武海を通して正規の仕事を入れたんだ」
「自分で仕事を見つけた方が楽なのに」
「馬鹿、なにとどこが繋がっているか分からねえんだぞ。たくっ」
「なぜバロックワークスの仕事に手を出した」
「…………わにさんは……クロコダイルは我がスクナ家の研究してきたものをご存知ですか」
「………知らねえが、その様子を見るに通常の入手経路では手に入らないものか」
頷く。
「ヤヒロ、取引だ」
「取引?」
「お前の入手したい物を援助しよう。その代わりに」
彼は一呼吸置き、続きを口にする。
「毎晩部屋に来い」
「毎晩は無理です」
ぼとりと煙草が落ち、無言で拾う。
「ばか野郎!そういう意味じゃねえ!取引の進捗や話し合いに必要な時間だ」
「……本当に、しないですか?」
眉間に皺が寄る。視線を逸らされ、彼は沈黙で答えてきた。
「……………」
「……ああもう!毎晩は無理ですし、しないですけど、なるべく来ます!」
***
クロコダイルと再会して数年後、アラバスタは反乱軍と海軍、海賊の混戦となり入り乱れていた。
ヤヒロはバロックワークスの医者として、アラバスタでの医療顧問としてアルバーナの端にいた。アルバーナ周辺の爆撃を避けるように言われたのだ。クロコダイルが言っていた爆弾は上空で爆発した。風圧こそあれども周辺はさほど破壊されていない。
計画が失敗したのは明白だった。
「わにさん……!」
不安に駆られ、首都中心部に向かう。向かう途中、なにかが舞い上がる。なにかの正体は分からないが、気のせいであって欲しいと思いながらその何かを目指した。
向かう途中雨が落ちたことにも気にせず全力で向かう。そして見つけた。
海軍と反乱軍、アラバスタの軍に囲まれたクロコダイルが倒れていた。一度下を向いて、伊達眼鏡をかける。息を整え、それぞれに敬礼しながら話しかける。
「インペルダウン医療部門アラバスタ特別医療顧問スクナ・ヤヒロです。彼を診せなさい」
怪我の様子を診る。ここまで傷だらけなのは初めて見た。
口には出さず“わにさん”と呼ぶ。
「死んではいないようです。この怪我なら海軍の医療設備でも問題ないです。手伝いましょうか?」
周囲に話しかけながらクロコダイルの様子を見る。
気が付いたクロコダイルはヤヒロを視認すると囁く。
“何も知らないふりをしろ”
震える手で右手を握り返事をし、手を離した。
「海軍のタシギさんですね。船に連行するまで手伝います」
やれることはただの医者として振る舞うことだけだった。
三年ぶりのアラバスタの雨は多く、涙が流れようが気付かれることはなかった。
アラバスタの暴動が沈静化された後、バロックワークスでの資金分散と元の職場に戻る準備をこなす。
インペルダウンに戻る途中で海軍留置所で事件が起きたと聞く。バロックワークスの何人かが脱走したと聞く。
海軍留置所から逃亡ルートを探り、脱走中の彼らを見つけた。
「ポーラ……!!」
本名で呼び止められたミス・ダブルフィンガーはヤヒロに気付くと抱き締めた。
「貴女!無事だったの!?」
「私は……まあ、これから戻らないといけない場所でお説教です。…………」
力なく笑い、答える。
脱走したメンバーを見ても“彼”の姿はない。ミス・ダブルフィンガーも察したのだろう。抱き締めたヤヒロの頭を撫でる。
「ボスは“気分が乗らねえ”だそうよ」
その言葉にヤヒロは気が沈むと当時に理解した。仮にも七武海であったクロコダイルが逃げるとなれば、海軍も死に物狂いで追いかけるだろう。あれほど信用しないと言っていた彼の元に来てくれた社員、……仲間に対して出来ることなのだろう。
「でも、皆のこと助けに行ってくれたんですね……。ありがとうございます」
「助けに来てくれたのは彼女よ」
「このガキが助けてくれたのさ!“ガキが助けに”!“ガキ助”!“ガ”‼“ガ”だね‼」
ミス・ダブルフィンガーはミスG・Wを指す。ヤヒロは腰を屈め、ミスG・Wに視線を合わせる。
「初めまして、“ミス・スクナビコナ”です。ミスG・W、バロックワークスのメンバーを助けに来てくれてありがとうございます」
ミスG・Wはにっこりと笑い親指を立てる。
「ねえ、まさか貴女それだけの為に追いかけてきたの?」
「違いますよ。ええと、こちら選別です」
にっと笑い、やや大きい鞄をMr.5に渡す。鞄はあまりにも重く、Mr.5は転んでしまった。全員がどっと笑う中でヤヒロは言う。
「バロックワークスの資金分散の“あまり”です。使ってください」
ヤヒロが現状近くで確認が取れる分散されたバロックワークスの資金の一つだ。これからどんどんバロックワークスに関係するものは解体されていく。一応、管理はやってみるが全ては見れないだろう。どうせなら彼らの助けになるほうがいい。
「貴女はこれからどうするのかしら」
クロコダイルがあの場所に留まるなら行先は決まっている。
「実は私も行くんです。インペルダウンに、ね」
「そう……。ヤヒロも元気でね」
「大丈夫ですよ。……わ……社長やMr.1がいる思えば、行くのが怖くなりました」
彼らに別れを告げる。これで心置きなく帰れる。ほっとしたのもつかの間、ポーラが踵を返し大声を出した。
「会いに行ってやりなよ!好きなんだろう?」
男性陣は誰に誰がと言いながら驚き、女性陣は察して手を振り応援してくれた。
「はい!会いに行ってやります!」
全力で手を振って彼らを見送った。
ヤヒロの立場はバロックワークスとの繋がりを疑われる可能性があるが、証拠は綺麗に隠蔽されている。正規の手続きでアラバスタに来て、仕事もちゃんとこなしてきたのだ。バロックワークスとの繋がりも言ってしまえばただの医者なのだ。もちろん医者なんて出来る人間は限られるが、ヤヒロはほとんど顔を覚えられていない。対面するときは相手の記憶が一時的に消える薬を使うようにクロコダイルから言われていたのだ。
最初に二人っきりで話したときにクロコダイルに叱られた意味が分かった。確かに、彼が七武海として呼んだ手続きそのものは正真正銘のもので、とてもじゃないがバロックワークスに入るための仮の仕事だとは気づかれないだろう。彼はそこまで見越して、七武海の要請をしたのだろう。
表も裏の仕事も急がしてく、二人っきりの時間が夜だけだったのは幸いというべきか、彼なりにまた別の考えがあってのことか。
ただ、インペルダウンに戻ることには不安があった。ヤヒロがアラバスタに行っていた真の目的をマゼランは知らない。クロコダイルに会うためなのは薄っすら予想されているだろう。それは親を殺された恨みとして考えればごく自然なことだ。
開門され、四年ぶりのインペルダウンはさほど変化はないように感じた。
入口にはマゼラン、ヤヒロの育ての親が迎えてくれた。数年ぶりに会う父の姿を見て、申し訳なさで身が縮こまる。
父様、ごめんなさい。貴方が思う以上に私は犯罪者です。クロコダイルよりも罪深いことを私はしているのだ。
マゼランはヤヒロの心情など知らず、微笑んで迎える。
「父様……」
「ああ、おかえり」
抱き上げられ、頬擦りされる。
数年ぶりに会うマゼランは血色がいいのは分かったが、毒で下痢を起こすのは変わらなかった。四時間のみの勤務でも難なく運営されているらしい。毒の配合もかなり変わったので、早く解毒薬を作ってくれとも言われる。
「こんな長旅だ。疲れただろう。まずは休みなさい」
ヤヒロの部屋はマゼランの権限で保管されていた。鞄から一際大きいコートを取り出す。
誰もいない部屋で一人クロコダイルのコートを抱き締める。唯一持ってくることが出来た。
「……わにさん……」
きっと彼は死刑にはならない。悪魔の実の能力者は殺されるよりもとにかく生かされ続けて、悪魔の再出現を防ぐはずだ。インペルダウンの監獄に収容されて、死ぬまでいるはずだ。
彼のことだ。途中逃げるかもしれない。でも、あの顔の彼をどう引き連れていけばよかったのだ。逃げられるかよりも、逃げても逃げてどうするかの先がない。
インペルダウンに戻って暫くはクロコダイルとの関係を調べられ、まともに動けなかった。
取り調べが終わったのはひと月後だった。ようやく任されていたバロックワークスの分散資金を確認した。やはり子会社は完全に潰され、末端の、働いている者自身ですら知らないレベルの店は残っている。
ヤヒロが思う以上にバロックワークスは会社としても経営が上手かった。恐らく回収できるだけでも一般人なら一生暮らせそうだ。
ある種の逃亡資金はなんとかなる。問題はクロコダイルだ。逃げるかどうかの意思の確認をヤヒロから試みても断られるだろう。いつまであそこにいるのか、もうあそこに居続けていいと思っているのか。
違う、そんなことはどうでもいい。私が会いたいのだ。
ヤヒロの願いに反し、能力者の診察はクロコダイルのみ延期されつづけた。ある程度の順番で回るタイミングは分かっていたが、クロコダイルのみやたら遅い。
会えない間は部屋で火が付いてない煙草の匂いと香水で気を紛らわす。
インペルダウンにてマゼランに葉巻と香水の臭いがあることを心配される。仕事が終わり、自分の部屋に戻るとクロコダイルのコートを抱き締める。元の匂いなんてもう分からない。煙草と香水は金庫に入れて保管した。
****
インペルダウンに戻って数か月経過した。
収容者リストから、ヤヒロの受け持つ能力者を確認する。
「父様……」
思わずマゼランを見た。彼もヤヒロを見つめ、頷く。
「今やアラバスタでの関係をとやかく言う者はいないだろう。指定された時間のうちに行くといい。だが、充分注意しなさい」
飴玉を舐め、診察の用意をする。
いた。
数ヶ月、彼が企てていた年月に比べれば屁でもない時間だ。
いた。
伊達眼鏡をかけて、ただの医者として入るのだ。
後ろに看守がいる。入り口に視認を阻害する薬を散布する。
良かった。少し細くなっているが健康そうだ。
撫で付けられたオールバックは最低限でも身嗜みを整えたいのだろう。整髪料もない中でよくこんなに整えられるものかと感心してしまう。
整髪料も持ってきたので喜んでくれるだろうか。
看守に悟られないように、医者として話しかけるのだ。
「思ったよりも元気そうですね」
クロコダイルが垂れた前髪にため息をついて、くすりと笑ってしまった。