砂の城、看守の罪
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001.砂の独白
「王妃になる気はないか?」
寝室にヤヒロを呼んで、気が付けば口に出していた。
何年も前から計画して、何度も妄想してきた国王になること。国王になること自体はただの目標の一段階の一つに過ぎない。
くだらねえ馬鹿どもを見下ろし、頂点として立てることにはまんざらでもないと思う自分がいる。
“プルトン”を手に入れるために国を乗っ取り、国王になる。王がいれば傍に王妃がいるのは当然だ。国を乗っ取った後にバロックワークスの社員がいるとしても、誰かが王妃として傍にいることはあり得ない。
もし誰かを隣に置くなら……。
ドアをノックする音が聞こえた。
「クロコダイル、起きてますか?」
「あぁ」
入ってくる人間は決まってる。扉から若い女性、ヤヒロが入ってきた。表向き、クロコダイルがインペルダウンからスカウトした医者だ。表はアラバスタ周辺の医療部門の顧問として、裏はバロックワークスの医療部門の顧問を担っている。
ヤヒロが部屋に来ること事態は予定としてもあった。元より能力者の診察は彼女の仕事のひとつであり、ここに派遣で来た理由のひとつだ。
寝室に来るのに慣れたもので、仕事が終われば二人だけの夜を迎える。
最初の頃の怯えた顔はどこに言ったのか不思議なほど、今は様々な顔を見せてくる。
ヤヒロは夜を共にすることがあれども、朝までいることはない。
朝までいろと言えばいることはある。ヤヒロは自ら朝までいることがない。
壁があるのはクロコダイルにも分かる。恨まれてることも、恨まれてなお互いの利益の為に、協定を結んだことも。二人だけの秘密と言える協定だ。
両親を殺した奴をどこまで許しているか、クロコダイルにも分からない。ただ、今インペルダウンに戻るようなことはさせたくない。
もう数年だけでも傍に。
もし誰かを隣に置くなら……。
「王妃になる気はないか?」
「……………」
彼女は鞄の中の道具の整理に集中しているのか返事がない。
「おい」
「ん?」
きょとんと振り向いた彼女はこちらを見るとにっこり笑う。
「もう一回はだめですよ、わにさん。私だって寝たいので」
***
上階の熱風で冷えた水滴が垂れ、クロコダイルの頭に落ちる。つかのまの回想どころか現実逃避を認識して眉間の皺を深くした。
ヤヒロに言った言葉を思い起こす。あのまま聞かれていたら受け入れていたのだろうか、それとも断り、去っただろうか。国の乗っ取りならばアラバスタの王女を落とせば済むことだ。七武海として名をあげ、活躍していた様は英雄とまで呼ばれていた。実際、仇なす雑魚海賊は振り払うだけで済んだ。もし王女を物にしたとして、ヤヒロはどうすれば手元に置けたんだ。ああいや、あいつは手元に置けるほど大人しくはない。捨てる前に逃げてしまう。どちらの選択をしたとしても、あのルーキーに計画を潰された現実以外はない。あいつはバロックワークスとしてもただの医者としていた分、あの後もさして変わらず医者と薬の研究をしているに違いない。何を選んでも彼女はクロコダイルの手からは逃げてしまうのだ。
逃げられるなんてざまあねえ。
檻の鍵が解除される音が聞こえた。誰が入ってきたのか。どうせ看守の誰かだろう。いや、この足音は……。
下を向いている視界に影が入るほどに近づいてきた。太ももまである灰色の編み込みのロングブーツはインペルダウンの中でも特殊性が際立つ。羽織ったコートにより素肌はショートパンツとロングブーツの間と顔ぐらいしかない。七武海の頃に会ったときもこれくらい着こんでいた。コートを脱いでしまえばノースリーブが見えることも知っている。さらに歳不相応な幼い顔と年相応の体をしていることも。
「思ったよりも元気そうですね」
メガネは伊達だとは聞いているが、真顔な分愛想が前よりもない。大して愛想のない声音は仕事として来ていることを教える。いくらか前に誰かしら看守以外の人間が来ているのは気付いていた。目の前に立つまで一言も発することはなかった。
用事はこの俺か。
顔を上げかけたが、視界に入る囚人服にため息をついた。両腕は枷に嵌められ身動きが取れない。乱れた髪ですら整えるのに苦労する。一房垂れた髪の毛に眉間の皺が深くなるが、本人は気付いていない。
クロコダイルの垂れた髪の毛を彼女は整髪料を付けて整える。久しぶりでも慣れた動作をしている。
数ヵ月ぶりの香りは医薬品の臭いが強いが、夜を共にした時の臭いと同じ匂いも混じっている。
「随分なご挨拶だな」
予想外とは思わなかったわけではない。来ようと思えば来れる立場でもある彼女のことだ。能力者は積極的に診察をするようにしている。自分もその対象に入る。
こいつは元々ここにいた人間だ。これまで会わなかったことの方が不思議だ。ここの人間が会わせなかったと考えるのが妥当だろう。
少なからずバロックワークスとの繋がりは疑われてはいたはずだ。表向きとしても手続きは正当なもので、仕事ぶりも不審に取れるものでもない。バロックワークスでの仕事でも普段の医者と変わらない。
ひとつだけ例外があるが、クロコダイルがここにいる限りは微塵も気づかれることもないだろう。
「ただの診察としての判断です。ほら、腕を診せてください」
能力は手錠の海楼石の効果により封じられている。女性でもあるヤヒロならば肉体的にも組み伏せることも出来るが、クロコダイルは彼女の体にはあらゆる薬を忍ばせていることは知っている。もし危害を加えようとすればドクドクの実とさして変わらない毒を盛られるだろう。ヤヒロの後ろにいる看守よりも彼女本人の方がよほど危険だ。なんの能力もない彼女の能力とも呼べる薬学、医学知識は武器ともいえる。伊達に“小マゼラン”と呼ばれているわけではない。
ただの医者でもないからこそ彼女がここに来れる。
バロックワークスの雇用も年若い女の医者の珍しさではなく、純粋に能力を買ってのものだ。
伸ばしたクロコダイルの腕を触診するヤヒロを眺める。真顔で仕事をしているのを見るのは数え切れないほど多い。まだアラバスタにいたころはクロコダイルの寝室で行っていただけに、仕事後は夜を共にしていた。
この診察が終わったとしても彼女は何もすることなく別の能力者の診察に向かうのだろう。
一通り診察が終わったらしく、タオルを渡される。
「どうせシャワーの概念もないのでしょう。次来れるか分からないですが、さっぱりはします」
見通されて不服になるのも失せ、素直に受け取り顔を拭く。
「後ろを向いているんで、好きに拭いててください」
手元に置けたら。
「おい」
使用済みのタオルを渡す。幾分かマシ、それは確かだ。
かしゃんと眼鏡が仕舞われる音が聞こえた。
視界が暗くなり、温かい感触がいたるところに押し当てられる。少し消毒液の臭いが鼻孔につき、数か月ぶりの味に腕を伸ばし手錠の金属音で冷静になる。キスはさして長くはない。
物足りなさに不服になりつつも今の行動に檻の向こうの看守は気が付いていない。クロコダイルの気がついた様子にヤヒロは説明を始める。
「囚人、監視の人は今ここを認識できないです。少なくとも、私の周囲二メートルはまともに認識できないでしょう」
胸を押し付けるのは有効範囲のせいか、別の意味なのか。
連絡先を囁く。ある街の診療所は彼女の受け持ちの個人施設だ。そこにはバロックワークスの分散した路銀もある。各所に資金の分散をし、彼女に管理させている。
俺がまた外に出るとでも思っているのか。
カラーズ・トラップで見せられた夢が燻る。
「また傷をこさえたら来てください、“社長”」
にっこりと営業スマイルを浮かべる。
また逃げる。
悔しさに腕をつかみ引き込む。能力が使えないクロコダイルでも、フィジカルでは優位であることには変わりない。力負けしたヤヒロは逃れられない。
一瞬、麻酔や神経毒を出すかと気にしたが、毒も出す様子もない。
あのときのように震えることも、涙を流す様子もない。
それだけ確認できれば充分だ。
「二メートルの範囲なら気が付かれねえんだろう?」
声を出さないように貪るが出来ることは限られる。再び塞がれた口は今度は長い。ヤヒロはあっさりとしたが、あんなもので満足は出来まい。ここに来る前に飴でも舐めたのだろう。緊張する時はいつも飴を舐めて落ち着かせていた。こいつからすれば俺は随分煙草臭さが抜けて、汗臭さが増していると思われているだろう。
酸欠と溶け合わさった舌で溶けかけるヤヒロを見て、ようやく顔から離れた。
砕けた腰を手錠の鎖と腕で器用に支え、ヤヒロを膝に乗せる。閉じた服を器用に開き、顔を突っ込む。ヤヒロは焦るが捕まれた腕から離れることもかなわない。顔を胸から離し、キスマークがついていることを確認し満足する。尤も、こんなところでなければもっとつけていた。
服を閉じて、胸から腰を撫でる。
「続きは外だな」
「出るつもりもない癖に」
ヤヒロは残念とも呆れともつかないため息をつく。彼女はバロックワークスの幹部の何人かが留置場から脱獄したのを知っているだろう。クロコダイルが「気が乗らない」とここに大人しく入ったことも。
ヤヒロの胸に額を押し当てる。髪の毛が再び落ちようが気にせず寄せる。
「気が乗らねえからな」
「でしょうね」
そっけなく言いながらクロコダイルの髪の毛を直しつつ撫でる。
「脱獄を手助けするつもりもないですし、貴方もしなさそうだろうなとは思ってるんですけど、そのうち出てきちゃう気がしたので」
ヤヒロは抱き締めると、髪の毛に顔をうずめて呟く。
「外で待ってますよ、わにさん」
医者としてではない声音だった。声がしょうがないなこの人はと言って、笑っている。
再度髪の毛を直されたときは、最初の仕事としてきた真面目な顔に戻ってしまった。ただし、首元を気にしてスカーフを念入りに整えている。
何かを散布し、看守の元に行く。医者として行ってしまった。外にクロコダイルがいてもいなくてもやることも、彼女の目的も変わらない。今回は待つと明言してきたことに燻る。
復讐の情報を得るために待つなんざするわけないと思いつつ、出来ればこのまま忘れてしまえばいいとも思う。
同じ待つでも、ただクロコダイル一個人を待つ愚直さの方がいい。同じ馬鹿でも、マシな馬鹿だ。クロコダイルが守れる最低ラインはここまでだ。
しばらくして、向こう側の檻に誰かが入ってきた。その顔は知っている。一人は同じく元七武海、もう一人は……あの海賊団の団員の一人。
笑いがこみあげてきた。
「娑婆は面白いことになっているな」
外に出るついでに、あの街に行くのもいいかもしれない。
今度は逃がさねえ。
「王妃になる気はないか?」
寝室にヤヒロを呼んで、気が付けば口に出していた。
何年も前から計画して、何度も妄想してきた国王になること。国王になること自体はただの目標の一段階の一つに過ぎない。
くだらねえ馬鹿どもを見下ろし、頂点として立てることにはまんざらでもないと思う自分がいる。
“プルトン”を手に入れるために国を乗っ取り、国王になる。王がいれば傍に王妃がいるのは当然だ。国を乗っ取った後にバロックワークスの社員がいるとしても、誰かが王妃として傍にいることはあり得ない。
もし誰かを隣に置くなら……。
ドアをノックする音が聞こえた。
「クロコダイル、起きてますか?」
「あぁ」
入ってくる人間は決まってる。扉から若い女性、ヤヒロが入ってきた。表向き、クロコダイルがインペルダウンからスカウトした医者だ。表はアラバスタ周辺の医療部門の顧問として、裏はバロックワークスの医療部門の顧問を担っている。
ヤヒロが部屋に来ること事態は予定としてもあった。元より能力者の診察は彼女の仕事のひとつであり、ここに派遣で来た理由のひとつだ。
寝室に来るのに慣れたもので、仕事が終われば二人だけの夜を迎える。
最初の頃の怯えた顔はどこに言ったのか不思議なほど、今は様々な顔を見せてくる。
ヤヒロは夜を共にすることがあれども、朝までいることはない。
朝までいろと言えばいることはある。ヤヒロは自ら朝までいることがない。
壁があるのはクロコダイルにも分かる。恨まれてることも、恨まれてなお互いの利益の為に、協定を結んだことも。二人だけの秘密と言える協定だ。
両親を殺した奴をどこまで許しているか、クロコダイルにも分からない。ただ、今インペルダウンに戻るようなことはさせたくない。
もう数年だけでも傍に。
もし誰かを隣に置くなら……。
「王妃になる気はないか?」
「……………」
彼女は鞄の中の道具の整理に集中しているのか返事がない。
「おい」
「ん?」
きょとんと振り向いた彼女はこちらを見るとにっこり笑う。
「もう一回はだめですよ、わにさん。私だって寝たいので」
***
上階の熱風で冷えた水滴が垂れ、クロコダイルの頭に落ちる。つかのまの回想どころか現実逃避を認識して眉間の皺を深くした。
ヤヒロに言った言葉を思い起こす。あのまま聞かれていたら受け入れていたのだろうか、それとも断り、去っただろうか。国の乗っ取りならばアラバスタの王女を落とせば済むことだ。七武海として名をあげ、活躍していた様は英雄とまで呼ばれていた。実際、仇なす雑魚海賊は振り払うだけで済んだ。もし王女を物にしたとして、ヤヒロはどうすれば手元に置けたんだ。ああいや、あいつは手元に置けるほど大人しくはない。捨てる前に逃げてしまう。どちらの選択をしたとしても、あのルーキーに計画を潰された現実以外はない。あいつはバロックワークスとしてもただの医者としていた分、あの後もさして変わらず医者と薬の研究をしているに違いない。何を選んでも彼女はクロコダイルの手からは逃げてしまうのだ。
逃げられるなんてざまあねえ。
檻の鍵が解除される音が聞こえた。誰が入ってきたのか。どうせ看守の誰かだろう。いや、この足音は……。
下を向いている視界に影が入るほどに近づいてきた。太ももまである灰色の編み込みのロングブーツはインペルダウンの中でも特殊性が際立つ。羽織ったコートにより素肌はショートパンツとロングブーツの間と顔ぐらいしかない。七武海の頃に会ったときもこれくらい着こんでいた。コートを脱いでしまえばノースリーブが見えることも知っている。さらに歳不相応な幼い顔と年相応の体をしていることも。
「思ったよりも元気そうですね」
メガネは伊達だとは聞いているが、真顔な分愛想が前よりもない。大して愛想のない声音は仕事として来ていることを教える。いくらか前に誰かしら看守以外の人間が来ているのは気付いていた。目の前に立つまで一言も発することはなかった。
用事はこの俺か。
顔を上げかけたが、視界に入る囚人服にため息をついた。両腕は枷に嵌められ身動きが取れない。乱れた髪ですら整えるのに苦労する。一房垂れた髪の毛に眉間の皺が深くなるが、本人は気付いていない。
クロコダイルの垂れた髪の毛を彼女は整髪料を付けて整える。久しぶりでも慣れた動作をしている。
数ヵ月ぶりの香りは医薬品の臭いが強いが、夜を共にした時の臭いと同じ匂いも混じっている。
「随分なご挨拶だな」
予想外とは思わなかったわけではない。来ようと思えば来れる立場でもある彼女のことだ。能力者は積極的に診察をするようにしている。自分もその対象に入る。
こいつは元々ここにいた人間だ。これまで会わなかったことの方が不思議だ。ここの人間が会わせなかったと考えるのが妥当だろう。
少なからずバロックワークスとの繋がりは疑われてはいたはずだ。表向きとしても手続きは正当なもので、仕事ぶりも不審に取れるものでもない。バロックワークスでの仕事でも普段の医者と変わらない。
ひとつだけ例外があるが、クロコダイルがここにいる限りは微塵も気づかれることもないだろう。
「ただの診察としての判断です。ほら、腕を診せてください」
能力は手錠の海楼石の効果により封じられている。女性でもあるヤヒロならば肉体的にも組み伏せることも出来るが、クロコダイルは彼女の体にはあらゆる薬を忍ばせていることは知っている。もし危害を加えようとすればドクドクの実とさして変わらない毒を盛られるだろう。ヤヒロの後ろにいる看守よりも彼女本人の方がよほど危険だ。なんの能力もない彼女の能力とも呼べる薬学、医学知識は武器ともいえる。伊達に“小マゼラン”と呼ばれているわけではない。
ただの医者でもないからこそ彼女がここに来れる。
バロックワークスの雇用も年若い女の医者の珍しさではなく、純粋に能力を買ってのものだ。
伸ばしたクロコダイルの腕を触診するヤヒロを眺める。真顔で仕事をしているのを見るのは数え切れないほど多い。まだアラバスタにいたころはクロコダイルの寝室で行っていただけに、仕事後は夜を共にしていた。
この診察が終わったとしても彼女は何もすることなく別の能力者の診察に向かうのだろう。
一通り診察が終わったらしく、タオルを渡される。
「どうせシャワーの概念もないのでしょう。次来れるか分からないですが、さっぱりはします」
見通されて不服になるのも失せ、素直に受け取り顔を拭く。
「後ろを向いているんで、好きに拭いててください」
手元に置けたら。
「おい」
使用済みのタオルを渡す。幾分かマシ、それは確かだ。
かしゃんと眼鏡が仕舞われる音が聞こえた。
視界が暗くなり、温かい感触がいたるところに押し当てられる。少し消毒液の臭いが鼻孔につき、数か月ぶりの味に腕を伸ばし手錠の金属音で冷静になる。キスはさして長くはない。
物足りなさに不服になりつつも今の行動に檻の向こうの看守は気が付いていない。クロコダイルの気がついた様子にヤヒロは説明を始める。
「囚人、監視の人は今ここを認識できないです。少なくとも、私の周囲二メートルはまともに認識できないでしょう」
胸を押し付けるのは有効範囲のせいか、別の意味なのか。
連絡先を囁く。ある街の診療所は彼女の受け持ちの個人施設だ。そこにはバロックワークスの分散した路銀もある。各所に資金の分散をし、彼女に管理させている。
俺がまた外に出るとでも思っているのか。
カラーズ・トラップで見せられた夢が燻る。
「また傷をこさえたら来てください、“社長”」
にっこりと営業スマイルを浮かべる。
また逃げる。
悔しさに腕をつかみ引き込む。能力が使えないクロコダイルでも、フィジカルでは優位であることには変わりない。力負けしたヤヒロは逃れられない。
一瞬、麻酔や神経毒を出すかと気にしたが、毒も出す様子もない。
あのときのように震えることも、涙を流す様子もない。
それだけ確認できれば充分だ。
「二メートルの範囲なら気が付かれねえんだろう?」
声を出さないように貪るが出来ることは限られる。再び塞がれた口は今度は長い。ヤヒロはあっさりとしたが、あんなもので満足は出来まい。ここに来る前に飴でも舐めたのだろう。緊張する時はいつも飴を舐めて落ち着かせていた。こいつからすれば俺は随分煙草臭さが抜けて、汗臭さが増していると思われているだろう。
酸欠と溶け合わさった舌で溶けかけるヤヒロを見て、ようやく顔から離れた。
砕けた腰を手錠の鎖と腕で器用に支え、ヤヒロを膝に乗せる。閉じた服を器用に開き、顔を突っ込む。ヤヒロは焦るが捕まれた腕から離れることもかなわない。顔を胸から離し、キスマークがついていることを確認し満足する。尤も、こんなところでなければもっとつけていた。
服を閉じて、胸から腰を撫でる。
「続きは外だな」
「出るつもりもない癖に」
ヤヒロは残念とも呆れともつかないため息をつく。彼女はバロックワークスの幹部の何人かが留置場から脱獄したのを知っているだろう。クロコダイルが「気が乗らない」とここに大人しく入ったことも。
ヤヒロの胸に額を押し当てる。髪の毛が再び落ちようが気にせず寄せる。
「気が乗らねえからな」
「でしょうね」
そっけなく言いながらクロコダイルの髪の毛を直しつつ撫でる。
「脱獄を手助けするつもりもないですし、貴方もしなさそうだろうなとは思ってるんですけど、そのうち出てきちゃう気がしたので」
ヤヒロは抱き締めると、髪の毛に顔をうずめて呟く。
「外で待ってますよ、わにさん」
医者としてではない声音だった。声がしょうがないなこの人はと言って、笑っている。
再度髪の毛を直されたときは、最初の仕事としてきた真面目な顔に戻ってしまった。ただし、首元を気にしてスカーフを念入りに整えている。
何かを散布し、看守の元に行く。医者として行ってしまった。外にクロコダイルがいてもいなくてもやることも、彼女の目的も変わらない。今回は待つと明言してきたことに燻る。
復讐の情報を得るために待つなんざするわけないと思いつつ、出来ればこのまま忘れてしまえばいいとも思う。
同じ待つでも、ただクロコダイル一個人を待つ愚直さの方がいい。同じ馬鹿でも、マシな馬鹿だ。クロコダイルが守れる最低ラインはここまでだ。
しばらくして、向こう側の檻に誰かが入ってきた。その顔は知っている。一人は同じく元七武海、もう一人は……あの海賊団の団員の一人。
笑いがこみあげてきた。
「娑婆は面白いことになっているな」
外に出るついでに、あの街に行くのもいいかもしれない。
今度は逃がさねえ。