001.~
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この小説の夢小説設定簡易的な夢主設定
夢主は
・女子高生(深陽学園の女子生徒)
・デザイナーの卵
・特殊能力の持ち主(MPLS)
・蟬ヶ沢(スクイーズ)とは昔からの知り合い
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1.
あ、と先に声を上げたのは少女だった。見上げる少女の動きに男も釣られて見上げると上空に鳥がVの字を描いて飛んでいた。
寒さと共に訪れる白鳥はこの季節になると越冬の為に日本にやってくる。川や田んぼに行けば彼らが羽を休めたり、餌を啄む。
二人の周囲には雪化粧の田んぼばかりで道路は車一つ通らない。季節柄ここはもう農耕として使うことがないからか、近隣に住民がいないからか。それでも除雪されているのはここが車の通行としてなくてはならない、場所でもあるのだろう。
住民がいないことは少女の特殊能力〈フェイク・シーズン〉で確認している。やや標高が高い土地は海抜が低い土地よりも寒く、この季節でなくても住みたいとはあまり思わないだろう。
白鳥は少女たちの上空を通り過ぎて更に南に向かう。南に行けば大きな川がある。恐らく白鳥たちはそこで羽を休めるのだろう。
少女は白鳥が通り過ぎるのを見届けると、己の手に息を吐いて暖を取る。
「白鳥もシベリアあたりの寒さには勝てないよねえ」
「そうね、自然には誰にも勝てないわね」
男の言葉遣いには一切気にせず、少女は吐いた息で暖を取る。少女の手を男が取ろうとするが、少女はすっと避けた。
「でも、時には逃げるのも手ってやつよ。その辺人間は意地があるから逃げることを嫌うことがあるし。セミさんはちゃんと逃げる時は逃げてよ」
「私も逃げる時は逃げるわよ。貴女を逃がしてからね」
男はマフラーを取り、少女に巻こうするが彼女は手で遮る。
「絶対セミさんが安全圏に入ってからでないと私は逃げないわ」
「そこが駄目って言っているじゃない」
「じゃあ、一緒に逃げればいいんじゃない?これじゃあ私達どっちも逃げずに相手に潰されるし」
「私は貴女となら逃げても良かったわよ」
男は何からとは言わない。
少女は不服そうに溜め息をついて、大人しくマフラーを巻かれる。ポケットからマスクを取り出し、男に付ける。
男の方が身長がある為か少し首を傾け、彼女の行動を待つ。指二本を鋏の様に一度広げて、紐を挟み込む。落さないように男の耳に掛ける。
「私は逃げたくない」
「今から逃げてもいいんじゃない?」
その声は囁きに近いほどの小声。少女が音を遮断していることが分かっていても他者に聞かれないようにと思っての小声だろう。
「セミさん、私は」
「 統和機構から逃げたくない意地でもある?」
彼には他はどうでもいいとでも言うように。
***
合成人間スクイーズは取り込んだ空気の寒さに少し眉間に皺を寄せた。
表向きでは観光客として来たスクイーズと蝶は辺りを雪原の田んぼを見回す。二人が住んでいる地域にも雪は降るのだが、ここは積雪量が段違いだ。
ここの管轄の合成人間に任せるのが定石だが、今回は相手が分かっており、そこの繋がりとしてスクイーズが選ばれたのだ。
一度山間部の調査を切り上げて住宅街に戻る。
この地域は山と海に挟まれ、至って平和な地域だ。スクイーズや蝶が暮らす地域は都会と言ってもいい場所だったため、同じ人が住む場所とはいえその光景は新鮮だった。
スクイーズ達が向かったのはある個人運営の図書館と宿舎だ。住民の噂によると自衛隊出身者が切り盛りをしているとのことだ。
この図書館のシステムは独特だ。月額で一定金額を支払うことで二十四時間いつでも入ることが出来る。個人運営なのもあり、おおよそ入手できる図書はなんでも置いている。一般的な書籍から個人製作誌、さらにいえば図書館と印刷所との連帯で書籍を作ることもある。
特殊なものを置いているからか管理も厳しい。初めて入るものは入館カードを作らねばならない。いわば身分証明として機能するものだという。
図書館に入ると広い玄関があり更に扉がある。扉には差し込み口がある。
スクイーズはポケットから自身のカードと蝶のカードを入れ、扉を開ける。扉そのものは鉄の扉でも自動ドアでもない、木製の引き戸だ。扉の向こう側に入った瞬間に蝶は思わず後ろを見た。
スクイーズも蝶の様子に気づき、システムの端末を見せる。彼女の能力をもってすればこの端末がどのような状況に置かれているのは気づくだろう。
この図書館、宿舎全体が完全に電波が遮断されている。
扉を超えてすぐ、また部屋があり部屋半分が受け付けのような場所に占められている。そこには眠たそうな顔をした男がぼんやりと本を読んでいる。スクイーズと蝶が来ても反応はしない。
スクイーズもまた男には何も言わず、蝶を連れて更に奥へ進む。
この図書館は元々大きな屋敷だったことから小分けにされた部屋に分かれ、そして広い。部屋のいくらかは談話室としての機能もあるのか微かに談笑が洩れる。
カチューシャかわいや、わかれのつらさ、低い歌声が聞こえる。ここはカラオケまでは許可されていない。微かに、ハミングを取る程度の歌声とも取れない声は無音対話によりスクイーズたちを招く。
声が聞こえる部屋の扉をスクイーズは開けた。
2.
その合成人間は暗殺を目的として造り出された。 統和機構の合成人間には二種類に分けられる。合成人間を殺すことを目的として生み出されたか、MPLSに対抗すべく生み出されたのかだ。彼は前者だった。彼が倒してきた者は合成人間なのか人間なのか分からないことがある。任務ではある対象を発見次第攻撃せよと、軍属におけるスナイパーのような立場でまともに戦闘をしたことがない。ただ、相手の顔はわかる。数百メートル、数キロ先の目標に焦点を定め、彼の能力を放つ。当たった相手はその身に起きたことを直視できずにただただ死んでいく。
合成人間として生きて二十年、左義長上総は疲れていた。
***
スクイーズと蝶は統和機構の構成員として所属している。スクイーズに関しては管理している地域があり、この北の地は完全なる管轄外だ。二人の上司からここ二か月ほど任務を任されている。
約二か月前の十月半ば、原因不明の通信障害が起きたのだ。ある地域から光が発射され、それは一般人、合成人間も目撃している。その日を境にある合成人間が消えたのだ。
その名はTBD。暗殺を目的とされた合成人間であり、スクイーズも”学校”で相手をしたことがある。優男な風貌は表向きの職業を知っていてもあまり結びつかない。彼の表向きの職業は自衛隊だ。
合成人間は全国、全世界に散らばって暗躍しているとされている。スクイーズも合成人間の具体的な総数を知らず、知ろうともしない。システムに関わることに関しては知ろうとしているだけでも処分対象になる。触らぬ神に祟りなしだ。 宗教でも禁忌があるように、どこにも禁忌とされているものはある。ただ、大抵の禁忌はなんの説明もなく禁止されているものだと、大本の利益が崩れる為、相手を束縛し洗脳する為とされている。
(洗脳……か)
スクイーズは口元だけ微かに苦笑いを浮かべる。
確かにスクイーズも 統和機構から洗脳を受けているところはあるだろう。裏切れば殺されると言われることも、全部が全部そうだとは思わないが、なくもないこと。現在、どの国も世界平和をうたっても武器を手放せないように、起こらないだろうが起きない確証もない悪魔の証明に打ち勝つことは困難だ。
もしスクイーズが 統和機構の洗脳から打ち勝っていることがあるとすればこの手に収まる手の持ち主だろう。
「セミさん、どうしたの?」
戦闘状態以外では任務中でも愛称で呼ぶ彼女は手を握られたことで驚いたようだが、軽く握り返してくれる。
スクイーズの唯一の犯した禁忌はМPLSを報告しなかったことだ。
図書館から出たスクイーズと蝶は海岸へ向かった。
時刻は頂点を超え、やや傾いただけのはずの日の空はすでに薄暗い。
スクイーズも蝶もこちら側の海を見るのは初めてだ。二人が見るのは海から上る朝日であり、あと三十分もすれば沈む夕日が見れるだろう。
「……叔父さんもあの海のどこかにいるのかな」
蝶がぽつりと言う。
スクイーズと蝶の二人にとっては海に関して複雑な思い出がある。
「いるなら反対側かしらね」
スクイーズからすればかつての友人との再会、蝶からすれば初めてスクイーズに会った場所が海岸だった。当時にその海で彼女の叔父はスクイーズの任務中に亡くなったと思われている。
「……蝶、怒っていいのよ」
蝶は何も答えずスクイーズの手を握る。触れたことにより蝶の能力で彼女の意識の向きがスクイーズも共有される。怒ってはいない。ただ酷く寂しそうで、一般人と変わらない筋肉でぎゅうぎゅうスクイーズの手を握る。
「大丈夫、どこにも行かないわ」
握り返し、沈む夕日を背に再び山に向かう。
3.
統和機構内において全員から嫌われているといってもいい人物がいる。合成人間であり、コードネームはカチューシャ。嫌われているのは彼女が生まれたときより合成人間の任務ばかりのもっぱら殺ししかしていないことや、煽るような発言、高圧的な態度、おおよそ彼女の言動に関しては良い噂は聞かない。何より彼女の与えられた任務が理由も原因に挙げられるだろう。
鑑定人カチューシャ。合成人間を鑑定士、判断次第で処分することを生業としている。
根っからの合成人間殺しの合成人間なのだ。
***
蝶は統和機構所属のМPLSだ。彼女の能力〈フェイク・シーズン〉は脅威と判定されず、スクイーズの監視下で共に任務に就くことなった。
そう仕向けたのはスクイーズであり、上司のレインだ。スクイーズとしては蝶が統和機構に見つからないのが一番と考え十年以上も隠してきた。
「セミさん」
スクイーズはレインから言われたことを反復する。
(”嫉妬深いのね”……か)
蝶がシステムに見つかった以上、アウトレージに頼み安全な場所で暮らすようにすることも出来た。
スクイーズがどうこうする前に蝶はレインにシステムに入ることを伝えていたらしい。それはまだ彼女といられる安心感もあるが、あいつのところに行かなくて良かったとも思っている。
アウトレージは精神的に不安定で敵味方を殺してきたネストを保護したと聞く。
あいつは昔から気に食わないヤツにはつっかけるが弱った奴、女子供には優しく接しているところがあった。ガキ大将がそのまま大きくなったと言ってもいい。八方美人の性格というよりは気遣いの塊のような人間だ。
「セミさん」
(蝶はこう言った人には弱そうだから合わせたくないんだがな……)
スクイーズにとってはアウトレージに関わることを考えると気が重い。気分が悪くなるわけではないが、複雑な心境になるのだ。
気が重くなり天を仰ぐ。冬の星空なのもあってか、遠くの星まで鮮明に光っているのが見える。
星空に見とれていると別のきらきら光るものが落ちてきた。皮膚に触れると冷たく、しゅわりと溶ける。
粉雪が舞い、微細な氷がスクイーズと蝶を覆いこむ。
考えすぎて肺に粉雪が入り込んだのか、せき込む。寒い地域では呼吸も辛くなると聞くが、人間よりは丈夫なはずだ。
掌を見て三秒ほど固まる。
さきほどまでは掌にはない赤い液体。
”血を吐いていた”
半開きの口はわなわなと震え、何も考えられなくなる。
(とうとう来たのか……)
「スクイーズ!」
素手で握っていた手が強く握られてようやく彼女が視ているものに気づいた。
***
(やれやれいたか)
カチューシャは標的を見つけると蹴とばした。
彼の反応は薄いが確かに頷いた。
「守備はどう?」
「ええ、既にファイアー・クラッカーを放ちました。もう二撃目を放っても?」
「いいわよ」
カチューシャは特定中の特例、鑑定の合成人間。
スクイーズが裏切らないか鑑定してきたのだ。
***
スクイーズは掌の血を無理やり雪の中に突っ込み、隠す。蝶を抱えてすぐさま飛び出す。
飛び出した瞬間皮膚に痛みが生じる。それは手に触れている蝶に感覚と感情が伝わったようで、彼女も苦痛に顔を歪める。痛みに耐えながら動いたのは功を奏した。
彼らがいた場所が異様な音を立てる。飛び去る瞬間ちらっと見たスクイーズは戦慄した。
寒い地域では雪が降るのは当然のことだが、より寒い地域ではそんなありえないことは起きない。
氷も冷えすぎれば粉になる。雪も氷の結晶だが、極寒の地域では雪が積もることはない。粉として留まることなく地域中を風に流される。
移動しながらも足跡が追いかけるように凍り、風が吹いた瞬間に氷の砂が流されていく。
これ以上の足での移動はまずいと考え、蝶の手を握る。彼女の能力は流れが視え、その向きを変えることが出来る。触れると蝶の視ているものが一時的に共有されるのだ。
重力で引っ張られる向きが一気に変えられ、空に落ち、横に落ち、林の中に落ちる。ジェット機のように上下左右、Gに振り舞われたことで意識をスクイーズは失いかけるがなんとか堪える。これでもまだ彼女の制御があって軽減されているのだ。
ある程度は姿や音を遮断して落ちてきたとしても蝶のこの遮断能力の効果範囲はそう広くない。林に落ちたことに気づかれただろう。
蝶の能力で摩擦や衝撃はある程度は和らげたが、木々の枝に刺さらないように蝶を抱き込んでいたからか顔や手足は傷だらけだ。
また咳き込む。口の中が血の匂いで充満し、今すぐ吐いてしまいたいが我慢する。彼女に心配を掛けたくない。
「セミさん、無事?」
「平気だ」
相手が来るまで癒しておきたいが、そう時間もないだろう。
「……セミさん」
「”スクイーズ”」
内心愛称で呼ばれて癒されるが、今は戦いの場。切り替えねばならない。
「スクイーズ」
彼女はひたりとスクイーズの首に手を添え、身を寄せてきた。
***
TBDは突如消えたスクイーズとその相棒を見ても驚かなかった。それよりも、スクイーズの手に視線が吸い込まれた。
ゲルリッヒ実験はかつて 統和機構で行われた実験の一つで、スクイーズは唯一の成功例だと聞く。アウトレージ、タンク・フォークも能力が未熟であったり、身体の成長の不具合など、生きている者はこの三人だ。
アウトレージは統和機構から逃げ出してからは合成人間の逃亡を手助けしている。助け出された合成人間の中には能力制御が下手な失敗作でさえも引き取り、保護しているらしい。
アウトレージもスクイーズを保護しようとしているのか。
(まあ、僕はここから逃げ出せるならなんでもしますよ)
彼らが落ちたと思しき林に向かう。
林からやや距離がある中でTBDは立ち止まり、手をやや斜め上を向ける。
***
TBD、正式名称は駆逐艦Torpedo Boat Destroyer、暗殺魚雷ファイアー・クラッカーを使って相手を凍らせる能力を持つ合成人間だ。
今日使われている魚雷はホーミング魚雷といい、標的を誘導して攻撃する。アクティブ・ホーミング方式、セミアクティブ・ホーミング方式、ウェーキ・ホーミング方式、他にもあるが、このTBDのファイアー・クラッカーはそれらにちなんで名づけられた。
「そうだな、彼女がオルガンと命名されるなら君は暗殺魚雷ファイアー・クラッカーがいい。彼女が陸上の殺戮兵器、君は海上の殺戮兵器だ」
ファイアー・クラッカーは二撃するとで相手を仕留める。厳密にいえば”あの辺にいたもの”に向けて攻撃される。カチューシャのオルガンのようにやや標的を定めづらいのが難点だ。
一度の攻撃を受ければ逃げることは出来ない、一滴でも付着すれば二撃目の攻撃を交わすことは出来ない。ホーミングのように反射波と捉えるように二撃目の体内から発射された薬液はやや外気に触れた一撃目の付着した薬液めがけて砲撃する。
当たれば爆発する。ただその爆発は火薬による爆発ではない。急激に物体が凍ったことにより体内の組織が重みに耐えきれなくなるのだ。
TBDが海上自衛隊にいたころ、海上の保安とシステムの監視も兼ねていたころ。不審船を発見してはファイアー・クラッカーを放っては消してきた。海では不審船はよくあることだが、そこにはシステムからの脱走者がいることがある。万が一システムのことが余計に広まれば混乱が生じる。
あるとき潜入していたパールからアウトレージという脱走していた合成人間がいると聞かされた。発見次第攻撃しろと言われる。これまではだいたいの範囲に向けて攻撃してきた。他の砲撃型の合成人間のように目標を定めて放つ必要はなかった。
「僕に誰かを撃つことが出来るだろうか」
艦内は不審な者は人ひとりいない。いた方がおかしいのだ。それでも見回っていると時間外にも関わらずシャワー室が稼働してる。
まさかと思い気配を殺しながら近づくと褐色肌の白髪頭の男と幼すぎる幼女がいる。前者はアウトレージだと理解したが、幼い少女については聞かされておらず、うろたえたTBDはアウトレージに逃げられてしまった。
追いかけその途中だ。上から赤黒い液体が降ってきた。
とっさにファイアー・クラッカーを放つ。
それが功を奏した。一撃目でもある程度は凍らせることが出来る。ただ、なんだこれは。どこへ行ってもあるのは赤黒い液体。
闇雲にファイアー・クラッカーを放ったことでネストの溶解の霧から逃れられていたとは彼は気づいていない。艦内の生存者全員が赤黒い液体に変えられたことに気づき終えた直後、甲板から衝撃が伝わる。
TBDは悲鳴をあげる余裕はない。合成人間である身はこの赤黒い物体はアウトレージか、パールか、いずれにしても合成人間の仕業だというのは合成人間たる側面が冷静になったことで、理解が追い付いてきた。
「左義長生きていたか」
「日和伍長」
唯一の生存者にほっとしたのもつかの間だ。
「今の衝撃のせいか浸水し始めている。来てみれば周囲はこんな血だまりみたいな光景になって、誰もいりゃしねえ。お前だけでも逃げろ」
「ですが」
「行け!これは命令だ!俺だって何が起こっているかわからん。だがほかに生存者がいるかもしれないんだ。お前だけでも先に行け!」
日和が壁を殴る。
じゅわ、何か焼けこげるような匂いが立ち、日和の体が溶け燃える。
「あ……ああ!」
とっさにファイアー・クラッカーを放ち、日和の溶け燃える体を凍らせる。痛みに耐えかね倒れる体が赤黒い液体に触れ、さらに溶け燃えていく。
日和が諦めたように首を横に振る。
浸水していく艦隊、沈む伍長。
海の足元を凍らせ、それを蹴る。微かに見える陸地を頼りに泳ぎ続ける。
左義長はもがき泳ぎながらも脱出した。
4.
左義長はどうやって 統和機構から逃げようか考えていた。逃げる手段は自身で生命を絶つか、逃げるかの二通りで、少なくとも左義長はまだ死にたくはなかった。
逃げる準備だけはしていた。最低限必要な荷物、逃げる道順。左義長が表向きにしていた職業は自衛隊。最初は海上自衛隊にいたのだが、変更したのだ。海上自衛隊ならば自力で逃げることは困難であり、所属として選んだのはただ逃げるなら陸地の方がいい。
彼は自衛隊員としては他の隊員と同じく真面目に励んだ。
ある紛争地域の派遣活動での出来事だ。
ややオレンジがかった色の肌の住民と話しながら会った男がいた。
***
TBDが林に向けて放ったファイアー・クラッカーの着弾音が聞こえた。一撃目の薬液に触れて凍り付く物体の音だ。
標的が当たったのを確認すべく近づくが周囲にファイアー・クラッカーを霧状に散布して警戒する。
茂みが動き、そこへ目掛けて高濃度のファイアー・クラッカーを放つ。
放ったファイアー・クラッカーは奇妙な弧を描き、別方向へ飛ぶ。
TBDは茂みにも別方向へ飛んだファイアー・クラッカーの行方を確認する暇もなかった。
――きん…!――
つんざつ音に頭を揺さぶられ、体は裂ける。
「がっ!」
飛びかける意識で見たのは茂みから出てがたがた肩を震わせた少女と口から垂れる血を拭ったスクイーズの走りかける姿だった。
後者は知っている。前者を直接見たのは今が初めてだが、確かに似ていると思った。
「日和伍長の姪御……さん……」
***
左義長は沈没した自衛艦について調書を受けたが、本当のことを話すわけにも行かず、かといって話したとて信じてはくれないことに途方に暮れていた。
釈放されたのは沈没してからそう経過してない。
取調室に来たのはこの場にはそぐわないフランス人形のように美しい少女。
「あんたのことはもう片が付いたから出なさい」
合成人間を鑑定する合成人間。合成人間の処分屋。カチューシャは自分を殺しに来たのだろうか。
彼女は何も言うことなく、左義長を連れまわす。やや時間をかけて海辺に着くと、片手をこちらに向けてきた。
「なにしてんの?早くファイアー・クラッカーを撃ちなさいよ」
左義長は言われるがまま放つ。同時にカチューシャもオルガンを放ち、双方の攻撃は丁度中間の距離で当たり水蒸気と爆風を巻き上げ、やがて風に流されていく。
「ま、使えるならいいわ。じゃ、あんたは元居たとこ戻っていいわよ。たぶん処分は受けるだろうけど、そこは社会に身を置くあんたの責任」
「待ってくれ」
「あ?」
「僕を殺すんじゃないのか?」
「必要なら殺してるわ」
「……」
「何よ殺してほしかったの?死にたかった?」
けらけらと無遠慮にあざ笑う。
「……そうだね。どうせなら君に殺されたらよかった」
「はあ?」
カチューシャの眉が跳ね上がる。
「TBDに対抗しうる存在は貴女だと思っていたんですよ」
「……なら裏切りなさいよ。そうすればお望み通り殺してあげる」
ふんぞり返ったカチューシャを見て思わず左義長は笑う。
「残念ながら、当分は裏切れそうにはないです」
***
血の匂いがした。冬場のような場所は特に匂いが鮮明に香る。
スクイーズはとっさに掌を雪で拭ったが、掌の指紋には赤い筋として血が残る。
〈フェイク・シーズン〉で自身とスクイーズに降りかかった粉雪を視る。予想通り、この粉雪はTBDが放ったものだ。成分が雪以外のものがある。蝶でも分解出来る成分と理解し安心するが気は抜けない。
「スクイーズ」
蝶を抱きかかえながら、保護してくれる相棒――蝶に呼びかける。口の端から血が滴りかけるが、彼は気づいていない。
スクイーズの首に触れる。彼は焦るが構わず手を更に下に、服の下に突っ込む。
「ま、まて、敵がいるんだぞ。ここでは我慢してくれ」
「我慢しているのはスクイーズ。……ごめんね、ちょっと服めくる」
首に突っ込んだ手を抜いて、腹からスクイーズの服の中に手を突っ込む。蝶の冷えた手にびくっと体が震えるかと思いきや静かにしている。
気のせいか能力で視る彼の意識のテンションが下がったような気がした。確認をしたいが、無理やり頭を押さえられて視認することは許してもらえない。
「……変態」
「任務中だぞ」
「セクハラで訴えてやる」
「”これ”はセクハラじゃないのか」
スクイーズは自身の胸に触れる蝶の手を指さす。
ばしりとひっぱたいてその手がないことを行動で説明するが、彼は冷たさと痛さに意識が向いていた。
「TBDのファイアー・クラッカーの除去してんだから仕方ないでしょ」
スクイーズの肺の中を視る。喉と、気管支、肺胞にまでファイアー・クラッカーが入り込んでいる。薬液に触れた箇所は凍傷している。肺に入った薬液を分解し、更に彼の体の表面に付着した薬液も分解していく。
全身に付着している薬液の分解を終えると、スクイーズが咳き込む。何か吐きそうな声を発したが我慢している。
「凍傷したところは痰として出されると思うから吐き出しなよ」
彼は恥ずかしがっている訳でもないが何か出し渋っている。
蝶は心の中でため息をついてティッシュをスクイーズの口に押し当てる。もごもごと言いたげな視線を向けつつもスクイーズは赤黒い痰を吐き出した。
「で、悪いんだけど、スクイーズはちょっと向こうに行って。私が囮になるから」
不服そうなスクイーズに容赦なく突き放す。
「スクイーズじゃないと攻撃出来ないし、たぶんこのファイアー・クラッカーは目印。少なくとも片方はちゃんと付いたままじゃないと怪しまれる。だから行って」
スクイーズはため息をつく。
文字通りへの字に曲げた口のままスクイーズはやや遠くに行って砲撃の準備に行ってくれた。
静かになると〈フェイク・シーズン〉を探索モードに切り替え、この地域全体の意識を視る。異様な速さで移動する人の意識が視えた。間違いなく合成人間の移動速度であり、TBDだろう。
視線でスクイーズの様子を確認する。ちょうど五十メートル先にいる。木から積もり落ちた雪のかたまりの中にいるらしい雪の間から顔を覗かせる。位置からは林側から見れば見えるが外からは見えない状態になっている。
一分もしない内に距離は一キロに迫る、数百、五百メートルのところでTBDの意識は彼自身の腕とこちら側にいる林に意識を向ける。
(来た)
スクイーズにTBDが来たことを合図すると、合図で返事が返ってきた。
TBDがファイアー・クラッカーを放った。手を上空に向けて広範囲に散布された薬液は冷えた木々を凍らせ、一点を更に凍らせる。
直後TBDが雪と共に吹っ飛ぶ。スクイーズが肺に溜めたエネルギーを放ったのだ。
***
彼が目覚めると視線はすぐさま蝶に向かった。
「日和伍長の姪御さん」
「ちゃんと会うのは初めてですね」
「ええ、さきほどは彼の邪魔が入りましたからね。まさか本当に攻撃するなんて」
図書館の奥にて既に会っていたのだ。部屋に招き入れたのは左義長だ。蝶も入ろうとしたところスクイーズに止められ、扉越しに話を聞くことになったのだ。
TBDの処分の任務そのものは 統和機構からの任務であり、それはスクイーズも蝶も承知している。レインとTBDの契約の手引きとして頼まれたこともあるのだ。
スクイーズはTBD、左義長とは以前任務で同じ場所にいたらしい。左義長は海上自衛隊にいたことから、当時蝶の叔父とも会っていたという。叔父の最後は教えてもらえなかった。
「そういえば、あの図書館で話した方がいいのでは?」
蝶は首を振り、TBDの手を握る。彼は視線だけ周りを巡らせ、微かに微笑む。
「……なるほど、イージス艦とは上手い異名ですね」
「対戦車砲と潜水艦じゃあ相性がわるい」
「私の相手は戦車だからな。でも、ミシンとこうもり傘も悪くないだろう?」
蝶の能力により盗聴も盗撮も塞がれていることを理解したと判断したのか、スクイーズが左義長を握る蝶の手をほどいた。
「もうちょっと握っておきたいんだけど」
「セクハラじゃないのか」
「セミさんの思考がセクハラだし。……そろそろだわ」
スクイーズの専用の端末から通信が入る。出ると馴染みの声が聞こえた。
“左義長もいるわね”
「カチューシャ」
上空から熱源を持った衝撃波が降りかかる。
“まあ、傍から見ればね。そうね……あんたには悪いけど、逃げがさないわ”
5.
アウトレージが逃亡したのは遥か昔のことで、現在の統和機構では逃亡者のリストにすら入っていないらしい。
能力は発露していたが、まだ任務も与えられてない素体としての扱いだったらしい。
どうやって、どうして逃げたのかは左義長も知らない。
今回の逃亡の際、スクイーズも連れてこいと頼まれた。
***
「やれやれ交渉決裂ですかね」
TBDがのんきにカチューシャの方を見る。
二撃目のオルガンが降りかかる。TBDはファイアー・クラッカーを空に放ち、相殺する。着弾した薬液と衝撃により焼けこげた薬液だったものはTBD達の上に落ちる。
「カチューシャが来ていることは聞いてないぞ」
「ええ、話してませんでしたから」
TBDはあっさりと明かす。
「どうせ殺されるなら、彼女の方がいいなと思いましてね。彼女も貴方の鑑定もあるということで同行してもらいました」
「な……」
絶句するスクイーズに蝶は冷静にTBDの手を握る。それを見たスクイーズは思わず蝶のもう片方の手を握る。彼女の意識の示す先が視えた。
「ち……ウェザー」
「お願い」
気が付けば彼女はTBDから手を放している。
「無理はするなよ」
「りょうかい」
蝶の顔はなんともついでに卵を買ってきてくれと頼むような気軽さで、スクイーズは胃が痛むのを感じた。
***
渋々スクイーズが去った後、蝶は彼と握っていた手を三秒ほど見つめていた。
「さて、あのど過保護が行ったわけで、もうちょっと踏ん張る必要があるわ」
蝶はTBDの手を握り直し、再度彼の意識と体の組成を調べている。蝶が彼の体を調べている間、カチューシャからの攻撃をファイアー・クラッカーで相殺している。
「嫉妬深いって言われたことありません?」
「ああいうのは過保護っていうの」
「気にしてもらえるってちょっといいですね」
「TBDは」
「左義長でいいですよ。カチューシャもそう呼んでいたので」
「じゃあ、左義長さん。カチューシャとはどんな関係?逃亡したのってちょっと前なのに、今の今まで話をしていたレベルで繋がりがあるってカチューシャにしてみれば珍しいらしけど」
「……そうですねえ。世話焼き姉さんに構われている気がするですかね」.
「カチューシャも見た目よりも遙かにお姉さんですもんね」
「僕よりかはやや上だそうです」
「それにしは戦闘経験はあんまりなさそうですね」
「おや、分かります?彼女も実際のところ戦闘らしい戦闘をしたことがないですよ。あっても奇襲や安全圏からの砲撃で、対面として戦うのはこれが初めてじゃないですかね」
オルガンが降り注ぐ中、左義長はおもむろに立ち上がる。
「では、任せましたよ」
降り注ぐ爆撃は相殺され、左義長はゆっくり進んで行く。
「僕らはただ一方的に攻撃して処理をしてきた」
その場は既に着弾した場所で地面にあった雪は既に溶けている。
「この力をなんの為に使うか、考えたことがあるかい?」
左義長は左手を横に伸ばし、無防備にオルガンを迎える。
***
カチューシャは端末を手に取る。端末のバッテリーは残量が少ないのか通信が上手く起動せず、しばらくすると電源のランプは付かなくなった。
合成人間を殺す合成人間のカチューシャはいつもの不遜な顔を歪ませる。
「何が陸上の武器よ」
一撃目から再度構える。オルガンの名を冠するのもあり、攻撃は大雑把で広範囲に高い威力のある熱源の砲撃を撃つことが出来る。
着弾した地域は焼き尽くされた、そのはずだった。
カチューシャのいる場所は左義長、スクイーズ達よりも標高が高い位置だ。
撃った範囲の林は雪は解けているがそれでも残雪し、溶けた雪が氷として再度固形化している。
無効化されているのは明らかだ。
「ふざ、けんじゃないわよ」
左義長はカチューシャと近い期間に生み出された合成人間だ。
能力の性質が近く、やや後から生まれた後輩だったこともあり、何かあれば彼の鑑定は常にカチューシャが担当していた。
連続でオルガンを放って何度目かは数えていない。ソーサラーのように連続で撃てば無能人間になり下がりかねない。カチューシャが自身を守る手段、自分を生かす価値はこの能力にある。
「お前も、お前もだろうが」
カチューシャが左義長の逃亡を知ったのは逃亡からひと月してからだ。予想外の行動だとは思わない。十年ほど前から既に心身をやられていたのは分かっていた。それでも能力を扱えることが確認出来た。
いくら使えないと言われる合成人間といえども、最低限任務をこなす意思と生きる意思があれば生存くらいは許される。
左義長の逃亡により、処分を任されるのはカチューシャだと思っていた。予想に反し、左義長の始末を任されたのはごく最近のことで、それまでは他の合成人間が担っていた。
スクイーズの鑑定を任されたのと同時期に左義長から連絡が入った。
海岸の何も遮蔽物がない、しみったれた場所にいた時に話しかけられた。
「カチューシャにしてはロマンチックなところにいますね」
「お前!いままでどこにいた」
左義長はとぼけた様子でカチューシャに近づく。
「お前を鑑定するのは私だ」
「今は僕を鑑定する任務は与えられてないでしょう」
「そのうち他の合成人間がお前を捕まえて」
「わざわざ貴女の前に差し出すと?そこまで甘いところじゃないでしょう。もう僕は生かすことは許されない。カチューシャはもう僕を甘やかす必要はない」
カチューシャは左義長の襟をつかむ。カチューシャの身長の低さに引っ張られ左義長はよろめくが、堪える。
「甘やかす?私が?いつお前を甘やかした」
「“姉”にいつまでも頼りっぱなしになるのも申し訳ないですからね。独り立ちの挨拶をしに来たんですよ」
「……行くのか」
「殺さないんです?敵対するんですよ」
「敵対しに行くお前を」
「そうですね、カチューシャさえ来てくれれば敵対はしないでしょう」
「私が…?」
統和機構の端末から通信が入る。相手はチーフテンだった。
「カチューシャ、今いいですか。まあ、よくなくても任務なのでいやでも受けてくださいね」
「お前は私に任務を与える管轄じゃないだろう」
「ええ、実際はそうなのですが、些か私にも関わりが薄くないことでもありまして。TBDの逃亡に関してです」
カチューシャは隣にいる“弟”をチラ見した。彼は呑気に貝殻を拾い品定めをしている。
「現在、寺月恭一郎の財産管理をしているのですが、V∀にまつわる研究材料をTBDが持ち出したらしいのです。TBDの始末の任務はスクイーズが、――これはまだ彼には伝わっていないのですがね――受ける予定で、スクイーズの鑑定とTBDの持ち出した研究材料を鑑定して欲しいのです」
カチューシャは何も言わないが、チーフテンはそのまま話し続ける。
「TBDの場所が分かり次第、スクイーズもカチューシャもTBDの元へ行ってもらいます。スクイーズには貴女が一緒に同じ人物を追いかけていることは伝えてませんので、そこは気を付けてくださいね。仮に彼ごと始末してもさほど問題ないでしょう。それでは正式な任務は別途連絡が来ると思うので。では私はこれで」
通信が途切れると、カチューシャは左義長に飛び乗る。彼は動じることなくカチューシャを見つめる。
「話は終わりましたか。そのうちスクイーズが僕を殺しく来るので宜しく」
「スクイーズを鑑定しろだと」
「恐らく僕と繋がりがあるからでしょう。知っているからこそ僕の行動予測が可能で、かつ裏切らないかの確認もあってでしょう」
「お前を、お前を鑑定する」
「貴女が受けた任務はスクイーズとTBDが持ち出したV∀の鑑定。間違えちゃだめですよ?」
「お前を鑑定するのは私だろう?」
「……、カチューシャは正式な任務を受けてから頼みたいことがあります。大丈夫、僕はこのまま裏切りますが、スクイーズは裏切りませんよ」
何度オルガンを撃ったことだろう。周辺木々は徐々に蒸発し、一部は湯気が立っている。蒸気の熱さと冬の冷気でカチューシャの衣服は濡れて凍えながらも蒸気で表面温度は高いままだ。
湯気も風に流されて視界が広がると、前方から一人の男が歩いてきた。スクイーズだ。
「もう良いだろうカチューシャ」
スクイーズがカチューシャにあるものを出しだす。直径十五センチ長さ三十センチの棒状のそれは、人の腕だ。
「……チーフテンからの鑑定はもう終わりだ」
その腕には見覚えがある。何年見てきたと思っている。
「……左義長」
黒こげの炭化した腕を受け取る。能力を出し切り、オルガンに対抗できなくなったのだろう。
「TBDは死んだ。私の裏切りの鑑定をしに来たようだが、その必要もなくなった」
6.
カチューシャが去ったあと先ほどのスクイーズが隠れていたかまくらを覗き込む。
そこにはTBD、左義長がいた。左腕は肘から焼けこげ、その先はない。
蝶は左義長の傍に寄り、焼けこげた部位を〈フェイク・シーズン〉で落としている。
蝶が左義長の手を握っていたのは彼の体組織を視る為と、カチューシャの攻撃の向きを左義長の腕に当てる為でもあった。
「あいつ、ずいぶん落ち込んでいたがいいのか?」
左義長は苦笑いを浮かべながら頷く。
「勝っても負けても同じこと。降りれないゲームならばゲームを変えてしまえばいいじゃないか、とね。
もうシステムにいる必要はないと感じましてね。人を、同胞を焼き飛ばすのも疲れてきたんです。統和機構は世界のためにMPLSを合成人間を狩り、守るのが使命とは与えられてきましたが、これからは自分自身が守りたいものに効力を行使しようと決めたんです」
「カチューシャはその対象じゃないのか」
彼はやや悩むそぶりをしたが苦笑いを浮かべる。
「そんなかわいい人って感じじゃないんですよ。どちらかといえば、真っ向から勝負がしたかった」
焼けこげた部位が落ち切ると、スクイーズが鞄から一本の腕を取り出す。これはある程度までは再生不可能な合成人間用の腕の予備として造り出されたものだ。
スクイーズ達は左義長の予備の腕を届ける為、合成人間として完全に死んだと思わせるためにこの任務に着いたのだ。この腕を造り出した者も部位再生用の合成人間で、事情は左義長本人から伝わっている。
左義長には元より脱走の計画があった。準備もしていた。行く当てもあった。あとは逃げるタイミングだけであり、それが十月の電波障害だった。
「あちらに先にいけば、いざカチューシャが統和機構にいれなくなったら迎えられますからね。DDTの目的には僕も賛同してましす」
左義長の欠けた腕に予備の腕をつけてしばらくするとくっ付き、予備の腕ごと再生し始めた。蝶の能力の補助もあり、普段以上に早く再生が進む。
「貴方も“こちら”に渡ってもいいのでは?“彼”ならばきっと喜ぶ」
「いいや、私は所詮は留鳥。ここから離れることは出来ない。なにより離れたくないんでね」
「了解しました」
「それが狙いか?」
「ええ。それが彼との、アウトレージとの契約条件の一つでしたので。それと」
男はいいよどむ。それまで沈黙を貫いてきた少女に視線を向けて、
「貴女は……来ますか?」
「デザイナー蟬ヶ沢の活躍が追いかけられないなら私は行くことはないわね」
少女は肩をすくめる。そっぽを向く男に左義長はすくすく笑う。
「早く貴方の作品を見れば私も……なんてですけどね」
***
とぼとぼと濡れ鼠が歩いている。
普段はフランス人形のような綺麗な出で立ちをしているのだろうが、身ぎれいな衣服も髪も顔も濡れている。
さらにその右手には黒い枝を持っている。力を入れれば折れるだろうが、落とさないように、壊れないように彼女にしては珍しく繊細に持っていた。
電車に乗り込み、海に沈む月を眺める。カチューシャの目が見開く。
波止場に一人の男が立っている。その男は手を顔の横に上げ、ゆっくりと左右に振る。
……ばいばい
カチューシャは思わず窓に引っ付く。誰かは判別は付かない。付かないが確信がもてる。
電車が動きだし、離れていく。
見える限りずっと眺めていた。
左義長は波止場にいる。海岸沿いの電車に乗り込むカチューシャの姿を眺めながら少し寂しそうに手を振り、見えなくなるまで手を振っていた。
「……これは単なるお節介だろうけど、次会えるときはもう少し気楽に話せると思うんだ」
このばいばいは別れではない。“いってきます”だ。
気のせいか、電車の中の人影もかなり小さく何かを振った様な動きが見えたが、既に遠くに言っていた為に確信は持てなかった。
7.スターリースノー
TBDを見送った後、静かに海岸を眺める。
鑑定していたカチューシャもTBDの死体の証拠として受け取った腕を持ち帰って、この場にいるのはスクイーズと蝶だけだ。
「寒い」
後ろにいる相棒にもたれて、ジャケットにくるめてくれないか期待する。
期待通りジャケットごと腕で包み込んでくれる。
やっていることが傍から見れば通報ものだとは自覚しているのか、スクイーズはあたりを見渡す。この地域はさっきまでTBDとカチューシャと戦闘が行われたせいで白銀の世界がやや土まみれになっている。
人ひとりいないことは蝶の能力でもわかっているのだが、それでも心配らしい。
「誰もいないし安心してよ」
「誰もいないからって人の服に手を突っ込むのか」
「触れなきゃセミさんの中にあったファイアー・クラッカーを除去できなかったんだし。……てか、セミさんに戻ってもいいんじゃない?」
普段の彼の口調は女性のような、行ってしまえばオネエ言葉と呼ばれる話し方に当たる。この話し方はいわば任務用の話し方であり、現在が
任務後ならば話し方を戻してもいいはずだ。
「朝まではこうしている」
「変なセミさん」
「変なのは蝶だろう。こんなやつとこんなところまで」
腕が軽く締め付けられる。
「好き好んで“こんなのと”いるだけ」
「…………」
「悪くないと思っているよ」
スクイーズを押し倒し、雪原に人型をつける。
腹に乗る蝶はスクイーズの横に転がる。
空は晴れて満点の星、風に流れて粉雪が舞い上がり舞い落ちる。
空から削り出された星が落ちてきたようだ。
「少なくとも、セミさんのままじゃこんなところに来れないし、一緒に見れないじゃない。だから悪くないと思ってるし、好き好んで一緒にいる」
「…………」
スクイーズが咽る。
「セミさん大丈夫?また雪が肺に入っちゃった?」
苦笑いながらスクイーズの肺に入った雪を取り除こうと手を伸ばすと、逃げられた。
「今度は手とか一部だけ触れば十分だって」
スクイーズはそっぽを向いたまま、黙っている。
「……セミさん?」
覗き込もうとするとスクイーズが覆い被さってきた。大の大人の重さに押しつぶされ、呼吸が苦しくなる。
「セクハラ反対!」
「さっきのお腹に触った件で相子だ」
***
朝日が山から登り、スクイーズと蝶は二十四時間運営されている図書館に戻る。
蝶が雪玉を投げてくるがそのまま受ける。スクイーズとて受けっぱなしではない。少しだけ固めた程度の雪玉をぽすぽす当てていく。
遊び、ふざけながら雪原を下る。
スクイーズはこっそり視線を朝日のある後ろに向ける。
雪原の中が赤く染まっている。視認できるのは合成人間としての強化視力あってのもので、蝶がそれを能力で凝らして視ない限り気づかれることはない。
手袋を嵌めなおし、蝶の手を握る。
「迷子にならないでよ」
口調を戻し話しかけると、蝶はほっと見つめてきた。ああは言っても、彼女が長く見てきたのは蟬ヶ沢なのだ。
「セミさんの子じゃないし」
「実際それくらい離れているんだから」
「援助交際中年不審者セミ」
「援助交際はしてないし、中年だけど、不審者じゃない……かもしれないわね。いえ、そうじゃなくて、雪道は滑るんだから」
蟬ヶ沢の忠告も虚しく、蝶は足を滑らせ、手を引っ張った蟬ヶ沢も一緒に滑り転んだ。
雪道に二度目の人型をつけて、二人は大笑いした。