001.~
Please tell me your name
この小説の夢小説設定簡易的な夢主設定
夢主は
・女子高生(深陽学園の女子生徒)
・デザイナーの卵
・特殊能力の持ち主(MPLS)
・蟬ヶ沢(スクイーズ)とは昔からの知り合い
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1.いて
ミスをしたのは久しぶりのことで、スクイーズにはこっぴどく叱られてしまった。
蝶は薬液を注射された自身の腕を見る。見目こそただの針を刺した後だが、投与された薬はざっくり言えば毒物の扱いとされている。
注射された右腕をスクイーズが握っていた。
「生きてる……」
「当たり前だ。表だって名前は出せないが、仮にもここは医者がいるんだ。へまをするわけない」
珍しく言葉遣いが女性寄りではないのはここが統和機構の関連施設だからだ。システムの関連施設では蝶も無理に言葉遣いをそのままにしてくれと頼みはしない。
仮にここがシステムの関連施設だろうとしても今のスクイーズに何かを強いることはしたくない。
スクイーズの顔には明らか泣いた後がある。蝶が起きた頃には既に乾いていたが、泣くほど心配させてしまったと思うと胸が痛くなる。
ウェットティッシュで拭こうかと蝶は手を動かそうとするが、痺れが残っている。毒の排出は今もしているが、自力よりも自然に任せたようが楽なので、一切能力は使っていない。
蝶の手がぴくりぴくりと動いているのは見えたのか、スクイーズは彼女の手を少し持ち上げ、どうしたのと尋ねる。すぐに要望のものが見つかるように周囲をきょろきょろ探す。
「今の体調なら動けるまでまだ時間があるが、どうする?ラジオとか……流すか?」
「なんでラジオよ」
「静かだし、いいかなって思ったんだが……」
「今はいいや」
「そう……か」
いつもながらしょんぼりとするスクイーズは情けないにも程がある。大柄な体躯が背を丸めている様は熊は熊でも写実的なテディベアみたいだ。
蝶は口を開いて止まる。何か頼むのなら、わがままを言うのなら今かなと、悪い考えが思い浮かんだのだ。
言うのはやめた。馬鹿馬鹿しいわがままで、あまりにも口に出すのは恥ずかしい。
この男は鈍いのか鋭いのか、蝶が言いかけたのには気づいた。
スクイーズは心配そうに見つめるが、そんな気にするようなことを言うわけではないのだ。顔を逸らすことが出来たらどんなにいいことか。顔は逸らせないので、瞼を閉じる。
「眠いのか?顔も赤い。薬の影響ならスタッフを一度呼ぶか?」
両頬をそっと包む。瞼を閉じているので彼の様子がどうっているのかは解らないが、恐らく今目を開けたら確実に目が合うだろう。
「スタッフは呼ばないで」
「でも暑そうな様子なら、タオルでも濡らした方がよさそうだが」
「本当に、本当に、スクイーズは行かなくていい。そこにいて」
「そ、そうか……?」
スクイーズは半分上がった腰をおろす。
「欲しいものとかして欲しいことがあったら」
「社長のアイスが食べたい」
「それはだめだ」
即断られた。
「ケチ」
「出来る範囲内で言ってくれ」
「出来る範囲……ね」
周囲に盗聴や盗撮の機材がないか能力で探る。ここにある機材は純粋に医療の、病院にあるものと変わりない。
面倒な操作が必要ないと分かり、次に〈フェイク・シーズン〉で見えていた意識の向きをこちらに向かないようにする。
能力で視るだけなら然したる負担はないが、操作となれば大なら小なり負担が生じる。微かに起きる不快感を感じさせる感触に指を僅かに動かす。
わざとらしくスクイーズがため息を付くと、わしわしと乱暴に蝶の頭を撫でる。
「そこまでしなくてもいい。普通に話してくれれば聞かれることはない」
「念には念をってやつよ」
「それなら解毒に使ってくれ」
「面倒だから嫌」
「この調子だと今日は帰れないな」
「親には友人の家に泊まるって言ったから平気。それに」
右手を握ったり開いたり動かす。動きはぎこちないが、一時間もすれば立つのも可能になるだろう。
「自力の移動だけならもう少ししたら出来る。まあ、完全に麻痺がなくなるのは明日だろうね」
「このあとどうするつもりだ?」
「ホテル予約したからそこでだらだらしていようかなって」
「ホテルなんて行かなくても私の家に泊まればいい」
蝶はもそっとほんの僅かだがスクイーズと距離を置く。
「別にそこまでの緊急性はないじゃん」
「どうしてもホテルがいいならツインベッドの部屋に変えよう。予約の変更の連絡は私がした方がいいだろう、どこのホテルか教えてくれ」
「待って」
「何だ」
「なんで一緒に泊まろうとしてんの……?」
「麻痺が残った体の蝶を置いて帰れと?」
「………仕事行きなよ人気デザイナー」
彼の表向きの仕事が忙しいのは彼の元でアルバイトをしているだけあって、よく知っている。
「向こうに持っていかなくても出来るものをやるから問題ない」
「それなら、いくらか手伝う」
「いいや、休め」
「過保護セクハラを通り越して介護セクハラだわ。レインに告げ口しよ」
「レインに告げ口するのはやめてくれ……」
「泊まるのはいいけど、着替えはあるから前みたいな格好はしないよ」
「させません!」
「スケベゼミ」
「人を変態みたいに言ってくれちゃって、もう」
*****
施設から出てもスクイーズは蝶をおんぶしたまま移動している。困ったことに車に乗せた後でもおんぶすると言って聞かない。乗って、歩くを交互に言い合い、先に折れたのは蝶だった。
「もう動けるから、あの、歩かせて」
「だーめ。また私に黙っていた罰よ」
「それは前のことだし」
「今回もでしょ。蝶の悪い所。体内に入れた薬液の影響を操作なんて聞いてなかったわ。一歩間違えたら死んでいたかもしれないでしょ」
「死ぬような失敗はしないし」
小声で泣きそうに呟く。
「あいつらも蝶に言った薬も量も正しいものなのか解らないのに?」
「…………」
「今回は」
「セミさん」
「ぶっ」
後ろから両頬をはたかれる。
「ごめん」
「……うん」
「ねえ、罰としてもうひとつお願いしてもいいかしら?」
「彼シャツ?」
「しません!あそこではやたら我慢していたじゃない。あんまりお願いが聞けなかったのもあるけど。でも、家に来るなら」
「それって罰にならないんだけど」
「いーの。甘やかせて」
「じゃあ……」
「“じゃあ”?」
「なんでもない」
「あとで聞かせてね」
おんぶしている間、至るところから視線が突き刺さり、蝶は向けられた視線を操作するのを完全に諦め、スクイーズの背に顔を埋めて、視線を知らんぷりをすることにした。
“一緒にいてよ”
施設で言ったこの言葉を今言ったらどうするのだろう。
2.膝枕
全身に回っていた痺れは違和感がある程度にまで治まった。蟬ヶ沢の家に来た時点で十分動けていたのだが、蟬ヶ沢は一切蝶の行動を許さずにおんぶしてきたのだ。
人を甘やかすにもほどがある気がするが、心配かけた罰だと言って、蟬ヶ沢はくどいほど蝶に付き添ってくる。
ここまで来るとどこまでいてくれるのか期待もしてしまうが、流石に寝るときは別だろう。
案の定、蝶をベッドに下ろすと、蟬ヶ沢はすぐにどこかに行こうとする。止めようと彼の服の裾を掴もうとしたが空振りして、無様にベッドから落ちてしまう。
蟬ヶ沢も音に気づいて振り向き、側による。
顎や肘が痛いが、それよりもこんな姿を見られたことが恥ずかしい。
「大丈夫?」
「あ、あの、セミさん!」
「なに?寝る前にホットミルクでも飲む?」
蝶が首を横に振る。
「ちゃんと寝て全快しなさいよ」
「そりゃ寝たら治るけど」
手を伸ばして、いつもみたいに服を掴めばいてくれるだろうか。
「なあに?」
「…………あのさっきさ……セミさん、わがまま聞くって言ったじゃない?」
蟬ヶ沢がそっと蝶の手を握ろうとする。
「そうよ」
さりげなく伸ばされた蟬ヶ沢の手を蝶は、気づかないふりをして自身の服の袖で覆い隠す。
蟬ヶ沢は何も言わず、その覆われた手を暴くことなくそのまま覆う。
「…………」
「…………」
まだいてなんて言ってもいいものだろうか。小さい頃ならこんなこと言えば素直に許されたものなのに、何故今の私は成長してしまったのか。
蟬ヶ沢はふー、と小さく息を吐く。ちょっとごめんねと呟くと、蝶のすぐ上にある毛布を引っ張り、彼女の頭からフードを被せるように掛けた。
蟬ヶ沢は蝶を抱えると、ベッドの上に戻す。わしゃわしゃと乱暴に撫でる。
離れる瞬間、これがもう少し続けばと思った。
「時間はまだあるんだし、言いたくなったら教えてよ」
おやすみと言った顔は寂しそうに見えた。
静まり返った室内。セーフティハウスのベッドとはまた違う感触、そして匂い。すんと吸い込む。
馴染みの匂い。おんぶされている時に嗅いだものと同じ匂いだ。
枕に顔を埋めて、意識を夜に溶け込ませる。
うとうとしかけるが、ここで本来いるはずの人のことを思い出すと、眠気は弾け飛んでしまう。
暗いなぁと部屋を見て思う。ここが比較的立地がいいところなのもあってか、外はビルの明かりで眩しい筈なのに部屋はちゃんと暗く、寝るには快適そうだ。カーテンも厚手で外の明かりほとんど漏れていない。
蟬ヶ沢が出ていった扉は下からほんのり明かりが漏れている。
まだ起きているらしい。いつもの残業だろうか。施設にいたときに家で出来る仕事をやると言っていた。
何の仕事だろう。自分が出来ることなら手伝えるのだが。
よたよたと起き上がり、扉をそっと開ける。
廊下も屋の部屋も明かりはないが、ひとつだけついている。
そろっと近づくが振り向く様子はない。ヘッドフォンを付けているので何か音楽を聞いているのだろうが、それでも気付かないのは不思議だ。〈フェイク・シーズン〉は使っていないので気づきそうなのだが。
近づく途中、片足が上手く上がらず、躓いてしまった。声をかける暇なく蟬ヶ沢の背中に思いっきり鼻をぶつけてしまう。
鼻が当たったのは蟬ヶ沢の背骨なのでベッドの落下よりも痛いが、ぶつかられた彼は平気らしく、声はあげてないが彼はきょとんと振り向いた。
「大丈……夫?」
ずるずると背中にもたれながら頷く。
****
「セミさん手伝うよ」
「だめよ、寝なさい」
ぶらぶらと上げた手を蟬ヶ沢ははいはいと握って宥める。
蟬ヶ沢の様子が気になって来てみれば仕事をしている。仕事の内容も蝶も手伝える範囲のものなので、鞄から自分のPCを持ってこようとしたが、断られてしまった。
コーヒーでも持ってこようかと提案したが、彼は保温ポッドを見せてその必要がないと言う。
気になって寝れやしないと訴えると蟬ヶ沢は悩んだ末の答えが、この膝枕である。硬い。ふわふわとしたタオルが掛けられているが、それでも硬いと分かる。それでいて彼がここで寝るために使う筈であろう毛布を掛けられている。毛布は彼の膝にも掛けた。
「セミさんも寝ようよー」
「もうちょっとね。寝てもいいわよ」
膝小僧をべしべしと叩くが、蟬ヶ沢は見向きもしない。それどころか握った手を離して、頭を撫でだした。
「絶対寝ないわ」
いっそ寝るまで撫でてくれればいいのに。
「明日行きたいところでも考えて」
「携帯弄りたくなるかやだわ」
「ブルーライト見続けたら寝られなくなるから、パソコンの画面も見ないでね」
「どうせブルーライトカットのフィルター貼ってんでしょ」
「貼っていないわよ。ちょっとした彩度も変化は見逃せないんだから。その代わりにカット機能の眼鏡かけているんだからね」
「その為の眼鏡でしたか」
「そうよ。お洒落としてかけているけどね」
「明日もそれ掛けてよ」
「老けて見えないかしら」
ちらっと、こちらを心配げに見る。蝶は腕を伸ばして眼鏡を取り、自分に掛ける。
「そのなりで二十歳と言われたら驚く」
老けてても素敵だと思うのだが。
「軌川君よりは年上だとは思うけどね」
*****
結局、蝶は直接PCの操作や作成したものを見せては貰えなかった(後者に関しては物によっては蝶が見ていい仕事ではない可能性があるので当然と言えば当然だが)。資料の本を見ながらのアドバイスや雑談相手として
作業をすること二時間、切りの良いところまでは終わったらしく、蟬ヶ沢は背伸びをして休むことをようやく言った。
「どうせ一緒に泊まるなら水族館の方が良かったわね」
「なにそれ」
「期間限定のお泊まり企画らしいのよ貸し切り状態になるし、二人で行っても気にせず泊まれるわ」
「じゃあ、応募しようよ。いつから?」
「残念ながら今回は落ちちゃったのよ……。悔しい」
「予行演習でここでやったら?」
棚の上にある水槽を指す。
「うん、ここでわがままを使うわ」
名案だと思っている蝶だが、蟬ヶ沢はそうとは思わないらしい。期待していたものではない様子だ。
「待ちなさい、ベッドの時もう少しニュアンスが違うもの言いそうじゃなかった?」
「だいたい同じだし。ほらほら、わがまま聞いてくれるんでしょ。早く寝ないと朝が来る」
「かっわいくないわがままの使い方だわ……」
心底残念そうな蟬ヶ沢の様子を全く気にせずに、蝶は先ほど寝室に使っていた布団一式を引っ張ってきた。
3.柑橘類
泊まりが出来る水族館。
まだ春の訪れの気配もない月に、珍しいイベントが行われているのを蟬ヶ沢は知った。
蟬ヶ沢自身は水族館そのものの興味はないが、内装を手掛けた人が知っている人ならば一度は見ておこうという程度だ。この水族館の内装を手掛けた人物は興味も引かれず、知らない人物なので、こんな企画で収益をあげようとしているのだろうなと思った。
大の大人が水族館の入り口付近でこんな企画の応募をするなんて子供でもいないとすることはないだろう。
子供、子供と言えば子供だ。ただし、自分の子供ではないのだが。
こんな珍しいイベントは蝶が好きそうだ。そう思ったら手は応募用紙に伸ばし、気がつけばかわいらしいペンギンのポストにイベントの応募用紙を投函していた。
投函したあと調べて分かったことだが、このイベントは倍率が非常に高く、何よりこのイベントは親子連れ参加が多いらしく、とてもじゃないが、蟬ヶ沢と蝶のような二人組が来るには厳しいものがあった。
実際に当たってしまえば恥ずかしい思いをするだろうなと思ったが、どうせ親たちは自分の子供を見るので手一杯で他の参加者には目もくれないだろう。
頼むわよとポストのペンギンを撫でたのだが、ペンギンには嫌われていたのか、結局イベントには落ちてしまった。
*****
蟬ヶ沢はじと目で蝶を見つめる。
蝶は蟬ヶ沢の視線には気づかず、机をどけてマットを敷き、布団の用意をしていく。
彼女がベッドにいた時はあんなに言うのを躊躇していたのに、これで同じだと満足そうにと言ってきて、何かが不満に思えてくる。わがままを聞くと言ったのは自分なので勿論言うことは聞くが、何か期待を裏切られた気がしてならない。
蟬ヶ沢も蝶と一緒に布団を敷いていく。敷き終えるとそれぞれ布団に入り、部屋の灯りを消す。光源は水槽のライトアップのみとなった。
水槽の中身は専門店から買って、内装は凝っている。入っている魚がいた環境に近いものを基準にしているが、見る側も楽しめるようにはしている。この部屋に来るものはレインか他の合成人間くらいしかいないので見せる甲斐というのがなかったが、こうしてまともに観賞されることになり嬉しくない訳ではない。
我ながら出来がいい作りにはしていたので蝶もさぞかし楽しんでくれるだろうと、ちらっと隣を見る。
(遠くない?)
二人分の布団を敷いているのだから蟬ヶ沢と蝶の間は空いていることはおかしくない。
二人別々の布団なのだから当たり前なのだ。当たり前なのだが……、蟬ヶ沢の中で少しだけ不満が溜まる。
別に蟬ヶ沢も空けるつもりではあったので、彼女から率先して話してくれたことで手間が省けたと言えよう。空けないと誤解をされかねない。
この間を見るといつもよりも勿体ないことをしているような気がしてならない。蟬ヶ沢は一度強く目を瞑り、蝶へ視線を移す。
蝶はさっきまで携帯を弄ったら寝れないだの言っていたのに、カメラを起動して写真を撮りまくっている。一通り撮り終えると満足そうにジェスチャーで頭上の水槽を指差す。
「楽しそうね」
彼女は嬉しそうにうなずいて、水槽の周りをきょろきょろと見ている。楽しそうで何よりだ。
「小さいながらも自慢の水族館、それも特等席よ。まあ、中身は見たことがある魚だから、あまり面白味はないけどね」
「そう?私は結構楽しいよ」
「ならいいわ」
枕に顔面を押し付けて顔を隠す、眠くないがたぶん今の自分は変な顔をしている。なんの顔を言えばいいのか、とにかく人には見せたくない気がする。
蝶は携帯電話を充電器に差し込み、蟬ヶ沢に体を向けた。
「ねえ、セミさん一つ聞いていい?」
「なあに」
「最初にバレンタイン送った後にホワイトデーのお返しに水族館連れていってくれたじゃない?なんで、水族館だったの?」
「あー、あれはね」
*****
会ってまもない前の頃、幼い蝶からバレンタインのチョコレートを貰ったことがある。この年から毎年貰っているわけだが、最初貰った時は蟬ヶ沢は酷く悩んだ。
ホワイトデーのお返しにどうしようかと悩み、喫茶店“アンブレラ”で、ある人たちに相談することにしたのだ。
待ち合わせ場所に先にいたのはおよそ十歳ほどの少女だった。足をぶらぶらさせながら、アイスコーヒーに入っていたストローをかじかじとかじっている。蟬ヶ沢に気付くと来いと手招きした。
彼女はコピ・ルアクという合成人間だ。彼女は蝶を拐う事件を起こしたいざこざがあったが、今はではすっかり彼女に関して相談するが出来る数少ない友人となっている。
彼女は自身が成長出来ない体質なのもあり、会うことはするなと釘は打っておいたが今でもたまに会う時があるらしい。彼女曰く「向こうから来たんじゃ拒みようがないし」と自分に非はないと主張している。
蟬ヶ沢はカフェオレ、コピは無糖のブラックコーヒーという、給仕係に渡されるものが確実に逆になる組み合わせだ。この店の店主は彼女の部下なので渡す飲み物を間違えることはないのだが。
満足そうにコピは珈琲の香りを嗅ぐが、今の蟬ヶ沢には少しばかり苦手な匂いだ。香りはいいのだが、ブラックコーヒーなので苦い。蟬ヶ沢も飲むことはあるが、今は甘い方が落ち着く。
店主がコピの珈琲の賞賛を流し終えたのを見計らって蟬ヶ沢はコピに話を切り出す。
「なあ、蝶にホワイトデーのお返しをするなら何を渡せばいい」
「珈琲豆」
「グリーンチップブルボンだと購入まで一年以上はかかる」
「なんでそんなバカ高いもんが出るのよ。その辺の旨いもんでいいでしょ」
「珈琲以外で頼む」
自分では幼い子供の喜ぶものは分からないので、体格が近い彼女に相談しに来たはずなのに味の好みは“年相応”の好みなので困る。
扉がからんと音を立てて開く、入ってきたのは九連内千鶴ことミセス・ロビンソンだった。同世代の子供を持つ母親役として一番聞きやすそうなので彼女も呼んだのだ。
「なんで私が呼ばれたのかと思ったら何?子供の話?」
「ああ、九連内さん」
「ミセスじゃん」
蟬ヶ沢に相談ごとをされることも珍しいのに、さらに勧誘者のコピ・ルアクまでいることに千鶴は目を丸くした。
「この組み合わせといい込み入った話になりそうね。早く終われそうな話なの?」
「ええ、早く済ませるようにしますとも」
と、ミセス・ロビンソンにも事情を話すと、
「貴方がロリータコンプレックスなのは分かったわ」
向かい合わせ座った席を少しずらした。
「違います。ですから、貴女が管理している子と年齢が近い子にホワイトデーのお返しがしたいので、いい贈り物はないかって聞いているんです」
「貴方、あの子の資料は見たことあるわよね。なら、あの子の好みと確実に参考にならないって思わない?」
「少なくとも独身の私よりは適任かと」
「まあ、あの子のクラスメイトのこともある程度は知っているからそこから考えればなくもないけど……」
「では!」
流石は娘を持つ母親だ、思わず身を乗り出す。千鶴がぎょっとして引いたので、恥ずかしくなりすぐに席に戻り発言の続きを促す。
「一般的にはテーマパークや動物園がよさそうだけど、人の子を連れまわすのもちょっと親としては心配になるわよね」
「その面なら間違いなく拉致誘拐って勘違いされるよね。スクイーズとアタシも組合せ的には外から見たらあぶねーわ」
千鶴の言葉にも頷きつつ、メニューでケラケラと笑うコピを叩く。
人目も避けられて、楽しめる場所か。
ふと、昔、会った少女を思い出す。
「水族館……はどうでしょう?」
「あら、良いわね」
「それならあのビルの上の所の水族館とかいいんじゃない?」
*****
「じゃあ、あのとき水族館に連れていったのって、昔会った女の子が望んでいたからなの?」
蝶は「それはないわ」と呆れて、枕に顔を埋めてしまった。
「なんか、貴女と年が近そうだったし……」
本当のところ、あの時海岸で会っていたのは蝶だと蟬ヶ沢は今になって思った。ただ、あの時のは思い出させたくない目に遭わせた上、少し情けないことを言ったので、出来れば思い出して欲しくない。
「まあ、私も水族館は好きだし。別に良かったけどさ。というか、他の合成人間に聞いたりして大丈夫だったの?」
「一人はコピだから分かるでしょ。ミセス・ロビンソンも………なんて言うのかしら、大丈夫な気がしたのよ。私が純粋に聞きたかったのが分かったのか、最初こそ疑いはしたけど説明したら」
「ロリコン扱いはされたっぽいけどね」
「ペドフィリア・コンプレックスの方が正し、正しくないわ。そもそも、私はロリコンでもペドコンでもないわ」
「セミさんならロリでもペドでも大丈夫でしょ。ここに襲われなかった人がいるんだから」
「これまでの行動、ほんと私じゃなかったら襲われてもおかしくないんだからね。ちょっとは気を付けなさいよ?」
「セミさんはそんなことしないでしょ」
ケラケラ笑う蝶に蟬ヶ沢は呆れて、頬をつねる。この状況でまだそんなことが言えるのか。
「ひぇひひゃん、ひぃひぃひゃひゅ!」
「意地悪で結構」
*****
いつのことだったのか、ほとんど覚えていないくらい昔のことだ。
幼い頃、蝶が海岸を歩いていると、浜辺に倒れている人を見つけた。
幼い私にはいくつくらいなのかは分からなかったが、自分よりも遥かに大きい体と皺の少なさで親と同じくらいに見えた。髪の毛が短く、鍛えられた太い腕やごつごつとした様子からこの人は男の人なのだろう。とても強そうだ。
強そうな外見に反して、奇妙なことにこの人からは見えるはずのものが見えない。普通の人なら、寝ていても何かしら見えていたはずなのに。男性の頭の回りを撫でるが何も感知しない。感知が出来ない時は一つしかない。
もしかして死んでしまったのだろうか。
相手がとても元気がない時は見るのが大変だったことがあるので、この人もそうなのではないだろうか。
眼を凝らしても一切視えない。ここまで視えないとなるとこの人は死んでしまったと見ていいようだ。
死んでしまったのならしかたない。助けられなかったのは残念だが、顔についた砂くらいは払いておきたい。
触れた瞬間、それまで見えなかったものがいきなり視え、鳥肌になった。親やその辺の大人が向けているような嬉しい、悲しい、大変といった程度ではない、それよりも遥かに強い何かだ。
初めて見る何かを向ける大人に驚きつつも、頬についている砂を払う。
「だいじょうぶ?」
声をかけると微かに瞼が開いた。
「……あ……ああ」
この男の人は直接触れていないと向けている物が分からない奇妙さもあったが、それ異常に奇妙だったのは話し方だ。最初あたりは父親と変わらない話し方だったと思うのだが、気がついたら母親と変わらない話し方に変わっていった。
「なんでここに来ていたのかしら?」
「すいぞくかん」
「水族館?どうして?」
「見えるけど視えない」
彼は一瞬私の言い方に首を傾げる。
「……?ああそうね、海に入らないと見えないわね」
魚類に限らないのだが、海の生き物の向ける向きは視るのにコツがいる。視るのが難しいが、人が向ける感情の流れよりも視ていて気分がいいのだ。
今思えばMPLSと悟られると蟬ヶ沢に叱られるような迂闊さだったが、この男の人は少なくとも蝶へ害を与えるようなことはしなかった。
起き上がった彼は蝶にお礼を良いながら、途中まで歩くことを提案した。
「そういえば貴女、素敵なリボンをつけているわね」
私は頷く。当時着けていたリボンは今で言うならロリータにも使われていそうな身を飾るためのリボンで、赤い生地に白いレースが縁取られていた。色味もワインレッドで王道な髪飾りではあるが、逆に王道過ぎて誰も着けないようなものだ。
「すき」
たぶん、この時の私はとても嬉しい顔をしたに違いない。
ここから先はあまり覚えていない。ほとんと抱えられていて、とにかく何が起きたのか教えてはくれなかったのだ。
周囲にいた人の流れはひたすらこの男の人を視ていたような気はする。
親がいるところに来たこと伝えると、彼は蝶の目線にあわせてしゃがむ。
「怖い思いをさせてごめんなさいね。貴女がもっと大きくなった時、世界が平和になるように頑張るわ。貴女の為にもヒーローになる。大丈夫、私が守るわ」
*****
蟬ヶ沢に頬をつねられて、ふと昔のことを思い出した。
隣の蟬ヶ沢を見る。かなり昔のことで顔なんて思い出せない。覚えているのも、覚えていたも記憶の掘り起こしで正しいかも怪しい。ただ、確かなのは自分よりも年上の男性で不思議な言葉遣い。
気がついたら蟬ヶ沢の頬に触れていた。
「な、ななな、何?」
蟬ヶ沢は赤くなって蝶から手を放した。しかたないので、蝶も左手を戻すことにした。
「セミさんさ。…………あー、やっぱいいわ」
「何よ……気になるわね」
話を蒸し返されなくないので、別の話をすることにした。
「ホワイトデーのお返し何がいい?」
無理矢理話を変えられて困惑する蟬ヶ沢だが、察したのか質問の答えを考える。
「水族館って言いたいけど、この間行ったものね。それに近いものとして、海はどう?」
「海かあ……」
「ちょっと気が進まないかしら?じゃあ、別の場所にしましょ」
「ああそうじゃなくてさ、怖い思い出があるから行きたくない訳じゃなくて……」
「なあに?初恋の思い出とか?」
にやりと詳しく聞こうと向かって来たので枕で顔面を叩いた。
「たぶん、その……ああ!やめ!うん!海に行こう!」
「詳しく教えなさいよ。気になって寝れなくなるわ」
「ああああ!誰が好き好んでおっさんとガールズトークするか!」
「おっさんで悪かったわね!」
「絶対初恋とかそういう話はセミさんにはしないわ」
「じゃあ私も教えてあげない」
「待って、……………………あるの?」
思わず真顔で聞いてしまった。蟬ヶ沢も映像が一時停止したように固まる。
「………………ある……?」
「……………」
「私の初恋を話したら、セミさんも話してくれるの?」
合成人間の生きている年月と意識がある年月は違うらしいが、少なくとも蟬ヶ沢は表社会に出ている期間は決して短くはない。恋愛沙汰なんて起きてもおかしくないのだ。
蝶は気になって、蟬ヶ沢の布団のスペースに腕を一本、二本、上半身、を入れる。
蟬ヶ沢は左右を見渡し、両手を突きだし止まれと主張する。
「お、おお、おばか!いつまでもお喋りしていたら、寝付けるわけないわ!ほら、寝るわよ!」
水槽に入っている熱帯魚と同じくらい真っ赤になって、布団を被ってしまった。
盛り上がりから見て頭とおぼしきところをつつくと布団の中から蝙蝠のパペットが出てきて、蝶の手に噛みつくと、そっと蟬ヶ沢の布団から離した。
蝶も観念して水槽のライトを消す。部屋は暗く見えないが、寝室よりはカーテンの厚さはないらしく、先程よりは早く目が慣れた気がした。
暗くなった部屋も目が慣れて、見慣れた周囲が分かるようになる。隣を見ると蟬ヶ沢が布団から頭を出して、背中を向いているのがわかった。
「そっち行ってもいい?」
「………………」深呼吸する音が聞こえた「いいけど、布団は重ねなさいよ。一人分じゃ隙間が空いて寒いわよ」
なるほどと、目の前のこの隙間を眺める。
今よりも小声ではーいと返事をして、蟬ヶ沢の布団に潜り込む。
いたずら心で頬を背中にぴったりつけると、背中がビクッと震えた。
「こっち向かないの?」
「あのね……」
「いじわるー」
「向いてもいいけど、ベッドにいたときのお願いを聞いてから」
「……………笑わない?」
「笑ったらつねって」
「………………一緒に寝たかっただけ。子供じみてて悪いけど……」
大きく息を吸い込んだのが背中からも伝わった。
枕と体を少し上に移動すると、ずんぐりとした大きい図体はごろりと向きをこちらに変えた。
「今回だけだからね。体調が悪くなったり、怖くなったらすぐに言いなさい。それだけの為にこっち向いているんだから」
わざとらしく咳払いをした。顔を見るまでもない、照れている。
「今日泊まるのが水族館じゃあなくてよかったね」
上を向こうとしたが、無理矢理顔を胸に押し込まれて顔を見せてくれなかった。
押し付けられた胸に耳を当てると、心音は少し早かった。
*****
朝起きると、眼前に蝶の頭が見えた。
(幸せそうに寝ちゃって……)
起きないようにそっと引き寄せる。いい加減こんなこと止めさせるべきだろうに、それに甘えてしまっている。
麻痺は治っただろうかと、頬を撫でてながら思う。呼吸は正常にしている。起きたころには麻痺はなくなるとは聞いた上、ここにいる間もたまに転んでいたくらいで起きた頃には全快しているだろう。
調べたらいいのだろうが、調べ方に抵抗がある。
撫でる手を頬へ移し、親指で唇に触れる。
気になるなら、調べればいいのだ。重ねて、舌を入れて唾液を摂取すれば済む。
他の人間なら躊躇いなく必要とあらば調べるが、彼女に関してはよっぽどのことがない限りこんな調べ方はしたくない。気が進まないのだ。
調べる為とはいえ、中年からキスされるなんていやだろう。前に調べようとした時かなり嫌がられた。
普通の女子高生はこんなおじさんと寝ることも嫌がると思うのだが、彼女はそうは思わないらしい。それも何もされないと分かっているからこそ出来ることだと思う。別にその手の欲がないので、起きることはないのだが。
欲はないが誰にもこんなことされませんように。香水のボトルを枕元から取り出して、自身の手に吹きかける。その手を蝶の首に擦り付けて、自分にも擦り付ける。
彼女に彼氏が出来るまででいいので、加齢臭が出てきませんようにと切実に何かに祈った。
****
「おはよう。って、セミさん早過ぎ、ちゃんと寝れた?」
早く起きて多少いい思いが出来たので、問題は無い。
「私も起きたばかりよ。料理手伝って」
「はーい」
蝶が蟬ヶ沢に近づく。すんと鼻が動いたのが見えた。何かに気づいたようだ。
「うん、いつものセミさんの匂い」
嬉しそうににっと笑って盛り付けの皿をテーブルに置きに行った。
思わずフライパンの目玉焼きを見る。
もしかして、まだ気付いていないのだろうか。
まさか、美味しいご飯の匂いが自分の匂いだと認識しているのだろうか。
「………………。もう一回首に擦り付けてやろうかしら」
年甲斐もなく頬を膨らませる。むしゃくしゃとしてきて、レモン味のソースを更にどばどばと掛けた。
******
001.5
「ちゃんと着替えも持ってきてくれて助かるわ」
本来、蝶が泊まる予定の場所はホテルだったので、着替えやアニメティ等の用意は当たり前といえば当たり前なのだ。
「事前に泊まることが分かれば私だって準備するって」
蝶はバックを漁りながら、着替えを取り出す。
以前着替えを借りたときがあったが、酷いとはまた少し意味が違うが思い出すのが恥ずかしい目に遭ったことがある。
脱衣場に行くと、その後を蟬ヶ沢もついてきた。
「…………あのさ……、まさかだけど、一緒に入るなんて言わないよね?や、やだよ?シャワーくらいは一人にして欲しいんですけど………」
「近くにいるだけよ。ただ、何かあったら直ぐに行けるようにしたいだけ」
心外だと言わんばかりに、ため息を付く。蝶が脱衣場に入っても彼は入り込まず、外側の入り口で座り込み、バインダーに書き込む。そこで待つつもりらしい。
普通の人間でも聞こえる位置に座られては、一体どこまで聞こえるのやら。
「脱ぐなら扉は閉めなさいよ。誤解されるわ」
「落ち着けない……」
「何かあってもほっとくわよ」
全くこちらを見ないで作業をしているが、少しでも音を立てただけでも来そうだ。
「むしろほっといて、何か物音立てただけで来そうで怖い」
「そのくらいじゃ来ないから安心して」
そう言った彼は全く振り返らずに扉を閉めた。
閉まった扉をじっと見るが、来る様子はない。
覗く趣味はないだろうから
レバーを上げてシャワーからお湯を出す。握力も利き手はある程度は戻っているので、握力があまり必要とされないレバーで助かる。
タオルを巻いて、脱衣場の扉を開ける。蟬ヶ沢がいる。
「…………。どうしたの?」
視界の端にタオルと素肌が見えたのか、僅かに見えた顔は驚いていたように見えた。すぐに背けてしまった。完全に背を背けることで、蝶を視界に入れないようにしているらしい。
ただ、聞いている体として、僅かに顔を向けている。
「いや、うん。いるなって」
「早く浴びて、風邪引く前に出なさい」
風呂場に戻り、壁を叩く。硬い響きに反響音が入っている。
ここで歌でも歌ったら確実に聞こえるだろう。防音をしようと思えば出来るが却って来てしまいそうだ。
ボトルを一つ落としてみる。
モザイクの扉は揺らぎ一つない。脱衣場の扉すら開けていないのが分かる。
覗いてくれとは思わないが、からかい甲斐がなくてつまらない。本当に来られたらそれはそれで困るが。
大人しくシャワーを浴びたものの、この音も聞こえているだろうなと思うとさっと終わらせたくなる。
バスタオルを巻いて髪の毛を拭きながら、まさかまだこの扉の前にいるわけないよなと思いつつ、あの人なら本当にいそうだという考えの方が強い。
突如扉が開いた。開けたのは当然蟬ヶ沢で、焦った顔だったが何も問題がないのが分かると気まずそうに顔を反らした。
「あー、ええと、ごめんなさい。無事だったのね。というか、終わっていたなら早く出なさいよ。風邪引くし…………………………困る」
いつぞやの雨宿りの件といい、過保護を越えて羞恥プレイをしている自覚がないのだろうか。
「着替えるからセミさんは出てよ」
蟬ヶ沢を脱衣場から押し出すと、くしゃみが出てしった。
「お湯は沸かしてあるから好きなの飲んでて」
蟬ヶ沢は蝶と入れ替わる前にポットを指す。押せばお湯が沸くタイプのものらしい。あらかじめ沸かしておいたからか、湯気がすでに見えている。
「覗かないでよ」
蟬ヶ沢はふざけてウィンクをする。
「覗かれたらきゃーって言ってね」
おばかと聞こえたが、何も聞かなかったことにした。
十五分ほどで出てきた。
「早くない!?」
「早くしたもの」
男性の方が風呂の時間は短いと聞くが、早すぎではないだろうか。
「セミさん頭貸して。ドライヤーやるわ」
「な、ななんでよ!」
蟬ヶ沢の頭をドライヤーで乾かす。短い髪なので直ぐに乾く。
「セミさんなんか、いつもと匂いが違う」
「風呂上がりだからじゃない?」
「もうちょっと柑橘系の匂いがしてたと思ってたけど、シャンプーとかじゃなかったのね」
「……」
物凄く小さいため息がつかれた気がする。肩が落ちて、凹んでいる。本日二度目のテディベア状態である。胸ポケットから何かを取り出す。シュッとした音が聞こえた。
蟬ヶ沢はぺたりと右の掌を蝶の首につける。
「これで同じ匂いね」
満足そうににっと笑い、ドライヤーをしまいに行ってしまった….。
「…………」
恐る恐る、蝶は自分の首に触れる。
キスをされたわけでもない、ただ手を擦り付けられだけだ。ただ、手が触れた箇所がやたら熱く、擦り付けられた感触が延々と続いて、一生この感覚がここに残るのではないかと思ってしまうくらい生々しく感触が残っている。
「………へ、へんたい!!!」
「はいはい、へんたいよー」
「良くないわ!ばかー!」
蝶は感触ばかりに気をとられて、首につけられた柑橘系の匂いには気づくことはなかった。