001.~
Please tell me your name
この小説の夢小説設定簡易的な夢主設定
夢主は
・女子高生(深陽学園の女子生徒)
・デザイナーの卵
・特殊能力の持ち主(MPLS)
・蟬ヶ沢(スクイーズ)とは昔からの知り合い
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外から聞き覚えのエンジン音が聞こえた。
七夕前日。午後九時半、蝶は少し大き目の鞄を持ち、玄関で止まる。鞄を下ろし、中身を確認する。必要なものは入っていることを確認すると、大きく息を吸って戸を開ける。今から出かける楽しみで吸い込む息の量も多い。
「よし!」
緩んで上がった口角を自覚して、気を引き締めて家を出る。一番の笑顔は会ってからするものだ。
扉を開けると、道路の向こう側に蟬ヶ沢の車が駐車されていた。車体にもたれている蟬ヶ沢が笑顔でこちらに向けて手を振っている。
「セミさん!」
声がいつもよりもワントーンあがる。通行する車に気をつけつつ(時間も時間なので、まったくないのだが)、蝶も手を振って駈け寄る。勢いはそのまま蟬ヶ沢に抱き付く。蟬ヶ沢の車のエンジン音が聞こえた時に既に周りに聞こえないように、見えないように能力で処理はしてある。
勢いに押され、一瞬驚く蟬ヶ沢だがくすくす笑い、蝶を抱き返す。
「ちょっとはしゃぎすぎよ?そんなに楽しみにしていたの?」
「楽しみにしていたのもあるけど、セミさんを見たら気分が上がっちゃってね?」
「家に着いたら寝ちゃうなんてしないでよ」
「寝たらどうするの?」
「…………一緒に寝るしかないわね」
「どのみち一緒に寝るんじゃない」
蝶は笑いながら蟬ヶ沢から離れ、彼の背中を強く叩く。彼が痛さで背中を擦っている間に蝶は車に乗り込む。
蟬ヶ沢はあいたたと大げさに呟きながら運転席に乗り、すぐに出発する。目的地を蟬ヶ沢は言っていないが、蝶は行き先が分かっている。
一か月ほど前、二人とも休日を合わせて、蟬ヶ沢の家に泊まることを決めていたのだ。蝶の家でも問題はないが、家族がいるので気まずいのだ。蟬ヶ沢の家に泊まると言っても、本当に泊まるだけなのだ。
「ご両親はなんて?」
「おてんば娘をヨロシクって」
お馴染みの回答に蟬ヶ沢は大げさに溜め息を吐いて、手を眉間に当てる。
「こんなおじさんに自分の娘を預けて不安にならないのかしら」
「大丈夫でしょ。事実、セミさんには何度もお世話になっているんだし」
「それは……まあ、私はあくまでも上司兼雇用主だけど。それだけでいいのかしら」
「命の恩人でもあるでしょ。大丈夫だって。ちゃんと信頼されてるされてる」
それを聞くと蟬ヶ沢は煮え切らない態度で傾げる。
蟬ヶ沢との出会いは十年以上前、あるイベントで蝶が蟬ヶ沢の展示品に興味を惹かれたのが始まりだ。そこから、蟬ヶ沢は蝶が特殊な能力を持つ人間だと知るのだが、自身の所属する巨大な組織、あまりにも膨大でシステムとも言われている、統和機構から蝶を匿うようになる。結果として蝶も統和機構に入ることになってしまったが、彼女の監視は蟬ヶ沢になるように手配しており、完全に明け渡されないようにしている。
蝶は統和機構に入る前からシステムに関しては薄々存在は感知していた。何せ蟬ヶ沢は幾度か命を、それどころか魂すら狙われていたこともあったのだ。蝶は上手く隠していたつもりだったのだが、蟬ヶ沢には筒抜けだったらしく、本格的に 統和機構には行った時にはこっぴどく叱られた。
「でも、私の方が助けられてばかりよ……。記憶喪失の時も、ドッペルゲンガーの時も」
「あれは私だけじゃ出来なかったよ。枯れ木さんも話せば分かってくれたし、彼女も……」
幾度か蟬ヶ沢に異変が起きた時、蝶が解決したと蟬ヶ沢は思っているのだが、解決したのは全て蝶ではない他者なのだ。本当に助けられてばかりいるのは自分なのだと、蝶は思っている。
「ま、お互い助け合いましょ。頼りにしているんだからね」
わしわしと蟬ヶ沢は片手で蝶の頭を撫でる。
****
蟬ヶ沢の家に着き、部屋に入ると葉が茂る竹が蝶たちを出迎えた。
今回の泊まりではこれがメインイベントで使われる。明日の七夕に向けて願い事を一緒に書こうというのだ。願い事を書くだけならどこでもいいのだが、何故だがこの二人が一緒に出掛けると高確率で蟬ヶ沢が職務質問に遭う。落ち着いて書く為にもこうして家で書くことになった。
竹は二メートルほどの大きさで、葉が茂って短冊以外も飾り甲斐がありそうだ。
蝶は荷物を置いて、蟬ヶ沢は短冊と花の図鑑数冊を持ってくる。
ペンと試し書き用の紙を置いて、二人は笹に掛ける短冊に願いを書く。初めて蟬ヶ沢の家に来てから毎年ここに書きに来ている。決まりというわけではないが、お互い書く、というよりも描くのが恒例となっている。二人とも花の図鑑を見ながら描いていくのだ。願いとして意味を込めるのもあれば、飾りとして描いて切り抜くこともある。役割ではないが、自然と蟬ヶ沢が描いて、蝶が切り抜くいていくの役割に別れている。
しばらくして飾りも願い事も描き終えると、笹に飾り付ける。ただしお互いの願いごとは見えない位置に吊るす。
飾り付ける時、切り取った花は蝶が、折り紙で折った飾りは蟬ヶ沢がそれぞれ飾る。職業柄、お互い見目に関してこだわりがあり、二人とも飾り方には拘りたくなるのだ。
「セミさん、上は星の方がよくない?」
蝶は蟬ヶ沢を支えにして、背伸びをする。いきなり支えにされて驚く蟬ヶ沢だったが、蝶が倒れないように肩に手を添える。蝶は限界まで手を伸ばして、星を竹にかざす。
蟬ヶ沢が笑いながら小声で「届いてない」と言った気がしたが、聞かないふりをした。
「それじゃあクリスマスになるわよ。それなら長いものが映える吹き流しにしましょう」
「唯一立体の星にしたのになあ」
「大きいし、そんな高い位置に吊るしたら下がっちゃうわよ。せめて枝の付け根にしなさい」
「しょうがない、それで我慢するわ」
「して頂戴」
高い位置は駄目だと言った蟬ヶ沢だったが、本当に枝の付け根につけたが、一番高い位置に吊るしてくれた。
あとで帰ってからお互いの短冊を持ち帰ってから見るのも定番になっている。蟬ヶ沢は自身の短冊を高いところに吊るした、蟬ヶ沢を支えにしていた蝶は彼が描いた短冊を見てしまった。
蝶も書いたことがある花だった。そして、その花言葉は……。
(幸福の再来……)
故意に見たわけではないが、見てしまったことに罪悪感が湧いてくる。自分のも見せてしまえば済むかもしれないが、残念ながら、蝶は毎年同じ花を描いている。願いは一つしかないのだ。しかし、蝶としてはその願いはとても言うのが恥ずかしい。正直伝わらなければいいと思っているほどだ。
蝶の苦悩には微塵も気付いていない蟬ヶ沢が風呂を勧める。後で謝ろうと決め、風呂に入ろうとする。蝶は鞄を開けて着替えを取り出し、下着を手に取ったまま固まる。
「…………」
泊まりに来る時、蟬ヶ沢から着替えはこちらで用意すると言っていたが、何を着せられるのかまでは聞いていなかったのだ。今更何を着せられるのか心配になったのだ。
「ねえ、本当に着替えは下着くらいでよかったの?」
「そうよ?勿論、持って来ても良かったわよ?試作品をちょっと来てほしいだけだから」
蟬ヶ沢は壁に掛けていた寝間着を取り、蝶に渡す。
この服は蝶も見たことがあった。どこかのアニメだか漫画だか知らないが、コラボのデザインで作られた寝間着だ。赤ずきんのようなポンチョはフードが独特の形をしていて、円柱に近い形になっている。色は夜明けと夜の中間の紺色で、裏地が宇宙の模様になっている。パフスリーブのワンピースは白く、胸に赤いリボンがアクセントとなっている。全部を着るとひょろ長い円柱に見える。全体的に暗い色をしているが、金色の刺繍やふわりと広がる裾は可愛らしい。
「似合うじゃない」
蝶は姿見鏡に寝間着を合わせて、スカートの端をつまんでひらひらさせる。この寝間着は事務所でも見たのだが、コラボで作られたものでなくても、着てみたいと思っていたのだ。
何はともあれ、変なものを着るわけではないと解り安心する。
「これなら着てもいいわ。てっきり、前みたいに彼シャツプレイでもさせるのかと思った」
蟬ヶ沢が真っ赤になり硬直する。
「するわけないでしょ!もう!」
「セミさん相手ならいくらでも着るよ」
しれっと蝶は真顔で言う。あながち冗談でもない。彼が望むのならやぶさかでもないと蝶は思っている。
(セミさんが頼むなんてことしてこないだろうけどね)
なんてねと、けらけらと笑い飛ばす蝶だったが、隣が静かなことに気付く。
蟬ヶ沢の視線が右の空間を上下に見ている。幾度か上下に彷徨うと、ちらっと蝶を見て直ぐにまた視線を右に戻し彷徨う。
予想外な反応にこれには蝶も目を丸くする。そして、次の蟬ヶ沢の言葉に更に目を丸くするのだ。
「……本当に着てくれるの?」
今度は蝶が視線を彷徨わせる番だ。この人にもこんな好みがあるのかというのが率直な感想だ。蝶は迷う。言質は取られた。自ら差し出したようなものだ。着るのは構わない。のだが……。
「下着は着てもいいよね?」
唯一これだけは許可して欲しい。
「当たり前よ!着て頂戴!着れくれないと気まずすぎるわ」
彼シャツプレイを要求している時点で相当気まずいと思うが、蝶はそこには触れずにどのシャツを着れば良いか聞く。蟬ヶ沢はすぐにシャツを持ってきた。あまりにもシャツ選びが早すぎて、シャツを蟬ヶ沢を交互に見てしまった。
(もしかして最初から着てもらうつもりだったとか)
疑問はあるが、着てもいいと言った手前大人しく着ることにした。
****
蝶と行動を共にする時、蟬ヶ沢は基本舞い上がることが多い。特に、表の仕事も裏の仕事も関わりない状態で一緒にいれる時が嬉しい。
デザイナーの事務所にいるときは職員に怪しい仲だと疑われ(冗談として言われていた関係が実現してしまったのだから、なおさらこの関係は公開したくない)、 統和機構の任務で他の女性の構成員からはからかわれ、蟬ヶ沢としてはどこにいても気が休まらないのだ。
(これで彼シャツを頼んだなんてことも知られたら泣きそうだわ……)
統和機構の中では自身の監視対象のレインと、同じ合成人間のリセットがめざとく自分たちの関係に茶々を入れる。彼女ら曰く、からかっているのではなくアドバイスをしているのだと言うが、どちらにしてもこの関係に興味が持たれるのは気分はよくない。この間のアドバイスはかなり助かったが。
脱衣所の扉が開く音が聞こえて、苦労の回想は停止する。
早く着替えてこないかと脱衣所に行きたい衝動を抑える。姿見鏡で合わせた姿でも分かるが、あの寝間着は彼女に似合っていると思う。自分が製作に携わったものだ。似合わないわけがない。
よしと壁越しに聞こえて、視線だけちらっと向ける。
足が見えたら、ワンピースの裾が見えるはずだった。見えたのは足だけで、その上は……。
「セミさん、入っていいよ」
蟬ヶ沢は風呂上りの蝶を見て固まり、マグカップを落した。マグカップの下はカーペットなので割れずに済んだが、蟬ヶ沢はマグカップのことは微塵も頭にない。
蟬ヶ沢は自分の心臓が止まったのかと思った。てっきり蝶が着てくるのは寝間着だと思っていたのだ。面倒なことは先に片付けたくなる彼女のことだから、と。
嬉しい意味で予想は裏切られる。自らその装いを頼んだ。そう、紛れもなく自分が彼女にそんな格好をして欲しいと頼んだのだ。
薄い水色のシャツは、濡れた髪の毛から滴る雫で肩の辺りは濃い水色になっている。肌に直接触れている濡れた面はシャツの下の肌を写し、紛れもなくこのシャツの下には下着しか着ていないことを証明している。
シャツの持ち主が大柄なせいで、着ている彼女はだぼだぼで袖を余らせている。
目のやり場に困って、視線を逸らすが見たい欲求はあるので見てしまう。
まさか先にシャツを着てくるなんて思わなかったのだ。
「……先に、コラボ服を着てもよかったのよ……」
視線をどこに向けたらいいか困ったのか、目を瞑ってしまった。
「汗で汚すのは嫌だったから」
「私の服はいいのね」
「そもそも、これか、それの二択しかないんだし。濡れた髪のままじゃ試作品が汚れるでしょ」
後で洗うとは言え、試作品に付着する汚れは最低限にしたいつもりらしい。
「……だからって、うう……」
「じゃあ、今から着替えてくる」
「……それはまだだめ」
****
蝶はドライヤーで乾かし始める。風で髪が靡き、うなじか見える。
拾ったマグカップをぴとっと付けてみた。
「………っっっ?!あ、あ、な、なに」
蝶はマグカップが当たった首を擦り、引く。彼女の動揺は珍しいので、新鮮な反応に嗜虐心が擽られる。
「ちょっと驚かせたくなって」
「勘弁してよ……」
「ごめんなさいね。お詫びに乾かしてあげるから、ほら背中向いて」
蝶は後ろを向いてくれる。
髪の毛を熱風と冷風交互に使い乾かす。こうすることで髪の毛に艶が出るのだ。中々上手く乾かせたのと、彼女本来の髪の毛の性質もあってかさわり心地のいいふわふわした乾きになる。
「はい、出来たわ」
「うん、ありがと。セミさんも早く」
「今行くわ」
言っておいて、蝶を後ろから抱き締めて、首に顔を埋める。
「セミさん、くすぐったいんだけど?」
「我慢して頂戴」
「はいはい」
「このまま寝たいわ」
「風呂入ってからね」
「一緒に入って」
「リセットさんの番号は……」
“リ”が聞こえた瞬間に蟬ヶ沢は立ち上がり、脱衣所に駆け込んだ。
「いってらっしゃい」
くすくすと笑いながら見送った彼女が試作品のパジャマで出迎えてくれて、さきほどの意地悪を忘れて拳を握って喜びを噛み締めたのはここだけの話だ。
****
時刻は深夜零時、部屋の灯りを消して二人はベランダに出る。
蟬ヶ沢と何かしら行動を共にする時は決まって天候が悪いことが多いが、今回は運がいいのか昨日の悪天候が雲を全てさらったかのように雲一つない綺麗な満天の星だ。
星空を見ながら、以前七夕で起きた事件を思い出す。初めて蟬ヶ沢の部屋に来た日で、それだけでも充分印象的だったが、それ以上の出来事があったのだ。
あの時彼は二枚短冊を描いた。一枚目の蝶に渡すつもりだった百日紅が描かれたものと、二枚目の千日紅が描かれた短冊。どちらも花だけだったのだ。飾りとしてではない。恐らく、この二枚を合わせて意味を成すとすれば……。
「“貴女を信じて永遠に”……って?」
びくりと蟬ヶ沢が肩を揺らし、蝶を見る。当時のことを思い出して、また顔が赤くなっていく。
にやりと蝶は意地悪な笑みを浮かべる。
「前に七夕に書いてた花。あれって花言葉だよね?」
「今思い出すことないじゃない」
蟬ヶ沢は口を尖らせ、少しだけそっぽを向く。怒っているつもりだろうが、全く迫力が無い。不機嫌な大型犬みたいだ。
「今だから言えんの。“ずっと前から好きでした”ってこともね」
そっぽを向いているので顔は見えないが、耳まで真っ赤だ。
困った顔が可愛いななんて私が思うのも変だろうが、私にとってはこの人の照れ顔は好きでしかたない。
先に動いたのは蟬ヶ沢だった。「ん?」と頭を上げる、見上げた瞬間、明らか顔が不味いと言っている。蝶もなんだろうと思い、見上げる。
丁度この建物の後ろ側から黒い雲がやってきた。はっきりと分かるくらい早く雲が動く。
蝶の鼻に水滴が落ちる。一回や二回ではない、ぽとぽとと落ちた雫は数を増し、水滴が落ちたと思った時には手すりについた手は肘までぐっしょりと濡らす。
蟬ヶ沢が慌てて戸を開き、蝶の手を引いて部屋に戻らせる。
ガラスが割れんばかりに乱暴に閉められた戸は反動で少しだけ再び開く。
「まさか降るなんて……」
心底残念そうに呟きながら戸を閉める。
「ここまで来るとジンクスね……。私達雨男と雨女なんじゃない?」
蟬ヶ沢はふらふらと床に倒れる。
「私はジンクスを信じる気はないわ……。ああ、もう」
その声は心底残念がり、泣きそうな声になっている。
蝶は蟬ヶ沢の頭を濡れていない方の手で擦る。すると蟬ヶ沢はううと呻きながら、擦っている腕を掴み、抱き抱える。濡らさないように背中に回していた手も構わず引き寄せる。
背中に濡れた感触が伝わる。濡れているのにも関わらず、腕も引き寄せたので蟬ヶ沢の腕も水分を含んでくる。
「ちょっと。セミさんも濡れるよ。ちょっと放して」
今蝶が着ているのは試作品ではなく、蟬ヶ沢のシャツなのだ。長い袖は折りたいところだったが、折らないでと彼から切望されたので、だらっとそのままにしていたのだ。雨をしっかり吸い込んだ袖はぽたぽたと雫を垂らす。
「濡れてもいいわよ」
「これだと二人して風邪を引くことになるよ」
「それは困るわ。すぐに新しいシャツを持ってくるわ」
「やっぱり彼シャツがいいの!?」
「あの恰好の貴女、好きよ?」
照れる事無く、真直ぐに言ってきた。
****
蝶が着替え終わると、蟬ヶ沢がホットミルクを持ってきた。
蝶が受け取ると、蟬ヶ沢は蝶の隣に座る。
外は雨が降っている。降り始めのような豪雨ではなくなっている。
二人とも無言で飲んでいるので音は雨が降る音のみ。
蝶はちらっと蟬ヶ沢を見る。雨が降った時の情けない落ち込みからは回復したらしく、落ち着いている。
声を掛けるのが少しだけ気まずくて、もたれ掛る。蟬ヶ沢も何も言わずに、頭を撫でる。
先程短冊を先に見てしまった事を謝る。そんな律儀に謝らなくてもいいのにと、苦笑いする。
「ああ、別にいいのよ。どうせ後で見るんだし。まあ、先に見られた身としては恥ずかしいけど」
「“幸福の再来”なら別に恥ずかしくもないんじゃない?」
「半分当たりね」
「その半分って?」
蟬ヶ沢は言葉を濁しつつ、むず痒そうな顔になる。
「……“誰よりも美しい貴女”に“再び幸福”を。花言葉の原文を意訳しての意味よ」
「くさい……」
「そう言いながら顔を隠す。こら、見せなさい。私ばかり狡いわ」
俯いて顔を隠した蝶からマグカップを取り上げて、顔を上げさせる。蝶も抵抗することなく大人しく上げる。
「……いじわる」
「いじわるは蝶よ。今年も蝶は去年とも同じ花にしたんでしょう?毎年、花菖蒲なんて意味がわからないわ。褒められているのは何となく分かるけど……、この際だからちゃあんと意味を教えて欲しいわね」
蝶は観念してぼそりと言う。
「…………玉蟬花」
「花菖蒲……じゃなくて?」
蝶は無言で頷いて、床に漢字を書いて伏せる。それを見て蟬ヶ沢も何を意味しているのか分かって、本日何度目かの赤面になる。
何年も、何年も玉蟬花を、蟬ヶ沢を、貴方を望む。
私は貴方以外なんにもいらない。
空が曇ってもよかったのだ。
空よりも七夕よりも、貴方といるのが一番の望み。
「つまり、セミさんとずっと居れますよにってワケよ」
蝶は冷めたミルクを飲んだ。
****
「あ、そっち……なのね」
自分が予想した彼女の望みが思っていたのと違って、少しだけほっとした。
蝶には何か誤解をされたらしく、睨まれる。
「そっちって、何にたいしてのそっち」
「気にしないで。こう、もっと迫られ……じゃなくて、ほら、私が欲しいだと思って」
「………セミさんの変態………最低……。そんなにむっつりすけべだったなんて知らなかった」
「性欲はなくても肌は合わせたくなります!」
「前から聞いてはいたけど、本当に性欲ないの?」
「ないわよ?どうして」
「たまに脱いだ状態で抱きつきたがるでしょ」
「抱き付いちゃいけない?」
「そうじゃないけどさ……」
「蝶はしたいものなの?」
真っ赤になって首を横に振る。
蟬ヶ沢は心の中で蝶に謝る。仮に彼女が望んだとしても、自分には不可能なことなのだ。それでも、人の肌を見たい、触れたいと思うのは性的なものだと思われているのか。
性的な欲求以外でこの肌に触れたがるのはいけないことなのだろうか。
蝶の手に視線を落し、指を絡める。触れた面は温かくくすぐったい。
「今のこの手の感触ってどう思う?」
「……いやじゃない」
蟬ヶ沢も頷いて同意する。
「私も好きよ。でも、誰でも良い訳じゃない。貴女だから触れていたいの。蝶は?」
「私は……」
蝶はそれ以上は言わずに、握り返す。
「本音を話すとね、この手に触れているだけじゃ足りなくなるのよ。この肌が邪魔で仕方ない。いっそこの皮膚が融けてしまえばいいと思うほどね。私は貴女が欲しいわ」
短冊にもこればかりは頼みたくない。蝶に叶えて欲しい。