chain.2 衝突
【ヨウ視点】
久しぶりの我が家は相変わらず賑やかだった。
皆変わってなくて安心した。
カナトは相変わらずテディを抱いてたし、ライトは変わったっていうか変態度が増した?
スバルは昔と違って顔に表情が出るようになったかな?そういう点ではスバルは昔と違う。
それは、きっと時間だけがスバルを変えたんじゃないと思う。
レイジは毒舌が増したね。シュウに対して酷く殺意を向けている。
俺ね、大事な双子のシュウに、大事な弟からのそういう発言は嫌なんだよ。
特にシュウは、昔と大きく変わっちゃったから。
昔は、二人でよく外で遊んでたのにね?
それを変えてしまったのは……。
アヤトは変わってないかな?相変わらずオレ様だしね。
でも、俺に対する態度は……俺がこの家を去った時から変わった。
アヤトが俺に敵意を向けるのは分かるよ。
昔は、アヤトの首にはいつも青アザがあったからね。
それを付けてしまったのは、"俺"だから。
だから警戒されるのは分かる。
だけどどうしても、アヤトを見ると、制御できなくなるんだ。
この冷たい心臓が、まるで動いてるように熱く脈打つんだ。
『……アヤトと、仲良くなりたいけど、当分無理なのかなぁ』
ため息をつきながら、申し訳程度で料理が出来る俺は約束通りカナトにプディングを作ってやっていた。
俺よりレイジの方が断然うまいけど、なぜかカナトは俺のを気に入ってる。
『まぁ、隙あらばレイジ、毒とか入れそうだしね』
レイジが実験で色々作ってるのは驚いたな。
昔から何かと勉強熱心だったから真面目に育つと思ってたけど、ちょっと予想外れたかな?
真面目だけどどこか方向性が違うような気がする。
『……よし、後は型に入れて暫く待てばいいかな』
型に注いで、冷蔵庫に入れた。
俺はリビングに移動してソファーに横になった。
プレーヤーからリズムのいいロックが流れ、俺は目を閉じた。
今度シュウのオススメのクラシックの音源貰おうかな。
入ってるの聴きすぎて全部覚えちゃったし……。
『……それにしても、ユイちゃんかぁ』
父さんが送ってきた写真通りの子だった。
幼いけど、芯があって強い。一癖も二癖もある弟達についていけてるからね。
弟達もあの子に必死だ。あんな小さな身体のどこに惹きつける魅力があるのかな。
『……考えるも何も、一つしかないか』
父さんの弟。いや、俺達からしたら叔父か。
あの男がユイちゃんに施した秘密。
アヤト、カナト、ライトの母親であるコーデリアの心臓を、まだ幼いユイちゃんに移植した。
その心臓は生きている。コーデリアの意志を持って……。
魔王の娘であるコーデリアの血は、ヴァンパイアを魅了する程の極上の味。
必然的に、その心臓を持つユイちゃんの血は味は極上だ。
それは血が出てなくても、近くにいるだけで分かる。
肌から香る甘い匂いで、吸血衝動が抑えられなくなるくらいだ。
『……』
こっちに戻ってくる前に使い魔から聞いたけど、どうやら弟達もそれに気づいてるらしい。
特にアヤトは辛いはずなのにユイちゃんを殺そうとしないのは、血だけを見ていないから。
ちゃんと、ユイちゃん自身を見ているからだと思う。
それはカナト、ライトにも言えること。
スバルはユイちゃんのおかげで随分とよくなったかな?
昔は、何をしても一人でいて大人しかったから少し不安だったけど、今を見れば分かる。
全ての過去を振り切れた訳じゃなさそうだけど、スバルは大丈夫だって。
シュウとレイジの因縁はきっと、切っても切れないだろう。
レイジは、やってはいけないことをした。
それを俺が知った時には、シュウから笑顔が消えていた。
あの、無垢な笑顔は、きっともう見れない。
俺は、シュウから笑顔を奪ったレイジが憎い。
でも、憎みきれない俺がいることも確かだ。
レイジの気持ちも、わかる気がするから。
それに、レイジも大事な弟だしね。
『……っと、そろそろかな?カナトを待たせると煩いからなぁ』
時計をふと見て、俺はゆっくりソファーから起き上がった。
頭をかいてキッチンに向かった俺は冷蔵庫からプディングを取り出した。
『うん、固まったね』
型から皿に出し、フルーツや生クリームを盛り付けた。
これならカナトも泣かずに食べてくれるだろ。
リビングに出てカナトの部屋に向かおうとすると、向こうからレイジが歩いてきた。
「おや、ヨウ。それは、カナトへのプディングですか。あなたは本当にカナトには甘い」
『別にいいだろ。レイジは、夕飯の支度?』
「ええ、そうですよ?ああ、何かリクエストありますか?」
リクエスト……レイジの手料理美味しいからなぁ。
んー、せっかくだし……。
『シュウと同じの』
「……レアステーキですか。
あなた方二人は食事の好みまで一緒とは……呆れる」
『いいだろ別に……んじゃ、俺はカナトの部屋行くね』
レイジは溜め息をつきながらリビングに入って行った。
それを横目で見ながら俺はカナトの部屋をノックした。
中から声がして部屋に入ると……。
『ぅ、カナト。部屋の中甘すぎだよ』
「ひっ、ぅ……遅いですよ!お腹が空いて、ヨウ兄のプディング、一番最初に食べたかったのに……取って置いたお菓子食べちゃったじゃないか!!」
カナトの部屋の中はクッキーの包み紙、チョコの袋、マシュマロの袋などの甘いお菓子ばかりの包み紙で散乱していた。
色々な甘い匂いが部屋に充満していた。俺、甘いの好んで食べないからキツイなぁ。
それに空腹過ぎて泣きながら怒る始末。俺が弟は難癖ある性格ばかりだなぁ。
まぁ、俺が言うのもあれだけど……。
『あー、ごめんごめん。遅くなったのは俺のせいだから。はい、プディング。これで機嫌直して?』
目の前に作ったばかりのプディングを差し出すと、目をキラキラさせて泣き止んだ。
俺の手から皿を受け取り、スプーンを手に取った。
「いただきまーす。はむ、はむ……ふふっ、美味しいです」
『それはよかった』
俺は散乱したお菓子の包みを避けてソファーに座って寄りかかった。
キラキラした目でどのフルーツを食べようか選んでるカナトは可愛かった。
お菓子やデザートを食べている時のカナトを見ていると、昔の面影が見えてくる。
あの頃は、カナトの歌をよく聞いていたっけ。
澄んだ声で、カナリアのような囀り、遠くにいても聞こえてくる声は心地良い。
「……ヨウ兄。ヨウ兄?寝てるの?
あの子の匂いが付いてる。甘い、香り……」
『んっ……』
「寝返りですか?あぁ、首筋が見えてますよ?
白い肌が見えて、冷たい肌ですねぇ?くくっ、あぁ、美味しそうです」
あれ、俺いつの間にか寝てたのか。
あれ、なんか、目の前が暗い?ああ、カナトか?
そういえばここ、カナトの部屋だったっけ。
『んっ……カ、ナ……っ!』
「うわっ!」
目を開けると、目の前に広がる紫の毛質、首筋にかかる吐息。
カナトが俺の首筋に噛み付こうとしていた。
俺はビックリしてカナトを突き飛ばしてしまった。
「う、っ……酷いです。僕は、ただっ……」
『ご、ごめっ……カナト、ごめんね』
カナトは座り込んで泣きじゃくっていた。
どうしていきなり吸血衝動に駆られたのか、理解ができなかった。
けど、微かに香った匂いでカナトが俺に噛みつこうとした理由が分かった。
服にあの子の香りがついていた。
匂いだけでここまでなるって、あの子の血は本当に凄いな。
『ユイちゃんの血の匂いが染み付いちゃってるかもしれないけど、血の味はあの子じゃないよカナト』
「分かってますよ!でも、甘い匂いがしたんですよ!
吸いたく、なるくらい、甘い匂いが!だったら、吸いたくなるだろ!」
『あー、そうだね。ユイちゃんの匂いは抑えられないくらい吸血衝動に駆られるからね。だからって、俺の血を吸うのはやめて』
弟に吸われるのって、なんか精神的に嫌って言うか……なんか敗北感味わうよね。
泣き続けるカナトをどうやって落ち着かせようか、俺は思考を巡らせていた。
面倒くさいけど、カナトを泣き止ませる手段、これしかないんだよなぁ。
またレイジに甘いって言われそうだけど、仕方ないか。
『また明日、何か作ってあげる』
「本当、ですか?」
そう言うと、カナトはぴたっと泣き止んだ。
嘘泣きだったんじゃないかって思ったけど、考えないことにした。
『何が食べたい?』
「ドーナツ、食べたいです。」
なんて作るのがめんどくさいものを……。
少し悩んだが、作ることにした。
まぁ、俺から提案しちゃったし、今更断るとまた酷いことになりそうだったからね。
『分かった。作ってあげる』
「はい、楽しみにしてますね」
『じゃあ後は夕飯の席でね?』
俺はカナトの頭を撫で、部屋の外に出た。
悪い事、しちゃったなぁ。まさかカナトに吸われそうになるとは……。
でも、よかった。吸われたりなんかしたら、俺……カナトの首を絞めてたかもしれない。
『……ははっ、やっぱまだダメだなぁ』
俺だけ、過去を振り切れていない。
他の皆は随分、過去のトラウマから振り切れてるように見えた。
あぁ、でも……シュウのトラウマは、まだ消えていない。
『……ん?この匂いは……』
異様な程に甘い匂いが漂ってきていた。
この匂いは間違えるはずがない。
ユイちゃん、誰かに吸われてる?この気配は……
『……アヤトか』
俺はユイちゃんの部屋に向かった。
近づくたびに強くなる甘い匂い。その匂いを嗅いだだけで、衝動が抑えられない。
喉が、酷く渇く気がする。
『アヤト。何してるの?』
「っ!?」
ユイちゃんの部屋の前に立ちドアを開ける。
部屋の中には、ベットにユイちゃんを押し倒しているアヤトがいた。
その口元は真っ赤な血で濡れ、押し倒されてるユイちゃんの服は乱れ、首元には複数の牙の痕があった。
真っ白なベットシーツも所々に血が付いていて、ユイちゃんも息が絶え絶えだった。
……あぁ、もう限界だな。
「何しにきたんだよ、あぁ?こいつはオレ様のだ。てめぇなんかに渡さねぇ。」
『渡す渡さないの話じゃないだろ。ユイちゃんは誰のものでもない。
選ぶ権利はユイちゃんにある。アヤト、ユイちゃんの上から退きな』
俺の姿を見たアヤトは敵意丸出しの目で睨んできた。
優しく言っているうちだよ、アヤト?
部屋の中に極上の血の香りが充満してて、何も考えられなくなる。
ユイちゃんの血が、俺をおかしくさせる。
「嫌だね。そう言って偽善者ぶってこいつの血を吸おうって根端なんだろ?
んなことさせるかよ。こんな極上な血を持つ女、誰がてめぇみてぇな奴にっ!」
『退け』
偽善者……言うねぇ、アヤト。
俺の抱えてる闇を知らないくせに、ほんと好き勝手。
……あぁ、少しお仕置きが必要か?
昔みたいに、また遊ぼうか。
「ヨウ、さ……」
『……ごめんね。痛かったよね?俺がもう少し早く来てたらよかった』
「大丈夫、です。ヨウさんのせいじゃ、ないですから。来てくれただけで、嬉しいです」
上からアヤトが退いたユイちゃんがゆっくり起き上がった。
俺はそっと近づき、牙の痕がついた首筋を撫でた。
細っこい首、力いれたら、簡単に折れそうだなぁ?
でも今は、ユイちゃんより……。
『ユイちゃん、俺の部屋に行ってな?場所は分かるね?』
「……はい」
『大丈夫。誰も俺の部屋には入らないから。俺が戻るまでゆっくりしてていいよ』
俺に促されたユイちゃんは、服で首筋を隠しながら部屋を出て行った。
残されたのは、俺とアヤトの二人だけ。
部屋に鍵をかけて、ゆっくり振り向いた。
『……』
「……んだよ」
アヤトが俺の顔を見て身体がカタカタ震えていた。
怖いのか?昔はよく遊んでやっただろ?
「くんな。……くんじゃねぇ!!」
『……』
俺が一歩足を踏み出す度にアヤトも一歩後ろに下がった。
でもなぁ、アヤト。周りはよく見ないとダメだろ?後ろ、壁だよ?
「や、めろ……やめろ……っ!」
『……アヤト、なんで逃げんだ?
あぁ、もう逃げらんねぇなぁ?くくっ、後ろ……壁だぞ?』
壁に背中をつけたアヤトは俺を恐怖の眼差しで見つめていた。
いいなぁ。もっとその恐怖に歪んだ顔を見たい。
もっともっと、苦痛に歪む顔が……。
『……アヤト』
アヤトは瞳をぎゅっと閉じて下を向いた。
なんで俺から目を逸らすの?その澄んだ黄緑色の瞳が潤むのが見たいんだ。
『なぁ、顔あげろよ。久しぶりの兄さんとの再会だろ?』
「だ、れがっ」
『あげろ』
低い声で言うとアヤトは肩をビクつかせてゆっくり視線を上にあげた。
怯えた顔がゆっくり俺を見据えてきた。
揺らぐ瞳が見える。カタカタ震える唇が見える。男にしては細い首が……
―――あぁ、絞めたくなるなぁ
「ぐっ!」
思った通り、細い首。
いや、小さい頃に比べたら成長したなぁ。
そんな俺の思考なんて知らずに、俺の手首を力強く掴んで抵抗するアヤト。
力で勝てると思ってるのか?あぁ、いいなぁ?その表情。
片目を閉じて、必死に俺から離れようと抵抗して、無理だって分かってるのになぁ?
「ッ……ッ!」
……あぁ、いつからだったっけ。
アヤトを見る度に、首を絞めたくなるんだ。
この年になってからは衝動を抑えられてたけど、ユイちゃんの血の匂いで、ダメだなぁ。
酸素を求めてパクパク動く唇、苦痛に歪む顔、離れようと必死に俺に縋る手。
全てが愛おしい。愛おしいからこそ、この手で壊したくなる。
最初は、そういうつもりじゃ、なかったのになぁ。
あぁ、ダメだ。血のせいで、なにも考えられないや。
『くくっ、苦しいか?いいなぁ、その顔。
苦痛に歪んで、金魚みてぇに口パクパクさせて……なぁ、息吸いたいか?ほら、言えよ』
「ッ、はっ……ぁ、ぐ……!」
『ああ、悪い。言えなかったなぁ。
くくくっ、ははっ……もっと苦しくしてやるよ』
もっともっと、歪む顔が見たい。
ぐっと手に力を入れると、ひゅっと空気が吸い込む音がした。
涙で潤む瞳、飲み込めない唾液が口端から垂れる。
俺の手首を必死に掴んで暴れる姿は、見ていて興奮する。
「……ゃ、めろ!」
『っ!』
いきなり手首に爪を立てられ、俺はその微かな痛みに顔を歪めた。
手の力が緩んだのを見計らい、アヤトが蹴り上げてきた。
「ゲホゲホッ!はっ、はぁ……ゲホッ!」
アヤトの酸素を求めて咳き込む声が聞こえる。
気配が動いてる。逃げる気か?
でも、その酸素が回っていない身体で、どう逃げるんだ?
「はぁ、はぁ……ゲホ……」
『ってぇ……アヤト、兄さんに手をあげるってどういう神経だ?』
「……うっせぇ」
蹴られた箇所の埃を叩き、ゆっくりと起き上がる。
気配のする方に目線を向けると、アヤトが逃げようとしていた。
力が出ないのか、必死に身体に酸素を取り入れようと床に座り込んで咳き込んでいた。
くくっ、ははっ……無様だなぁ。
この屋敷で1番だって言ってる割に、俺に勝てないんだから。
昔は、俺の言うこと聞いたのになぁ。
『アヤト、昔に比べて聞き分けのない子に育ったな?』
「ッ……ぐっ、ぁ!」
ゆっくりアヤトに近づき、見下ろすように見つめた。
力の入らない身体だから逃げようともしない。
あぁ、あの歪んだ顔が、もう一度見たい。
手を伸ばしてもアヤトは逃げようともせずに、俺に大人しく首を絞められた。
力の入らない身体は後ろに倒れ、俺がアヤトに覆い被さり絞めている状況だった。
これなら立って絞めるより力がいれやすい。
『あぁ、やっぱいいなぁ?酸素を求めて必死になる姿。
苦しくて、どこかに落ちていきそうな感覚。気持ちいいだろ?
目ぇ涙で潤んで、力無く俺の服掴んで……くくっ、興奮するなぁ』
「はっ、ぐっ……ッ!」
俺に伸ばされた手が、力無く腕を掴んでもがいていた。
さっきと違って声もあげようとしない。言葉も発せないくらい、意識が遠退いてるのか?
零れ落ちそうなくらい瞳に涙を浮かべるアヤトの表情は、興奮する。
俺好みの表情をいつもしてくれるから、楽しくなる。
「ッ……っに……」
アヤトが何かを口にしたけど、くぐもっていてよく聞こえなかった。
でも、頬に伝う涙が余計に俺の中のナニかを崩していく。
ほんと、俺を興奮させるのうまいなぁアヤトは……。
『んー?くくっ、なんだよ。
涙流して、煽るのうまいなぁ?アヤト。もっと苦しくなって、イっちまいてぇの?』
酸素が吸えないギリギリになると、なんでかしらねぇけど気持ちよくなるんだよなぁ?
そのまま、どこかに落ちていきそうな感覚が気持ち良くて、イっちまいそうなくらいに頭の中が真っ白になるんだよ。
「……にぃ……ッヨウ、にぃ……ッ……」
『……!』
アヤトが、昔の呼び方で、俺を呼んだ。
いつ振りだろうか、アヤトがちゃんと俺の事を"ヨウ兄"って呼んでくれるの。
あれ、でもなんでアヤトが泣いてるの?
……俺、また?アヤトを?
気が付けば、俺の手はアヤトの首を絞めていた。
慌てて離せば、その首には俺の手形が付いていた。
「ゲホッ!ゴホッ!はっ、はぁ、はぁっ!」
『……ぁ、アヤト?……ごめっ、ごめん。
アヤト、大丈夫?ゆっくり息吸って……』
俺は目の前で苦しそうにもがくアヤトを見つめた。
アヤトは身体を縮めて咳込んだ。
喉を抑えて、ひゅうひゅうと息を吸う音が聞こえる。
俺、どれだけ強く締めてたんだ。
優しく背中を撫でて、アヤトが落ち着くのを待った。
「はっ、はぁ……」
『アヤト』
アヤト、ごめん。ごめんね。
なんで俺は……もう嫌だ。アヤトを見ると、抑えられない。
この衝動はきっと、トラウマのせいなんだ。でも、それだけじゃない。
苦しむ顔を見ると、苦痛に歪んで涙で潤む瞳を見ると、もっと苦しめたくなるんだよ。
もっともっと、俺を高揚させる表情が見たい。そう思ってしまう。
興奮させてくれる表情が、俺を昂らせてくれるんだ。
……どうして、こうなったんだろう。
最初は、逃げる為の行為だったのに……今では、俺を興奮させる材料の一部になっていた。
「うっるせぇ……オレに、関わんな!
目障り、なんだよ!オレが、てめぇに何したってんだ!!」
『……そう、だね。アヤトは何もしてないよ。ごめん、アヤト』
背中を撫でる俺の手を、アヤトは振り払った。
睨みつけるように澄んだ瞳が見据えていた。
アヤトは力の入らない身体を起き上がらせ、フラつく身体で部屋から出て行った。
声を掛けようと手を伸ばしたけど、アヤトに触れる事はできなかった。
いや、触れられなかった。悪いのは全部、俺なんだから。
『……アヤトは、悪くない。これは全部、俺の問題だから。
嫌いな訳じゃないんだ。アヤトは、大切な弟だよ。だけど、アヤトを見るとどうしても……ごめんね』
アヤトは、本当に悪くないんだよ。
俺の過去が、俺のトラウマが、アヤトを縛っちゃってるんだ。
いや、俺の存在がアヤトを縛ってるんだね。
嫌いな訳じゃない。大事な大事な弟だよ。大切で愛おしい存在だよ。
でもね、アヤトの色が……。
―――俺を狂わせるんだ
~chain.2 END~
久しぶりの我が家は相変わらず賑やかだった。
皆変わってなくて安心した。
カナトは相変わらずテディを抱いてたし、ライトは変わったっていうか変態度が増した?
スバルは昔と違って顔に表情が出るようになったかな?そういう点ではスバルは昔と違う。
それは、きっと時間だけがスバルを変えたんじゃないと思う。
レイジは毒舌が増したね。シュウに対して酷く殺意を向けている。
俺ね、大事な双子のシュウに、大事な弟からのそういう発言は嫌なんだよ。
特にシュウは、昔と大きく変わっちゃったから。
昔は、二人でよく外で遊んでたのにね?
それを変えてしまったのは……。
アヤトは変わってないかな?相変わらずオレ様だしね。
でも、俺に対する態度は……俺がこの家を去った時から変わった。
アヤトが俺に敵意を向けるのは分かるよ。
昔は、アヤトの首にはいつも青アザがあったからね。
それを付けてしまったのは、"俺"だから。
だから警戒されるのは分かる。
だけどどうしても、アヤトを見ると、制御できなくなるんだ。
この冷たい心臓が、まるで動いてるように熱く脈打つんだ。
『……アヤトと、仲良くなりたいけど、当分無理なのかなぁ』
ため息をつきながら、申し訳程度で料理が出来る俺は約束通りカナトにプディングを作ってやっていた。
俺よりレイジの方が断然うまいけど、なぜかカナトは俺のを気に入ってる。
『まぁ、隙あらばレイジ、毒とか入れそうだしね』
レイジが実験で色々作ってるのは驚いたな。
昔から何かと勉強熱心だったから真面目に育つと思ってたけど、ちょっと予想外れたかな?
真面目だけどどこか方向性が違うような気がする。
『……よし、後は型に入れて暫く待てばいいかな』
型に注いで、冷蔵庫に入れた。
俺はリビングに移動してソファーに横になった。
プレーヤーからリズムのいいロックが流れ、俺は目を閉じた。
今度シュウのオススメのクラシックの音源貰おうかな。
入ってるの聴きすぎて全部覚えちゃったし……。
『……それにしても、ユイちゃんかぁ』
父さんが送ってきた写真通りの子だった。
幼いけど、芯があって強い。一癖も二癖もある弟達についていけてるからね。
弟達もあの子に必死だ。あんな小さな身体のどこに惹きつける魅力があるのかな。
『……考えるも何も、一つしかないか』
父さんの弟。いや、俺達からしたら叔父か。
あの男がユイちゃんに施した秘密。
アヤト、カナト、ライトの母親であるコーデリアの心臓を、まだ幼いユイちゃんに移植した。
その心臓は生きている。コーデリアの意志を持って……。
魔王の娘であるコーデリアの血は、ヴァンパイアを魅了する程の極上の味。
必然的に、その心臓を持つユイちゃんの血は味は極上だ。
それは血が出てなくても、近くにいるだけで分かる。
肌から香る甘い匂いで、吸血衝動が抑えられなくなるくらいだ。
『……』
こっちに戻ってくる前に使い魔から聞いたけど、どうやら弟達もそれに気づいてるらしい。
特にアヤトは辛いはずなのにユイちゃんを殺そうとしないのは、血だけを見ていないから。
ちゃんと、ユイちゃん自身を見ているからだと思う。
それはカナト、ライトにも言えること。
スバルはユイちゃんのおかげで随分とよくなったかな?
昔は、何をしても一人でいて大人しかったから少し不安だったけど、今を見れば分かる。
全ての過去を振り切れた訳じゃなさそうだけど、スバルは大丈夫だって。
シュウとレイジの因縁はきっと、切っても切れないだろう。
レイジは、やってはいけないことをした。
それを俺が知った時には、シュウから笑顔が消えていた。
あの、無垢な笑顔は、きっともう見れない。
俺は、シュウから笑顔を奪ったレイジが憎い。
でも、憎みきれない俺がいることも確かだ。
レイジの気持ちも、わかる気がするから。
それに、レイジも大事な弟だしね。
『……っと、そろそろかな?カナトを待たせると煩いからなぁ』
時計をふと見て、俺はゆっくりソファーから起き上がった。
頭をかいてキッチンに向かった俺は冷蔵庫からプディングを取り出した。
『うん、固まったね』
型から皿に出し、フルーツや生クリームを盛り付けた。
これならカナトも泣かずに食べてくれるだろ。
リビングに出てカナトの部屋に向かおうとすると、向こうからレイジが歩いてきた。
「おや、ヨウ。それは、カナトへのプディングですか。あなたは本当にカナトには甘い」
『別にいいだろ。レイジは、夕飯の支度?』
「ええ、そうですよ?ああ、何かリクエストありますか?」
リクエスト……レイジの手料理美味しいからなぁ。
んー、せっかくだし……。
『シュウと同じの』
「……レアステーキですか。
あなた方二人は食事の好みまで一緒とは……呆れる」
『いいだろ別に……んじゃ、俺はカナトの部屋行くね』
レイジは溜め息をつきながらリビングに入って行った。
それを横目で見ながら俺はカナトの部屋をノックした。
中から声がして部屋に入ると……。
『ぅ、カナト。部屋の中甘すぎだよ』
「ひっ、ぅ……遅いですよ!お腹が空いて、ヨウ兄のプディング、一番最初に食べたかったのに……取って置いたお菓子食べちゃったじゃないか!!」
カナトの部屋の中はクッキーの包み紙、チョコの袋、マシュマロの袋などの甘いお菓子ばかりの包み紙で散乱していた。
色々な甘い匂いが部屋に充満していた。俺、甘いの好んで食べないからキツイなぁ。
それに空腹過ぎて泣きながら怒る始末。俺が弟は難癖ある性格ばかりだなぁ。
まぁ、俺が言うのもあれだけど……。
『あー、ごめんごめん。遅くなったのは俺のせいだから。はい、プディング。これで機嫌直して?』
目の前に作ったばかりのプディングを差し出すと、目をキラキラさせて泣き止んだ。
俺の手から皿を受け取り、スプーンを手に取った。
「いただきまーす。はむ、はむ……ふふっ、美味しいです」
『それはよかった』
俺は散乱したお菓子の包みを避けてソファーに座って寄りかかった。
キラキラした目でどのフルーツを食べようか選んでるカナトは可愛かった。
お菓子やデザートを食べている時のカナトを見ていると、昔の面影が見えてくる。
あの頃は、カナトの歌をよく聞いていたっけ。
澄んだ声で、カナリアのような囀り、遠くにいても聞こえてくる声は心地良い。
「……ヨウ兄。ヨウ兄?寝てるの?
あの子の匂いが付いてる。甘い、香り……」
『んっ……』
「寝返りですか?あぁ、首筋が見えてますよ?
白い肌が見えて、冷たい肌ですねぇ?くくっ、あぁ、美味しそうです」
あれ、俺いつの間にか寝てたのか。
あれ、なんか、目の前が暗い?ああ、カナトか?
そういえばここ、カナトの部屋だったっけ。
『んっ……カ、ナ……っ!』
「うわっ!」
目を開けると、目の前に広がる紫の毛質、首筋にかかる吐息。
カナトが俺の首筋に噛み付こうとしていた。
俺はビックリしてカナトを突き飛ばしてしまった。
「う、っ……酷いです。僕は、ただっ……」
『ご、ごめっ……カナト、ごめんね』
カナトは座り込んで泣きじゃくっていた。
どうしていきなり吸血衝動に駆られたのか、理解ができなかった。
けど、微かに香った匂いでカナトが俺に噛みつこうとした理由が分かった。
服にあの子の香りがついていた。
匂いだけでここまでなるって、あの子の血は本当に凄いな。
『ユイちゃんの血の匂いが染み付いちゃってるかもしれないけど、血の味はあの子じゃないよカナト』
「分かってますよ!でも、甘い匂いがしたんですよ!
吸いたく、なるくらい、甘い匂いが!だったら、吸いたくなるだろ!」
『あー、そうだね。ユイちゃんの匂いは抑えられないくらい吸血衝動に駆られるからね。だからって、俺の血を吸うのはやめて』
弟に吸われるのって、なんか精神的に嫌って言うか……なんか敗北感味わうよね。
泣き続けるカナトをどうやって落ち着かせようか、俺は思考を巡らせていた。
面倒くさいけど、カナトを泣き止ませる手段、これしかないんだよなぁ。
またレイジに甘いって言われそうだけど、仕方ないか。
『また明日、何か作ってあげる』
「本当、ですか?」
そう言うと、カナトはぴたっと泣き止んだ。
嘘泣きだったんじゃないかって思ったけど、考えないことにした。
『何が食べたい?』
「ドーナツ、食べたいです。」
なんて作るのがめんどくさいものを……。
少し悩んだが、作ることにした。
まぁ、俺から提案しちゃったし、今更断るとまた酷いことになりそうだったからね。
『分かった。作ってあげる』
「はい、楽しみにしてますね」
『じゃあ後は夕飯の席でね?』
俺はカナトの頭を撫で、部屋の外に出た。
悪い事、しちゃったなぁ。まさかカナトに吸われそうになるとは……。
でも、よかった。吸われたりなんかしたら、俺……カナトの首を絞めてたかもしれない。
『……ははっ、やっぱまだダメだなぁ』
俺だけ、過去を振り切れていない。
他の皆は随分、過去のトラウマから振り切れてるように見えた。
あぁ、でも……シュウのトラウマは、まだ消えていない。
『……ん?この匂いは……』
異様な程に甘い匂いが漂ってきていた。
この匂いは間違えるはずがない。
ユイちゃん、誰かに吸われてる?この気配は……
『……アヤトか』
俺はユイちゃんの部屋に向かった。
近づくたびに強くなる甘い匂い。その匂いを嗅いだだけで、衝動が抑えられない。
喉が、酷く渇く気がする。
『アヤト。何してるの?』
「っ!?」
ユイちゃんの部屋の前に立ちドアを開ける。
部屋の中には、ベットにユイちゃんを押し倒しているアヤトがいた。
その口元は真っ赤な血で濡れ、押し倒されてるユイちゃんの服は乱れ、首元には複数の牙の痕があった。
真っ白なベットシーツも所々に血が付いていて、ユイちゃんも息が絶え絶えだった。
……あぁ、もう限界だな。
「何しにきたんだよ、あぁ?こいつはオレ様のだ。てめぇなんかに渡さねぇ。」
『渡す渡さないの話じゃないだろ。ユイちゃんは誰のものでもない。
選ぶ権利はユイちゃんにある。アヤト、ユイちゃんの上から退きな』
俺の姿を見たアヤトは敵意丸出しの目で睨んできた。
優しく言っているうちだよ、アヤト?
部屋の中に極上の血の香りが充満してて、何も考えられなくなる。
ユイちゃんの血が、俺をおかしくさせる。
「嫌だね。そう言って偽善者ぶってこいつの血を吸おうって根端なんだろ?
んなことさせるかよ。こんな極上な血を持つ女、誰がてめぇみてぇな奴にっ!」
『退け』
偽善者……言うねぇ、アヤト。
俺の抱えてる闇を知らないくせに、ほんと好き勝手。
……あぁ、少しお仕置きが必要か?
昔みたいに、また遊ぼうか。
「ヨウ、さ……」
『……ごめんね。痛かったよね?俺がもう少し早く来てたらよかった』
「大丈夫、です。ヨウさんのせいじゃ、ないですから。来てくれただけで、嬉しいです」
上からアヤトが退いたユイちゃんがゆっくり起き上がった。
俺はそっと近づき、牙の痕がついた首筋を撫でた。
細っこい首、力いれたら、簡単に折れそうだなぁ?
でも今は、ユイちゃんより……。
『ユイちゃん、俺の部屋に行ってな?場所は分かるね?』
「……はい」
『大丈夫。誰も俺の部屋には入らないから。俺が戻るまでゆっくりしてていいよ』
俺に促されたユイちゃんは、服で首筋を隠しながら部屋を出て行った。
残されたのは、俺とアヤトの二人だけ。
部屋に鍵をかけて、ゆっくり振り向いた。
『……』
「……んだよ」
アヤトが俺の顔を見て身体がカタカタ震えていた。
怖いのか?昔はよく遊んでやっただろ?
「くんな。……くんじゃねぇ!!」
『……』
俺が一歩足を踏み出す度にアヤトも一歩後ろに下がった。
でもなぁ、アヤト。周りはよく見ないとダメだろ?後ろ、壁だよ?
「や、めろ……やめろ……っ!」
『……アヤト、なんで逃げんだ?
あぁ、もう逃げらんねぇなぁ?くくっ、後ろ……壁だぞ?』
壁に背中をつけたアヤトは俺を恐怖の眼差しで見つめていた。
いいなぁ。もっとその恐怖に歪んだ顔を見たい。
もっともっと、苦痛に歪む顔が……。
『……アヤト』
アヤトは瞳をぎゅっと閉じて下を向いた。
なんで俺から目を逸らすの?その澄んだ黄緑色の瞳が潤むのが見たいんだ。
『なぁ、顔あげろよ。久しぶりの兄さんとの再会だろ?』
「だ、れがっ」
『あげろ』
低い声で言うとアヤトは肩をビクつかせてゆっくり視線を上にあげた。
怯えた顔がゆっくり俺を見据えてきた。
揺らぐ瞳が見える。カタカタ震える唇が見える。男にしては細い首が……
―――あぁ、絞めたくなるなぁ
「ぐっ!」
思った通り、細い首。
いや、小さい頃に比べたら成長したなぁ。
そんな俺の思考なんて知らずに、俺の手首を力強く掴んで抵抗するアヤト。
力で勝てると思ってるのか?あぁ、いいなぁ?その表情。
片目を閉じて、必死に俺から離れようと抵抗して、無理だって分かってるのになぁ?
「ッ……ッ!」
……あぁ、いつからだったっけ。
アヤトを見る度に、首を絞めたくなるんだ。
この年になってからは衝動を抑えられてたけど、ユイちゃんの血の匂いで、ダメだなぁ。
酸素を求めてパクパク動く唇、苦痛に歪む顔、離れようと必死に俺に縋る手。
全てが愛おしい。愛おしいからこそ、この手で壊したくなる。
最初は、そういうつもりじゃ、なかったのになぁ。
あぁ、ダメだ。血のせいで、なにも考えられないや。
『くくっ、苦しいか?いいなぁ、その顔。
苦痛に歪んで、金魚みてぇに口パクパクさせて……なぁ、息吸いたいか?ほら、言えよ』
「ッ、はっ……ぁ、ぐ……!」
『ああ、悪い。言えなかったなぁ。
くくくっ、ははっ……もっと苦しくしてやるよ』
もっともっと、歪む顔が見たい。
ぐっと手に力を入れると、ひゅっと空気が吸い込む音がした。
涙で潤む瞳、飲み込めない唾液が口端から垂れる。
俺の手首を必死に掴んで暴れる姿は、見ていて興奮する。
「……ゃ、めろ!」
『っ!』
いきなり手首に爪を立てられ、俺はその微かな痛みに顔を歪めた。
手の力が緩んだのを見計らい、アヤトが蹴り上げてきた。
「ゲホゲホッ!はっ、はぁ……ゲホッ!」
アヤトの酸素を求めて咳き込む声が聞こえる。
気配が動いてる。逃げる気か?
でも、その酸素が回っていない身体で、どう逃げるんだ?
「はぁ、はぁ……ゲホ……」
『ってぇ……アヤト、兄さんに手をあげるってどういう神経だ?』
「……うっせぇ」
蹴られた箇所の埃を叩き、ゆっくりと起き上がる。
気配のする方に目線を向けると、アヤトが逃げようとしていた。
力が出ないのか、必死に身体に酸素を取り入れようと床に座り込んで咳き込んでいた。
くくっ、ははっ……無様だなぁ。
この屋敷で1番だって言ってる割に、俺に勝てないんだから。
昔は、俺の言うこと聞いたのになぁ。
『アヤト、昔に比べて聞き分けのない子に育ったな?』
「ッ……ぐっ、ぁ!」
ゆっくりアヤトに近づき、見下ろすように見つめた。
力の入らない身体だから逃げようともしない。
あぁ、あの歪んだ顔が、もう一度見たい。
手を伸ばしてもアヤトは逃げようともせずに、俺に大人しく首を絞められた。
力の入らない身体は後ろに倒れ、俺がアヤトに覆い被さり絞めている状況だった。
これなら立って絞めるより力がいれやすい。
『あぁ、やっぱいいなぁ?酸素を求めて必死になる姿。
苦しくて、どこかに落ちていきそうな感覚。気持ちいいだろ?
目ぇ涙で潤んで、力無く俺の服掴んで……くくっ、興奮するなぁ』
「はっ、ぐっ……ッ!」
俺に伸ばされた手が、力無く腕を掴んでもがいていた。
さっきと違って声もあげようとしない。言葉も発せないくらい、意識が遠退いてるのか?
零れ落ちそうなくらい瞳に涙を浮かべるアヤトの表情は、興奮する。
俺好みの表情をいつもしてくれるから、楽しくなる。
「ッ……っに……」
アヤトが何かを口にしたけど、くぐもっていてよく聞こえなかった。
でも、頬に伝う涙が余計に俺の中のナニかを崩していく。
ほんと、俺を興奮させるのうまいなぁアヤトは……。
『んー?くくっ、なんだよ。
涙流して、煽るのうまいなぁ?アヤト。もっと苦しくなって、イっちまいてぇの?』
酸素が吸えないギリギリになると、なんでかしらねぇけど気持ちよくなるんだよなぁ?
そのまま、どこかに落ちていきそうな感覚が気持ち良くて、イっちまいそうなくらいに頭の中が真っ白になるんだよ。
「……にぃ……ッヨウ、にぃ……ッ……」
『……!』
アヤトが、昔の呼び方で、俺を呼んだ。
いつ振りだろうか、アヤトがちゃんと俺の事を"ヨウ兄"って呼んでくれるの。
あれ、でもなんでアヤトが泣いてるの?
……俺、また?アヤトを?
気が付けば、俺の手はアヤトの首を絞めていた。
慌てて離せば、その首には俺の手形が付いていた。
「ゲホッ!ゴホッ!はっ、はぁ、はぁっ!」
『……ぁ、アヤト?……ごめっ、ごめん。
アヤト、大丈夫?ゆっくり息吸って……』
俺は目の前で苦しそうにもがくアヤトを見つめた。
アヤトは身体を縮めて咳込んだ。
喉を抑えて、ひゅうひゅうと息を吸う音が聞こえる。
俺、どれだけ強く締めてたんだ。
優しく背中を撫でて、アヤトが落ち着くのを待った。
「はっ、はぁ……」
『アヤト』
アヤト、ごめん。ごめんね。
なんで俺は……もう嫌だ。アヤトを見ると、抑えられない。
この衝動はきっと、トラウマのせいなんだ。でも、それだけじゃない。
苦しむ顔を見ると、苦痛に歪んで涙で潤む瞳を見ると、もっと苦しめたくなるんだよ。
もっともっと、俺を高揚させる表情が見たい。そう思ってしまう。
興奮させてくれる表情が、俺を昂らせてくれるんだ。
……どうして、こうなったんだろう。
最初は、逃げる為の行為だったのに……今では、俺を興奮させる材料の一部になっていた。
「うっるせぇ……オレに、関わんな!
目障り、なんだよ!オレが、てめぇに何したってんだ!!」
『……そう、だね。アヤトは何もしてないよ。ごめん、アヤト』
背中を撫でる俺の手を、アヤトは振り払った。
睨みつけるように澄んだ瞳が見据えていた。
アヤトは力の入らない身体を起き上がらせ、フラつく身体で部屋から出て行った。
声を掛けようと手を伸ばしたけど、アヤトに触れる事はできなかった。
いや、触れられなかった。悪いのは全部、俺なんだから。
『……アヤトは、悪くない。これは全部、俺の問題だから。
嫌いな訳じゃないんだ。アヤトは、大切な弟だよ。だけど、アヤトを見るとどうしても……ごめんね』
アヤトは、本当に悪くないんだよ。
俺の過去が、俺のトラウマが、アヤトを縛っちゃってるんだ。
いや、俺の存在がアヤトを縛ってるんだね。
嫌いな訳じゃない。大事な大事な弟だよ。大切で愛おしい存在だよ。
でもね、アヤトの色が……。
―――俺を狂わせるんだ
~chain.2 END~
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