【ルミ敵堕ち編】絶望の果てに、世界で一番甘い奇跡を
薄暗い実験室の奥底で、かつて太陽のように天真爛漫に笑っていた少年の「心」は、完全に破壊し尽くされていた。
「あ、……う、あ……」
虚空を見つめるルミの口から、意味を成さない掠れた吐息が漏れる。
オズワルドによる連日の凄惨な『調整』は、ルミの脳裏にあった優しかった人々の記憶を、激痛と絶望の濁流でことごとく塗り潰していった。
命の恩人であり、私室で愛を囁き合ってくれたアルヴィーノの美しい紫瞳も。
泣きじゃくる自分を「ルミにぃ」と慕ってくれたレオの笑顔も。
何もかもが、強制的に引きずり出された禍々しい闇の魔力によって粉々に砕かれ、消滅してしまった。
今のルミが身に纏っているのは、かつての可憐な白いロリータ服ではない。血と闇の魔力に染まりきった、不気味な【黒い衣装】。
その水色だったはずの瞳は、いまや元の色がどちらであったかさえ判別できないほどに、どす黒く、深く【濁りきって】いる。
光を失ったその双眸は、ただ目の前の対象を破壊するためだけに開かれていた。
「ククク……素晴らしい! ついに完成したぞ、我が最高傑作の操り人形が!」
制御盤を握るオズワルドは、狂気に満ちた笑い声を地下室に響かせた。
ルミの首に嵌められた首輪からは、彼の思考を奪い、ただ破壊の命令だけを脳内に直接送り込む呪詛の鎖が伸びている。
「さあ、行くんだ、ルミ。次なる標的はレイストールの東部管轄領だ。あの傲慢な王族どもに、お前の極上の『闇』を見せつけてやれ!」
「……『命令』、……『破壊』……」
ルミは抑揚のない、まるで錆びついた機械のような声で呟くと、ふわりと身体を浮かせた。
その背後から立ち上る闇のオーラは、かつての比ではないほどに膨れ上がり、周囲の空間そのものを腐食させるように歪めている。
その夜も、レイストール王国が管轄する平穏な土地が、一夜にして蹂躙された。
防衛線の兵士たちが武器を構える暇すら与えず、空を覆い尽くした漆黒の闇が、街を、建物を、人々を、跡形もなく飲み込んでいく。
かつて「大切な人を甘いもので出迎えたい」と笑っていた愛らしい少年はもうそこにはいなかった。
ただ主の命じられるがままに、最愛の者が治める国をその手で蹂躙し続ける、哀れな黒き殺戮の人形。
オズワルドの歪んだ欲望のままに、ルミは虚無の瞳で、世界を更地へと変える絶望の魔術を放ち続けていた。
レイストール王国の東部管轄領。
かつて緑豊かだったその街は、今や空を覆い尽くす不気味な黒い霧と、地を這うような闇の魔力によって、見るも無残に蹂躙されていた。
「ハハハ! 壊せ、壊せ! レイストールの基盤を根こそぎ腐らせてやるのだ!」
崩落する建物の瓦礫の上、白衣を血と煤で汚したオズワルドが、狂気的な高笑いを響かせる。
その視線の先では、黒い衣装を身に纏ったルミが、虚空に浮かんだまま機械的にその細い両手を掲げていた。
濁りきった瞳には何の感情も映っておらず、ただ主の命令に従うためだけに、空間を歪めるほどの圧倒的な闇魔法を放出している。
だが、その絶望の空間を引き裂くようにして、一陣の凄まじい圧力が戦場に吹き荒れた。
空間がパキパキと凍りつき、全属性の魔力が大気を激しく震わせる。
黒霧を割って姿を現したのは、漆黒の軍服を翻し、復讐の鬼と化したアルヴィーノだった。
「……ルミ……?」
いつもなら戦況を冷酷に見つめるチェスプレイヤーのようなアルヴィーノの紫瞳が、その瞬間、信じられないものを見たかのように激しく動揺に見開かれた。
可憐だった白いロリータ服は、禍々しい黒へと変わり。
愛らしく自分を見つめていた水色の瞳は、元の色が分からないほどにどす黒く濁りきっている。
何より、その首に嵌められた不気味な首輪と、そこから放たれる呪詛の気配が、最愛の伴侶が受けてきた「地獄」のすべてを物語っていた。
「お前が……ルミを、そんな姿に……っ」
アルヴィーノの口から、全人類を呪うかのような、地底から響くような激昂の声が漏れる。
しかし、その圧倒的な覇気を前にしてもなお、オズワルドは怯むどころか、待ってましたとばかりに顔を歪めて歪んだ笑声を上げた。
「ククク……ハハハハハ! ついに現れたな、慈悲なき軍師、アルヴィーノ・レイストール! 素晴らしいだろう、この姿が! お前が大事に囲っていた最高級の玩具は、今や我が手によって、お前の国を滅ぼす最高の『殺戮兵器』へと生まれ変わったのだ!」
オズワルドは、宙から降りてきたルミの細い肩を、まるで見せびらかすように強引に引き寄せ、その頭を汚い手で撫で回した。
「ほら見ろ、この虚ろな瞳を! もはやお前の名前も、愛を囁き合った記憶も、このガキの頭の中には一欠片も残っていない! 残されているのは、私への絶対の服従と、破壊の衝動だけだ!!」
アルヴィーノの紫瞳が、血の涙を流さんばかりの怒りと、最愛を汚された絶望に染まる。
「貴様……その汚い手を、今すぐルミから離せ……!!」
「断るねぇ! さあ、ルミ! 目の前にいる生意気な男を、その周囲のすべてをご自慢の闇で消し去ってしまえ! 『命令』だ、徹底的に破壊しろ!!」
オズワルドの酷薄な叫びが響く。
ルミの首輪が妖しく発光し、彼の濁りきった瞳が、ゆっくりとアルヴィーノへと向けられた。
かつて命の恩人として、伴侶として、誰よりも大好きだったはずの男。
しかし、今のルミの壊された脳には、それが誰であるのかさえ認識できない。
「……『命令』、……『破壊』……」
抑揚のない機械的な声がルミの唇から零れ落ちる。
次の瞬間、ルミの周囲から、街を一つ丸ごと消滅させるほどの凶悪な闇の魔力が爆発的に立ち上った。
ルミはいつも通りに、命じられるがままに、目の前に立つ最愛の男に向けて、一切の躊躇なく破滅の魔法を解き放とうとその手を突き出した。
ルミの細い手から放たれた、空間を腐食させるほどの凶悪な闇魔法。
だが、それがアルヴィーノの肉体に届く直前、目の前を真っ白な閃光が覆い尽くした。
「――『聖天の盾』」
アルヴィーノが展開した極大の光魔法が、ルミの放った闇を正面から完全に相殺し、激しい衝撃波となって周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
光と闇がぶつかり合い、霧散していく爆煙の中を、アルヴィーノは一歩も怯むことなく、まっすぐにルミの元へと駆け出した。
「ルミ……! 今、助け出します……っ!」
いつもなら戦場の一大後方に陣取るはずの軍師が、自ら前線へ、最愛の身を挺して突撃していく。
だが、黒い衣装を纏ったルミの瞳には、やはり何の感情も灯らない。
彼はただの操り人形として、主の「破壊しろ」という命令に従い、次なる闇魔法をその手に収束させた。
詠唱もない。息継ぎすらない。
壊されたルミの身体は、自身の魔力が枯渇する恐怖など一切無視して、ただ機械的に、何度も、何度も、狂気的な速度で闇の砲弾を連発し続ける。
アルヴィーノはそのすべてを、自身の光魔法と障壁だけで相殺し続けた。
本来なら、これほどの高出力の魔法を連撃されれば、いかに最強の魔王といえど防戦一方になるはずだった。
だが、今のアルヴィーノを突き動かしているのは、理性を焼き切るほどの激昂と、ルミを連れ戻すという執念のみ。
相殺、相殺、また相殺。
爆風に軍服を切り裂かれながらも、アルヴィーノは確実に距離を詰め――ついに、あと一歩でルミのその細い手首を掴める、手が届く距離のところまで肉薄した。
「ルミ……!」
「――そこまでだ、アルヴィーノ・レイストール!!!!」
その瞬間、瓦礫の影からオズワルドの引きつった狂気の叫びが戦場に響き渡った。
アルヴィーノが反射的に視線を向けると、オズワルドはその汚い手の中に、不気味な魔導回路が刻まれた小さな【スイッチ】のようなものを握り締め、勝ち誇った顔で突き出していた。
「動くな……! 一歩でも足を動かしてみろ、このガキの首がどうなるか、見せてやってもいいんだぞ!」
オズワルドの下卑た指先が、スイッチの赤いボタンへと掛けられる。
それと完全に同調するように、ルミの細い首に嵌められた金属製のチョーカーが、ピキピキと、いつ破裂してもおかしくない不気味な赤黒い光を放ち始めた。
「ククク……ハハハハ! そうだ、それは魔力封じの首輪であると同時に、私の魔力でいつでも遠隔起動できる『起爆装置』だ! 少しでもお前が動くか、私がこのボタンを押せば、内側に仕込まれた破壊の呪詛が、この可憐な首を骨ごと木っ端微塵に吹き飛ばす!!」
「貴様……っ!!」
アルヴィーノの動きが、完全に凍りついた。
伸ばしかけたその手が、届きそうなルミの距離でピキリと止まる。
全属性を極めた彼なら、オズワルドをコンマ一秒で消滅させる魔法を放つことも不可能ではない。
だが、もし、万が一にでも、その瞬間に奴の指がスイッチを押してしまったら――。
ルミの命が、永遠に失われる。
その最悪の可能性が、魔王の足を完璧に縛り付けていた。
「ハハハ! さあ、どうした最強の軍師様! 早くその手を下ろして膝をついたらどうだ? それとも、私の手でこの可愛いお人形さんを、お前の目の前で綺麗な肉塊に変えてやろうか!?」
首輪から伝わる魔力の異常に、ルミの身体がわずかにピクリと跳ねる。
だが、濁りきったその瞳は、未だ目の前で苦悶の表情を浮かべるアルヴィーノを見つめたまま、ただ静かに次の「破壊」の命令を待ち続けていた。
「ククク……ハハハ! どうした、世界で最も冷酷な軍師様が、ただのガキ一人を前にして置物になってしまうとはな!」
オズワルドの嘲笑が、崩壊した街に響き渡る。
アルヴィーノは伸ばしかけた手を止めたまま、全身の血液が沸騰するような怒りと、指先一つ動かせない絶望の狭間で歯を食いしばっていた。
全魔力を以てすればオズワルドを瞬時に塵にできる。
だが、奴の指がスイッチを押し下げる方がほんの一瞬でも早ければ、ルミの命は確実に吹き飛ぶ。
その「万が一」すら、アルヴィーノには賭けることができなかった。
動けない最強の男を見下ろし、オズワルドはさらに顔を歪ませて叫んだ。
「さあルミ! 玩具の分際で主人を悩ませるな! その目障りな男を、お前の極上の闇で今すぐ跡形もなく始末しろ!!」
「……『命令』。……『排除』」
首輪が真っ赤に発光し、ルミの身体がオズワルドの呪詛に強制されるように動き出す。
ルミは自身の【黄金の杖】をゆっくりと持ち上げ、その先端を、目の前に立ち尽くすアルヴィーノの胸元へと真っ直ぐに向けた。
杖の先に、空間を消滅させるほどの濃厚な闇の魔力が、どす黒い球体となって急速に収束していく。
アルヴィーノは避けない。
避ければ、ルミの視線が外れ、オズワルドが不快感からスイッチを押すかもしれないからだ。
「ルミ……、私を、殺しなさい。それで貴方の首輪が爆発しないのなら、私は喜んで――」
闇の砲弾が解き放たれようとした、まさにその刹那。
「――っ、あ、……う、あぁああああああっ!!!」
突然、ルミが黄金の杖を落とし、両手で自分の頭を激しく抱え込んで絶叫した。
その濁りきっていた瞳の奥底に、一瞬だけ、あの日々を過ごした優しく美しい【水色の光】が、劇的に、奇跡のように揺らめいて戻ってきたのだ。
「ルミ……っ!?」
「あ、が……っ、頭が、割れる……っ! だめ、おれ……俺は、アルヴィーノを……っ!」
強烈な呪詛と破壊された記憶の隙間から、ルミの本当の『心』が死に物狂いで這い上がってきた。
目の前にいるのは、誰よりも愛おしい、自分を地獄から救ってくれた大切な伴侶だ。
その人を、自分のこの汚された手で殺すことなど、魂が絶対に拒絶する。
激しい拒絶反応に首輪が放電し、ルミの可憐な身体を内側から灼く。
ルミは血の涙を流さんばかりに視界を滲ませながら、必死に意識を保ち、目の前のアルヴィーノを強く見つめて叫んだ。
あの、城下町でリリィを逃がした時と全く同じ言葉を、今度は最愛の男へと捧げるために。
「お、お願い……早く逃げてっ……!!! アルヴィーノ、早く……っ! おれが、俺でいられるうちに……っ、俺が貴方を、殺しちゃう前に……っ、早く逃げてぇぇぇ!!」
「ルミ、何を言っているのです! 私は貴方を置いてなど――」
「チッ……! 忌々しい精神力め、まだ自我が残ってやがったか!」
ルミの突然の叛逆を見たオズワルドが、激しく舌打ちをした。
ここで首輪を爆発させてルミを失えば、レイストールを滅ぼすための最大兵器を失うことになる。
それは奴にとっても得策ではなかった。
「今日のテストはここまでだ! 引くぞ!!」
オズワルドがスイッチの別のボタンを操作すると、ルミの首輪から紫色の強烈な目眩ましの大爆発が巻き起こった。
「ルミっ――!!」
アルヴィーノが光魔法で即座にその爆煙を吹き飛ばす。
しかし、視界が開けたときには、すでにオズワルドの姿も、頭を抱えて激痛に意識を失いかけたルミの姿も、空間転移の残滓だけを残して、その場から完全に消え去っていた。
「……あ、…………ぁあああああああああああああああっ!!!!」
誰もいなくなった更地で、アルヴィーノの絶叫が夜空を引き裂いた。
あと一歩だった。
あと一歩で、あの細い手を掴めたのに。
自分を忘れていなかった最愛の少年は、自分を護るために「逃げて」と叫び、またしてもあの地獄へと連れ去られてしまった。
パキパキと、アルヴィーノの足元から大陸の半分を凍らせんばかりの、絶望と狂気に満ちた絶対零度の魔力が、荒れ狂うように吹き荒れていた。
「あ、……う、あ……」
虚空を見つめるルミの口から、意味を成さない掠れた吐息が漏れる。
オズワルドによる連日の凄惨な『調整』は、ルミの脳裏にあった優しかった人々の記憶を、激痛と絶望の濁流でことごとく塗り潰していった。
命の恩人であり、私室で愛を囁き合ってくれたアルヴィーノの美しい紫瞳も。
泣きじゃくる自分を「ルミにぃ」と慕ってくれたレオの笑顔も。
何もかもが、強制的に引きずり出された禍々しい闇の魔力によって粉々に砕かれ、消滅してしまった。
今のルミが身に纏っているのは、かつての可憐な白いロリータ服ではない。血と闇の魔力に染まりきった、不気味な【黒い衣装】。
その水色だったはずの瞳は、いまや元の色がどちらであったかさえ判別できないほどに、どす黒く、深く【濁りきって】いる。
光を失ったその双眸は、ただ目の前の対象を破壊するためだけに開かれていた。
「ククク……素晴らしい! ついに完成したぞ、我が最高傑作の操り人形が!」
制御盤を握るオズワルドは、狂気に満ちた笑い声を地下室に響かせた。
ルミの首に嵌められた首輪からは、彼の思考を奪い、ただ破壊の命令だけを脳内に直接送り込む呪詛の鎖が伸びている。
「さあ、行くんだ、ルミ。次なる標的はレイストールの東部管轄領だ。あの傲慢な王族どもに、お前の極上の『闇』を見せつけてやれ!」
「……『命令』、……『破壊』……」
ルミは抑揚のない、まるで錆びついた機械のような声で呟くと、ふわりと身体を浮かせた。
その背後から立ち上る闇のオーラは、かつての比ではないほどに膨れ上がり、周囲の空間そのものを腐食させるように歪めている。
その夜も、レイストール王国が管轄する平穏な土地が、一夜にして蹂躙された。
防衛線の兵士たちが武器を構える暇すら与えず、空を覆い尽くした漆黒の闇が、街を、建物を、人々を、跡形もなく飲み込んでいく。
かつて「大切な人を甘いもので出迎えたい」と笑っていた愛らしい少年はもうそこにはいなかった。
ただ主の命じられるがままに、最愛の者が治める国をその手で蹂躙し続ける、哀れな黒き殺戮の人形。
オズワルドの歪んだ欲望のままに、ルミは虚無の瞳で、世界を更地へと変える絶望の魔術を放ち続けていた。
レイストール王国の東部管轄領。
かつて緑豊かだったその街は、今や空を覆い尽くす不気味な黒い霧と、地を這うような闇の魔力によって、見るも無残に蹂躙されていた。
「ハハハ! 壊せ、壊せ! レイストールの基盤を根こそぎ腐らせてやるのだ!」
崩落する建物の瓦礫の上、白衣を血と煤で汚したオズワルドが、狂気的な高笑いを響かせる。
その視線の先では、黒い衣装を身に纏ったルミが、虚空に浮かんだまま機械的にその細い両手を掲げていた。
濁りきった瞳には何の感情も映っておらず、ただ主の命令に従うためだけに、空間を歪めるほどの圧倒的な闇魔法を放出している。
だが、その絶望の空間を引き裂くようにして、一陣の凄まじい圧力が戦場に吹き荒れた。
空間がパキパキと凍りつき、全属性の魔力が大気を激しく震わせる。
黒霧を割って姿を現したのは、漆黒の軍服を翻し、復讐の鬼と化したアルヴィーノだった。
「……ルミ……?」
いつもなら戦況を冷酷に見つめるチェスプレイヤーのようなアルヴィーノの紫瞳が、その瞬間、信じられないものを見たかのように激しく動揺に見開かれた。
可憐だった白いロリータ服は、禍々しい黒へと変わり。
愛らしく自分を見つめていた水色の瞳は、元の色が分からないほどにどす黒く濁りきっている。
何より、その首に嵌められた不気味な首輪と、そこから放たれる呪詛の気配が、最愛の伴侶が受けてきた「地獄」のすべてを物語っていた。
「お前が……ルミを、そんな姿に……っ」
アルヴィーノの口から、全人類を呪うかのような、地底から響くような激昂の声が漏れる。
しかし、その圧倒的な覇気を前にしてもなお、オズワルドは怯むどころか、待ってましたとばかりに顔を歪めて歪んだ笑声を上げた。
「ククク……ハハハハハ! ついに現れたな、慈悲なき軍師、アルヴィーノ・レイストール! 素晴らしいだろう、この姿が! お前が大事に囲っていた最高級の玩具は、今や我が手によって、お前の国を滅ぼす最高の『殺戮兵器』へと生まれ変わったのだ!」
オズワルドは、宙から降りてきたルミの細い肩を、まるで見せびらかすように強引に引き寄せ、その頭を汚い手で撫で回した。
「ほら見ろ、この虚ろな瞳を! もはやお前の名前も、愛を囁き合った記憶も、このガキの頭の中には一欠片も残っていない! 残されているのは、私への絶対の服従と、破壊の衝動だけだ!!」
アルヴィーノの紫瞳が、血の涙を流さんばかりの怒りと、最愛を汚された絶望に染まる。
「貴様……その汚い手を、今すぐルミから離せ……!!」
「断るねぇ! さあ、ルミ! 目の前にいる生意気な男を、その周囲のすべてをご自慢の闇で消し去ってしまえ! 『命令』だ、徹底的に破壊しろ!!」
オズワルドの酷薄な叫びが響く。
ルミの首輪が妖しく発光し、彼の濁りきった瞳が、ゆっくりとアルヴィーノへと向けられた。
かつて命の恩人として、伴侶として、誰よりも大好きだったはずの男。
しかし、今のルミの壊された脳には、それが誰であるのかさえ認識できない。
「……『命令』、……『破壊』……」
抑揚のない機械的な声がルミの唇から零れ落ちる。
次の瞬間、ルミの周囲から、街を一つ丸ごと消滅させるほどの凶悪な闇の魔力が爆発的に立ち上った。
ルミはいつも通りに、命じられるがままに、目の前に立つ最愛の男に向けて、一切の躊躇なく破滅の魔法を解き放とうとその手を突き出した。
ルミの細い手から放たれた、空間を腐食させるほどの凶悪な闇魔法。
だが、それがアルヴィーノの肉体に届く直前、目の前を真っ白な閃光が覆い尽くした。
「――『聖天の盾』」
アルヴィーノが展開した極大の光魔法が、ルミの放った闇を正面から完全に相殺し、激しい衝撃波となって周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
光と闇がぶつかり合い、霧散していく爆煙の中を、アルヴィーノは一歩も怯むことなく、まっすぐにルミの元へと駆け出した。
「ルミ……! 今、助け出します……っ!」
いつもなら戦場の一大後方に陣取るはずの軍師が、自ら前線へ、最愛の身を挺して突撃していく。
だが、黒い衣装を纏ったルミの瞳には、やはり何の感情も灯らない。
彼はただの操り人形として、主の「破壊しろ」という命令に従い、次なる闇魔法をその手に収束させた。
詠唱もない。息継ぎすらない。
壊されたルミの身体は、自身の魔力が枯渇する恐怖など一切無視して、ただ機械的に、何度も、何度も、狂気的な速度で闇の砲弾を連発し続ける。
アルヴィーノはそのすべてを、自身の光魔法と障壁だけで相殺し続けた。
本来なら、これほどの高出力の魔法を連撃されれば、いかに最強の魔王といえど防戦一方になるはずだった。
だが、今のアルヴィーノを突き動かしているのは、理性を焼き切るほどの激昂と、ルミを連れ戻すという執念のみ。
相殺、相殺、また相殺。
爆風に軍服を切り裂かれながらも、アルヴィーノは確実に距離を詰め――ついに、あと一歩でルミのその細い手首を掴める、手が届く距離のところまで肉薄した。
「ルミ……!」
「――そこまでだ、アルヴィーノ・レイストール!!!!」
その瞬間、瓦礫の影からオズワルドの引きつった狂気の叫びが戦場に響き渡った。
アルヴィーノが反射的に視線を向けると、オズワルドはその汚い手の中に、不気味な魔導回路が刻まれた小さな【スイッチ】のようなものを握り締め、勝ち誇った顔で突き出していた。
「動くな……! 一歩でも足を動かしてみろ、このガキの首がどうなるか、見せてやってもいいんだぞ!」
オズワルドの下卑た指先が、スイッチの赤いボタンへと掛けられる。
それと完全に同調するように、ルミの細い首に嵌められた金属製のチョーカーが、ピキピキと、いつ破裂してもおかしくない不気味な赤黒い光を放ち始めた。
「ククク……ハハハハ! そうだ、それは魔力封じの首輪であると同時に、私の魔力でいつでも遠隔起動できる『起爆装置』だ! 少しでもお前が動くか、私がこのボタンを押せば、内側に仕込まれた破壊の呪詛が、この可憐な首を骨ごと木っ端微塵に吹き飛ばす!!」
「貴様……っ!!」
アルヴィーノの動きが、完全に凍りついた。
伸ばしかけたその手が、届きそうなルミの距離でピキリと止まる。
全属性を極めた彼なら、オズワルドをコンマ一秒で消滅させる魔法を放つことも不可能ではない。
だが、もし、万が一にでも、その瞬間に奴の指がスイッチを押してしまったら――。
ルミの命が、永遠に失われる。
その最悪の可能性が、魔王の足を完璧に縛り付けていた。
「ハハハ! さあ、どうした最強の軍師様! 早くその手を下ろして膝をついたらどうだ? それとも、私の手でこの可愛いお人形さんを、お前の目の前で綺麗な肉塊に変えてやろうか!?」
首輪から伝わる魔力の異常に、ルミの身体がわずかにピクリと跳ねる。
だが、濁りきったその瞳は、未だ目の前で苦悶の表情を浮かべるアルヴィーノを見つめたまま、ただ静かに次の「破壊」の命令を待ち続けていた。
「ククク……ハハハ! どうした、世界で最も冷酷な軍師様が、ただのガキ一人を前にして置物になってしまうとはな!」
オズワルドの嘲笑が、崩壊した街に響き渡る。
アルヴィーノは伸ばしかけた手を止めたまま、全身の血液が沸騰するような怒りと、指先一つ動かせない絶望の狭間で歯を食いしばっていた。
全魔力を以てすればオズワルドを瞬時に塵にできる。
だが、奴の指がスイッチを押し下げる方がほんの一瞬でも早ければ、ルミの命は確実に吹き飛ぶ。
その「万が一」すら、アルヴィーノには賭けることができなかった。
動けない最強の男を見下ろし、オズワルドはさらに顔を歪ませて叫んだ。
「さあルミ! 玩具の分際で主人を悩ませるな! その目障りな男を、お前の極上の闇で今すぐ跡形もなく始末しろ!!」
「……『命令』。……『排除』」
首輪が真っ赤に発光し、ルミの身体がオズワルドの呪詛に強制されるように動き出す。
ルミは自身の【黄金の杖】をゆっくりと持ち上げ、その先端を、目の前に立ち尽くすアルヴィーノの胸元へと真っ直ぐに向けた。
杖の先に、空間を消滅させるほどの濃厚な闇の魔力が、どす黒い球体となって急速に収束していく。
アルヴィーノは避けない。
避ければ、ルミの視線が外れ、オズワルドが不快感からスイッチを押すかもしれないからだ。
「ルミ……、私を、殺しなさい。それで貴方の首輪が爆発しないのなら、私は喜んで――」
闇の砲弾が解き放たれようとした、まさにその刹那。
「――っ、あ、……う、あぁああああああっ!!!」
突然、ルミが黄金の杖を落とし、両手で自分の頭を激しく抱え込んで絶叫した。
その濁りきっていた瞳の奥底に、一瞬だけ、あの日々を過ごした優しく美しい【水色の光】が、劇的に、奇跡のように揺らめいて戻ってきたのだ。
「ルミ……っ!?」
「あ、が……っ、頭が、割れる……っ! だめ、おれ……俺は、アルヴィーノを……っ!」
強烈な呪詛と破壊された記憶の隙間から、ルミの本当の『心』が死に物狂いで這い上がってきた。
目の前にいるのは、誰よりも愛おしい、自分を地獄から救ってくれた大切な伴侶だ。
その人を、自分のこの汚された手で殺すことなど、魂が絶対に拒絶する。
激しい拒絶反応に首輪が放電し、ルミの可憐な身体を内側から灼く。
ルミは血の涙を流さんばかりに視界を滲ませながら、必死に意識を保ち、目の前のアルヴィーノを強く見つめて叫んだ。
あの、城下町でリリィを逃がした時と全く同じ言葉を、今度は最愛の男へと捧げるために。
「お、お願い……早く逃げてっ……!!! アルヴィーノ、早く……っ! おれが、俺でいられるうちに……っ、俺が貴方を、殺しちゃう前に……っ、早く逃げてぇぇぇ!!」
「ルミ、何を言っているのです! 私は貴方を置いてなど――」
「チッ……! 忌々しい精神力め、まだ自我が残ってやがったか!」
ルミの突然の叛逆を見たオズワルドが、激しく舌打ちをした。
ここで首輪を爆発させてルミを失えば、レイストールを滅ぼすための最大兵器を失うことになる。
それは奴にとっても得策ではなかった。
「今日のテストはここまでだ! 引くぞ!!」
オズワルドがスイッチの別のボタンを操作すると、ルミの首輪から紫色の強烈な目眩ましの大爆発が巻き起こった。
「ルミっ――!!」
アルヴィーノが光魔法で即座にその爆煙を吹き飛ばす。
しかし、視界が開けたときには、すでにオズワルドの姿も、頭を抱えて激痛に意識を失いかけたルミの姿も、空間転移の残滓だけを残して、その場から完全に消え去っていた。
「……あ、…………ぁあああああああああああああああっ!!!!」
誰もいなくなった更地で、アルヴィーノの絶叫が夜空を引き裂いた。
あと一歩だった。
あと一歩で、あの細い手を掴めたのに。
自分を忘れていなかった最愛の少年は、自分を護るために「逃げて」と叫び、またしてもあの地獄へと連れ去られてしまった。
パキパキと、アルヴィーノの足元から大陸の半分を凍らせんばかりの、絶望と狂気に満ちた絶対零度の魔力が、荒れ狂うように吹き荒れていた。