【リリィ聖女編】祈りの果てに、聖女の葬送を

【聖女編23】
王城の執務室からアルフレッドが退席し、重々しい静寂が部屋を満たしていた。
窓から差し込む夕闇の蒼い光が、室内に影を落としている。ヴェルナの集落における戦後処理の全容を報告し終えたレオは、整然とした立ち姿のまま、静かに息を整えていた。
その背中に向かって、冷ややかな声が低くかけられた。

「……貴方のことですから、あの集落を滅ぼすかと思っていました」

声をかけたのは、それまで書類に目を通していたアルヴィーノだった。
感情の起伏を一切感じさせない、どこまでも淡々とした敬語。アルヴィーノは手元の羊皮紙を整えると、新緑の瞳を静かにレオへと向けた。

「あの地で何が行われ、あの娘の精神がどこまで追い詰められていたか……その報告を鑑みれば、集落ごと塵一つ残さず消し去っていても、私は何一つ驚きませんでしたよ」

アルヴィーノは一歩、ゆっくりと歩みを進め、レオのすぐ側で足を止めた。そして、微かな沈黙を挟んでから、言葉を継いだ。

「私ならそうします」

その一言には、嘘も誇張も存在しなかった。
もしも自分の最も大切な存在――ルミが同じように他者に囚われ、心を弄ばれ、偽りの死を信じ込まされていたなら。アルヴィーノという男は、首謀者のみならず、その地に生きるすべての者を躊躇なく灰燼に帰していただろう。例外なく、一切の容赦なく。それがアルヴィーノの愛であり、冷酷な本質だった。
だからこそ、残された住民を生かして王都へ連行し、国王の裁きに委ねるという選択をした甥の判断に、どこか異質なものを感じ取っていたのだ。
レオは否定しなかった。
叔父の冷徹な言葉に怒ることも、弁明することもなく、ただ静かに微笑を深めた。その瞳の奥には、アルヴィーノと同質の、深く凄惨な感情が仄暗く揺らめいていた。

「……否定はいたしません、叔父上」

レオの声は、いつものように穏やかで優雅だった。

「私とて、集落へ踏み込んだ瞬間は、あの地に生きる者すべてをハルバードで叩き潰し、跡形もなく消し去りたいという衝動に駆られていました。私から彼女を奪い、私との絆を踏みにじったあの者たちを、許したわけでは断じてありませんから」

自分のものから奪われた時間と愛。それを思えば、集落を焼き払うことなど生ぬるいとすら思っていた。
では、なぜそうしなかったのか。
レオは視線を窓の外、リリィが眠る温かな部屋の方向へと向けた。

「ただ……リリィが、彼らを庇ったのです」
「……あの娘がですか」
「ええ。自分を騙し、縛り付けていたはずの民を背に庇い、涙を流しながら私に訴えたのです。『この人たちを傷つけないでほしい』と」

レオは記憶の中の少女の姿を思い起こすように、愛おしそうに目を細めた。

「彼女の優しさは、時に過剰で、痛々しいほどです。ですが……それこそが私の愛するリリィの魂そのものでした。もしあそこで私が私情に任せて住民を惨殺していれば、助け出された彼女の心には生涯消えない深い傷と罪悪感が刻まれていたでしょう。……彼女の前で、その魂を汚すような真似はできませんでした」

リリィの願いを聞き入れ、彼女の心を守ること。それこそが、レオにとって集落を全滅させることよりも遥かに優先される絶対の命題だったのだ。

「……なるほど」

アルヴィーノは短く息を吐いた。その表情に落胆はなく、むしろ甥の選択の裏にある狂気的なまでの愛執を正しく理解した者の納得が浮かんでいた。

「愛する者の心を守るために、己の破壊衝動を抑え込んだ、と。……甘さではなく、それもまた一つの執着の形ですね」
「ええ。ですが――」

レオの口元から微笑が消え、新緑の瞳に氷のような冷気が走った。

「長だけは、別でした」

低く落とされたその声に、アルヴィーノは静かに眉を寄せた。

「長は、単に集落の苦境のために彼女を利用しただけではない。彼女から『リリィ』という名前を奪い、帰る場所を奪い、私の死という虚偽で絶望の底へ突き落とした。そして最後には、彼女自身の口から『自分はアナスタシアだ』と言わせ、その自我を殺して愉しんでいた……」

レオの手が、無意識のうちに腰元の装飾鍵へと触れる。

「あの男だけは、国王の法で裁くなどという生ぬるい処理で済ませるつもりはありませんでした。リリィの心を殺そうとした罪の代償は、私自身の手で、あの場ですぐに支払わせる必要があったのです」

リリィの前では血を流さず、彼女を安心させて送り出した後に、一人で長のもとへ戻り、ハルバードでその命を断った。
リリィの願いを守りつつ、自らの怒りと報復を完璧に遂行する。その冷徹で計算し尽くされた情念の形に、アルヴィーノは薄く唇を歪めた。

「……ふっ、さすがは私の甥だ」

アルヴィーノの口から、かすかな嘲弄と満足の混ざった吐息が漏れた。

「公的な秩序を保ちつつ、私情の報復も完璧に果たす。陛下のお甘い理想主義に付き合いながらも、一線を越えた者には即座に死を与える……完璧な立ち回りですよ、レオ殿」
「お褒めに預かり光栄です、叔父上」

レオは再び、いつもの優雅な笑みを湛えて頭を下げた。

「さて、私はいささか疲れました。愛しい彼女が目を覚ました時に、一番にその顔を見つめてあげたいので……これで失礼いたします」
「ええ、行きなさい。これからの汚い取調と処分の実務は、私と陛下で引き受けますから」

アルヴィーノの冷ややかな見送りを受けながら、レオは執務室の重厚な扉を開け、静かに廊下へと出て行った。
残された執務室で、アルヴィーノは再び机の上の書類へと視線を落とした。
自分と同じように、大切な者のためならば世界をも敵に回し、どんな冷酷な手段も辞さない男。レオが選んだ「リリィを取り戻す」という結末の完璧さに、アルヴィーノは静かな満足感を抱きながら、ペンを走らせ始めたのだった。
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