【リリィ聖女編】祈りの果てに、聖女の葬送を

【聖女編22】
長をハルバードで切って落とし、悲劇の集落に静寂をもたらしたレオは、そのまま愛馬を疾走させて精鋭部隊の馬車へ追いつき、リリィを護衛しながら無事に王城へと帰還を果たした。
リリィの心から「アナスタシア」というおぞましい絶望の体験は綺麗に消え去り、彼女はただ、少しばかり恐ろしい思いをした後に愛する騎士へ無事に救い出されたという認識のまま、温かな部屋で安らぎの眠りについていた。
しかし、事件はまだ終わりを迎えてはいなかった。
レオはヴェルナの集落そのものを焦土に変えるような真似はしなかった。彼らを許したわけでは断じてない。リリィを囲い込み、帰還を拒む言葉を無視し、偶像として縛り続け、その精神を摩耗させた罪は集落の民全体に存在する。
けれど、真の元凶であった長と違い、あの集落に暮らす住民の多くは、ただ伝えられる伝承と長の巧妙な騙し絵をそのまま信じ込まされていたに過ぎないという事実も、レオは冷徹に把握していた。長年信じ切ってきた「聖女の帰還」という救いに縋り付いただけの、無知で哀れな群集。彼らを私情のみで虐殺することは、王国の騎士団統括者としての分を越える行為であり、何より救い出されたリリィの平穏に影を落とすことにも繋がりかねなかった。
事態の最終的な処断は、個人の感情ではなく、王国の法と絶対的な威信によって行われなければならない。
レオはリリィの身の安全と精神の平穏を極めて厳重に確保した上で、休む間もなく王城の執務室へと向かった。
執務室の重厚な扉が開かれる。
室内には、国王アルフレッドと、彼のすぐ傍らに控え、いつものように冷静な佇まいを見せる叔父アルヴィーノの姿があった。

「父上、ただいま帰還いたしました」

レオは膝をつくことなく、礼儀正しく頭を下げて挨拶を述べた。連続の不眠不休の行軍と、あの険しい山道を踏み破ってきた過酷な捜索の疲れは、その端正な佇まいのどこにも滲み出ていない。ただ、目的を果たした男の静かな意思が新緑の瞳に宿っていた。
アルフレッドは執務机の書類から顔を上げ、心底安堵したような表情を浮かべた。

「無事でよかったよ、レオ。……リリィさんは?」
「はい。心身ともに傷はなく、今は自室で安らかに休んでおられます。……今回の事件に関する諸々の経緯と事後処理について、ご報告に参りました」

レオは淀みない口調で、事態の全容を簡潔かつ正確に報告し始めた。
集落ヴェルナの所在。長が首謀者となり、リリィの身柄を不法に連れ去り、外部との連絡を遮断したこと。集落の民に対して伝承を利用した洗脳を行い、「聖女アナスタシア」としての偶像を成立させていたこと。さらに、レオの死亡という虚偽の情報を与えて彼女の心を極限まで追い詰めたこと。
そして――。

「真の元凶であり、リリィの存在を歪め、彼女の精神を破壊しようとしたヴェルナの長については、私が現場にて処分いたしました」

レオの声はどこまでも穏やかで、優雅でさえあった。自らの手でハルバードを振るい、男を斬り伏せた事実を報告しているとは思えぬほど、その表情には静寂が漂っていた。

「……そうか」

アルフレッドは小さく息を吐き、深い眼差しで息子を見つめた。

「君が直接手を下さざるを得ないほど、その長の罪は深く、そして猶予のないものだったのだね。……リリィさんを守り通してくれて、ありがとう、レオ」

アルフレッドは私情に流されることなく、レオの判断を受け止めた。温厚で平和を愛する国王であるが、同時に王家の尊厳を踏みにじり、罪なき少女の心を玩具のように弄んだ存在に対する罰の必要性も十分に理解していた。
報告を聞いていたアルヴィーノが、一切の感情を排した冷徹な声で言葉を挟んだ。

「長の即座の処刑については妥当な判断でしょう。首謀者を生かして連行したところで、あの狭小な狂信集落の反発を無駄に煽り、無用な流血を増やすだけに終わったはずです。……しかし、問題は遺された集落の民たちですね、レオ」
「ええ、叔父上」

レオはアルヴィーノへと視線を向け、静かに頷いた。

「集落の民は、長に与えられた虚構を真実と信じ込み、彼女に縋っていた者が大部分です。ですが、全員がただの無知な被害者というわけではありません。マリアという女性の証言、そして現地での状況から見ても、不法な拉致や事実の隠蔽に直接加担していた者が複数存在します。私の一存で集落全体を滅ぼすような真似はいたしませんでしたが……放置してよい問題でもありません」
「当然ですね」

アルヴィーノは薄く唇を歪め、冷ややかな思案の色を瞳に宿した。

「王国の庇護下にある領民でありながら、他国の人間を不法に拘束し、死亡を偽装して王家に混乱をもたらした。理由がどうあれ、これは王国に対する明白な反逆と同義です。伝承を信じていただけという甘い言い訳で、すべての罪が霧散するわけではありません」

二人の冷徹な軍略家としての会話を静かに聞いていたアルフレッドが、腕を組みながら真剣な面持ちで口を開いた。

「そうだね。どれほど貧しく、切迫した状況であったとしても、法を破り、誰かの人生と尊厳を奪っていい理由にはならない。……ですが、真実を知らずにただ縋っていただけの者まで同じ罪で裁くわけにはいかないよ。しっかりと真実を解き明かし、公明正大に処分を決めなければならない」

アルフレッドは椅子の背もたれから身体を起こし、国王としての毅然とした眼差しをアルヴィーノへ向けた。

「アルヴィーノ。君に軍を率いてもらい、至急ヴェルナの集落を完封・制圧してほしい。住民を全員、王城のしかるべき場所へ連行し、逃亡や証拠隠滅を防ぐんだ」
「御意、陛下」

アルヴィーノは恭しく首を垂れた。その声には何の動揺もなく、淡々とした事務的な冷たさだけが含まれていた。

「兵の選別と配置は直ちに行います。山道の封鎖を含め、一羽の鳥すら逃さぬよう完璧に包囲しましょう。……抵抗する者がいれば、躊躇なく力をもって制圧いたしますが、よろしいですね?」
「ああ。無用な殺傷は避けてほしいけれど、君の判断に任せるよ。ヴェルナの全住民を捕縛し、この王城で一人残らず取り調べを行う」

アルフレッドの命を受け、アルヴィーノは一礼すると、すぐさま執務室を後にした。彼の迅速かつ冷酷な軍指揮のもと、王国の精鋭軍団が静かに動き出し、あの険しい山道の奥に潜むヴェルナの集落へと向かって進撃を開始したのだった。
残された執務室で、アルフレッドはレオへと優しい眼差しを向けた。

「レオ。君も限界まで体を酷使したはずだ。今回の件の尋問や調査は、僕とアルヴィーノで責任をもって執り行う。君はリリィさんの傍についていてあげなさい」
「……感謝いたします、父上」

レオは深く礼をした。
一刻も早くリリィの元へ戻り、彼女の寝顔を確認したいという強い想いが胸の底にあった。長を斬り、記憶を書き換え、どれほど完璧な処理を施したとしても、彼女を一人にしておくことは、今のレオにとって耐え難いことだったからだ。


---

それから数日と置かず、ヴェルナの集落は完全に王国の軍勢によって制圧された。
アルヴィーノ率いる精鋭部隊の迅速かつ無駄のない布陣の前では、逃亡を図ろうとした若者も、抵抗を試みようとした者も、何一つの反抗すら叶わなかった。集落の全住民は厳重な監視のもとで王城へと連行され、地下の取調室や控室へと収容された。
かつて秘境の中で「聖女アナスタシア」という架空の救済に縋り付いていた人々は、今や王国の圧倒的な武力と法の威圧の前に、ただ小さく震えることしかできなかった。
王城の審問室において、厳格な調査が開始された。
取り調べの指揮を執るのはアルヴィーノであり、国王アルフレッドもまた、すべての報告に目を通し、自ら尋問の場に臨むこともあった。
調査は徹底的であり、同時に冷徹なまでに客観的であった。
誰がリリィの拉致計画を当初から知っていたのか。
誰が長の命を受け、彼女の帰還を阻む看守として加担していたのか。
誰が「レオの死亡」という虚偽の工作を知りながら、それを隠蔽していたのか。
そして――誰が本当に何も知らされず、ただ「伝承の聖女が降臨した」という嘘を信じ込んでいただけの無知な民であったのか。
一人ひとりの言葉、証言の食い違い、マリアが提出した手紙や手記、長が書き残していた記録の断片。それらすべてが精密な天秤にかけられ、仕分けされていった。

「……マリア、ですね」

暗い取調室の中で、アルヴィーノは書類から目を離し、血の気の失せた顔で座る女性を見つめた。
マリアは手首を拘束されたまま、静かに首を垂れていた。彼女の表情には、すでに恐怖も逃避もなく、ただ自らの罪を受け入れる覚悟だけが漂っていた。

「貴方は最初の拉致に関与し、長とともに彼女をこの地に縛り付けた。……しかし、自らの過ちに気づいた後、命の危険を冒して第一王子へと通報の手紙を送り、救出の決定的な契機を作った。さらには現場において、住民たちの制止を振り切って全容を自白した……間違いありませんね?」
「はい……すべて事実でございます」

マリアは震える声で答えた。

「私は……集落の窮状に目が眩み、恐ろしい罪を犯しました。リリィ様の心を殺し、過酷な役割を押し付けた罪は……どのような処刑を受けようとも救われるものではありません。……どうか、私に相応しいお裁きを」

アルヴィーノは冷ややかな瞳で彼女をじっと見つめた後、静かに書類を閉じた。

「貴方の罪は重い。ですが、自らの意思でそれを贖おうとした行動もまた事実です。最終的な処分は陛下がお決めになりますが……命をもって償うことだけが贖罪ではないということは、覚えておきなさい」

審問は何日もかけて丁寧に行われ、すべての住民の関与度と罪状が明確に切り分けられていった。
23/27ページ
スキ