【ルミ敵堕ち編】絶望の果てに、世界で一番甘い奇跡を

白亜の城の廊下に、鎧を激しく擦り合わせる金属音と、怒涛のような足音が響き渡る。
国境を更地にして文字通りの全力で緊急帰還したアルヴィーノとレオが、アルフレッドの執務室の重厚な扉を乱暴に押し開けた。

「兄上……!」
「父上、リリィは……っ!」

二人の声音には、いつも平時に見せる余裕など一滴も残っていなかった。戦場を支配していた絶対的な覇気は、いまや焦燥と狂気的な殺意へと変わり、室内の空気を容赦なく圧迫する。
だが、部屋の奥のソファへと視線を向けた瞬間、二人は言葉を失った。
そこにいたのは、白く長い髪を乱し、小さな足に痛々しい包帯を幾重にも巻かれたリリィの姿だった。
手当てを受け、微かに薬の匂いを漂わせながら、彼女は恐怖の名残にうなされるようにして深く眠りについている。
枕元には、彼女が命がけで抱きしめて戻ってきた、レオの上着が、悲しく手放されずに置かれていた。
その傍らで、リリィを辛そうに見つめていたアルフレッドが、二人の気配に気づいて静かに顔を上げた。
その碧眼には、深い悲痛と、それ以上の冷徹な決意が宿っている。

「……戻ったか、二人とも」

アルフレッドは声を低く抑え、リリィを起こさないように歩み寄ると、彼女から聞いた「すべて」を、一言一句漏らさずに二人に告げた。
お買い物の帰りに黒い影に襲われたこと。
ルミがリリィを突き飛ばして身代わりになったこと。
そして、口に布を当てられ、意識を失ったままどこかへ連れ去られてしまったということ――。

「ルミが……っ」

すべてを聞き終えた瞬間、アルヴィーノの紫瞳が血の走るような怒りに染まった。
彼の魔力が、彼の周囲の空間を物理的にパキパキと凍りつかせていく。
もはや一秒たりともここに留まることなどできない。

「どこへ逃げようと無駄だ。大陸の果てまで、その血の一滴に至るまですべてを『更地』にして、ルミを取り戻す……!」

漆黒のマントを激しく翻し、単身で救出へ向かおうと背を向けるアルヴィーノ。
その横では、レオが眠るリリィの痛々しい包帯を血が出るほど拳を握りしめて見つめ、新緑の瞳から完全に光を消し去っていた。

「待ちなさい、アルヴィーノ!!」

執務室を揺るがすほどの、しかし毅然としたアルフレッドの鋭い声が、歩みを進めようとした魔王の足を阻んだ。

「放してください、兄上。私の邪魔をするなら、たとえ貴方であっても――」
「落ち着けと言っているんだ!!」

アルフレッドは一歩も引かず、怒りに狂う弟の前に立ちはだかった。
その碧眼は、かつての生温い平和主義者のものではない。
最愛の家族を害され、それでもなお、確実に敵の息の根を止めるために理性を保っている王の眼差しだった。

「ルミくんがどこに連れ去られたのか、そして相手の目的が何なのか、まだ何も分かっていないんだ。この状況で君のような最大火力が闇雲に動けば、それこそ敵を刺激し、人質であるルミくんの命に危険が及ぶ。要求すら届いていない今、むやみに動くのは絶対に得策ではない!」
「く……っ!」
「今、僕の直属の偵察部隊をすべて動かしている。城下町の防犯魔導具の記録も、出入りのすべての馬車の足取りも、現在進行形で追わせている。確実な尻尾を掴むまで、今は牙を研いで待つんだ。……頼む、アルヴィーノ」

アルフレッドの言葉は、徹頭徹尾、ぐうの音も出ないほどの「正論」だった。
感情に任せて動けば、最愛のルミの命が危うくなる――。

「…………チッ」

アルヴィーノの口から、これまでにないほど不快げな、激しい舌打ちが漏れた。
溢れ出しかけていた狂気的な魔力を、血を吐くような思いで力任せに抑え込み、紫瞳の奥の暗黒を燃え上がらせたまま、地を這うような声で応じる。

「……わかりました。兄上の仰る通りです。……ただし」

アルヴィーノは冷酷に言い放ち、その視線を窓の外の夜の闇へと向けた。

「その偵察部隊が場所を突き止めた瞬間、あるいは奴らから一枚でも要求書が届いた瞬間――その時は、私が、あの国(ゴミくずども)のすべてを、根こそぎ『無』に還します」
「……ああ。その時は、僕も止めはしないよ」

アルフレッドは深く頷いた。
その隣で、レオがリリィのベッドサイドに静かに膝をつき、彼女の細い手を両手でそっと包み込みながら、声音を一切変えない「微笑みのない敬語」で呟いた。

「……ええ、父上。リリィを傷つけ、ルミにぃを奪った不浄の虫どもです。一匹足りとも、生かして返すわけにはいきませんから」

完璧だったはずの硝子の箱庭を壊された、二頭の化け物。
王の制止によって辛うじて繋ぎ止められたその凶刃は、しかし、次の一撃で世界を滅ぼさんばかりの圧倒的な殺意を孕んで、静かに、そして狂気的に研ぎ澄まされていくのだった。
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