【リリィ聖女編】祈りの果てに、聖女の葬送を

【聖女編7】

重苦しい沈黙が、重厚な絨毯が敷き詰められた軍師執務室を支配していた。
卓上に広げられた詳細な王国全土の地図には、すでに何十もの赤い印が付けられていた。騎士団の定期巡回ルート、裏社会の交易路、敵対組織の潜伏候補地、そして王城周辺の主要な交通要衝。そのすべてに捜索の網を張り巡らせたにもかかわらず、リリィの足取りを示す手掛かりは一つとして得られていなかった。
デスクの端に両手をつき、地図を睨みつけるレオの表情には、普段の優雅で穏やかな微笑みは微塵もなかった。
新緑色の瞳には濁った焦燥と深い影が落ち、握りしめられた拳には青筋が浮かび上がっている。寝る間も惜しんで報せを待ち、自らも城外の調査に手を尽くしていたが、時間は無情にも過ぎ去るばかりだった。

「……見つかりません。なぜだ……どこへ消えたというのです、リリィは……」

低く掠れた声が、室内に重く響く。
かつてアイゼンハルトにて、幽閉されていたリリィを救い出した時の記憶が頭をよぎる。あの時は、相手が誰であり、リリィが白亜の塔に囚われているという明確な「答え」が存在していた。敵の配置を計算し、戦術を組み上げ、その圧倒的な武力をもって奪還に向かうだけでよかった。

だが、今回は違う。
相手が誰なのかも分からず、要求すら届かず、広大な世界のどこに捕らわれているのかさえ把握できていない。暗闇に向かって斧槍を振り回すような果てしない徒労感が、レオの鋭利な思考をゆっくりと蝕んでいた。

「取り乱すなと言ったはずです、レオ」

静かな、しかし氷のように冷ややかな声が室内に響いた。
腕を組み、壁際に佇んでいたアルヴィーノがゆっくりと歩み寄ってくる。アルヴィーノ自身の足元にも、配下の暗部や極秘の伝令部隊から届いた報告書が積み上げられていた。

「私の配下、そして我が網のすべてを動かして探らせていますが、敵対勢力の動向に変化はありません。王家を標的とした拉致ではない以上、雲を掴むような捜索になるのは最初から分かっていたことです」
「叔父上……! ですが、こうしている間にもリリィは……! 見知らぬ場所で恐怖に震え、助けを求めているかもしれないのですよ……!」

レオは抑えきれない感情を露わにし、静かに声を張り上げた。常に礼儀正しく敬語を崩さないレオの内に秘められた過保護なまでの愛執が、狂気的な焦燥となって表面化しかけていた。
アルヴィーノは紫色の瞳をわずかに細め、静かに首を振った。

「焦燥に身を任せて無謀に動き回ることは、騎士団統括としての判断を誤らせるだけです。今、貴方がすべきことは、暗雲の中で立ち尽くすことではない。今は冷徹に策を練り、情報がもたらされたその瞬間に、いかなる場所へも即座に全戦力を投じられるよう、完璧な準備を整えておくことです」

その言葉は、冷酷なまでに合理的であり、同時に的を射ていた。
動くべき標的が見えぬ以上、力を溜め込み、研ぎ澄まされた刃の状態で待機することこそが、最速でリリィを救い出すための唯一の道筋だった。

「……っ……。……申し訳ありません、叔父上。おっしゃる通りです」

レオは深く息を吐き出し、乱れた呼気を整えた。一度目を閉じ、湧き上がる感情を力ずくで押し殺すと、冷徹な軍師としての顔を保とうと意識を集中させる。

「どのような些細な報せであっても、届いた瞬間に私が直接出撃します。精鋭の配置と補給路の確保、即応体制の維持を……」

語り続けようとしたレオの言葉が、ふと途切れた。
アルヴィーノの視線が、会話の途中でレオの腰元へと落とされていたからだ。その視線には、明らかな不審と鋭い観察の色が含まれていた。

「……レオ。貴方の腰元にあったはずのものがありませんね」
「え……?」

レオは自らの腰元へ視線を落とした。
いつもであれば、そこには王城の武器庫へと空間を繋ぐ特殊な装飾鍵が下げられているはずだった。レオが戦場や演習で武具を即座に召喚し、圧倒的な戦力を振るうための鍵。第一王子としての権限と武の象徴でもあるその鍵が、革ベルトの金具から綺麗に姿を消していた。

「鍵が……ない……?」

レオは自らの手で腰元を確かめた。帯の金具は外れておらず、鎖の千切れた痕跡もない。
常に身につけていたはずの重要な鍵。その紛失に、今の今まで全く気づいていなかった自分自身に、レオは目を見開いた。リリィの失踪という未曾有の事態によって精神的に極限まで追い詰められていたとはいえ、このような致命的な見落としをするなど、普段のレオではあり得ない失態だった。

「いつから落としていたのですか。心当たりは?」

アルヴィーノの声が一層低くなる。
レオは額に手を当て、記憶の糸を急速に手繰り寄せ始めた。

「……最後に鍵を確認したのは……。待ってください。リリィが失踪した当日、ルインから報せを受け、外郭の回廊へ向かった時……あるいは、城内の極秘捜索命令を発令するために執務室を出た時……」

頭の中で、あの日の行動が細かく反芻されていく。

「……外郭の回廊……。リリィの革鞄が落ちていた、あの場所の周辺でしょうか。それとも、配下へ指示を出すために立ち寄った見張り塔の付近……」

自らの不覚に対する激しい怒りと、鍵が紛失したタイミングがリリィの失踪と完全に重なっているという事実。
レオの頭脳の中で、途切れ途切れだった思考の破片が、ひとつの不気味な可能性に向かって収束し始めていた。
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