【リリィ聖女編】祈りの果てに、聖女の葬送を

だが、レオたちの予測は、日を追うごとに不気味な形で裏切られていくこととなる。

失踪から一日が経過した。
王城への脅迫状も、犯行声明も届かない。街の闇市や裏社会の情報網へも、レオの手先やアルヴィーノの諜報部員が網を広げたが、いかなる組織もリリィの身柄を確保したという噂すら流していなかった。

二日が経過した。
隣国や敵対可能性のある国家の動きを密かに探らせたが、軍の配置にも特務機関の動きにも、怪しい気配は見られなかった。王家に対する政治的交渉の打診も一切存在しない。

三日、四日……。
一週間が過ぎても、事態は微動だにしなかった。

身代金の要求なし。
政治的要求なし。
犯行声明なし。
レオ個人への接触なし。
敵対国の怪しい動静なし。
何一つとして、王家を揺さぶるための動きが起こらなかった。
リリィという存在が、まるで最初からこの世に存在しなかったかのように、あまりにも綺麗に、そして不気味に消え去っていた。
王城の第一王子執務室は、夜を迎えるたびに密閉されたような重苦しさに包まれた。
デスクの前に立つレオは、幾重にも広げられた地図や調査報告書を見つめていた。その顔からは普段の優雅な微笑みが完全に失われており、新緑色の瞳には深い陰りと、苛烈な焦燥が渦巻いていた。
主武器である大斧槍の手入れを自身の手で行いながら、レオは何度も爪を噛むように思考を巡らせる。

「なぜだ……。なぜ何も要求してこない……?」

声は低く、掠れていた。
もし敵対組織の仕業であるならば、リリィを拘束している事実を誇示し、条件を突きつけてくるのが道理である。リリィを奪うことでレオを極限まで挑発し、精神的に追い詰めることが目的ならば、すでにその第一段階は完了しているはずだ。それなのに、音沙汰がない。
交渉のためでもなく、脅迫のためでもないとするならば、一体何のためにリリィは連れ去られたというのか。

「……リリィ。今、どこで……何をされているのですか……」

胸を掻きむしるような衝動がレオを襲う。過保護なまでに手元に置き、二度と誰にも傷つけさせないと誓った愛しい存在。それが今、自分の及ばないどこかで、恐怖に怯えているかもしれない。そう思うだけで、冷徹さを誇るはずの頭脳が狂気に染まりそうになる。
腰に下げられた装飾鍵――王城の武器庫へと空間を繋ぐ特殊な鍵に指が触れる。この鍵を媒介とすれば、即座に無数の武具を召喚し、どのような敵陣であっても一人で潰し尽くすことができる。だが、振るうべき刃を向ける対象がどこにも見当たらない。
部屋の扉が静かに開き、アルヴィーノが入ってきた。

「叔父上……」
「見苦しい顔をしていますね、レオ」

アルヴィーノは感情を削ぎ落とした声で言い放ち、手にした報告書をデスクの上に置いた。

「城外の暗部網、および周辺領主の動きをすべて洗わせましたが、収穫は皆無です。我が国に敵対する主だった組織に、彼女を拘束している形跡はありません」
「……ならば、一体誰が……何のために……!」
「前提を覆す必要があります」

アルヴィーノは冷ややかな瞳でレオを見据えた。

「私たちが最初に立てた仮説――『リリィを利用して王家や貴方を攻撃することが目的である』という前提そのものが誤りであった可能性が高い」
「王家が目的ではない……?」
「ええ。もし王家や貴方が標的でないとするならば、犯人の目的は最初から『彼女本人』だったということになります」
「リリィ自身が……?」

レオは目を見開いた。リリィはかつて白亜の塔に幽閉されていた身であり、アイゼンハルトとの関係もすでに断ち切られている。レイストールに来てからは、控えめに王城郵便隊として暮らしていただけであり、他者の怨恨を買うような真似は一度としてない。

「彼女個人に、王家以外の何者が価値を見出すというのです……? 彼女は、ただの心優しい一人の女性です。特別な政治的権力も、軍事的な力も持たない……」
「政治や軍事以外の価値を見出す狂気が、この世には存在します」

アルヴィーノの言葉は冷酷な現実を突きつけていた。

「個人に対する執着、未知の思想、あるいは信仰……。王家の政治的文脈とは無関係の場所で、彼女という存在を必要とした者がいるのかもしれません」
「そんな……そのような抽象的な理由で、あの子が……」
「ですが、これで捜索の方向性を変えざるを得なくなりました。政治的な敵対組織ではなく、より小規模で、王家の情報網に引っかからないような盲点を探る必要があります」

アルヴィーノは静かに背を向けた。

「思考を止めるな、レオ。感情に呑み込まれれば、見えるものも見えなくなります。貴方が焦燥で自我を失ったところで、彼女が戻ってくるわけではない」
「……分かっています、叔父上」

レオは拳を強く握り締め、深く息を吐き出した。アルヴィーノの冷徹な指摘は、荒れ狂うレオの心根に冷水を浴びせかけるようなものだった。
叔父の言う通りだ。怒りと焦燥に身を任せて高笑いを上げるような戦闘狂の自分は、今この場には必要ない。必要なのは、いかなる情報をも見逃さず、冷酷なまでに理詰めで対象を追い詰める計算深さだ。

「王家が目的ではない……。ならば、どのような場所が……どのような者が……」

レオは再び広大な地図に視線を落とした。
王国の周辺には、無数の領地があり、そのさらに外縁には中央の管理が届きにくい山間部や僻地の集落が点在している。そうした場所の関与まで視野を広げなければならないとなれば、捜索範囲は果てしなく膨れ上がることになる。
だが、どれほどの時間がかかろうとも、世界の果てまで探し尽くそうとも、リリィを諦めるという選択肢はレオの中には存在しなかった。

「リリィ……待っていてください」

地図の上の広大な空白を睨みつけながら、レオは低く、誓うように呟いた。

「貴方を連れ去った者が誰であろうと……どのような理由があろうと……私は必ず貴方を見つけ出し、奪い返します。そして、貴方の日常を脅かしたすべてを、この手で無に帰してみせる」

しかし、この段階においても、どれほど知力を尽くして探索範囲を広げようとも――山奥の奥深くにひっそりと存在する、滅びかけた小さな集落「ヴェルナ」の名へと辿り着く手掛かりは、何一つとして存在しなかった。

王城の輝かしい光の届かない遠い山間で、リリィの運命がゆっくりと、しかし確実に別の形へと変貌させられようとしていることを、レオはまだ知る由もなかった
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