【リリィ聖女編】祈りの果てに、聖女の葬送を
昼を過ぎ、陽光が傾き始めても、指定の場所にリリィの姿はなかった。
王城郵便隊の集積所では、配達を終えた荷物や手紙の仕分けが一段落し、夕方の業務へ向けた準備が進められていた。いつもであれば、予定の時間を少し過ぎることはあっても、リリィは必ず笑顔で戻り、ルインに「遅くなってごめんなさい」と声をかけるのが常だった。
しかし、刻限を一時間以上過ぎても、彼女の足音は回廊に響かなかった。
「おかしいな……リリィお姉ちゃん、まだ戻らないのかな」
ルインは手元の配達帳を閉じ、不安そうに回廊の先を見つめた。今日のリリィの担当区域は、城の西側から中央の執務エリア、そして外郭へ続く資料保管庫のルートだった。移動距離は決して短くはないが、リリィの几帳面な仕事ぶりからして、無断でこれほど時間が遅れることは考えにくい。
ルインは自ら確認に向かうため、足早に回廊を駆け出した。
リリィが向かったはずの配達先を一つずつ辿っていく。西側の騎士団管理窓口では、午前中に荷物を無事に受け取ったとの証言が得られた。中央の執務エリアでも、アルフレッドやアルヴィーノとすれ違った後の時間帯に、いくつかの部署へ書類が届けられていたことが確認された。
だが、足取りは外郭へと続く静かな回廊の途中で完全に途絶えていた。
資料保管庫の担当者に尋ねても、手紙は届いておらず、リリィの姿も見ていないという答えが返ってくるだけだった。
「このルートの途中で、何かあったのかな……」
ルインが石造りの静寂な回廊を捜索していると、壁際から少し離れた床の上に、革製の鞄がぽつんと落ちているのが目に入った。
駆け寄って拾い上げると、それは紛れもなくリリィが持っていた郵便隊の革鞄だった。中には配達されるはずだった残りの手紙が数枚、そのまま散らばっていた。周囲に争ったような大きな痕跡はない。だが、鞄が打ち捨てられているという事実そのものが、異常事態を雄弁に物語っていた。
ルインは顔を蒼白にし、鞄を強く抱きしめると、すぐさまレオの執務室へと向かった。
第一王子の執務室では、レオが書類に目を通していた。騎士団の統括としての務めを終え、夕刻からの公務に向けてデスクに向かっていたレオは、ルインが息を切らして部屋に飛び込んできたのを見て、すぐにペンを置いた。
「どうしました、ルイン。そのような慌てた様子で」
「レオお兄ちゃん……! リリィお姉ちゃんが、戻ってこないんだ。外郭の回廊に、この鞄だけが落ちていて……!」
差し出された革鞄を見た瞬間、レオの表情から温和な笑みが消え去った。
レオは立ち上がり、ゆっくりと鞄を受け取った。その指先が、リリィの手垢が残る革の表面を撫でる。静謐な室内に、凍てつくような冷気すら感じさせる重苦しい緊張感が満ちていった。
「どこでこれを?」
「外郭の、資料保管庫へ向かう静かな回廊のところ。足取りはそこで途絶えていて……手紙も散らばってたんだ」
「分かりました」
レオは静かに答えたが、その瞳の奥には冷徹な光が宿っていた。普段の穏やかな物腰を保ちつつも、騎士団統括としての鋭利な思考が即座に回転し始める。
「ルイン、知らせてくれてありがとうございます。貴方はそのまま郵便隊の集積所へ戻り、他の者に余計な動揺を与えないよう控えていてください。これより先は、私と騎士団が引き継ぎます」
「うん……わかった。レオお兄ちゃん、リリィお姉ちゃんを……」
「ええ。必ず、私の元へ引き戻します」
ルインを退出させた後、レオは即座に命令を下した。王城内の全警備隊および全騎士団員に対し、表立って騒ぎ立てない形での極秘捜索命令を発令。王城のすべての出入口を封鎖し、同時間帯の出入り記録と人員の立ち入りを徹底的に精査させた。
同時に、この事態は王家の主要人物へと伝えられた。
軍師執務室において、レオはアルヴィーノとアルフレッドの前に立っていた。
部屋の中には重苦しい沈黙が流れていた。アルフレッドは深く眉をひそめ、胸を痛めるような表情で机に視線を落としている。一方のアルヴィーノは、組んだ手の上に顎を乗せ、紫色の瞳を冷ややかに光らせていた。
「城内での連れ去り……。警備の穴を衝かれたか、あるいは極めて高度な隠蔽工作が用いられたということですね」
アルヴィーノの声は淡々としており、微かな感情の揺れすら見せない。だが、その分析は迅速かつ容赦がなかった。
「レオ。貴方の配下が警備を担当する区域で、第一王子の婚約者が姿を消した。これは単純な失態にとどまらず、我が国の威信に関わる問題です」
「重々承知しております、叔父上。言い訳の余地もありません」
レオは伏し目になることなく、アルヴィーノの鋭い視線を正面から受け止めた。その声には敬語の丁寧さが残されているものの、内面に渦巻く怒りと焦燥が重く静かに響いている。
「父上、叔父上。最初に考慮すべきは、敵対勢力による策動です」
レオは淡々と論理を展開し始めた。
「リリィはレイストール王家にとって、そして何より私にとって代えがたい存在です。彼女を捕縛することで、私に対する強迫、あるいは王家に対する政治的妥協を引き出そうとする意図が第一に疑われます。過去に我が国と対立した組織の残党、あるいは近隣国による裏工作……。そのいずれかが、リリィを利用して我々に揺さぶりをかける狙いである可能性が最も高いかと」
アルフレッドが静かに顔を上げた。
「……確かに、リリィくん個人に怨恨を抱くような人物は考えにくい。彼女を狙う理由があるとすれば、それは王家への攻撃、あるいは君への直接的な嫌がらせだ。だが、もしそうであるなら……犯人は必ず何らかの要求を突きつけてくるはずだね」
「はい。身代金、捕虜の釈放、あるいは国境付近での譲歩……。何であれ、彼らが望むものを提示してくるでしょう。要求が届き次第、私は即座に動きます。相手が誰であれ、容赦はいたしません」
レオの言葉には、穏やかな口調とは裏腹に、暴虐とも言える凄まじい決意が込められていた。相手が要求を突きつけてきたならば、その拠点を潰し、首謀者を徹底的に追い詰めてリリィ奪還を果たす――レオの頭の中にはすでに幾通りもの破滅的な迎撃策が組み上げられていた。
アルヴィーノは冷ややかな眼差しで甥を見つめ、静かに付け加えた。
「相手が王家を標的にしているならば、要求を出すまでの間、捕らえた者を無体に扱うことは考えにくい。人質としての価値を減ずるような真似は、交渉において不利に働きますからね。だが、時間の猶予が無制限にあるわけではない」
「分かっております。私自身も騎士団の精鋭を率い、城外の潜伏拠点を徹底的に調査させます」
こうして、レイストール王国の裏で大規模な捜索工作が開始された。
王城郵便隊の集積所では、配達を終えた荷物や手紙の仕分けが一段落し、夕方の業務へ向けた準備が進められていた。いつもであれば、予定の時間を少し過ぎることはあっても、リリィは必ず笑顔で戻り、ルインに「遅くなってごめんなさい」と声をかけるのが常だった。
しかし、刻限を一時間以上過ぎても、彼女の足音は回廊に響かなかった。
「おかしいな……リリィお姉ちゃん、まだ戻らないのかな」
ルインは手元の配達帳を閉じ、不安そうに回廊の先を見つめた。今日のリリィの担当区域は、城の西側から中央の執務エリア、そして外郭へ続く資料保管庫のルートだった。移動距離は決して短くはないが、リリィの几帳面な仕事ぶりからして、無断でこれほど時間が遅れることは考えにくい。
ルインは自ら確認に向かうため、足早に回廊を駆け出した。
リリィが向かったはずの配達先を一つずつ辿っていく。西側の騎士団管理窓口では、午前中に荷物を無事に受け取ったとの証言が得られた。中央の執務エリアでも、アルフレッドやアルヴィーノとすれ違った後の時間帯に、いくつかの部署へ書類が届けられていたことが確認された。
だが、足取りは外郭へと続く静かな回廊の途中で完全に途絶えていた。
資料保管庫の担当者に尋ねても、手紙は届いておらず、リリィの姿も見ていないという答えが返ってくるだけだった。
「このルートの途中で、何かあったのかな……」
ルインが石造りの静寂な回廊を捜索していると、壁際から少し離れた床の上に、革製の鞄がぽつんと落ちているのが目に入った。
駆け寄って拾い上げると、それは紛れもなくリリィが持っていた郵便隊の革鞄だった。中には配達されるはずだった残りの手紙が数枚、そのまま散らばっていた。周囲に争ったような大きな痕跡はない。だが、鞄が打ち捨てられているという事実そのものが、異常事態を雄弁に物語っていた。
ルインは顔を蒼白にし、鞄を強く抱きしめると、すぐさまレオの執務室へと向かった。
第一王子の執務室では、レオが書類に目を通していた。騎士団の統括としての務めを終え、夕刻からの公務に向けてデスクに向かっていたレオは、ルインが息を切らして部屋に飛び込んできたのを見て、すぐにペンを置いた。
「どうしました、ルイン。そのような慌てた様子で」
「レオお兄ちゃん……! リリィお姉ちゃんが、戻ってこないんだ。外郭の回廊に、この鞄だけが落ちていて……!」
差し出された革鞄を見た瞬間、レオの表情から温和な笑みが消え去った。
レオは立ち上がり、ゆっくりと鞄を受け取った。その指先が、リリィの手垢が残る革の表面を撫でる。静謐な室内に、凍てつくような冷気すら感じさせる重苦しい緊張感が満ちていった。
「どこでこれを?」
「外郭の、資料保管庫へ向かう静かな回廊のところ。足取りはそこで途絶えていて……手紙も散らばってたんだ」
「分かりました」
レオは静かに答えたが、その瞳の奥には冷徹な光が宿っていた。普段の穏やかな物腰を保ちつつも、騎士団統括としての鋭利な思考が即座に回転し始める。
「ルイン、知らせてくれてありがとうございます。貴方はそのまま郵便隊の集積所へ戻り、他の者に余計な動揺を与えないよう控えていてください。これより先は、私と騎士団が引き継ぎます」
「うん……わかった。レオお兄ちゃん、リリィお姉ちゃんを……」
「ええ。必ず、私の元へ引き戻します」
ルインを退出させた後、レオは即座に命令を下した。王城内の全警備隊および全騎士団員に対し、表立って騒ぎ立てない形での極秘捜索命令を発令。王城のすべての出入口を封鎖し、同時間帯の出入り記録と人員の立ち入りを徹底的に精査させた。
同時に、この事態は王家の主要人物へと伝えられた。
軍師執務室において、レオはアルヴィーノとアルフレッドの前に立っていた。
部屋の中には重苦しい沈黙が流れていた。アルフレッドは深く眉をひそめ、胸を痛めるような表情で机に視線を落としている。一方のアルヴィーノは、組んだ手の上に顎を乗せ、紫色の瞳を冷ややかに光らせていた。
「城内での連れ去り……。警備の穴を衝かれたか、あるいは極めて高度な隠蔽工作が用いられたということですね」
アルヴィーノの声は淡々としており、微かな感情の揺れすら見せない。だが、その分析は迅速かつ容赦がなかった。
「レオ。貴方の配下が警備を担当する区域で、第一王子の婚約者が姿を消した。これは単純な失態にとどまらず、我が国の威信に関わる問題です」
「重々承知しております、叔父上。言い訳の余地もありません」
レオは伏し目になることなく、アルヴィーノの鋭い視線を正面から受け止めた。その声には敬語の丁寧さが残されているものの、内面に渦巻く怒りと焦燥が重く静かに響いている。
「父上、叔父上。最初に考慮すべきは、敵対勢力による策動です」
レオは淡々と論理を展開し始めた。
「リリィはレイストール王家にとって、そして何より私にとって代えがたい存在です。彼女を捕縛することで、私に対する強迫、あるいは王家に対する政治的妥協を引き出そうとする意図が第一に疑われます。過去に我が国と対立した組織の残党、あるいは近隣国による裏工作……。そのいずれかが、リリィを利用して我々に揺さぶりをかける狙いである可能性が最も高いかと」
アルフレッドが静かに顔を上げた。
「……確かに、リリィくん個人に怨恨を抱くような人物は考えにくい。彼女を狙う理由があるとすれば、それは王家への攻撃、あるいは君への直接的な嫌がらせだ。だが、もしそうであるなら……犯人は必ず何らかの要求を突きつけてくるはずだね」
「はい。身代金、捕虜の釈放、あるいは国境付近での譲歩……。何であれ、彼らが望むものを提示してくるでしょう。要求が届き次第、私は即座に動きます。相手が誰であれ、容赦はいたしません」
レオの言葉には、穏やかな口調とは裏腹に、暴虐とも言える凄まじい決意が込められていた。相手が要求を突きつけてきたならば、その拠点を潰し、首謀者を徹底的に追い詰めてリリィ奪還を果たす――レオの頭の中にはすでに幾通りもの破滅的な迎撃策が組み上げられていた。
アルヴィーノは冷ややかな眼差しで甥を見つめ、静かに付け加えた。
「相手が王家を標的にしているならば、要求を出すまでの間、捕らえた者を無体に扱うことは考えにくい。人質としての価値を減ずるような真似は、交渉において不利に働きますからね。だが、時間の猶予が無制限にあるわけではない」
「分かっております。私自身も騎士団の精鋭を率い、城外の潜伏拠点を徹底的に調査させます」
こうして、レイストール王国の裏で大規模な捜索工作が開始された。