【ルミ敵堕ち編】絶望の果てに、世界で一番甘い奇跡を

深夜、静まり返った新王の執務室。
アルフレッドは羽ペンを置き、ずっしりと重い頭を支えるようにして、こめかみに指を当てた。

「……っ、……つ、う……」

不意に、脳の奥底を細い針で幾度も突き刺されるような、鋭い激痛が走る。
アルフレッドは思わず碧眼をきつく閉じ、痛みが引くまでじっと息を詰めて耐えた。
あの大戦から季節が巡り、王国の復興が完了した今でも、アルフレッドの肉体にはあの夜の「代償」が厳然として残り続けていた。
神の理をねじ曲げる「死者を呼び戻す禁術」。
あの時、レオの魔力を借りてなお、人間の限界を遥かに超えた深淵の術式に触れた代償は、こうして時折、容赦のない後遺症となって彼の身体を蝕んでいる。

「はは……。聖なる光の魔法を司るこの私が、禁忌の呪いに悩まされるなんてね。……これが、あの代償か」

ようやく痛みが引き、アルフレッドは自嘲気味に、力なく苦笑した。
治癒魔法の最高峰を扱える自分を以てしても、この魂の摩耗からくる頭痛だけは癒やすことができない。
禁術とはそれほどまでに、踏み込んではならない絶対のタブーなのだ。
窓の外、静まり返った王宮を見つめながら、アルフレッドはふと、隣の区画にある弟の執務室へと想いを馳せた。

「アルヴィーノも……私と同じように、いや、それ以上の後遺症に一人で悩まされているのだろうか。それとも、あの規格外の男のことだ、何食わぬ顔で『私を誰だと思っているのです』と一蹴されてしまうのかな」

どっちにしても、とアルフレッドは息を吐く。
自分は、レオという強力な魔力供給源がいて、なおかつ一度きりの発動で、これほどまでに身体をボロボロに崩壊させかけた。
だが弟のアルヴィーノは、過去に何度もこの悍ましい規模の禁術を、誰の手も借りず、ただ一人で連発してきたのだ。
あの夜だって、蘇生した直後のカスほどしか残っていなかった魔力と自身の命を燃料にして、すぐさま二重の禁術を最適化して見せた。

「本当に……恐ろしい男だよ、君は」

傲慢で、冷酷で、慈悲なき軍師。
けれど、その裏にあるのは、世界の法則すら力ずくでねじ伏せてしまう、圧倒的で底知れない魔力の質量。
そして、最愛の少年を絶対に現世へ連れ戻すという、狂気的なまでの強靭な意思だ。
かつては反目し合い、その冷酷さを危うんだこともあった。
けれど、自ら禁術の深淵に触れ、その後遺症の苦しみを身を以て知った今、アルフレッドの心に深く刻まれているのは、弟への恐怖ではない。
一人の魔術師として、そして同じ「愛する者を救おうとした男」として。
すべての地獄を一人で背負い、平然と戦場に立ち続ける弟アルヴィーノへの、言葉にできないほどの、深い、深い「尊敬」の念だった。

とある日の深夜、レイストール城は深い静寂に包まれていた。
ルミはふと目を覚まし、隣のベッドに大好きな王子の姿がないことに気づいた。
微かに開いた扉の隙間から、隣の執務室の淡い蝋燭の光が漏れている。

(……アルヴィーノ、まだ起きてるのかな)

ふにゃふにゃとしていた足も、今ではすっかり元通りに動くようになっていた。
ルミは静かにベッドを抜け出し、パタパタと足音を立てないように執務室へと向かった。
そっと部屋を覗き込んだルミは、息を呑んだ。
机の前に座るアルヴィーノは、一本の軍刀を前に、いつもの隙のない「慈悲なき軍師」からは想像もつかないほど、昏く切ない表情で立ち尽くしていたからだ。
その軍刀が何であるか、ルミにはすぐに分かった。
あの激動の夜、オズワルドの呪詛に操られた自分を止めるためにアルヴィーノが振るい、そしてその後、自分自身の手で命を断つために胸へと突き刺した――あの、因縁の鉄の塊だ。
アルヴィーノが今もなお、あの夜の選択に心を苛まれているのだと察したルミは、そっと部屋に足を踏み入れ、彼の隣へと歩み寄った。

「……アルヴィーノ」
「ルミ?……起こしてしまいましたか」

ハッとしていつもの冷徹な表情に戻ろうとするアルヴィーノ。
しかし、ルミは何も言わずに手を伸ばし、机の上の冷たい軍刀の刃へ、そっと指先で触れた。

「……あの時は、ありがとう」

水色の瞳を真っ直ぐに向け、掠れた、けれど温かい声でルミは呟いた。

「……何を言うのです

アルヴィーノの美しい顔が、苦痛に歪む。
彼はきつく拳を握りしめ、絞り出すように本音を漏らした。

「私は……この手で貴方を刺し貫いた。あれしか方法がなかったとはいえ、私の軍刀が貴方の肉体を裂き、結果として貴方に自死の道具を与えてしまった。……私は、自分の選択を、今でも激しく後悔しているのですよ」

魔王などと呼ばれるほどの力を持ちながら、最愛の少年一人を傷つけずに救えなかった。
その事実が、彼のプライドと心を今も内側から削り続けていた。
しかし、ルミは優しく首を横に振った。

「ううん、違うよ。あそこでアルヴィーノが俺を刺して、無理やりにでも止めてくれなかったら……俺はもっともっと、大好きなみんなを、この国を、めちゃくちゃに傷つけてひどいことにしていた。……何より、狂気に呑まれそうになっていた俺を止めてくれたのが、他の誰でもない、アルヴィーノで本当によかった」

ルミはふわりと、聖母のように慈愛に満ちた、とびきりあたたかい笑みを浮かべた。

「俺をここに連れ戻してくれたのも、アルヴィーノ。だから、後悔なんてしないで? 俺は今、こうしてあなたの隣で生きて、すっごく幸せなんだから」
「ルミ、……貴方は、どこまで……」

その揺るぎない赦しと、眩いほどの微笑みに触れた瞬間、アルヴィーノの張り詰めていた心の糸が、音を立てて切れた。

「――っ」

アルヴィーノは突き動かされるようにルミを強く引き寄せ、その細い身体を壊れるほど力強く抱きしめた。
漆黒の軍服にルミの柔らかな身体が埋もれる。
アルヴィーノはあの子のうなじに顔を埋め、狂おしいほどの情念を込めて、低く、誓うように囁いた。

「……約束します。もう二度と、あのような絶望を貴方に味わわせはしない。世界のすべてを敵に回そうとも、私の命の最後の一滴、魂の残量すべてを賭して、貴方を永遠に守り抜いてみせます」
「うん……俺も、ずっとあなたと一緒にいるよ、アルヴィーノ」

抱きしめ返してくるルミの確かな体温と、トクトクと刻まれる心臓の鼓動。
軍刀の冷たい刃がもたらした後悔は、今、二人の重なり合う温もりによって、静かに、けれど確かに融かされていった。
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