【ルミ敵堕ち編】絶望の果てに、世界で一番甘い奇跡を

「……っ、あ、……、……」

無限に続くかのような、生と死の超高速の輪廻。
その地獄の狭間で、ルミの魂はアルヴィーノが命を削って注ぎ込み続ける魔力の奔流に、強引に、けれど確かに引きずり戻されていた。
パチ、と、長い睫毛が震える。
元の色が分からないほど濁りきっていたルミの瞳の奥底。
そこへ、あの城下町で共に過ごし、私室で愛を囁き合った、優しく美しい【水色の光】が、奇跡のようにその色彩を取り戻した。

「……あ、る、……び……の……?」

かすれた、けれど紛れもない、いつものルミの声。
しかし、その水色の瞳が捉えたのは、かつてないほどにボロボロになり、自らの精神と魔力回路を焼き切りながら、血の涙を流して自分を抱きしめる最愛の伴侶の姿だった。
アルヴィーノの端正な顔は死人のように青ざめ、全身の毛細血管からは血が滲み出している。
自分をこの世に繋ぎ止めるためだけに、彼がどれほどの「代償」を支払っているか、今のルミには痛いほどに分かってしまった。

(だめ……。俺のために、そんな……そんな顔、しないで……っ)

これ以上、アルヴィーノに無理をさせるわけにはいかない。
自分が生き長らえれば生き長らえるほど、この人は本当に壊れて、狂ってしまう。
心を、脳を壊され、大切なこの国を蹂躙させられた。
その「罪」の精算を、ルミは静かに、けれど明確に悟った。

「ルミ、意識が戻りましたか……! 離しません、もう絶対に――」
「――アルヴィーノ」

ルミは、血に濡れた唇で、世界で一番大好きな人の名前を優しく呼んだ。
そして、残された全ての、精一杯の力をその華奢な両腕に込めて――。

「……っ!?」

不意を突かれたアルヴィーノの強固な身体が、後ろへと大きく突き飛ばされた。
それと同時に、ルミは自らの胸を、心臓のすぐ横を深く刺し貫いている【軍刀の柄】にその細い手をかけると、何の躊躇もなく、さらに、その奥深くへと自らの肉体を押し込んだ。

「ルミ、止めなさい――ッッ!!!」

アルヴィーノの絶叫が王都に響き渡る。
しかし、ルミの手は止まらない。
さらに奥へ、心臓の芯を確実に捉えるように白刃を押し込めた後、ルミは一気に、その軍刀を胸から引き抜いた。
鮮血が、夜空にアーチを描くように激しく吹き飛ぶ。
肉体が完全に破壊され、蘇生術式の供給線が物理的に切断された瞬間、ルミの首のチョーカーは“対象の完全なる死亡”を検知し、赤黒い光を一瞬で失って、ただの冷たい鉄屑へと変わった。
オズワルドの最悪のロジックを、ルミは「自らの完全なる死」という方法で、完璧に、そしてあまりにも残酷に打ち破ってみせたのだ。
黄金の杖も、黒い衣装も、そのすべてがルミの流す鮮血で赤く赤く染まっていく。
ゆっくりと地面へ向けて崩れ落ちていくその刹那、ルミは視界が完全に闇に染まる中で、アルヴィーノの紫瞳を、泣きそうなほど愛おしそうに見つめた。

「……ごめん、ね……。……愛して……る、よ……」

ポツリと、最期の言葉が零れ落ちる。
ドサリ、と重い音がして、ルミの身体が冷たい石畳の上へと倒れ込んだ。
その水色の瞳からは完全に光が消え失せ、華奢な胸の上下も完全に停止する。
ピクリとも動かなくなったその少年は、まるであの日、研究所の冷たい床で眠らされていた頃のような、物言わぬ、ただの綺麗な人形のようになってしまっていた。
時が、完全に凍りついた。
ドクドクと、石畳の隙間を赤く染めて広がっていく血の海。
その中心で、水色の髪を血に濡らし、胸から大量の鮮血を流して横たわるルミの身体。
あまりにも唐突で、あまりにも惨烈なその結末に、その場にいた全員が網膜を焼かれたかのように目を見開いたまま、石化していた。
誰も、言葉を発することができない。
そこにいた誰もが、今、目の前で何が起こったのかを正しく把握することができなかった。
いや、脳のどこかでは理解していた。
首輪の呪詛を無効化し、アルヴィーノをこれ以上の自滅から救うために、ルミが自ら心臓を貫いて“完全なる死”を選んだという、その最悪のロジックを。
だが、把握したくなかった。
認めたくなかった。
そんな狂った現実を、神の悪戯のような悲劇を、人間としての精神が、本能が、全力で受け入れることを拒絶していた。

「あ……、ルミ、くん……?」

アルフレッドの杖が、カランと力なく地面に落ちる。
王の顔から一切の血の気が引き、その碧眼からは大粒の涙が溢れ出していた。
救うためにここまで戦った。
なのに、少年は自分の目の前で、自らその命を散らせてしまった。

「嘘だ……。嘘、だろ……? ルミにぃ……っ!!」

レオの叫びは、喉の奥で引き裂かれたように掠れていた。
どんな時でも崩さなかった冷徹な敬語も、傲慢な微笑みも、今の彼には一欠片も残されていない。
新緑の瞳をこれ以上ないほどに狂乱させ、血の海に倒れる義兄の姿をただ見つめることしかできなかった。
そして、アルヴィーノは――。
突き飛ばされた姿勢のまま、両手を血で真っ赤に染め、ただ、物言わぬ人形となったルミの死体を見つめていた。
その紫瞳からは、光はおろか、絶望という感情すらも消え失せ、底の知れない完全な『虚無』が広がっている。
唇は微かに震えているが、声にはならない。
あまりの衝撃に、世界最強の魔王の精神は、完全に臨界点を突破し、静かに崩壊へと向かっていた。
その、生者を呪うかのような絶対の静寂を、不気味な【空間転移の音】が切り裂いた。

「――あーあ、最悪だ。本当に最悪だよ」

瓦礫の影から、空間の歪みを抜けて、白衣を纏った一人の男が姿を現した。
オズワルド。
ルミの心を壊し、その首に起爆装置を嵌めて世界を弄んだ、すべての元凶。
奴は、ピクリとも動かなくなったルミの死体を見下ろすと、心底不愉快そうに、大袈裟に両手を広げて肩をすくめてみせた。

「せっかくの最高傑作が、これじゃあ台無しじゃないか。自我を完全に焼き切って、私の完璧なお人形にしてやったっていうのに……。まさか、あの極限状態から自ら死を選ぶなんてなぁ。クソ、これだから欠陥品の『実験体』は困るんだ。せっかくレイストールを根こそぎ磨り潰せる最高の兵器だったってのに、全く使えないゴミ屑になりやがって!」

オズワルドは、自分の『玩具』が壊れたことだけを惜しむように、死体となったルミの頭のすぐ傍を、下卑た靴で乱暴に蹴りつけた。
その瞬間。
王都の全域の空気が、ピキリと、完全に『氷結』した。
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