【ルミ敵堕ち編】絶望の果てに、世界で一番甘い奇跡を

爆音。
硝煙。
飛び散る瓦礫と、王都の空を浸食し続けるどす黒い闇の奔流。
その地獄の光景の中心で、アルヴィーノの頭脳は、数千、数万の盤面を瞬時にシミュレーションし、そのすべての最果てにある【ひとつの点】へとたどり着いていた。
思考の海を極限まで潜り、あらゆる可能性の枝葉を切り落とした先に残された、たった一つの選択肢。
それ以外のすべては、ルミの首が木っ端微塵に吹き飛ぶか、あるいは王国が更地になるかという最悪のバッドエンドへと直結している。

(……ああ。なるほど。そういうことですか)

導き出されたその結末を前にして、アルヴィーノの端正な顔に、ふっと酷く哀しく、そして乾ききった笑みが浮かんだ。
天才と謳われ、冷徹無比な軍師として戦盤を支配してきた自分が、最愛の少年を救うために至った結論が、これほどまでに無慈悲で、残酷な解答しかないなんて。

「……ハハ、本当に……滑稽な話だ」

自嘲気味な低い声が、爆音の中に消える。
アルヴィーノは、爆風に切り裂かれ汚れた漆黒の軍服の裾を翻すと、その細長い指先を、自らの腰元へと伸ばした。
硬質で、冷徹な金属音が戦場に響く。
引き抜かれたのは、魔力による加護も施されていない、儀礼用を兼ねた一振りの【軍刀レグザリア】。
磨き抜かれた白刃が、ルミの放つ闇の照り返しを受けて、禍々しく、けれど美しく鈍色に煌めいた。
その異様な行動に、ルミの猛攻を必死に防いでいたアルフレッドとレオが、同時に息を呑んで振り返る。

「アルヴィーノ……!? 君、何を、何を抜いているんだい!?」

アルフレッドの碧眼が、恐怖を孕んで皿のように丸くなる。
いくら攻撃を相殺するためとはいえ、ルミに向けて武器を抜くなど、弟のこれまでの溺愛ぶりからは絶対にあり得ない行動だった。

「叔父上……!? まさか、ルミにぃを殺す気ですか……っ!?」

レオの声から、いつもの余裕に満ちた聖者スマイルが完全に消え失せる。
新緑の瞳が激しく動揺に揺れ、魔剣を握る手がわずかに震えた。
だが、アルヴィーノはその二人の悲痛な叫びに、答えることすらもしなかった。
ただ、その切れ長の紫瞳の奥底に、狂気とも、絶対の愛ともつかない、深く静かな炎を宿したまま。

「――ルミ」

最愛の名を、これまでで最も優しく、愛おしそうに呟いた瞬間。
アルヴィーノの身体が、爆発的な速度で地を蹴った。
周囲の魔力を強引に集束させ、ただ前進するためだけの推進力に変える。
障壁も張らず、防御の魔法もすべて捨て去り、ただ一直線に、宙に浮かぶ黒い人形の元へと単身で飛び込んでいく。

「ア、アルヴィーノ――っ!!」

アルフレッドが絶叫する。
防具の加護すら捨てたアルヴィーノの肉体へ向けて、ルミの黄金の杖から、空間を消滅させるほどの濃厚な闇魔法の連撃が、容赦なく撃ち込まれた。

「が、……あ、っ……!!」

避けない。いなしもしない。
直撃した闇の衝撃が、アルヴィーノの軍服をさらに引き裂き、その端正な肉体を激しく灼き、抉る。
口端から鮮血が激しく溢れ出したが、彼の紫瞳は、一度としてルミの姿から逸れることはなかった。
肉体がどれほど破壊されようとも、彼の歩みは一歩として止まらない。
肉薄する。
三メートル。
二メートル。
そして――オズワルドが仕掛けた、最悪の防衛ラインである【周囲一メートル以内】へと、アルヴィーノの足が冷酷に踏み込んだ。
首輪のチョーカーが真っ赤に発光する。
壊されたルミの脳内に、「自傷せよ」という呪詛の命令が強制的に割り込む。
ルミの濁りきった瞳が機械的に下を向き、黄金の杖の先端が、再び彼自身の肉体を穿とうと動き出す――。
その、自傷モーションが入る、まさにコンマ数秒の刹那。

「……愛してますよ、ルミ」

世界が、スローモーションのように引き伸ばされた感覚の中で。
アルヴィーノは、世界で最も甘く、深く、狂おしい声音でそう告げた。
直後。
鈍い肉肉しい音が、雨のように降り注ぐ闇の爆音を切り裂いて、確かに響き渡った。
アルヴィーノが手にした軍刀が、一切の躊躇なく、ルミの華奢な胸の真ん中をその心臓の僅か数ミリ横を、深く、深く、深々と貫いていた。背中へと突き抜けた白刃から、鮮烈な赤が、ルミの身に纏う黒い衣装をさらに濃く染め上げていく。

「あ、……が、っ…………?」

致命的な一撃。
肉体を襲う凄まじい衝撃と激痛に、ルミの自傷を促していた首輪の強制命令が、脳の防衛本能によって強制的に上書きされ、パツン、と弾け飛ぶように停止した。
黄金の杖が、ルミの細い指先から力なく零れ落ち、瓦礫の山へと甲高い音を立てて転がっていく。
自傷の条件である「近づいた者を攻撃する」前に、標的そのものを完全に無力化する。
そして、首輪の起爆装置を起動させないために、魔力による攻撃ではなく、ただの「物理的な刃」によって、ルミの全機能を一時的に完全停止させる。
これこそが、チート級の魔王が、自身の全魔法を捨て去って導き出した――最悪の、そしてたった一つの【正解】。

「う……、あ……?」

ルミの細い身体が、重力に従ってガクリと崩れ落ちる。
アルヴィーノはその可憐な身体を、血に染まった我が身へと強く、強く、壊れ物を扱うかのように愛おしそうに抱きすくめた。
ルミの胸に突き刺さった軍刀の柄をしっかりと握り固定し、これ以上の内臓の損壊を防ぎながら、彼は自身の血で濡れた顔をルミの首元へと埋める。

「――『蘇生術式・同時展開(プロトコル・リバース)』」

アルヴィーノの唇から、地を這うような呪文の詠唱が漏れた。
全属性を極めた彼にしか成し得ない、前代未聞の禁忌。
【軍刀で肉体を物理的に殺害・破壊しつつ、同時に、その傷口から心臓へ向けて、自身の極大の蘇生・治癒魔法を絶え間なく流し込み続ける】。
生と死の境界線を、自らの手で強引に引き伸ばし、ルミの肉体を「死なず、生きず」の膠着状態に固定する。
そうすることで、オズワルドの首輪が『対象の死亡、あるいは魔力反応の消失』と誤認し、爆発の信号を見失うように仕向けたのだ。

「あ……、る、び……」

激痛と、流れ込んでくるアルヴィーノの圧倒的な魔力の奔流の狭間で。
ルミの、元の色が分からないほどに濁りきっていた瞳の奥底に、じわじわと、あの日々を過ごした、優しく美しい【水色の光】が、今度こそ明確に、確かな輪郭を持って蘇り始めていた。

「よく頑張りましたね、ルミ。……もう、大丈夫です。貴方を地獄へ落としたあの男は、私が、この世のすべての苦痛を以て磨り潰して差し上げますから」

胸を刀で貫かれたルミを抱きしめたまま、アルヴィーノは、背後に立つアルフレッドとレオへと、氷の割れるような、絶対零度の紫瞳を向けた。

「兄上、レオ。ルミの身の安全は確保しました。……これより、反撃を開始します」

血に染まった魔王の抱擁の中で、ルミの意識は静かに、けれど確かに、大切な伴侶の腕の中で引き戻されようとしていた。
ドクン、とルミの胸元に刺さった軍刀の隙間から、鮮血がドクドクと溢れ出る。
アルヴィーノがその身に発動している『蘇生術式』は、おぞましい【禁忌】そのものだった。
ルミの華奢な肉体は、軍刀という致命傷を前にして、コンマ数秒ごとに確実に「死」を迎えている。
心臓の鼓動が止まり、魂が肉体から離れようとするその瞬間、アルヴィーノの強大すぎる魔力がそれを強引に捕まえ、肉体へと叩き戻す。
死んでは、生き返り。生き返っては、また死を迎える。
ルミはその腕の中で、果てのない生と死の輪廻を、何十回、何百回と超高速で繰り返させられていた。

「く、……はぁ、あ…………っ!」

絶え間なく極大の禁忌魔法を流し込み続けるアルヴィーノの顔から、急速に生気が失われていく。
いくら大陸最強、チート級の魔力を持つ彼といえど、世界の理である『生死』を一人でねじ曲げ、さらにルミの闇の残滓を抑え込み、首輪の爆発信号を欺き続けるという行為は、自身の命の灯火をダイレクトに削り取っていくに等しかった。
全身の毛細血管がはち切れんばかりの圧力がかかり、アルヴィーノの切れ長の紫瞳からも、タラリと赤い血が伝い落ちる。

「アルヴィーノ……っ! もうやめろ、それ以上は君の精神と魔力回路が焼き切れてしまう!」

その凄惨極まる光景に、アルフレッドが悲痛な声を上げて駆け寄った。
善性の王である彼にとって、目の前で弟が自らを破壊しながら、最愛の少年を「生かし殺し」続けている拘束状態は、見ていられるものではなかった。

「無茶が過ぎますよ、叔父上……っ! 貴方が倒れたら、それこそルミにぃを救う手立てが本当になくなる!」

いつもは冷徹なレオすらも瞳に明らかな焦燥と恐怖をにじませて叫んだ。
だが、アルヴィーノは二人の制止に耳を貸さない。
ルミの胸を貫く軍刀の柄を片手で微動だにせず固定し、もう片方の手でその細い身体を骨が軋むほど強く抱きしめながら、血塗られた唇で歪に、狂気的に微笑んだ。

「……黙りなさい……っ。無茶、だと……? これが、あの子を二度までも奪われた、私の……『代償』です……!」

アルヴィーノの紫瞳が、禍々しいまでの執念でギラりと光る。

「私が手を緩めれば、ルミの魂は今度こそ死の深淵へ落ちる……。あるいは、あの忌々しい首輪が作動して、私の目の前で肉塊に変わる……っ。そんな結末を迎えるくらいなら、私の魔力など、脳など、いくらでも焼き切れて狂ってしまえばいい……!!」

ゴォッ、とアルヴィーノの身体から、さらに濃密な、もはや神をも呪うかのような全属性の魔力の奔流が立ち上り、ルミの傷口へと容赦なく注ぎ込まれていく。
その狂気的な愛の抱擁の中で、ルミの魂は、激痛と蘇生の狭間で何度も激しく震えながら、アルヴィーノの命そのものを分け与えられているのだった。
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