【ルミ敵堕ち編】絶望の果てに、世界で一番甘い奇跡を

戦場において、軍師として、そして全属性を極めた『魔王』として、アルヴィーノはただの一度も敗北を知らなかった。
常に最善の手を打ち、完璧な盤面を作り上げ、敵を蹂躙してきた。
だが、今、彼の胸を切り刻んでいるのは、人生で初めて味わう“完全なる敗北”の味だった。
いや、敗北などという生温い言葉では到底足りない。
最強を自負していた自分が、敵の脅し一つに指先一つ動かせず、目の前でボロボロになりながら「逃げて」と叫んだルミを、二度までも救えずに見送ってしまった。
そのあまりにも無惨な己の【無力さ】への、怒りと、絶望と、言いようのない暗い後悔が、津波のようにアルヴィーノの精神を狂気的に侵食していく。

(私は、あの子を二度と泣かせないと誓ったはずだ。それなのに……!)

どれほどの時間が経っただろうか。
夜の帳が完全に下りた頃、アルヴィーノは音もなく王宮へと帰還した。
漆黒の軍服は爆風でズタズタに切り裂かれ、煤と血に汚れ、その端正な顔は生気を取り戻さぬまま幽鬼のように青ざめている。
そんなボロボロの姿のまま、彼は一連の集落襲撃事件の戦後処理に追われている、兄アルフレッドの執務室の扉を静かに開けた。
カラン、と力なくドアノブが鳴る。

「アルヴィーノ!? 君、その姿は一体――」

机に向かっていたアルフレッドは、入ってきた弟の姿を見た瞬間、碧眼を皿のように丸くして驚愕した。
いつもなら髪一筋すら乱さず、冷徹な完璧さを崩さないあのアルヴィーノが、まるで命を削られたかのようにボロボロになり、その紫瞳から完全に光を消し去っている。
その異様な光景に、アルフレッドは持っていた書類を落とし、椅子を蹴立てて駆け寄った。

「何があったんだい!? 君ほどの男が、これほど傷を負うなんて……! 敵の本体と接触したのか!?」
「……兄上」

アルヴィーノの声は、掠れ、乾ききっていた。
彼はアルフレッドの差し伸べた手を拒むこともせず、ただ視線を床に落としたまま、地を這うような冷酷な声音で、自分がその目で見てきた「最悪の現実」をぽつり、ぽつりと話し始めた。

「……見つけました。国内の集落を蹂躙していた、あの天災のような破壊の正体を」
「何だって……? それは一体、誰の仕業だったんだ」

アルフレッドが固唾を呑んで次の言葉を待つ。
アルヴィーノはゆっくりと顔を上げ、血の走るような紫瞳で兄を真っ直ぐに見つめた。

「――ルミです。これまで起こった一連の大量虐殺は、すべて、我が国から連れ去られたルミが、命じられるがままに引き起こしたものです」
「な……っ、何だって……!?」

アルフレッドの顔から、一気に血の気が引いていく。
あの、いつもお茶会を楽しみにして、ビスケットを焼いて笑っていた、心優しい少年の姿が脳裏をよぎる。
彼が、この国の民を虐殺しているなど、到底信じられるはずがなかった。

「敵の首謀者は、オズワルドという名の白衣の男。奴はルミの首に『魔力封じの起爆装置』を嵌め、心を、記憶を破壊し、ただの殺戮兵器としてルミの闇魔法を悪用していました。ルミの身に纏う服は黒く染まり、瞳は元の水色さえ失い、私の顔すら分からなくなっていました」
アルヴィーノは拳を血が滲むほどに強く握りしめた。
「奴は……ルミを人質に取り、私に『動くな』と命じた。少しでも動けば、ルミの首を木っ端微塵に吹き飛ばすと。……私は、何もできませんでした。化け物並みの力がありながら、あの子が私に向けて黄金の杖を構えるのを、ただ見ていることしかできなかった……!」

そこまで言うと、アルヴィーノは狂気的な怒りに肩を震わせ、深い絶望の吐息を漏らした。
冷徹な新王アルフレッドは、弟の言葉からその凄惨な戦場の光景と、彼の胸を焦がす後悔の深さを痛いほどに理解し、言葉を失ってただ立ち尽くすことしかできなかった。
アルヴィーノがもたらした最悪の報告は、瞬く間に王宮の奥深くまで伝播し、レオとリリィの耳にも届いてしまった。

「ルミにぃが……、私たちの管轄領を……?」

いつもなら軽薄なまでの聖者スマイルを浮かべているレオが、その瞬間、完全に言葉を失って呆然と立ち尽くした。
新緑の瞳が激しく動揺に揺れる。
ルミが生きているという安堵など、もたらされた残酷な現実の前には吹き飛んでいた。
あの優しく天真爛漫だった義兄が、心を壊され、望まぬ殺戮の道具にされている――その事実が、レオの胸に冷たい怒りを刻みつけていく。

「そんな……っ、嘘、嘘です……! ルミ様が、そんなことするはずありません……っ!」

リリィは頭を激しく振りながら、その場に崩れ落ちた。
自分のせいで連れ去られたルミが、今度は大好きなアルヴィーノたちの国を壊す兵器にされている。
そのあまりに歪んだ因果に、か弱い少女の精神は耐えきれず、再び激しい涙がその頬を伝い落ちた。
だが、これ以上の停滞は王国の破滅を意味する。
事態を極限まで重く見た新王アルフレッドは、即座に「緊急最高幹部会議」の招集を宣言した。
王宮の最深部にある円卓の間。
集められたのは、国王アルフレッド、青ざめた顔で殺意を研ぎ澄ます軍師アルヴィーノ、リリィを庇うように背後に立つ騎士団長レオ、そして宮廷魔導師団の長たちをはじめとする主要人物のみ。
室内の空気は、これまでにないほど重苦しく、そして狂気的なまでに張り詰めていた。
アルフレッドが円卓の端に両手をつき、毅然とした碧眼で全員を見据える。

「一同、よく聞きなさい。事態は一刻を争う。我が国を脅かしている一連の襲撃事件の正体は、誘拐されたルミくんの闇魔法、そしてそれを裏で操る狂気の研究者、オズワルドだ」

その名が口にされた瞬間、室内の温度がさらに数度下がった。

「敵の目的は、ルミくんを兵器として運用した我が国の破壊、そして王政の転覆だ。ルミくんの首には遠隔の起爆装置が嵌められており、むやみな突撃は彼の命を奪う結果になる。……だが、我が国はこれ以上の蹂躙を甘んじて受けるわけにはいかない」

アルフレッドはドン、と地図を強く叩いた。

「これより、レイストール王国の全勢力を以て、オズワルドの潜伏先を徹底的に割り出す! 近衛、偵察、宮廷魔導師、さらには国境の軍勢に至るまで、すべての情報網をこの捜索に一点集中させるんだ!」
「……足取りさえ掴めば」

それまで沈黙を守っていたアルヴィーノが、地を這うような低い声で言葉を紡いだ。
その紫瞳には、初めて敗北を知った男の、底なしの暗黒と冷酷な決意が宿っている。

「私が、奴の結界ごと空間を凍結させ、起爆の信号すら遮断します。ルミを傷つけるすべての要素を排除し、我が手に取り戻す。……そのためなら、私は魔王にでも何にでもなりましょう」
「ええ、叔父上。私もお供します」

レオが、微笑みの消えた冷徹な新緑の瞳をギラリと光らせた。

「ルミにぃを泥靴で汚し、リリィを泣かせたあの男には、死すら生温い極刑を与えなければなりませんからね。全軍、いつでも動かせます」

主要人物たちの意思は一つに固まった。
ただの救出劇ではない。
一国の全戦力と、大陸最強の化け物たちが、最愛の少年を地獄から引きずり戻し、その尊厳を汚した外道を根こそぎ磨り潰すための「総力戦」。
レイストール王国の真の牙が、オズワルドという一人の狂人に向けて、一斉に剥かれようとしていた。
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