孤高の王子様に、ただひとつの特別を

それからの数日間、リリアーヌは影から、けれど真剣な眼差しでセレフィアの日常を見つめ続けていた。
同じ部屋で起き、同じ部屋で夜を迎えるからこそ、見えてくるものがあった。
そしてその光景は、リリアーヌが危惧していた通りの、いや、それ以上に凄惨と言ってもよいほどに切り詰められた食生活だった。

ある朝、リリアーヌが目を覚ますと、すでに身支度を終えたセレフィアがデスクの前に立っていた。その手にあるのは、味気ないアルミパウチのゼリー飲料だ。
冷えたそれを手早く口へ流し込み、引き出しから取り出した小さなシリアルバーを一つ鞄に押し込むと、彼女は「行ってまいります」と静かに告げて部屋を出ていく。

昼時、クラスの友人たちに誘われて購買へ向かう途中で見かけた生徒会室の窓。
閉ざされたカーテンの隙間から伺えたのは、積み上がった書類の山と、その傍らに置かれた空のシリアルバーの包装紙だった。

そして夜。
どれほど遅くなろうとも、セレフィアが口にするのは引き出しに蓄えられた固形栄養食か、あるいは冷えたプロテイン飲料。
たまに食堂の開いている時間へ滑り込み、申し訳程度に一口二口の白米や冷めたおかずを口にすることもあったが、それは一週間のうちのほんのひと握りに過ぎなかった。

一週間のほぼ全てを、冷たく無機質な栄養補給だけで済ませている。

倒れないように、最低限の生命を維持するためだけに設計された、作業のような食事。
誰からも「王子様」と崇められ、学校中の期待と尊敬を一手になぞる彼女が、自らの身体をこれほどまでに軽視し、荒廃した生活を送り続けているという事実に、リリアーヌの胸は日増しに痛んだ。

(このままにしておいては……絶対に、いけないわ……)

誰かが彼女に温かいものを食べさせなければならない。
冷たい包装紙を破るのではなく、温かな湯気とともに、心から「美味しい」と思える食事の時間を、彼女に取り戻してあげなければならない。

そう深く心に決めたリリアーヌは、週末に設定されている週に一度の帰宅日を待ち望んだ。

聖リリウム女学院では、週末になると生徒たちが実家へ一時帰宅することが認められている。
名門のお嬢様として大切に育まれてきたリリアーヌの生家――厳かな門構えを持つ屋敷へと戻った彼女は、自室に荷物を置くや否や、まっすぐに厨房へと向かった。

広々とした洗練された厨房では、長年屋敷に仕える料理長や使用人たちが、夕食の準備に取りかかろうとしているところだった。

「皆様、少しお時間をよろしいかしら」

リリアーヌが上品な足取りで足を踏み入れると、使用人たちは驚いたように手を止め、深く頭を下げた。

「これはリリアーヌ様。お帰りなさいませ。何かご入用でございますか?」
「ええ。本日は、皆様にお願いがございますの。私に……お料理を教えていただきたいのです」
「……はい?」

料理長をはじめ、その場にいた全員が我が耳を疑うように目を見開いた。

裕福で格式ある家庭のひとり娘として愛育されてきたリリアーヌは、これまで包丁一枚握ったことなどない。
彼女の手は、ピアノを奏で、繊細な花を生け、美しい筆記体で手紙を認めるために使われてきたのであり、火や刃物を扱う厨房は、彼女が足を踏み入れるべき場所ではなかったのだ。

「リリアーヌ様、滅多なことを仰ってはいけません。料理など、我々使用人の仕事でございます。お嬢様のお手を傷つけるようなことがあれば、旦那様やお奥様に申し訳が立ちません」

料理長は困惑を隠しきれない様子で、静かに、けれど毅然とした態度で首を横に振った。

「お気持ちはありがたいのですが、どうかお部屋でお寛ぎください。お望みの品があれば、私どもが心を込めて調理いたしますので」
「いいえ、それでは意味がないのです!」

リリアーヌは胸の前で細い指先をかたく組み、まっすぐに料理長を見つめた。

「私が……私自身の手で作りたいのです。学院で、とても大切なお友達が出来ました。そのお方は……一日中、学校のために尽力されているのに、お食事をろくに摂られず、冷たい栄養食ばかりで済ませていらっしゃるのです。私はその方に、温かくて美味しいものを食べていただきたいのです!」

真摯な面持ちで語るお嬢様の姿に、使用人たちは一瞬言葉を詰まらせた。しかし、料理長は甘い顔を見せなかった。

「お友達を想うお優しいお心は大変立派でございます。ですが、お料理というのは一朝一夕で身につくものではございません。熱い油や刃物を扱い、万が一にもリリアーヌ様のお美しいお体に傷でもつきましたら……。どうかご理解くださいませ」
「お願い、料理長。手取り足取り教えていただければ、怪我などいたしません」
「なりません。お嬢様を厨房にお通しすることは、私どもの責任として到底お認めできません」

静かだが固い拒絶の言葉。普段のおとなしく淑やかなリリアーヌであれば、ここで一度引き下がるのが常だったかもしれない。
しかし、頭に浮かぶのは、薄暗い部屋の引き出しから冷たいシリアルバーを取り出し、寂しそうに噛み砕いていたセレフィアの横顔だった。
誰にも弱音を吐けず、自分を痛めつけながら「問題ありません」と微笑む彼女に、温かいスープの一杯すら届けられないなんて、そんなことは耐えられなかった。

「……嫌です!」

リリアーヌの声が、静かな厨房に響き渡った。
使用人たちが息を呑む。
あのおしとやかで、怒ることすら知らなかったはずのリリアーヌが、あからさまに強い意思を表示したからだ。

「嫌です、帰りません! どうしても今日、お料理を覚えたいのです!」

リリアーヌはスカートの裾をぎゅっと握りしめ、美しい緑色の瞳にうっすらと涙を溜めながら、まっすぐに料理長を睨みつけた。

「お友達は……セレフィアさんは、毎日毎日、冷たいものばかり召し上がっているのです! あんなに頑張っていらっしゃるのに、自分のお体も顧みずに……! そんなの、あまりにも悲しすぎる。私が作ってあげるの!リリアが、リリア自身の手で温かいものを作って、あの方に食べてもらうの!」

我儘を知らずに育ったお嬢様が、初めて見せた強い執着と駄々。

「リリアがやるの! 絶対に!」

そう言って、リリアーヌは頑なな姿勢で厨房の入口に立ち塞がり、小さな胸を大きく上下させた。
その瞳には、怪我を恐れる気持ちも、お嬢様としての遠慮も一切なかった。
ただただ、一人の友人のために立ち上がりたいという、一途で純粋な情熱だけが宿っていた。
厨房を支配する静寂の中で、料理長は深く、深くため息をついた。
お嬢様がこれほどまでに誰かを想い、自分の意思を押し通そうとすることなど、これまで一度もなかった。
その背後にある深い愛情と切実さを感じ取り、料理長は折れるしかなかった。

「……はぁ。旦那様方には、内緒でございますよ」

料理長が苦笑いを浮かべながらそう言うと、リリアーヌの顔にパッと明るい光が差し込んだ。

「本当……!? ありがとうございます、料理長!」
「ただし、怪我だけは絶対にされないよう、私の指示に従っていただきます。よろしいですね、リリアーヌ様」
「はい! もちろん!」

リリアーヌは涙を拭い、嬉しそうに頷いた。

こうして、世間知らずのお嬢様による、人生で初めての料理の特訓が始まったのである。

包丁の握り方すら覚束ない手つきで野菜の皮を剥き、火の強さに驚きながらも、リリアーヌは一切弱音を吐かなかった。
指先をかすかに痛めても、煤で袖口が汚れても、頭の中にはただ一人、あの鍵のかかる小さな部屋で待つ「王子様」の姿だけがあった。
冷たいシリアルバーの代わりに、湯気の立つ温かな料理を彼女の前に差し出すその瞬間を思い描きながら、リリアーヌは真剣な眼差しで鍋を見つめ続けるのだった。
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