孤高の王子様に、ただひとつの特別を
銀色の包装紙がカサカサと小さな音を立てる。その無機質な音だけが、静まり返った室内に虚しく響いていた。
リリアーヌは信じられない思いで、セレフィアの手元と、彼女のデスクの脇にある小さな小型冷蔵庫を見つめた。
「……まともに、お食事を摂っていない……?」
絞り出すようなリリアーヌの問いに、セレフィアは味気ないシリアルバーを小さく噛み砕きながら、いつもの淡々とした調子で肯いた。
「ええ。日中は生徒会室で過ごすことが多いですし、食堂へ行く時間も惜しいことが多くて。それに、大勢の生徒がいる場所では、どうしても対応に時間を取られてしまいますから。デスクの引き出しにこうしてシリアルバーを常備しておいたり、あちらの冷蔵庫にゼリー飲料を冷やしておけば、書類を開いたまま数分で栄養を補給できます。そのほうがずっと合理的で、時間もかかりません」
彼女の口から語られるのは、あまりにも徹底された「効率」だった。
食事を味わう喜びも、温かいものを口にして一息つく安らぎも、すべて切り捨てられている。
ただ生命を維持し、生徒会長としての業務を支障なくこなすための最低限の燃料補給。
それを彼女は、当然の習慣として当然のように語っていた。
「そんな……それでお腹が満たされるわけがありません……!それに、毎日そのようなものばかりでは、お体に必要な栄養も足りなくなってしまいます」
「ですが、倒れたことはありませんよ。計算上、必要なカロリーやビタミンはこれで十分に賄えていますから」
「そういう問題ではございません……!」
リリアーヌの語調が、思わず強く熱を帯びた。
学校中の生徒から崇められ、常に凛とした立ち振る舞いを崩さない「王子様」。
その完璧な姿の裏側で、彼女がどれほど自らの生活や身体を蔑ろにしていたのか。
誰にも見えない場所で、このような冷たく乾いた食事だけでその華奢な身体を維持してきたのだと思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。
リリアーヌは深く波打つ金髪を静かに揺らし、まっすぐにセレフィアの紫色の瞳を見つめた。
「……セレフィアさん。お聞きしてもいいですか?」
「何でしょうか、リリアーヌさん」
「そのような生活を……いつから続けていらっしゃるのですか?」
その問いかけに、セレフィアは一瞬だけ口動きを止めた。
紫色の瞳が揺れ、どこか遠くを見るような眼差しになる。
生徒会長としての明確で即答を好む彼女にしては珍しく、数秒の沈黙が室内に流れた。
「……いつから、でしょうか」
セレフィアはぽつりと呟き、困ったように眉をひそめた。
「生徒会長に就任した頃からか……あるいは、それよりも前、この学校で『王子様』と呼ばれるようになった頃からか……。正直なところ、あまりにこの生活に慣れすぎてしまっていて、いつからだったのかも覚えていないのです」
そう言って、彼女は自嘲気味に口元を歪め、力なく苦笑した。
その苦笑いには、怒りも悲しみもなく、ただ「それが当たり前になってしまった」諦観のようなものが滲み出ていた。
いつから自らを犠牲にし始めていたのかすら自覚できないほど、彼女の中でこの過酷で孤独な日常は日常化してしまっていたのだ。
「……覚えていらっしゃらないなんて……」
リリアーヌは絶句した。
周りの期待に応え、誰にとっても完璧な存在であり続けるために、彼女はどれほど長い時間、こうして自分自身の声に耳を傾けずに過ごしてきたのだろう。
誰にも弱音を吐かず、誰にも甘えず、ただ黙々と責任を果たし続けてきた背中。
その孤独の深さが、リリアーヌの心を重く押し潰しそうになる。
「……ご心配いただくようなことではありませんよ、リリアーヌさん。私はこれで問題なくやってこられましたから」
セレフィアは手に残っていた最後のひと口を口に放り込むと、素っ気なく完食した。
そして、静かに立ち上がる。
デスクの上の書類鞄と腕章を整えると、彼女は胸元のネクタイに手をかけた。
結び目をすっと緩め、丁寧に首から外す。
続いて、白ブレザーのボタンを外し、滑らかな動作で脱ぎ捨ててハンガーへと掛けた。
「少し、汗をかいてしまいました。先にシャワーを浴びてきますね」
引き留める隙を与える間もなく、セレフィアは淡々と制服を脱ぎ進めていく。
第一ボタンを外した白シャツの隙間から覗く首筋や鎖骨は、朝の完璧な姿からは想像もつかないほど華奢で、どこか儚げだった。
彼女は脱衣所へ向かう足取りのまま、一瞬だけ振り返り、静かに言った。
「お茶……淹れてくださって、ありがとうございました。気持ちは、とても嬉しかったです」
それだけを残すと、彼女は脱衣所の扉の奥へと姿を消した。
カチャリと鍵のかかる音が響き、やがて静かな水音が聞こえ始める。
ぽつんと部屋に取り残されたリリアーヌは、自分の手元に置かれたままの、少し冷めかけた紅茶のカップを見つめた。
黄金色に輝くお茶からは、まだ仄かに甘い香りが立ち上っている。けれど、目の前のテーブルの向かい側には、もう誰もいない。
(……どうして、そこまでご自分を痛めつけられるのですか)
シャワーの水音を聞きながら、リリアーヌは静かに両手を胸の前で組んだ。
校内中の憧れを身に纏う「王子様」。
けれど、その実態は、自分を労わる術すら忘れてしまった、傷つきやすく不器用なひとりの少女に過ぎない。
ただ崇め、遠くから眺めているだけの生徒たちには、この水音の向こう側にいる彼女の小さな肩や、疲弊した吐息は決して届かない。
(セレフィアさん……)
緑色の瞳に、静かな決意の光が宿る。
誰も彼女の生活の荒廃に気づかず、誰も彼女に温かいスープすら差し出さないのであれば。
鍵のかかったこの小さな部屋の中でだけは、自分が彼女の「当たり前」を変えてみせる。
冷たいシリアルバーではなく、温かく心を満たす時間を、彼女に取り戻してあげるのだと。
リリアーヌは冷めかけたカップをそっと持ち上げ、静かな水音が響く扉に向かって、声には出さずに深く優しく微笑んだ。
リリアーヌは信じられない思いで、セレフィアの手元と、彼女のデスクの脇にある小さな小型冷蔵庫を見つめた。
「……まともに、お食事を摂っていない……?」
絞り出すようなリリアーヌの問いに、セレフィアは味気ないシリアルバーを小さく噛み砕きながら、いつもの淡々とした調子で肯いた。
「ええ。日中は生徒会室で過ごすことが多いですし、食堂へ行く時間も惜しいことが多くて。それに、大勢の生徒がいる場所では、どうしても対応に時間を取られてしまいますから。デスクの引き出しにこうしてシリアルバーを常備しておいたり、あちらの冷蔵庫にゼリー飲料を冷やしておけば、書類を開いたまま数分で栄養を補給できます。そのほうがずっと合理的で、時間もかかりません」
彼女の口から語られるのは、あまりにも徹底された「効率」だった。
食事を味わう喜びも、温かいものを口にして一息つく安らぎも、すべて切り捨てられている。
ただ生命を維持し、生徒会長としての業務を支障なくこなすための最低限の燃料補給。
それを彼女は、当然の習慣として当然のように語っていた。
「そんな……それでお腹が満たされるわけがありません……!それに、毎日そのようなものばかりでは、お体に必要な栄養も足りなくなってしまいます」
「ですが、倒れたことはありませんよ。計算上、必要なカロリーやビタミンはこれで十分に賄えていますから」
「そういう問題ではございません……!」
リリアーヌの語調が、思わず強く熱を帯びた。
学校中の生徒から崇められ、常に凛とした立ち振る舞いを崩さない「王子様」。
その完璧な姿の裏側で、彼女がどれほど自らの生活や身体を蔑ろにしていたのか。
誰にも見えない場所で、このような冷たく乾いた食事だけでその華奢な身体を維持してきたのだと思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。
リリアーヌは深く波打つ金髪を静かに揺らし、まっすぐにセレフィアの紫色の瞳を見つめた。
「……セレフィアさん。お聞きしてもいいですか?」
「何でしょうか、リリアーヌさん」
「そのような生活を……いつから続けていらっしゃるのですか?」
その問いかけに、セレフィアは一瞬だけ口動きを止めた。
紫色の瞳が揺れ、どこか遠くを見るような眼差しになる。
生徒会長としての明確で即答を好む彼女にしては珍しく、数秒の沈黙が室内に流れた。
「……いつから、でしょうか」
セレフィアはぽつりと呟き、困ったように眉をひそめた。
「生徒会長に就任した頃からか……あるいは、それよりも前、この学校で『王子様』と呼ばれるようになった頃からか……。正直なところ、あまりにこの生活に慣れすぎてしまっていて、いつからだったのかも覚えていないのです」
そう言って、彼女は自嘲気味に口元を歪め、力なく苦笑した。
その苦笑いには、怒りも悲しみもなく、ただ「それが当たり前になってしまった」諦観のようなものが滲み出ていた。
いつから自らを犠牲にし始めていたのかすら自覚できないほど、彼女の中でこの過酷で孤独な日常は日常化してしまっていたのだ。
「……覚えていらっしゃらないなんて……」
リリアーヌは絶句した。
周りの期待に応え、誰にとっても完璧な存在であり続けるために、彼女はどれほど長い時間、こうして自分自身の声に耳を傾けずに過ごしてきたのだろう。
誰にも弱音を吐かず、誰にも甘えず、ただ黙々と責任を果たし続けてきた背中。
その孤独の深さが、リリアーヌの心を重く押し潰しそうになる。
「……ご心配いただくようなことではありませんよ、リリアーヌさん。私はこれで問題なくやってこられましたから」
セレフィアは手に残っていた最後のひと口を口に放り込むと、素っ気なく完食した。
そして、静かに立ち上がる。
デスクの上の書類鞄と腕章を整えると、彼女は胸元のネクタイに手をかけた。
結び目をすっと緩め、丁寧に首から外す。
続いて、白ブレザーのボタンを外し、滑らかな動作で脱ぎ捨ててハンガーへと掛けた。
「少し、汗をかいてしまいました。先にシャワーを浴びてきますね」
引き留める隙を与える間もなく、セレフィアは淡々と制服を脱ぎ進めていく。
第一ボタンを外した白シャツの隙間から覗く首筋や鎖骨は、朝の完璧な姿からは想像もつかないほど華奢で、どこか儚げだった。
彼女は脱衣所へ向かう足取りのまま、一瞬だけ振り返り、静かに言った。
「お茶……淹れてくださって、ありがとうございました。気持ちは、とても嬉しかったです」
それだけを残すと、彼女は脱衣所の扉の奥へと姿を消した。
カチャリと鍵のかかる音が響き、やがて静かな水音が聞こえ始める。
ぽつんと部屋に取り残されたリリアーヌは、自分の手元に置かれたままの、少し冷めかけた紅茶のカップを見つめた。
黄金色に輝くお茶からは、まだ仄かに甘い香りが立ち上っている。けれど、目の前のテーブルの向かい側には、もう誰もいない。
(……どうして、そこまでご自分を痛めつけられるのですか)
シャワーの水音を聞きながら、リリアーヌは静かに両手を胸の前で組んだ。
校内中の憧れを身に纏う「王子様」。
けれど、その実態は、自分を労わる術すら忘れてしまった、傷つきやすく不器用なひとりの少女に過ぎない。
ただ崇め、遠くから眺めているだけの生徒たちには、この水音の向こう側にいる彼女の小さな肩や、疲弊した吐息は決して届かない。
(セレフィアさん……)
緑色の瞳に、静かな決意の光が宿る。
誰も彼女の生活の荒廃に気づかず、誰も彼女に温かいスープすら差し出さないのであれば。
鍵のかかったこの小さな部屋の中でだけは、自分が彼女の「当たり前」を変えてみせる。
冷たいシリアルバーではなく、温かく心を満たす時間を、彼女に取り戻してあげるのだと。
リリアーヌは冷めかけたカップをそっと持ち上げ、静かな水音が響く扉に向かって、声には出さずに深く優しく微笑んだ。