孤高の王子様に、ただひとつの特別を

秋の光が降り注ぐ聖リリウム女学院のキャンパスは、終日、波立つような喧騒に包まれていた。
二人が並んで歩くたび、周囲の空気は一瞬にして緊張と熱を帯びた。
セレフィアの胸元を飾る可憐なリボンと、リリアーヌの衿元を完璧な形で締め上げる上質なネクタイ。
一目で互いのものだと分かる「制服のタイの交換」は、言葉以上の説得力をもって、二人が交わした深遠な誓いを証明していた。
さらには、すれ違いざまに交わされる静かな言葉。

「リリア、歩調は速すぎませんか?」
「大丈夫よ、セラ。あなたの隣なら、どこまでだって歩ける」

これまで一度として公の場で崩されたことのない呼称が、ごく自然に、けれど他者をいっさい寄せ付けない決定的な熱を孕んで交わされる。
そのたびに、廊下のあちこちから小さく息を呑む音や、切ない溜息が漏れ聞こえていた。

「あの方々の胸元を……ご覧になって……」
「本当だったのね。あの孤高の生徒会長様が、まさか……」

悔しさに唇を噛み締め、手にした本を強く握りしめる下級生の姿もあれば、二人の間に流れるあまりにも美しく静謐な空気に惹かれ、どこか微笑ましく、眩しそうに見守る上級生たちの姿もあった。
学院中のあらゆる感情が、二人が歩む一筋の道に集中していたと言っても過言ではない。
だが、当事者である二人の受け止め方は、実に対照的であった。

(も、もう……っ! どこを見てもみんなが私たちを見てるわ……っ!)

リリアーヌは、身が縮こまるような強い羞恥心に苛まれていた。
これまでも「生徒会長とその隣にいる少女」として注目を集めることはあった。
けれど、今日注がれている視線の性質は、過去のそれとは決定的に異なっていた。
そこに込められているのは、単なる憧れや興味関心ではなく、二人が「恋人同士」になったことに対する露骨な羨望と嫉妬、そして熱を帯びた好奇心だったのだ。
周囲から突き刺さる無数の視線に晒されるたび、リリアーヌの耳の裏は熱くなり、胸元で揺れるセレフィアのネクタイの重みが、狂おしいほどの愛おしさと照れくささを強調していた。

「セラ……もう少し、人目の少ない場所を選んで歩けませんか……?」

耐えかねたリリアーヌは、伏し目がちに小声で訴えかけた。
視線を正面に向けることすらできず、思わずセレフィアの袖口を指先で小さく摘み言ってしまう。
しかし、当のセレフィアは至極冷静だった。背筋を真っ直ぐに伸ばし、いつもの澄んだ紫色の瞳で前方に視線を向けている。

「人目の少ない場所、ですか? ですがリリア、午後の執務のために生徒会室へ向かうには、この中央廊下を通るのがもっとも合理的ですよ」
「そうかもしれないけれど……みんなの視線が、あまりにもすごくて……私、顔が火照ってしまいそうなの……」
「視線……ですか」

セレフィアは不思議そうに周囲へ一瞬だけ視線を巡らせ、すぐに視線をリリアーヌへと戻した。

「私にとっては、至って見慣れた光景ですが」

その言葉に偽りはなかった。
幼少期より類稀なる容姿と天賦の才能に恵まれ、どこへ行っても「完璧な存在」として人々の賞賛と羨望の眼差しを浴び続けてきたセレフィアにとって、周囲から注がれる無数の視線など、ただの背景の景色と何ら変わりなかったのだ。
どれほど視線が集まろうと、自身の心が乱れることなど一度としてなかった。

(セラったら、本当に昔からこういうところは揺るがないのね……)

自分とは対照的な落ち着きぶりに、リリアーヌは感心すると同時に、どこか気恥ずかしさを自分一人だけが抱えているような心地になり、ほうっと小さく吐息を漏らした。

だがセレフィアの無知ゆえの「無頓着さ」は、そこで終わりではなかった。
赤くなった頬を押さえ、必死に平静を装おうとしているリリアーヌの姿をじっと見つめていたセレフィアは、何かを思い立ったかのように、ふっとその足を止めた。

「セラ……?」

リリアーヌも引きずられるように立ち止まり、不思議そうに彼女を見上げた。
秋の陽光が、校舎の大きなアーチ窓から二人の頭上へ惜しみなく降り注いでいる。
周囲の生徒たちもまた、立ち止まった二人を遠巻きに注視し、固唾をのんでその様子を見守っていた。
セレフィアは、身を縮こまらせているリリアーヌの前に静かに向き直ると、ごく自然な手つきで自らの右手を差し伸ばした。
そして、躊躇うことなくリリアーヌの小さく温かな手を握りしめたのだ。

それも、ただ手を重ねるだけではない。

細く美しい指を、リリアーヌの指の隙間へと静かに滑り込ませ、寸分の隙間もなく深く指を交差させる「恋人繋ぎ」の形で、しっかりと握りしめたのである。

「――っ!?」

リリアーヌの思考が完全に停止した。

手のひらから直接伝わってくる、セレフィアの確かな体温と微かな脈動。
指と指が隙間なく絡み合うその握り方は、どう見ても友情や親愛の域を超えた、あからさまな「特別」の誇示であった。
周囲の生徒たちから、今日一番の息を呑む音が漏れた。何人かの下級生は、あまりの光景に両手で口元を覆い、顔を真っ赤にして背けようとしながらも、瞳を奪われて立ち尽くしている。

「せ、せせせ、セラ……ッ!? な、なにを……何をしてるの……ッ!?」

パニックを起こしたリリアーヌは、声にならない悲鳴を上げ、握られた手とセレフィアの顔を交互に見た。全身の血が頭登りし、頬どころか全身が沸騰したかのように熱くなる。

校門の前でタイを交換しただけでも、愛称で呼び合っただけでも、学院中がひっくり返るほどの騒ぎになっているのだ。
それなのに、大勢の生徒が行き交う昼下がりの中央廊下で、こんな真似をされてしまっては、もう逃げ場などどこにもなかった。
手を引き抜こうと焦るリリアーヌに対し、セレフィアは握る力を緩めるどころか、愛おしさを確かめるようにギュッと指先を強めた。
そして、紫色の瞳をまっすぐにリリアーヌの瞳へと向け、ごく真面目な面持ちで、恐ろしいほどに純粋な言葉を紡ぎ出したのだった。

「歩きづらいのでしたら、こうして手を繋げば良いかと思いまして。……それに、こうしていれば、あなたの不安や緊張も少しは和らぐのではないでしょうか」
「和らぐわけないじゃない……っ! 逆よ、逆効果…っ!」
「不快、でしたか?」

セレフィアは微かに眉を下げ、悲しげに首を傾げた。

「違います……不快なわけないでしょう……! ただ、ただ気恥ずかしいの……! こんな、みんなが見ている前で……」

顔を真っ赤にして必死に訴えるリリアーヌの姿に、セレフィアは胸の奥が甘く軋むのを覚えた。
白薔薇の生徒会室でアルヴィーノたちから教わった言葉、そして昨夜己の心の中に確かに芽生えた「特別な感情」の愛おしさが、全身を満たしていく。
セレフィアは握りしめたリリアーヌの手をそのまま胸元へと引き寄せると、周囲の嫉妬や羨望の視線など一切意に介さぬように、どこまでも美しく、深く甘い微笑みを浮かべた。

「周りの視線など、気にする必要はありませんよ、リリア。私が見つめているのは、世界中であなた一人だけなのですから」

過剰な演出でも、照れ隠しでもない。
一分一秒の偽りもない、彼女の魂から溢れ出た本心の告白。
その言葉が廊下の静寂に溶け込んだ瞬間、周囲にいた女生徒たちの何人かが、感極まったように小さな悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。

「あ……あう……っ……」

追い打ちをかけるような甘い言葉と、繋がれた手の圧倒的な熱量に、リリアーヌの耐性は完全に限界を超えた。
もはや反論する言葉すら出てこず、リリアーヌは真っ赤になった顔を隠すように、セレフィアの髪にすっぽりと額を押し当てた。

「もう……セラなんて、大嫌い……」

小さな声で漏らされたその照れ隠しの言葉に、セレフィアは満足そうに目を細め、空いている左手でリリアーヌの背中をそっと抱き寄せる。

「ええ。私も愛していますよ、リリア」

噛み合わない、けれどこれ以上なく深く通じ合っている二人の会話。
秋の柔らかな光が差し込む大廊下で、二人は繋いだ手を解くことなく、ゆっくりと歩みを進めていく。
その胸元で揺れるネクタイとリボンは、二人が紡ぎ始めた新しい物語の始まりを、色鮮やかに祝福しているようであった。
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