孤高の王子様に、ただひとつの特別を

夜の静寂が少しずつ退き、東の空が淡い群青から朝焼けの桃色へと染まり始める頃、部屋の窓から差し込む静かな光がリリアーヌの瞼を優しく叩いた。
静まり返った室内で、リリアーヌはゆっくりと目を開けた。
見慣れぬ高い天井と、重厚な木造の家具が目に飛び込んでくる。そこが昨日から始まった新しい生活の場であることを思い出すまでに、そう時間はかからなかった。
微かに衣擦れの音が聞こえ、リリアーヌは枕元から視線を動かした。
部屋の片隅、整然と並べられたデスクの前には、すでに支度を完璧に終えたセレフィアの姿があった。
昨夜見せた少し崩れた髪や、緩められたシャツのボタンといった隙は綺麗に消え去っていた。銀に水色が混ざり合う美しい長髪は低い位置で隙なくひとつに結ばれ、白ブレザーの胸元には固く結ばれた青紫のネクタイ、下衣には一筋のシワもない濃紺のスラックス。
そして左腕には、白百合の校章が映える『生徒会長』の腕章が清廉に巻かれている。
朝の光の中で直立するその佇まいは、昨日校舎で見かけた凛々しく完璧な「王子様」そのものであった。

セレフィアは手元の万年筆を胸ポケットへ収めると、ベッドの上でリリアーヌが身を起こした気配を察し、静かに振り返った。
その紫色の瞳には、朝の清々しい光が映り込んでいる。

「おはようございます、リリアーヌさん」

低く澄んだ、落ち着いた声が静寂の中に響いた。どこまでも丁寧で、穏やかな敬語。

「おはようございます、セレフィアさん……。まあ、もうすっかり身支度を終えられていらっしゃったのですね」

リリアーヌは波打つ金髪を肩から流し、薄いシーツを手繰り寄せながら、少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。

「起こしてしまいましたか。申し訳ありません。ですが、そろそろお召し替えになられたほうがよろしいかと思いまして」

セレフィアは時計を一切確認することもなく、静かに言葉を続けた。

「すでに食堂の朝食準備は整っております。そろそろ向かわれたほうが、混雑を避けてゆっくりとお食事を召し上がっていただけるかと」

その言葉には、相手の行動を急かすような不躾さは一切なく、ただ相手の心地よさを第一に考えた純粋な配慮が込められていた。

「ありがとうございます。セレフィアさんは……これから食堂へ向かわれるのですか?」

リリアーヌがそう尋ねると、セレフィアは少しだけ瞳を和らげ、首を横に振った。

「いいえ、私はすでに食堂で朝食を済ませてまいりました。これからは生徒会室へ向かい、始業前の朝の業務に取りかかる予定です」
「まあ……そんなに早くからお仕事をなさるのですか」
「朝のうちに片付けておきたい書類がいくつかありますので。それでは、私は一足先に出失礼いたしますね。ご自分のペースで身支度を整えてください」

セレフィアは礼儀正しく静かに頭を下げると、足音も立てずにドアノブへ手をかけた。重厚な扉が開かれ、一瞬だけひんやりとした廊下の空気が部屋に流れ込む。扉が閉まる直前、セレフィアはもう一度だけ振り返り、リリアーヌへ視線を送った。

「……本日も、良い一日になりますように」
「ええ、セレフィアさんも……行ってらっしゃいませ」

静かに扉が閉まり、室内には再び穏やかな沈黙が戻ってきた。
リリアーヌはベッドの上に腰掛けたまま、扉の残像を見つめていた。
早朝から完璧に身だしなみを整え、誰よりも早く動き出すその姿。
生徒会長として、そして誰もが憧れる「王子様」としての責務を当然のように果たす彼女の背中に、リリアーヌは改めて感嘆の息を吐いた。

(けれど……あのようなお姿を保つために、どれほどの朝をこうして静かに過ごして来られたのでしょう)

誰も見ていない早朝の自室から、すでに彼女の「生徒会長」としての時間は始まっている。
そのひたむきで真面目な横顔を思い浮かべながら、リリアーヌもまた、自分の新しい一日を始めるために静かに立ち上がった。
姿見の前に立ち、優雅な手つきで髪を整えていく。
ハーフアップにした金髪を濃紺のリボンで丁寧に結び、白ブレザーと白ブラウス、そして青紫のリボンタイを身につける。
濃紺のプリーツスカートにシワがないことを確かめ、タイツの乱れを整えると、昨日のように品格あるお嬢様としての装いが出来上がった。
部屋を出たリリアーヌは、赤絨毯の敷かれた廊下を歩み、食堂へと向かった。

吹き抜けの天井を持つ広い食堂には、朝の光が大きく差し込んでいた。
すでに何人かの生徒たちがテーブルにつき、上品な談笑とともに朝食をとっている。
リリアーヌが姿を現すと、周囲の生徒たちがちらほらと視線を送り、好意的な微笑みを向けた。
転入初日の昨日、その穏やかで気品ある立ち振る舞いによって、彼女はすでに多くの生徒から好感を持たれていたのだった。
指定された席につき、用意された温かいスープと焼きたてのパンに手を付けながら、リリアーヌは静かに窓の外の庭園へ目を向けた。
色とりどりの花が咲き誇る白百合の庭園の向こう、生徒会棟のある方角。
今頃彼女は、あの静かな声で淡々と書類を処理しているのだろうか。

「皆様の王子様」として校内を照らす彼女の光と、鍵のかかった自室の中でしか見せない無防備な素顔。
その双方を知る唯一の存在になれたことのささやかな喜びが、胸の奥で温かく芽生えていた。
リリアーヌはスープの湯気をみつめながら、静かに一口口に含み、穏やかな朝の時間を噛み締めるのだった。
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