孤高の王子様に、ただひとつの特別を
食堂での穏やかな朝食を終え、二人は秋の透明な空気が満ちる校舎へと続く並木道を並んで歩いていた。
木漏れ日が石畳の上に柔らかい斑影を描き、爽やかな風が朝の髪を優しく揺らしている。
手と手が触れ合いそうなほど近い距離で歩みを進める心地よさに、リリアーヌは未だ夢の中にいるような胸の高鳴りを覚えていた。
昨夜誓い合った言葉と、今朝贈られた「リリア」という特別な愛称。そのすべてが、彼女の心に甘い熱を残したままであった。
校門が視界に入り、他の生徒たちの姿がちらほらと見え始めた、まさにその時だった。
「──そうでした」
歩みを止めたセレフィアが、何かに気づいたように小さく呟いた。
「セラ……? どうしたの?」
リリアーヌが足を止め、不思議そうに振り返ると、セレフィアは躊躇うことなく自身の胸元へと細い指先を伸ばした。
そして、寸分の狂いもなく結ばれていた白ブレザーの衿元のタイを、迷いのない手つきですルスルと解き始めたのだ。
「え……っ、セラ!?」
あまりに突然の行動に、リリアーヌは驚きで目を見張った。
聖リリウム女学院において、制服の着用義務は極めて厳格であり、ことに登校時にタイを外すなどということは、生徒会長である彼女自身がもっとも固く禁じている規律違反のはずだった。
「な、何をしてるの? こんな校門の前でタイを外すなんて……誰かに見られたら――」
動転して周囲を気にするリリアーヌに対し、セレフィアはほどいたばかりの滑らかな布地を愛おしそうに手の中で整えると、いつもの静かで誠実な眼差しを向けてきた。
「大丈夫ですよ、リリア。これには、きちんとした理由があるのです」
「理由……?」
「ええ。あなたもご存じかもしれませんが……この学院には、古くから生徒たちの間で受け継がれてきた、一つの暗黙のルールが存在します」
セレフィアの低く澄んだ声が、朝の静寂に優しく響く。
「【特別な関係となった者同士は、互いのタイを交換すること】──言葉にせずとも、己の愛着と誓いを身に纏うための、密やかな伝統です」
「……タイの……交換……?」
リリアーヌは呆気にとられてその言葉を反復した。
確かに、上級生や同級生たちの間で、本来の学年色とは異なるリボンやタイを身につけている二人組みを時折見かけることがあった。
当事者同士の密やかな印として噂には聞いていたものの、まさかあの規律と厳格さを体現したような生徒会長の口から、そのようなロマンチックな噂話が飛び出すとは思ってもみなかったのだ。
「どうぞ」
セレフィアは、自身の温もりが微かに残る純白のタイを折り畳み、両手で恭しくリリアーヌの前へと差し出した。
「セ、セラ……私、どうしたら……」
差し出されたタイを見つめ、リリアーヌはすっかり困惑してしまった。
受け取るべきなのは分かっている。
けれど、お嬢様として育ち、普段は胸元に結ぶリボンしか身につけたことのない彼女にとって、ネクタイを美しく結ぶ技術など持ち合わせているはずもなかったのだ。
自分の不甲斐なさに頬を染め、ためらうリリアーヌの様子を察したのか、セレフィアは柔らかく目を細めた。
「ふふ……結び方が分からないのですね? 構いませんよ。私が結びましょう」
そう言うと、セレフィアはリリアーヌの前へ一歩歩み寄った。
「少し、屈んでいただけますか?」
「あ……はい……」
言われるがままにリリアーヌが微かに身体を折り曲げると、セレフィアの指先がリリアーヌの胸元へと伸びた。
洗練された洗剤の香りと、彼女自身の心地よい体温が至近距離から押し寄せてくる。
リリアーヌは心臓が跳ね上がるのを感じながら、思わず息を止めた。
セレフィアの手つきはどこまでも丁寧で、迷いがなかった。
リリアーヌの胸元を飾っていた可愛らしいリボンの結び目をそっと解き、それを大事そうに自らのポケットへと収める。
そして、代わりに先ほど外したばかりの自身のタイを、リリアーヌの衿元へと滑り込ませた。
指先が時折、リリアーヌの鎖骨や首筋の肌にかすかに触れる。
そのたびに、リリアーヌの全身に電流のような甘い痺れが走り、足元が崩れそうになるのを必死で耐えねばならなかった。
自分をじっと見つめる紫色の瞳、整った鼻筋、息がかかるほどの距離。
(近……近すぎるわ……っ)
呼吸すら自由にできず、ただセレフィアのなすがままになっている間、セレフィアの指先は滑らかに動いていた。
やがて、完璧な形に結び上げられたタイの端をそっと撫で下ろすと、セレフィアは満足そうに微笑んだ。
「綺麗に結べましたね。とてもよくお似合いです、リリア」
「あ……ありがとう……セラ……」
言葉を搾り出すのが精一杯のリリアーヌの前で、今度はセレフィアが自らの衿元へ手を伸ばした。
ポケットから取り出したのは、先ほどリリアーヌから外したばかりの小さなリボンだった。
セレフィアは自身の胸元にそのリボンをあてがい、手慣れた動作で手早く結び目を作っていく。
いつもは隙なく仕立てられた生徒会長の制服。その胸元に、リリアーヌのものだった可憐なリボンが、確かな主張をもって収まっていた。
白ブレザーの威厳と、可愛らしいリボンのアンバランスさ。
しかし、それこそが二人が交わした言葉なき誓いの証明そのものだった。
「これで、いいですね」
すべての工程を終え、胸元のリボンを愛おしそうに指先で撫でながら、セレフィアはふっと咲くような笑みを浮かべた。
朝の太陽の光を浴びて輝く、心底満足そうな、そしてどこまでも深く柔らかなその笑顔。
自分だけの特別な存在となった「王子様」が魅せた、息を呑むほどに美しい表情と、胸元で自分の体温を主張する彼女のタイの重み。
それらを同時に突きつけられたリリアーヌの耐性など、とうに限界を迎えていた。
「っ……~~~っ!」
カッと顔が熱くなり、耳の裏まで真っ赤に染め上がっていく。
あまりの気恥ずかしさと胸の爆発しそうな高鳴りに耐えかねて、リリアーヌは両手で真っ赤な顔を覆い、その場に屈み込みそうになった。
「リリア? どうしました? どこか苦しいのですか?」
心配そうに覗き込んでくるセレフィアの声すら、今のリリアーヌには刺激が強すぎた。
「な、なんでもない……っ! セラが……セラが急にそんな顔をするから……っ!」
「私の顔、ですか……?」
不思議そうに首を傾げるセレフィアの手を、リリアーヌは赤くなった顔を伏せたまま、ギュッと力任せに握りしめた。
胸元で揺れる、大好きな人のタイ。
そして、大好きな人の胸元で揺れる、自分たちの絆の証。
周りの生徒たちの視線が集まり始める校門の前で、高鳴る胸の鼓動をどうにか鎮めようと必死になりながらも、リリアーヌはこれ以上ない幸福な熱に身を包まれ、二人きりの新しい朝の道を一歩踏み出すのだった。
木漏れ日が石畳の上に柔らかい斑影を描き、爽やかな風が朝の髪を優しく揺らしている。
手と手が触れ合いそうなほど近い距離で歩みを進める心地よさに、リリアーヌは未だ夢の中にいるような胸の高鳴りを覚えていた。
昨夜誓い合った言葉と、今朝贈られた「リリア」という特別な愛称。そのすべてが、彼女の心に甘い熱を残したままであった。
校門が視界に入り、他の生徒たちの姿がちらほらと見え始めた、まさにその時だった。
「──そうでした」
歩みを止めたセレフィアが、何かに気づいたように小さく呟いた。
「セラ……? どうしたの?」
リリアーヌが足を止め、不思議そうに振り返ると、セレフィアは躊躇うことなく自身の胸元へと細い指先を伸ばした。
そして、寸分の狂いもなく結ばれていた白ブレザーの衿元のタイを、迷いのない手つきですルスルと解き始めたのだ。
「え……っ、セラ!?」
あまりに突然の行動に、リリアーヌは驚きで目を見張った。
聖リリウム女学院において、制服の着用義務は極めて厳格であり、ことに登校時にタイを外すなどということは、生徒会長である彼女自身がもっとも固く禁じている規律違反のはずだった。
「な、何をしてるの? こんな校門の前でタイを外すなんて……誰かに見られたら――」
動転して周囲を気にするリリアーヌに対し、セレフィアはほどいたばかりの滑らかな布地を愛おしそうに手の中で整えると、いつもの静かで誠実な眼差しを向けてきた。
「大丈夫ですよ、リリア。これには、きちんとした理由があるのです」
「理由……?」
「ええ。あなたもご存じかもしれませんが……この学院には、古くから生徒たちの間で受け継がれてきた、一つの暗黙のルールが存在します」
セレフィアの低く澄んだ声が、朝の静寂に優しく響く。
「【特別な関係となった者同士は、互いのタイを交換すること】──言葉にせずとも、己の愛着と誓いを身に纏うための、密やかな伝統です」
「……タイの……交換……?」
リリアーヌは呆気にとられてその言葉を反復した。
確かに、上級生や同級生たちの間で、本来の学年色とは異なるリボンやタイを身につけている二人組みを時折見かけることがあった。
当事者同士の密やかな印として噂には聞いていたものの、まさかあの規律と厳格さを体現したような生徒会長の口から、そのようなロマンチックな噂話が飛び出すとは思ってもみなかったのだ。
「どうぞ」
セレフィアは、自身の温もりが微かに残る純白のタイを折り畳み、両手で恭しくリリアーヌの前へと差し出した。
「セ、セラ……私、どうしたら……」
差し出されたタイを見つめ、リリアーヌはすっかり困惑してしまった。
受け取るべきなのは分かっている。
けれど、お嬢様として育ち、普段は胸元に結ぶリボンしか身につけたことのない彼女にとって、ネクタイを美しく結ぶ技術など持ち合わせているはずもなかったのだ。
自分の不甲斐なさに頬を染め、ためらうリリアーヌの様子を察したのか、セレフィアは柔らかく目を細めた。
「ふふ……結び方が分からないのですね? 構いませんよ。私が結びましょう」
そう言うと、セレフィアはリリアーヌの前へ一歩歩み寄った。
「少し、屈んでいただけますか?」
「あ……はい……」
言われるがままにリリアーヌが微かに身体を折り曲げると、セレフィアの指先がリリアーヌの胸元へと伸びた。
洗練された洗剤の香りと、彼女自身の心地よい体温が至近距離から押し寄せてくる。
リリアーヌは心臓が跳ね上がるのを感じながら、思わず息を止めた。
セレフィアの手つきはどこまでも丁寧で、迷いがなかった。
リリアーヌの胸元を飾っていた可愛らしいリボンの結び目をそっと解き、それを大事そうに自らのポケットへと収める。
そして、代わりに先ほど外したばかりの自身のタイを、リリアーヌの衿元へと滑り込ませた。
指先が時折、リリアーヌの鎖骨や首筋の肌にかすかに触れる。
そのたびに、リリアーヌの全身に電流のような甘い痺れが走り、足元が崩れそうになるのを必死で耐えねばならなかった。
自分をじっと見つめる紫色の瞳、整った鼻筋、息がかかるほどの距離。
(近……近すぎるわ……っ)
呼吸すら自由にできず、ただセレフィアのなすがままになっている間、セレフィアの指先は滑らかに動いていた。
やがて、完璧な形に結び上げられたタイの端をそっと撫で下ろすと、セレフィアは満足そうに微笑んだ。
「綺麗に結べましたね。とてもよくお似合いです、リリア」
「あ……ありがとう……セラ……」
言葉を搾り出すのが精一杯のリリアーヌの前で、今度はセレフィアが自らの衿元へ手を伸ばした。
ポケットから取り出したのは、先ほどリリアーヌから外したばかりの小さなリボンだった。
セレフィアは自身の胸元にそのリボンをあてがい、手慣れた動作で手早く結び目を作っていく。
いつもは隙なく仕立てられた生徒会長の制服。その胸元に、リリアーヌのものだった可憐なリボンが、確かな主張をもって収まっていた。
白ブレザーの威厳と、可愛らしいリボンのアンバランスさ。
しかし、それこそが二人が交わした言葉なき誓いの証明そのものだった。
「これで、いいですね」
すべての工程を終え、胸元のリボンを愛おしそうに指先で撫でながら、セレフィアはふっと咲くような笑みを浮かべた。
朝の太陽の光を浴びて輝く、心底満足そうな、そしてどこまでも深く柔らかなその笑顔。
自分だけの特別な存在となった「王子様」が魅せた、息を呑むほどに美しい表情と、胸元で自分の体温を主張する彼女のタイの重み。
それらを同時に突きつけられたリリアーヌの耐性など、とうに限界を迎えていた。
「っ……~~~っ!」
カッと顔が熱くなり、耳の裏まで真っ赤に染め上がっていく。
あまりの気恥ずかしさと胸の爆発しそうな高鳴りに耐えかねて、リリアーヌは両手で真っ赤な顔を覆い、その場に屈み込みそうになった。
「リリア? どうしました? どこか苦しいのですか?」
心配そうに覗き込んでくるセレフィアの声すら、今のリリアーヌには刺激が強すぎた。
「な、なんでもない……っ! セラが……セラが急にそんな顔をするから……っ!」
「私の顔、ですか……?」
不思議そうに首を傾げるセレフィアの手を、リリアーヌは赤くなった顔を伏せたまま、ギュッと力任せに握りしめた。
胸元で揺れる、大好きな人のタイ。
そして、大好きな人の胸元で揺れる、自分たちの絆の証。
周りの生徒たちの視線が集まり始める校門の前で、高鳴る胸の鼓動をどうにか鎮めようと必死になりながらも、リリアーヌはこれ以上ない幸福な熱に身を包まれ、二人きりの新しい朝の道を一歩踏み出すのだった。