孤高の王子様に、ただひとつの特別を
冬の訪れを感じさせる冷澄な光が、薄いカーテンの隙間から差し込み、静かな室内に緩やかな木漏れ日を描いていた。
聖リリウム女学院の生徒寮。
その一室に、静寂と温もりが柔らかく溶け合っている。
ふんわりとした掛け布団の感触に包まれながら、リリアーヌはゆっくりと瞼を開いた。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井の模様と、朝の澄んだ空気だった。
まだ意識の輪郭はどこかぼんやりとしており、まどろみの温もりが全身を包み込んでいる。
(……あ、朝……?)
小さな欠伸を噛み殺しながら、リリアーヌは枕の上で微かに首を傾げた。
部屋の中には、すでに人の気配があった。
少し離れた自習用デスクの前に、隙のない背筋の伸びたシルエットが腰掛けている。
朝日を背に受け、澄んだ白ブレザーを纏ったセレフィアだった。
彼女はすでに身支度を完全に整え、静かに書類に目を通していた。
朝の光に照らされた銀色の髪が、一筋の乱れもなく美しく輝いている。
その凛とした佇まいを目にした瞬間、リリアーヌの脳裏に、昨夜の出来事が鮮烈な濁流となって押し寄せてきた。
夜の裏庭。
枯れ葉の舞う暗闇の中で流した、無数の涙。
自分を抱きしめてくれた、セレフィアの腕の強い力と温もり。
そして、耳元で静かに注ぎ込まれた、真摯でまっすぐな誓いの言葉。
『どうか……私の「特別」になってはいただけないでしょうか』
(……っ!?)
ぼんやりとしていたリリアーヌの意識が、一瞬で覚醒した。
昨夜、自分たちは誓い合ったのだ。
上級生からの嫌がらせや、他者からの告白、互いの無自覚や怯えによって擦れ違い続けてきた二人が、ついに引き返せない一線を越え、正式に「恋人同士」になったのだという事実。
(私……セラと……本当に、特別な関係になれたんだ……)
胸の奥がキュッと締め付けられるように鳴り響く。
思考がその事実に追いついた途端、熱い血が全身を駆け巡り、頬が一気に沸騰したかのように赤く染まった。
両手で必死に顔を覆うが、指の隙間から漏れ出る自分の熱い息と、激しい心臓の鼓動を抑え込むことなどできなかった。
夢ではなかった。幻でもなかった。
あんなにも遠く、雲の上の存在だと思っていた「完璧な王子様」が、今や自分だけの特別な存在になり、自分もまた、彼女の唯一の存在として認められたのだ。
あまりの気恥ずかしさと甘い幸福感に、リリアーヌは布団の中で身を小さく丸め、叫び出したいような衝動に駆られていた。
昨夜は感極まって胸に飛び込んでしまったけれど、今こうして朝の光の中で改めて顔を合わせるとなると、どのような顔をすればいいのか全く分からない。
その時である。
衣擦れの静かな音が響き、デスクの方から足音が近づいてきた。
「……目を覚ましましたか」
リリアーヌのベッドの脇で、足音が止まった。
慌てて顔から手を離し、恐る恐る掛け布団の端から覗き込むと、そこには上から自分を見下ろすセレフィアの姿があった。
その紫色の瞳には、かつての氷のような冷たさは微塵もなく、深々とした温もりと、どこか気恥ずかしそうな柔らかさが宿っている。
セレフィアはベッドの縁に優しく腰を下ろすと、少しだけ身体を傾け、至近距離でリリアーヌの真っ赤な顔を覗き込んだ。
「おはようございます、リリア」
「……っ!?」
耳を疑うような言葉が、あまりにも低く、澄んだ声でリリアーヌの鼓膜を揺らした。
「り……リリア……!?」
リリアーヌは目を見開き、素狂したように声を裏返らせた。
赤くなっていた顔が、さらに沸騰したかのように耳の果てまで朱に染まっていく。
これまでセレフィアは、誰に対しても礼儀正しく「リリアーヌ」とフルネームで呼んでいた。どれほど親しくなろうと、どのような危機を共に乗り越えようと、その一線だけは揺らいだことがなかったのだ。
それなのに、今、目の前の彼女は、あまりにも自然に、あまりにも愛おしそうに、聞いたこともない愛称を口にしたのだった。
「せ、セラ……? 今、なんて……!?」
パニックになり、ベッドの上で思わず身を引こうとするリリアーヌ。
けれど、セレフィアはその動転した様子すら慈しむように、ふっと口元を柔らかく緩めた。
「『リリア』と呼びましたが……不快でしたでしょうか」
「ふ、不快だなんてそんなことない! ううん、嬉しい……すごく嬉しいけれど、でも……どうして急に、そんな呼び方を……!」
胸元を押さえ、息を荒くしながら問いかけるリリアーヌに対し、セレフィアは微かに首を傾げ、悪戯っぽさと真摯さが混ざり合ったような、息を呑むほどに美しい微笑みを浮かべた。
「あなたが、私を『セラ』と呼んでくださっていたからです」
「え……?」
「あなたが私のことを特別な親愛を込めてそう呼んでくださっていたように……私も、あなたを呼ぶための私だけの言葉が欲しかったのです」
セレフィアの紫色の瞳が、まっすぐにリリアーヌを捉えて離さない。
「私たちはもう、特別な関係になったのでしょう? であれば……私だけが、あなたを以前と同じように呼び続けるのは不自然だと思いました。何より……あなたを特別な愛称で呼ぶことが、私にとってこれ以上ない喜びに思えたのです」
一切の誤魔化しも、照れ隠しもない、真実のみが込められた言葉。
かつて完璧な仮面を被り、自分の感情すら押し殺していた少女が、今ではこうして自分の欲望や愛着を、まっすぐに言葉にして伝えてきてくれている。
その事実の甘さに、リリアーヌの心臓は再び破裂しそうなほどの高鳴りを上げ始めた。
「セラったら……本当に、そういうことを平気な顔して言うんだから……」
リリアーヌは赤くなった顔を誤魔化すように、両手で顔を覆いながら小さく呻いた。
けれど、指の隙間から覗く緑色の瞳には、溢れんばかりの幸福な光が宿っていた。
セレフィアはその愛らしい反応を見つめながら、そっと手を伸ばし、リリアーヌの頬を覆う小さな手を包み込むように握りしめた。
指先から伝わってくる、確かな体温。
「さあ、リリア。起きましょう。今日も食堂へ行き、温かいスープを一緒にいただくのでしょう?」
「そうね!」
差し出された手を取り、リリアーヌは満面の微笑みを浮かべて立ち上がった。
恋人同士として迎えた、初めての朝。
窓から差し込む光景は、昨日までと何一つ変わらないはずなのに、二人の世界は言葉にできないほどの温もりと熱を帯びて、新しく輝き始めていたのだった。
聖リリウム女学院の生徒寮。
その一室に、静寂と温もりが柔らかく溶け合っている。
ふんわりとした掛け布団の感触に包まれながら、リリアーヌはゆっくりと瞼を開いた。
視界に飛び込んできたのは、見慣れた天井の模様と、朝の澄んだ空気だった。
まだ意識の輪郭はどこかぼんやりとしており、まどろみの温もりが全身を包み込んでいる。
(……あ、朝……?)
小さな欠伸を噛み殺しながら、リリアーヌは枕の上で微かに首を傾げた。
部屋の中には、すでに人の気配があった。
少し離れた自習用デスクの前に、隙のない背筋の伸びたシルエットが腰掛けている。
朝日を背に受け、澄んだ白ブレザーを纏ったセレフィアだった。
彼女はすでに身支度を完全に整え、静かに書類に目を通していた。
朝の光に照らされた銀色の髪が、一筋の乱れもなく美しく輝いている。
その凛とした佇まいを目にした瞬間、リリアーヌの脳裏に、昨夜の出来事が鮮烈な濁流となって押し寄せてきた。
夜の裏庭。
枯れ葉の舞う暗闇の中で流した、無数の涙。
自分を抱きしめてくれた、セレフィアの腕の強い力と温もり。
そして、耳元で静かに注ぎ込まれた、真摯でまっすぐな誓いの言葉。
『どうか……私の「特別」になってはいただけないでしょうか』
(……っ!?)
ぼんやりとしていたリリアーヌの意識が、一瞬で覚醒した。
昨夜、自分たちは誓い合ったのだ。
上級生からの嫌がらせや、他者からの告白、互いの無自覚や怯えによって擦れ違い続けてきた二人が、ついに引き返せない一線を越え、正式に「恋人同士」になったのだという事実。
(私……セラと……本当に、特別な関係になれたんだ……)
胸の奥がキュッと締め付けられるように鳴り響く。
思考がその事実に追いついた途端、熱い血が全身を駆け巡り、頬が一気に沸騰したかのように赤く染まった。
両手で必死に顔を覆うが、指の隙間から漏れ出る自分の熱い息と、激しい心臓の鼓動を抑え込むことなどできなかった。
夢ではなかった。幻でもなかった。
あんなにも遠く、雲の上の存在だと思っていた「完璧な王子様」が、今や自分だけの特別な存在になり、自分もまた、彼女の唯一の存在として認められたのだ。
あまりの気恥ずかしさと甘い幸福感に、リリアーヌは布団の中で身を小さく丸め、叫び出したいような衝動に駆られていた。
昨夜は感極まって胸に飛び込んでしまったけれど、今こうして朝の光の中で改めて顔を合わせるとなると、どのような顔をすればいいのか全く分からない。
その時である。
衣擦れの静かな音が響き、デスクの方から足音が近づいてきた。
「……目を覚ましましたか」
リリアーヌのベッドの脇で、足音が止まった。
慌てて顔から手を離し、恐る恐る掛け布団の端から覗き込むと、そこには上から自分を見下ろすセレフィアの姿があった。
その紫色の瞳には、かつての氷のような冷たさは微塵もなく、深々とした温もりと、どこか気恥ずかしそうな柔らかさが宿っている。
セレフィアはベッドの縁に優しく腰を下ろすと、少しだけ身体を傾け、至近距離でリリアーヌの真っ赤な顔を覗き込んだ。
「おはようございます、リリア」
「……っ!?」
耳を疑うような言葉が、あまりにも低く、澄んだ声でリリアーヌの鼓膜を揺らした。
「り……リリア……!?」
リリアーヌは目を見開き、素狂したように声を裏返らせた。
赤くなっていた顔が、さらに沸騰したかのように耳の果てまで朱に染まっていく。
これまでセレフィアは、誰に対しても礼儀正しく「リリアーヌ」とフルネームで呼んでいた。どれほど親しくなろうと、どのような危機を共に乗り越えようと、その一線だけは揺らいだことがなかったのだ。
それなのに、今、目の前の彼女は、あまりにも自然に、あまりにも愛おしそうに、聞いたこともない愛称を口にしたのだった。
「せ、セラ……? 今、なんて……!?」
パニックになり、ベッドの上で思わず身を引こうとするリリアーヌ。
けれど、セレフィアはその動転した様子すら慈しむように、ふっと口元を柔らかく緩めた。
「『リリア』と呼びましたが……不快でしたでしょうか」
「ふ、不快だなんてそんなことない! ううん、嬉しい……すごく嬉しいけれど、でも……どうして急に、そんな呼び方を……!」
胸元を押さえ、息を荒くしながら問いかけるリリアーヌに対し、セレフィアは微かに首を傾げ、悪戯っぽさと真摯さが混ざり合ったような、息を呑むほどに美しい微笑みを浮かべた。
「あなたが、私を『セラ』と呼んでくださっていたからです」
「え……?」
「あなたが私のことを特別な親愛を込めてそう呼んでくださっていたように……私も、あなたを呼ぶための私だけの言葉が欲しかったのです」
セレフィアの紫色の瞳が、まっすぐにリリアーヌを捉えて離さない。
「私たちはもう、特別な関係になったのでしょう? であれば……私だけが、あなたを以前と同じように呼び続けるのは不自然だと思いました。何より……あなたを特別な愛称で呼ぶことが、私にとってこれ以上ない喜びに思えたのです」
一切の誤魔化しも、照れ隠しもない、真実のみが込められた言葉。
かつて完璧な仮面を被り、自分の感情すら押し殺していた少女が、今ではこうして自分の欲望や愛着を、まっすぐに言葉にして伝えてきてくれている。
その事実の甘さに、リリアーヌの心臓は再び破裂しそうなほどの高鳴りを上げ始めた。
「セラったら……本当に、そういうことを平気な顔して言うんだから……」
リリアーヌは赤くなった顔を誤魔化すように、両手で顔を覆いながら小さく呻いた。
けれど、指の隙間から覗く緑色の瞳には、溢れんばかりの幸福な光が宿っていた。
セレフィアはその愛らしい反応を見つめながら、そっと手を伸ばし、リリアーヌの頬を覆う小さな手を包み込むように握りしめた。
指先から伝わってくる、確かな体温。
「さあ、リリア。起きましょう。今日も食堂へ行き、温かいスープを一緒にいただくのでしょう?」
「そうね!」
差し出された手を取り、リリアーヌは満面の微笑みを浮かべて立ち上がった。
恋人同士として迎えた、初めての朝。
窓から差し込む光景は、昨日までと何一つ変わらないはずなのに、二人の世界は言葉にできないほどの温もりと熱を帯びて、新しく輝き始めていたのだった。