孤高の王子様に、ただひとつの特別を
夜の闇がしんと静まり返る裏庭で、枯れ葉を踏みしめる音が小さく響いた。
暗がりから姿を現したのは、目元を真っ赤に腫らし、肩を激しく上下させながら泣きじゃくるリリアーヌだった。
溢れ出る涙を何度も手背で拭おうとしては、また次から次へと溢れ落ちる雫が、その白い頬を濡らしていく。
「リリアーヌ……!?」
まさかこんな場所に彼女がいるとは夢にも思っていなかったセレフィアは、紫色の瞳を大きく見開き、思わず息を呑んだ。
寮内どころか校舎を探しまわっても見つからなかった彼女が、なぜこの静まり返った裏庭に、しかもこれほどまでに深く傷ついた様子で立ち尽くしているのか。
「こんな夜遅くに、一体どうして……。それに、なぜ泣いているのですか?」
動惑を隠せぬまま、セレフィアは一歩、また一歩とリリアーヌへ駆け寄った。
その手を伸ばそうとした瞬間、セレフィアの脳裏にひとつの怖気が走る。
今しがた自分が行っていた下級生とのやり取り。
そして、去っていった少女の姿。
「……リリアーヌ。あなたは……どこから、見ていたのですか?」
固く結ばれたセレフィアの問いかけに、リリアーヌはしゃくりあげながら、途切れ途切れの声で答えた。
「ぜんぶ……ぜんぶ、見てた……っ! あの日……あの子がセラに手紙を渡して……告白していた時から、ずっと……!」
「──っ」
セレフィアの身体が、氷で貫かれたように硬直した。
「セラが夜中に手紙を開いて……すごく悩んでいる声も、ずっと聞いてた……! 私、起きてたの……眠ったふりをして、セラが悩む声を聞いてたの……っ!」
溢れ出す感情を抑えきれず、リリアーヌは胸元をぎゅっと掴みしめた。
言葉になるたび、込み上げる涙がその声を震わせる。
「セラがどこか遠くへ行っちゃうかもしれないって……あの子の気持ちに応えて、私だけのセラじゃなくなっちゃうかもって……! 怖くて、悲しくて……私、どうしたらいいのか分からなくて……っ!」
しぼり出されるような叫び。
その言葉の一つ一つが、鋭い刃となってセレフィアの胸の奥深くに突き刺さった。
(……ああ、私は……なんてことを……)
セレフィアは目眩に似た強い衝撃を覚え、その場に叩きつけられたような錯覚に陥った。
この数日間、彼女が経験していたあまりにも甘く、けれど残酷な苦痛。
顔を真っ赤にして赤面していたのも、体調不良などではなく、自分に向ける胸の高鳴りによるものだった。
夜中に掛け布団の中で身を小さく丸めていたのも、単に眠っているのではなく、自分の軽率な逡巡に怯え、声を殺して泣いていたからなのだ。
自分の無知と無自覚。
そして「人を好きになる感情が分からない」という青臭い迷いによって、自分は何よりも大切にしたいはずの少女を、どれほど深く傷つけ、追い詰めてしまっていたのだろうか。
「……すまなかった、リリアーヌ」
セレフィアの声は微かに震えていた。
いつもの冷静沈着な「完璧な生徒会長」の面影はそこにはなかった。
ただの一人の不器用な人間として、彼女は自分自身の愚かしさを激しく悔いていた。
「私は……自分の感情にあまりにも疎く、自分が何を恐れているのかすら理解していませんでした。その無知ゆえに、あなたにどれほどの恐怖と悲しみを与えてしまったか……弁明の余地もありません」
セレフィアは一歩踏み込み、自らの意思で膝を折った。
リリアーヌの目線と同じ高さになるまで視線を下げ、溢れる涙で霞む彼女の緑色の瞳を、正面からまっすぐに見つめた。
夜風が二人の間を吹き抜ける。けれど、そこにあった冷たさはもう消え去っていた。
「白薔薇のアルヴィーノさんとルミさんのもとへ赴き……話をしてきました。そして、ようやく理解したのです」
セレフィアは、自身の胸の中心にしっかりと手を当てた。
そこには、これまで感じたことのない、熱く激しい鼓動が存在していた。
「私が真に恐れていたのは、誰かを傷つけることなどではなく……あなたを失うことでした。あなたという存在が私の傍らから消え、私を特別な眼差しで見つめてくれなくなることが……何よりも耐え難かったのです」
「セラ……」
「私は未だに、恋愛というものの正体を正しく言葉にすることはできません。ですが……私にとっての特別は、過去も、今も、そしてこれからも、あなた一人しか存在し得ない」
月明かりの下、セレフィアの紫色の瞳が、夜空のどの星よりも清らかに、強く輝いた。
「このような……不器用で、無知で、あなたを傷つけてばかりの私ですが……」
セレフィアはそっと、震えるリリアーヌの小さく温かな手を、両手で優しく包み込んだ。
伝わってくる熱と、かすかな振動。
「どうか……私の『特別』になってはいただけないでしょうか。……リリアーヌ」
絞り出された言葉は、飾り気のない、けれど何よりも純粋な誓いだった。
その言葉が、夜の静寂に溶け込んだ瞬間――。
「う、あ……っ……ぁああああっ……!」
リリアーヌの瞳から、それまでとは比べものにならないほど大きな涙の粒がぶわっと溢れ出た。
感情の堤防が決壊し、歓喜と、安堵と、愛おしさが津波となって彼女の全身を駆け巡る。
言いたかった言葉、伝えやすかった思いが、涙とともに胸の中から溢れ出していく。
「なる……っ! なるに決まってるじゃない……っ! バカなセラ……っ! 私の特別も……セラだけなんだから……っ!」
叫ぶような答えとともに、リリアーヌは感情の赴くまま、力いっぱいセレフィアの胸へと飛び込んだ。
衝撃でわずかに体制を崩しながらも、セレフィアはその小さな身体を、折れてしまうのではないかと思うほどの強い力でしっかりと抱きとめた。
「リリアーヌ……」
「ずっと……ずっと怖かったんだから……っ! セラの『一番』になれなかったらどうしようって……もう、死んじゃいそうだったんだからぁ……っ!」
セレフィアの白ブレザーにしがみつき、胸元に顔を埋めて子供のように泣き叫ぶリリアーヌ。その髪に、背中に、セレフィアは自らの手を回し、優しく撫で上げた。
伝わってくる体温が、お互いの胸の奥の冷たさを、ゆっくりと溶かしていく。
「申し訳ありませんでした……。もう、絶対にあなたを一人にはしません。どこへも行きません」
「ほんとう……? 約束……してくれる……?」
「ええ。生徒会長の名にかけて……いいえ、一人の人間としてのセレフィアの誇りにかけて、あなたに誓います」
セレフィアはぎゅっと腕の力を強め、リリアーヌの黄金色の髪にそっと唇を寄せた。
夜の裏庭には、秋の冷たい風が吹き抜けていた。
けれど、固く抱き合う二人の周りだけは、まるで春の陽だまりのような温かな熱に満たされていた。
遠回りをして、互いに傷つき、惑いながらも、二人はついに自分たちだけの「解」へと辿り着いたのだ。
涙が枯れるまで胸の中で泣きじゃくるリリアーヌと、彼女をただ優しく抱きしめ続けるセレフィア。
深く長い夜の闇の中で、ふたつの絆は、もう二度と解けることのない強い結び目となって、未来へと紡がれていくのだった。
暗がりから姿を現したのは、目元を真っ赤に腫らし、肩を激しく上下させながら泣きじゃくるリリアーヌだった。
溢れ出る涙を何度も手背で拭おうとしては、また次から次へと溢れ落ちる雫が、その白い頬を濡らしていく。
「リリアーヌ……!?」
まさかこんな場所に彼女がいるとは夢にも思っていなかったセレフィアは、紫色の瞳を大きく見開き、思わず息を呑んだ。
寮内どころか校舎を探しまわっても見つからなかった彼女が、なぜこの静まり返った裏庭に、しかもこれほどまでに深く傷ついた様子で立ち尽くしているのか。
「こんな夜遅くに、一体どうして……。それに、なぜ泣いているのですか?」
動惑を隠せぬまま、セレフィアは一歩、また一歩とリリアーヌへ駆け寄った。
その手を伸ばそうとした瞬間、セレフィアの脳裏にひとつの怖気が走る。
今しがた自分が行っていた下級生とのやり取り。
そして、去っていった少女の姿。
「……リリアーヌ。あなたは……どこから、見ていたのですか?」
固く結ばれたセレフィアの問いかけに、リリアーヌはしゃくりあげながら、途切れ途切れの声で答えた。
「ぜんぶ……ぜんぶ、見てた……っ! あの日……あの子がセラに手紙を渡して……告白していた時から、ずっと……!」
「──っ」
セレフィアの身体が、氷で貫かれたように硬直した。
「セラが夜中に手紙を開いて……すごく悩んでいる声も、ずっと聞いてた……! 私、起きてたの……眠ったふりをして、セラが悩む声を聞いてたの……っ!」
溢れ出す感情を抑えきれず、リリアーヌは胸元をぎゅっと掴みしめた。
言葉になるたび、込み上げる涙がその声を震わせる。
「セラがどこか遠くへ行っちゃうかもしれないって……あの子の気持ちに応えて、私だけのセラじゃなくなっちゃうかもって……! 怖くて、悲しくて……私、どうしたらいいのか分からなくて……っ!」
しぼり出されるような叫び。
その言葉の一つ一つが、鋭い刃となってセレフィアの胸の奥深くに突き刺さった。
(……ああ、私は……なんてことを……)
セレフィアは目眩に似た強い衝撃を覚え、その場に叩きつけられたような錯覚に陥った。
この数日間、彼女が経験していたあまりにも甘く、けれど残酷な苦痛。
顔を真っ赤にして赤面していたのも、体調不良などではなく、自分に向ける胸の高鳴りによるものだった。
夜中に掛け布団の中で身を小さく丸めていたのも、単に眠っているのではなく、自分の軽率な逡巡に怯え、声を殺して泣いていたからなのだ。
自分の無知と無自覚。
そして「人を好きになる感情が分からない」という青臭い迷いによって、自分は何よりも大切にしたいはずの少女を、どれほど深く傷つけ、追い詰めてしまっていたのだろうか。
「……すまなかった、リリアーヌ」
セレフィアの声は微かに震えていた。
いつもの冷静沈着な「完璧な生徒会長」の面影はそこにはなかった。
ただの一人の不器用な人間として、彼女は自分自身の愚かしさを激しく悔いていた。
「私は……自分の感情にあまりにも疎く、自分が何を恐れているのかすら理解していませんでした。その無知ゆえに、あなたにどれほどの恐怖と悲しみを与えてしまったか……弁明の余地もありません」
セレフィアは一歩踏み込み、自らの意思で膝を折った。
リリアーヌの目線と同じ高さになるまで視線を下げ、溢れる涙で霞む彼女の緑色の瞳を、正面からまっすぐに見つめた。
夜風が二人の間を吹き抜ける。けれど、そこにあった冷たさはもう消え去っていた。
「白薔薇のアルヴィーノさんとルミさんのもとへ赴き……話をしてきました。そして、ようやく理解したのです」
セレフィアは、自身の胸の中心にしっかりと手を当てた。
そこには、これまで感じたことのない、熱く激しい鼓動が存在していた。
「私が真に恐れていたのは、誰かを傷つけることなどではなく……あなたを失うことでした。あなたという存在が私の傍らから消え、私を特別な眼差しで見つめてくれなくなることが……何よりも耐え難かったのです」
「セラ……」
「私は未だに、恋愛というものの正体を正しく言葉にすることはできません。ですが……私にとっての特別は、過去も、今も、そしてこれからも、あなた一人しか存在し得ない」
月明かりの下、セレフィアの紫色の瞳が、夜空のどの星よりも清らかに、強く輝いた。
「このような……不器用で、無知で、あなたを傷つけてばかりの私ですが……」
セレフィアはそっと、震えるリリアーヌの小さく温かな手を、両手で優しく包み込んだ。
伝わってくる熱と、かすかな振動。
「どうか……私の『特別』になってはいただけないでしょうか。……リリアーヌ」
絞り出された言葉は、飾り気のない、けれど何よりも純粋な誓いだった。
その言葉が、夜の静寂に溶け込んだ瞬間――。
「う、あ……っ……ぁああああっ……!」
リリアーヌの瞳から、それまでとは比べものにならないほど大きな涙の粒がぶわっと溢れ出た。
感情の堤防が決壊し、歓喜と、安堵と、愛おしさが津波となって彼女の全身を駆け巡る。
言いたかった言葉、伝えやすかった思いが、涙とともに胸の中から溢れ出していく。
「なる……っ! なるに決まってるじゃない……っ! バカなセラ……っ! 私の特別も……セラだけなんだから……っ!」
叫ぶような答えとともに、リリアーヌは感情の赴くまま、力いっぱいセレフィアの胸へと飛び込んだ。
衝撃でわずかに体制を崩しながらも、セレフィアはその小さな身体を、折れてしまうのではないかと思うほどの強い力でしっかりと抱きとめた。
「リリアーヌ……」
「ずっと……ずっと怖かったんだから……っ! セラの『一番』になれなかったらどうしようって……もう、死んじゃいそうだったんだからぁ……っ!」
セレフィアの白ブレザーにしがみつき、胸元に顔を埋めて子供のように泣き叫ぶリリアーヌ。その髪に、背中に、セレフィアは自らの手を回し、優しく撫で上げた。
伝わってくる体温が、お互いの胸の奥の冷たさを、ゆっくりと溶かしていく。
「申し訳ありませんでした……。もう、絶対にあなたを一人にはしません。どこへも行きません」
「ほんとう……? 約束……してくれる……?」
「ええ。生徒会長の名にかけて……いいえ、一人の人間としてのセレフィアの誇りにかけて、あなたに誓います」
セレフィアはぎゅっと腕の力を強め、リリアーヌの黄金色の髪にそっと唇を寄せた。
夜の裏庭には、秋の冷たい風が吹き抜けていた。
けれど、固く抱き合う二人の周りだけは、まるで春の陽だまりのような温かな熱に満たされていた。
遠回りをして、互いに傷つき、惑いながらも、二人はついに自分たちだけの「解」へと辿り着いたのだ。
涙が枯れるまで胸の中で泣きじゃくるリリアーヌと、彼女をただ優しく抱きしめ続けるセレフィア。
深く長い夜の闇の中で、ふたつの絆は、もう二度と解けることのない強い結び目となって、未来へと紡がれていくのだった。