孤高の王子様に、ただひとつの特別を
白薔薇高等学校から戻った頃には、秋の日はすでにすっかり落ち、学園の敷地は深い群青色の闇に包まれていた。
白薔薇の生徒会室で自分の心と真摯に向き合い、己の中に眠る感情の正体を自覚したセレフィアは、逸る胸を抑えながら自室のドアノブに手をかけた。
まずは何よりも先に、あの金髪の少女の顔が見たかった。
彼女の温かな手を取り、自分がどれほど彼女を失うことを恐れていたか、不器用ながらも言葉にしたかったのだ。
けれど静かに開いたドアの向こうにあったのは、無人の部屋だった。
「……リリアーヌ?」
いつもならこの時間、机に向かって宿題をこなしているか、ベッドの上で寛ぎながら「お帰りなさい、セラ」と眩しい笑顔を向けてくれるはずだった。
けれど、室内には冷たい静寂が満ちており、彼女の気配はどこにもなかった。
デスクの上には、飲みかけの紅茶すら残されていない。
セレフィアの胸の奥で、小さな嫌な予感が蠢き始めた。
生徒会長としての冷静さを保とうと努めながら、まずは寮内を捜索した。
談話室、食堂、図書室、そして浴場。
どこを訪ねても、彼女の姿はない。
同級生たちに尋ねても、「放課後から見ていない」という返事が返ってくるばかりだった。
(……どこへ行ったのです、リリアーヌ……)
胸のザワつきは、瞬く間に鋭い焦燥へと姿を変えた。
セレフィアは白ブレザーの裾を揺らし、夜の冷気が立ち込める学園の校舎側へと足早に向かった。
薄暗い校舎の廊下、月明かりが差し込む昇降口。
彼女の名を呼びながら探しまわるが、返答はない。
心臓の鼓動が早くなり、手足の先から温もりが引いていくような感覚に襲われる。
失うことの恐怖が、現実味を帯びてセレフィアの全身を突き動かしていた。
──その頃。
夜の静寂が支配する校舎の裏庭に、一人の少女がうずくまっていた。
日中は紅葉が美しい木立も、夜の闇の中では黒々とした影となって背景に溶け込んでいる。
冷たい秋風が吹き抜けるたび、枯れ葉が舞い上がり、カサカサと乾いた音を立てていた。
木々の根元で身を小さく丸め、膝に顔をうずめていたのは、リリアーヌだった。
「ひぐっ……、ううっ……」
ひくひくと肩を震わせ、漏れ出る嗚咽を必死に抑え込もうと、リリアーヌは自らの腕を強く噛み締めていた。
夕方、セレフィアが自室にも生徒会室にもおらず、さらには学園の敷地外へ出て行ったと聞いた時、リリアーヌの中で糸がプツリと切れてしまったのだった。
自分を置いて、どこかへ行ってしまった。
いつもなら必ず行き先を告げてくれる彼女が、黙ってどこかへ行ってしまった。
それは、あの桃色の手紙に応えるためなのではないか。
あの日、裏庭で告白をしてきたあの可憐な下級生のもとへ行き、二人の時間を過ごしているのではないか。
一度生じた絶望的な勘違いは、泥のようにリリアーヌの心を塗りつぶしていった。
自分が「眠ったふり」をして拒絶したから、自分の浅ましい独占欲を隠していたから、セレフィアは呆れて自分を見捨てたのだと思い込んでしまったのだ。
「セラ……セラぁ……っ」
いくら涙を拭っても、溢れ出る雫は止まらなかった。冷たい夜の空気の中で、溢れ落ちる涙だけが哀しいほど熱かった。
その時である。
ザッ、ザッと、枯れ葉を踏みしめる靴音が遠くから近づいてきた。
「……っ!?」
リリアーヌはハッと息を呑み、慌てて涙を拭うと、近くにある大きな幹の陰へと深く身を滑り込ませた。
息を殺し、必死に胸の上下を抑え込む。
夜の裏庭に現れたのは、息を微かに乱したセレフィアだった。
月明かりの下、長い髪を揺らし、必死な眼差しで周囲を見渡している。
その佇まいを目にした瞬間、リリアーヌの胸が激しく跳ね上がった。
(セラ……? どうして、ここに……私を探して……?)
喜びと困惑が混ざり合い、隠れていた木陰から飛び出そうとした、その時だった。
「──セレフィア様?」
闇の奥から、可憐で透き通った声が響いた。
樹木の影から現れたのは、あの桃色の手紙を渡した下級生の女子生徒だった。
彼女もまた、告白の返事を待ちきれず、思い出の場所であるこの裏庭を訪れていたのだろう。
不意に現れたセレフィアの姿を目にし、下級生の少女は高鳴る胸を抑えるように両手を胸の前でギュッと握りしめた。
その瞳には、夜の闇の中でもはっきりと分かるほど、切実で眩い期待の光が宿っていた。
「……セレフィア様、あの……」
少女の頬が赤く染まり、上気した息が白く揺れる。
木陰でその光景を目撃したリリアーヌは、絶望に全身が凍りつくのを感じた。
飛び出しかけた足が、そのまま地面に縫い付けられたように動かなくなる。
やはり、セレフィアはこの子と会うためにここにいたのだと、誤解がさらに深く刻み込まれていく。
しかし──。
立ち尽くす下級生に対し、セレフィアは静かに一歩を踏み出した。
その表情には、かつてのような思考の混迷も、答えを濁すような躊躇いもなかった。
夜風に揺れる紫色の瞳は、どこまでも澄み渡り、まっすぐな光を宿していた。
「ちょうどよかった」
セレフィアの低く澄んだ声が、夜の静寂に響く。
「あなたを探そうと思っていたところです。……先日いただいた手紙のお返事を、直接お伝えしたかったのです」
少女は息を呑み、耳を傾けた。
木陰のリリアーヌもまた、心臓が破裂しそうなほどの激痛に耐えながら、彼女の言葉を待っていた。
セレフィアは直立し、下級生の少女の瞳を逃げることなく、まっすぐに見つめ返した。
「まずは、感謝を述べさせてください。あなたのような方が、私という人間に対してそれほど真摯で、温かな思いを寄せてくださったこと。……恋愛というものをよく知らぬ未熟な私に対し、『好きだ』と言ってくださったこと。本当に、嬉しかったです」
セレフィアの言葉には、一切の偽りも、上辺だけの気休めもなかった。
相手の真心に対し、最大の敬意を払う誠実な感謝。
下級生の少女の瞳に、ポロポロと涙が浮かび上がった。
だが、セレフィアはそこで言葉を切ると、微かに胸元を締め付けるような切なさを抱えながらも、毅然とした態度で言葉を続けた。
「……ですが、申し訳ありません。私は、あなたのお気持ちに応えることはできません。あなたと『特別なお付き合い』をすることはできないのです」
「……っ」
明確で、迷いのない拒絶の言葉。
下級生の少女の肩が小さく震え、涙が頬を伝って落ちた。
「……私では……ダメ、なのですか……? 私の思いでは……セレフィア様のお心に届きませんでしたか……?」
震える声で問いかける少女に対し、セレフィアは悲しげに、けれど確固たる意志を込めて首を横に振った。
「あなたの思いが至らなかったわけではありません。……問題は、私自身にあります。私にはすでに、他者に譲ることのできない、何よりも大切にしたい存在がいるのです」
「大切にしたい……存在……」
「ええ」
セレフィアの胸の奥に、あの温かな金髪の少女の笑顔が鮮明に浮かび上がっていた。
「その人の隣にいることだけが、私にとっての唯一の特別であり、その人を失うこと以上に恐ろしいことは私にはありません。だからこそ……あなたの真摯なお気持ちに、中途半端な姿勢でお応えすることはできないのです。……ごめんなさい」
深く、誠実に頭を下げるセレフィア。
その言葉と態度は、残酷な拒絶であると同時に、告白してくれた相手の尊厳を守るための、最大限の誠意だった。
下級生の少女は、溢れ出る涙を両手で拭いながら、大きく息を吸い込んだ。
失恋の痛みに胸を痛めながらも、目の前の「王子様」が自分に対して一切誤魔化すことなく、誠実に向き合ってくれたことに、静かな救いを感じているようだった。
「……はい。……真っ直ぐなお返事をくださって……ありがとうございました、セレフィア様」
少女は何度も頭を下げると、涙を拭いながら、夜の闇の中へ走り去っていった。
静寂を取り戻した裏庭。
一人残されたセレフィアは、大きく息を吐き出すと、夜空を見上げた。
その時、背後の木陰から、ポロポロと途切れ途切れに漏れ出る泣き声と、枯れ葉を踏む微かな音が聞こえた。
「……リリアーヌ?」
セレフィアが振り返ると、そこには目元を真っ赤にし、全身を震わせながら木陰から出てきた、リリアーヌの姿があった。
「リリアーヌ……! こんなところにいたのですか!」
安堵と焦燥が混ざり合った声を上げ、セレフィアは駆け寄ろうとした。
けれど、目の前の金髪の少女が流すあまりにも激しい涙に、その足が途中で止まる。
「……セラ……っ、私……私っ……」
手紙を断る言葉を、その理由を、すべて隠れて聞いていたリリアーヌ。
自分自身がセレフィアにとっての「何よりも大切な存在」であったという真実に、胸が溢れんばかりの感情で満たされ、言葉にならない叫びとなって涙とともに溢れ出していたのだった。
白薔薇の生徒会室で自分の心と真摯に向き合い、己の中に眠る感情の正体を自覚したセレフィアは、逸る胸を抑えながら自室のドアノブに手をかけた。
まずは何よりも先に、あの金髪の少女の顔が見たかった。
彼女の温かな手を取り、自分がどれほど彼女を失うことを恐れていたか、不器用ながらも言葉にしたかったのだ。
けれど静かに開いたドアの向こうにあったのは、無人の部屋だった。
「……リリアーヌ?」
いつもならこの時間、机に向かって宿題をこなしているか、ベッドの上で寛ぎながら「お帰りなさい、セラ」と眩しい笑顔を向けてくれるはずだった。
けれど、室内には冷たい静寂が満ちており、彼女の気配はどこにもなかった。
デスクの上には、飲みかけの紅茶すら残されていない。
セレフィアの胸の奥で、小さな嫌な予感が蠢き始めた。
生徒会長としての冷静さを保とうと努めながら、まずは寮内を捜索した。
談話室、食堂、図書室、そして浴場。
どこを訪ねても、彼女の姿はない。
同級生たちに尋ねても、「放課後から見ていない」という返事が返ってくるばかりだった。
(……どこへ行ったのです、リリアーヌ……)
胸のザワつきは、瞬く間に鋭い焦燥へと姿を変えた。
セレフィアは白ブレザーの裾を揺らし、夜の冷気が立ち込める学園の校舎側へと足早に向かった。
薄暗い校舎の廊下、月明かりが差し込む昇降口。
彼女の名を呼びながら探しまわるが、返答はない。
心臓の鼓動が早くなり、手足の先から温もりが引いていくような感覚に襲われる。
失うことの恐怖が、現実味を帯びてセレフィアの全身を突き動かしていた。
──その頃。
夜の静寂が支配する校舎の裏庭に、一人の少女がうずくまっていた。
日中は紅葉が美しい木立も、夜の闇の中では黒々とした影となって背景に溶け込んでいる。
冷たい秋風が吹き抜けるたび、枯れ葉が舞い上がり、カサカサと乾いた音を立てていた。
木々の根元で身を小さく丸め、膝に顔をうずめていたのは、リリアーヌだった。
「ひぐっ……、ううっ……」
ひくひくと肩を震わせ、漏れ出る嗚咽を必死に抑え込もうと、リリアーヌは自らの腕を強く噛み締めていた。
夕方、セレフィアが自室にも生徒会室にもおらず、さらには学園の敷地外へ出て行ったと聞いた時、リリアーヌの中で糸がプツリと切れてしまったのだった。
自分を置いて、どこかへ行ってしまった。
いつもなら必ず行き先を告げてくれる彼女が、黙ってどこかへ行ってしまった。
それは、あの桃色の手紙に応えるためなのではないか。
あの日、裏庭で告白をしてきたあの可憐な下級生のもとへ行き、二人の時間を過ごしているのではないか。
一度生じた絶望的な勘違いは、泥のようにリリアーヌの心を塗りつぶしていった。
自分が「眠ったふり」をして拒絶したから、自分の浅ましい独占欲を隠していたから、セレフィアは呆れて自分を見捨てたのだと思い込んでしまったのだ。
「セラ……セラぁ……っ」
いくら涙を拭っても、溢れ出る雫は止まらなかった。冷たい夜の空気の中で、溢れ落ちる涙だけが哀しいほど熱かった。
その時である。
ザッ、ザッと、枯れ葉を踏みしめる靴音が遠くから近づいてきた。
「……っ!?」
リリアーヌはハッと息を呑み、慌てて涙を拭うと、近くにある大きな幹の陰へと深く身を滑り込ませた。
息を殺し、必死に胸の上下を抑え込む。
夜の裏庭に現れたのは、息を微かに乱したセレフィアだった。
月明かりの下、長い髪を揺らし、必死な眼差しで周囲を見渡している。
その佇まいを目にした瞬間、リリアーヌの胸が激しく跳ね上がった。
(セラ……? どうして、ここに……私を探して……?)
喜びと困惑が混ざり合い、隠れていた木陰から飛び出そうとした、その時だった。
「──セレフィア様?」
闇の奥から、可憐で透き通った声が響いた。
樹木の影から現れたのは、あの桃色の手紙を渡した下級生の女子生徒だった。
彼女もまた、告白の返事を待ちきれず、思い出の場所であるこの裏庭を訪れていたのだろう。
不意に現れたセレフィアの姿を目にし、下級生の少女は高鳴る胸を抑えるように両手を胸の前でギュッと握りしめた。
その瞳には、夜の闇の中でもはっきりと分かるほど、切実で眩い期待の光が宿っていた。
「……セレフィア様、あの……」
少女の頬が赤く染まり、上気した息が白く揺れる。
木陰でその光景を目撃したリリアーヌは、絶望に全身が凍りつくのを感じた。
飛び出しかけた足が、そのまま地面に縫い付けられたように動かなくなる。
やはり、セレフィアはこの子と会うためにここにいたのだと、誤解がさらに深く刻み込まれていく。
しかし──。
立ち尽くす下級生に対し、セレフィアは静かに一歩を踏み出した。
その表情には、かつてのような思考の混迷も、答えを濁すような躊躇いもなかった。
夜風に揺れる紫色の瞳は、どこまでも澄み渡り、まっすぐな光を宿していた。
「ちょうどよかった」
セレフィアの低く澄んだ声が、夜の静寂に響く。
「あなたを探そうと思っていたところです。……先日いただいた手紙のお返事を、直接お伝えしたかったのです」
少女は息を呑み、耳を傾けた。
木陰のリリアーヌもまた、心臓が破裂しそうなほどの激痛に耐えながら、彼女の言葉を待っていた。
セレフィアは直立し、下級生の少女の瞳を逃げることなく、まっすぐに見つめ返した。
「まずは、感謝を述べさせてください。あなたのような方が、私という人間に対してそれほど真摯で、温かな思いを寄せてくださったこと。……恋愛というものをよく知らぬ未熟な私に対し、『好きだ』と言ってくださったこと。本当に、嬉しかったです」
セレフィアの言葉には、一切の偽りも、上辺だけの気休めもなかった。
相手の真心に対し、最大の敬意を払う誠実な感謝。
下級生の少女の瞳に、ポロポロと涙が浮かび上がった。
だが、セレフィアはそこで言葉を切ると、微かに胸元を締め付けるような切なさを抱えながらも、毅然とした態度で言葉を続けた。
「……ですが、申し訳ありません。私は、あなたのお気持ちに応えることはできません。あなたと『特別なお付き合い』をすることはできないのです」
「……っ」
明確で、迷いのない拒絶の言葉。
下級生の少女の肩が小さく震え、涙が頬を伝って落ちた。
「……私では……ダメ、なのですか……? 私の思いでは……セレフィア様のお心に届きませんでしたか……?」
震える声で問いかける少女に対し、セレフィアは悲しげに、けれど確固たる意志を込めて首を横に振った。
「あなたの思いが至らなかったわけではありません。……問題は、私自身にあります。私にはすでに、他者に譲ることのできない、何よりも大切にしたい存在がいるのです」
「大切にしたい……存在……」
「ええ」
セレフィアの胸の奥に、あの温かな金髪の少女の笑顔が鮮明に浮かび上がっていた。
「その人の隣にいることだけが、私にとっての唯一の特別であり、その人を失うこと以上に恐ろしいことは私にはありません。だからこそ……あなたの真摯なお気持ちに、中途半端な姿勢でお応えすることはできないのです。……ごめんなさい」
深く、誠実に頭を下げるセレフィア。
その言葉と態度は、残酷な拒絶であると同時に、告白してくれた相手の尊厳を守るための、最大限の誠意だった。
下級生の少女は、溢れ出る涙を両手で拭いながら、大きく息を吸い込んだ。
失恋の痛みに胸を痛めながらも、目の前の「王子様」が自分に対して一切誤魔化すことなく、誠実に向き合ってくれたことに、静かな救いを感じているようだった。
「……はい。……真っ直ぐなお返事をくださって……ありがとうございました、セレフィア様」
少女は何度も頭を下げると、涙を拭いながら、夜の闇の中へ走り去っていった。
静寂を取り戻した裏庭。
一人残されたセレフィアは、大きく息を吐き出すと、夜空を見上げた。
その時、背後の木陰から、ポロポロと途切れ途切れに漏れ出る泣き声と、枯れ葉を踏む微かな音が聞こえた。
「……リリアーヌ?」
セレフィアが振り返ると、そこには目元を真っ赤にし、全身を震わせながら木陰から出てきた、リリアーヌの姿があった。
「リリアーヌ……! こんなところにいたのですか!」
安堵と焦燥が混ざり合った声を上げ、セレフィアは駆け寄ろうとした。
けれど、目の前の金髪の少女が流すあまりにも激しい涙に、その足が途中で止まる。
「……セラ……っ、私……私っ……」
手紙を断る言葉を、その理由を、すべて隠れて聞いていたリリアーヌ。
自分自身がセレフィアにとっての「何よりも大切な存在」であったという真実に、胸が溢れんばかりの感情で満たされ、言葉にならない叫びとなって涙とともに溢れ出していたのだった。