孤高の王子様に、ただひとつの特別を

茜色の夕闇が、裏庭の木立を静かに包み込んでいた。
差し出された桃色の手紙と、目の前で緊張に肩を震わせている女子生徒。
その真剣な眼差しを正面から受け止めながら、セレフィアの思考は深く、出口のない暗闇へと落ち込んでいた。

「私と……特別なお付き合いを……」

頭の中で、相手の発した言葉が何度も反響する。
全寮制の女子修道学園というこの閉ざされた環境において、同性同士で特別な感情を抱き、恋人としての関係を結ぶ生徒たちが存在すること自体は、知識として理解していた。
生徒会長という立場上、そうした関係性の噂や、時には相談のようなものが耳に入ることも絶無ではなかったからだ。

しかし、その「特別な感情」が、他ならぬ自分自身に向けられるなどとは、一度たりとも考えたことがなかった。

(恋愛感情……か……)

セレフィアにとって、それはあまりにも未知で、解の定義すら曖昧な概念だった。

幼い頃から家柄や立場を重んじられ、「完璧な生徒会長」としての役割を完遂することだけを求められて生きてきた。
自身の感情を押し殺し、誰に対しても公平で冷徹な距離を保ち続けていた彼女にとって、他者に特別な恋情を抱くことも、抱かれることも、人生の計算式には組み込まれていない要素だったのだ。

目の前の少女は、偽りのない真摯な熱量をもって自分を見つめている。

無下に断ってしまえば、この繊細な少女の心を深く傷つけてしまうだろう。
生徒会長として、また一人の人間として、差し出された真心を踏みにじるような真似はしたくなかった。

かといって、この告白を受け入れることができるだろうか。
恋愛感情というものを理解していない自分が、生半可な気持ちで頷くことなど、それこそ相手に対する不誠実に他ならない。

(断れば彼女を傷つける。しかし、安易に受け入れれば……)

葛藤の泥濘に足を取られかける思考の中で、不意に、ひとつの感情が強烈に胸を突き上げてきた。

(受け入れれば……リリアーヌが、傷つく)

──なぜ?

セレフィアは、自身の胸の奥から湧き上がったその思考に、ハッと目を見張った。

なぜ、いま自分に告白をしてきている目の前の少女ではなく、ここにいないはずのリリアーヌの顔が真っ先に脳裏に浮かんだのか。
他者からの告白を受け入れるか否かという、自分自身の問題であるはずなのに、どうして「リリアーヌが傷つく」という結論に直結したのか。
自分を孤独の暗闇から引っ張り出し、無邪気な笑顔で手首を握りしめ、温かいスープを差し出してくれた金髪の少女。
彼女がもし、自分が誰か他の生徒と「特別なお付き合い」を始めたと知ったら、どんな表情をするだろうか。
あの太陽のような微笑みが消え、悲しそうに揺れる瞳を想像しただけで、セレフィアの胸の奥がキュッと締め付けられるように軋んだ。

(私は……なぜ、彼女が傷つくことをこれほどまでに恐れている……?)

答えの出ない自問自答が頭の中を駆け巡り、セレフィアは完全に言葉を失って立ち尽くしてしまった。
生徒会長として数々の難題を処理してきた彼女の明晰な頭脳が、生まれて初めて完璧に凍りついていた。

長い、重苦しい沈黙が裏庭を支配する。

静寂の中、返答を待ち続けていた女子生徒は、固まってしまったセレフィアの様子を見て、彼女がどれほど困惑し、苦しんでいるかを察したようだった。

「……あの、セレフィア様」

少女は申し訳なさそうに眉をひそめ、けれど意を決したように静かな声で言った。

「今すぐ、お返事をいただかなくても大丈夫です……! 突然こんなことを申し上げて、困らせてしまってごめんなさい。この手紙に、私の思いをすべて書きました。……読んでいただけるだけで、十分ですの」

少女は震える手で、桃色の封筒をセレフィアの手元へそっと押し頂くように握らせた。

「それでは……失礼いたします!」

少女は頭を深々と下げると、溢れ出しそうになる感情を抑えるようにして、踵を返して駆け去っていった。

取り残された裏庭。
夕暮れの冷たい風が、カサカサと枯れ葉を舞い上げる。
セレフィアは、手に残された桃色の手紙をただじっと見つめたまま、一筋の動像のように固まっていた。
指先に伝わる手紙の質感と、胸の奥で渦巻く名付けようのない感情。
自分がリリアーヌに対して抱いているものの正体が何なのか、彼女にはまだ分からずにいた。

一方、その頃。

「……っ!」

裏庭から校舎へ続く小径の途中、走ってくる足音に気づいたリリアーヌは、心臓が跳ね上がるのを感じた。
先ほど告白を終えたばかりの女子生徒が、涙目を拭いながらこちらへ向かってまっすぐに走ってくる。このままでは鉢合わせてしまう。
動転したリリアーヌは、咄嗟に近くにあった大きな太い幹の陰へと身を滑り込ませた。
息を殺し、背中を樹木に強く押し当てる。
足音が目の前を通り過ぎ、やがて遠ざかっていくのを聴きながら、リリアーヌは胸元をぎゅっと握りしめた。
涙が、瞳からポロポロと溢れ落ちて止まらなかった。
セレフィアが手紙を受け取ったのか、どんな返答をしたのか、最後の瞬間までは見届けることができなかった。
けれど、去っていく少女の必死な走り去る姿と、残された静寂が、リリアーヌの胸に凶器となって突き刺さっていた。

もし、セラが彼女の気持ちに応えてしまったら。
もし、明日からあの温かな食卓の隣に、自分ではない誰かが座るようになったら。

「嫌……嫌だよ、セラ……」

声にならない呟きが、秋の冷たい風に溶けていく。
自分の身勝手で幼い独占欲に自己嫌悪を抱きながらも、リリアーヌは止まらない涙と、破裂しそうなほどの激しい胸の痛みに耐えかね、樹木の陰で膝を折って丸まることしかできなかった。
裏庭で手紙を見つめたまま立ち尽くすセレフィアと、木の陰で声を殺して泣きじゃくるリリアーヌ。
二人の間に横たわる夕闇は、ただ静かに、けれど容赦なく深まっていくのだった。
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