孤高の王子様に、ただひとつの特別を

秋の深まりとともに、校庭の樹々は色鮮やかな装いを増し、聖リリウム女学院の敷地には澄み切った空気が満ちていた。
セレフィアを取り巻く環境は、かつてとは比べものにならないほど豊かで柔らかいものへと変化していた。
学園の「完璧な王子様」として遠くから崇め奉る生徒たちが依然として存在する一方で、リリアーヌとの光景に背中を押されるように、勇気を出して彼女に話しかける生徒たちも着実に増えていたのだった。
授業の合間の短い休み時間や放課後、廊下の各所でセレフィアが他の女子生徒たちと会話を交わす姿は、今や珍しいものではなくなっていた。

「セレフィア様、生徒会の広報誌、とても読みやすくて感動いたしました」
「ありがとうございます。広報担当の生徒たちが趣向を凝らしてくれたおかげです」
「セレフィアさん、次の合同委員会について少しご相談が……」
「ええ、資料を確認しましょう。こちらへどうぞ」

話しかけられれば、セレフィアは変わらず静かで誠実な対応を返す。
相手が崇拝の眼差しを向けてこようと、親しみを込めて頼ってこようと、彼女自身は特に区別することなく、公平で自然体な態度を保ち続けていた。
かつてのように周囲を遮断するような冷たさは消え、人間らしい温かみを帯びた彼女の存在は、ますます多くの生徒たちを惹きつけていく。
けれど、どれほど周囲との交流が増えようとも、一つだけ決して揺らぐことのない領域があった。

それは、食事の時間である。

朝の静かな寮の食堂でも、賑やかな昼休みの購買でも、セレフィアが席を並べるのは常にリリアーヌ一人だけだった。

どれほど他の生徒から「ご一緒にいかがですか」と誘われようと、セレフィアは迷うことなく「先約がありますので」と断り、リリアーヌの待つテーブルへと足を進めるのだった。

「セラ、今日のスープはカボチャのポタージュよ。冷めないうちに食べてね」
「ありがとう、リリアーヌ。……ふう、温かいですね」

二人だけで囲むテーブル。
そこには、他の誰にも入り込めない確かな温もりと時間が流れていた。

他の生徒たちと会話を交わすセレフィアを見ては、時に胸の奥を小さく刺していたあの熱い痛み。
けれど、どれほど周囲との関わりが増えても、食事の時間だけは自分を選び続けてくれる。
その事実が、リリアーヌにとってはかけがえのない救いであり、自分が彼女にとって「特別」であるという密かな確信となっていた。

そんな、穏やかで甘やかな日常が続いていた、ある放課後のことである。

図書室で借りた本の返却を終えたリリアーヌは、生徒会室へ向かうセレフィアと待ち合わせをするため、校舎の裏手に回る小径を歩いていた。
静かな風が落ち葉をさらさらと揺らし、茜色の夕光が古い校舎のレンガ壁を赤く染めている。

その時、手前の曲がり角の先から、控えめな話し声が聞こえてきた。

「……あの、セレフィア様。突然お呼び出ししてしまって、申し訳ありません」

(え……?)

足を止めかけたリリアーヌは、声の主に聞き覚えがないことに気づいた。
そこは古い木々に囲まれた裏庭へと続く場所で、普段は人通りがほとんどない静かな木陰だ。

「いいえ。急ぎの要件とお伺いしましたが、どのようなことでしょうか?」

聞こえてきたのは、紛れもないセレフィアの低く澄んだ声だった。
セレフィアは何の疑いも持たず、呼び出された指定の場所へ足を運んでいたのだ。
生徒会長として、あるいは一人の生徒として頼られたのだと思い、いつもの誠実さでその場に立っていた。
リリアーヌは、声をかけるべきか迷い、思わず身を隠すように古いレンガ壁の陰から覗き込んだ。
そこにいたのは、胸元に二年生の学年章をつけた一人の女子生徒と、彼女と対峙するセレフィアの姿だった。
夕暮れの木漏れ日の中で、その女子生徒は顔を真っ赤に染め、今にも震えだしそうな手で、小さく丁寧に折りたたまれた美しい桃色の封筒を差し出していた。

「私……ずっと、遠くからセレフィア様をお慕いしておりました。……王子様としてではなく、一人の尊いお方として、ずっと……!」

女子生徒の声は緊張で震えていたが、そこには偽りのない真っ直ぐな感情が込められていた。

「もし……もし叶うのであれば、私と……特別なお付き合いをしていただけないでしょうか!」

頭を深く下げ、差し出された綺麗な手紙。
それは、まごうことなき、切実な恋の告白であった。

「……っ!?」

夕闇が差し込む壁の陰で、リリアーヌは息を呑み、自身の口元を両手で強く押さえた。
心臓が跳ね上がり、血液が一気に冷えていくような錯覚に襲われる。
目の前で繰り広げられる光景。
これまでセレフィアに向けられていた「憧れ」や「崇拝」とは違う、一人の少女が一人の人間に向ける、純粋で明確な愛の告白。
セレフィアがみんなの「普通の人」になっていくことを、喜んでいたはずだった。
彼女が孤独から救われ、誰かと温かな関係を築いていくことを望んでいたはずだった。

それなのに──。

(嫌……っ)

胸の奥が、これまでにないほど激しく、狂おしいほどの痛みを上げて悲鳴を叩きつけた。
ちくりとした小さな寂しさなどという生温かいものではない。
大切なものを力任せに奪い去られるような、激しい恐怖と強い独占欲が、リリアーヌの全身を支配していく。

食事を一緒に食べること。
手を握り合って歩くこと。
自分だけに向けられていたあの温かな眼差しや、不器用な優しさ。

それらすべてが、自分だけの「特別」では無くなってしまうのかもしれないという現実が、凶器となって胸に突き刺さっていた。

一方、告白を受けたセレフィアは、差し出された桃色の手紙と、目の前で身を縮こまらせている少女を前にして、完全に言葉を失っていた。

「……私と、お付き合い……?」

セレフィアの紫色の瞳が、困惑と驚愕に大きく揺れていた。
生徒会としての相談や、日常の雑談、あるいは不健康を心配されるようなやり取りには慣れてきていたものの、「恋愛感情」を直接ぶつけられるという事態は、彼女の人生において想定外の極みであった。
相手の真剣な眼差しから発せられる熱量に対し、どう言葉を返すべきなのか、どのような態度を取ることが誠実なのか。
完璧であるはずの彼女の思考回路が、完全に凍りついていた。

「あの……セレフィア様……?」

少女が不安そうに顔を上げる。
そして、その光景を隠れて見つめるリリアーヌの手は、溢れそうになる涙と恐怖で激しく震えていた。
返答を迷うセレフィアの沈黙が、夕闇の裏庭にあまりにも重く、長く引き伸ばされていくのだった。
20/34ページ
スキ