孤高の王子様に、ただひとつの特別を

秋の深まりとともに、聖リリウム女学院の並木道は黄金色の銀杏の葉で彩られ、足元を踏みしめるたびに微かなカサカサという音が静かな敷地に響いていた。
あの日以来、リリアーヌの日常は常に高揚した熱を帯びていた。
原因はすべて、同室者であるセレフィアの存在にある。

朝、目を覚ませばドアの前で待っており、自然な動作で「おはよう」と微笑みかけてくる。
食堂へ向かう道中、何気なく差し出された手。
昼休みに教室へ迎えに来て、同級生たちの視線が集まる中で「一緒に過ごしたいのです」とまっすぐに告げてくる紫色の瞳。
セレフィア自身には、特別な意図や他意が一切ないことは分かっていた。
ただ上級生とのトラブルから守るため、そして一人の友人としての誠実な配慮なのだと。

けれど、理由がどうであれ、向けられる純粋でまっすぐな熱量は、リリアーヌの胸を容赦なく揺さぶり続けた。
不意に肩が触れ合う瞬間、指先が重なる感触、覗き込まれる至近距離の美しい横顔。
その一挙手一投足に、リリアーヌの心臓は破裂せんばかりに跳ね上がり、頬は沸騰したように熱くなった。

(どうして……どうしてセラは、あんなに平気な顔をして私を動揺させるの……?)

一人で抱え込むには、その感情はあまりにも大きすぎた。
四六時中、胸の奥が締め付けられるような甘い苦しみに苛まれ、リリアーヌの心身は限界に近づいていたのだ。

そんなある日の放課後。
リリアーヌは、図書室で頼まれた資料の整理を終え、重い足を前に進めながら校門の近くまで歩いてきていた。
秋の斜光が長く影を伸ばす正門の脇、大きなレンガ造りの門柱の木陰に、一人の姿があった。
腰まで届く水色の髪を風に揺らし、本来の制服の上にダボついた濃紺のカーディガンを羽織った少年、隣接する白薔薇高等学校のルミだった。
長すぎる袖口から指先だけを覗かせ、彼は手持ち無沙汰そうに正門の向こう側、女子生徒たちが行き交う校舎の方向を見つめていた。
いつもなら傍らにいるはずの、冷静で隙のない生徒会副会長・アルヴィーノの姿はない。

「……ルミさん?」

リリアーヌが思わず声をかけると、ルミはくるりと振り返り、青い瞳を丸くした。

「あ、リリアーヌちゃん! こんにちは!」

ルミはぶかぶかの袖を大きく振りながら、親しげな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

「アルヴィーノを待ってるの? アルヴィーノなら、今日は生徒会の合同会議があって、もうしばらくかかりそうって連絡があったよ。俺は外で待ってるからねって言ってきたんだ」
「そうなのですね……」

理由を聞いて納得しながらも、リリアーヌの表情はどこか重く、晴れないままであった。
ルミはふわりとした佇まいのまま、リリアーヌの顔をじっと覗き込んだ。

「ねえ、リリアーヌちゃん。なんだかすごく疲れてる顔してるよ? 体調、良くないの?」
「え……? あ、いいえ……体の具合が悪いわけでは、ないのですけれど……」

言い淀むリリアーヌ。
けれど、ルミの澄んだ青い瞳に見つめられていると、これまで一人で溜め込んできた胸の内の苦しさが、一気に限界を超えて溢れ出しそうになった。
誰かに聞いてほしかった。
この、破裂しそうな胸の高鳴りと、どうしようもない感情の行き場を。

「……ルミさん、私……私、もうダメかもしれません……」

リリアーヌの声が微かに震え、その緑色の瞳にうっすらと涙が浮かんだ。

「えっ……!? リリアーヌちゃん!?」
「もう……ずっとドキドキさせられっぱなしで、このままじゃ……私、心臓が持たなくて死んじゃうよぉ……!」

淑女としてのお上品さも、品格もすべて吹き飛び、リリアーヌは幼子のようにルミのぶかぶかの袖に縋り付くようにして泣きついた。
目の前の少年に見せるにはあまりにも情けない姿だったが、止まらない感情の波を抑えることができなかった。

「セラったら……ううん、セレフィアさんったら、毎日毎日、当然みたいに私と一緒にいて……手をつないできたり、距離がすごく近かったり、優しく顔を覗き込んできたりするの! 私、その度に顔が真っ赤になって、胸が苦しくて……!」

リリアーヌは涙を零しながら、溢れ出る思いを途切れ途切れに言葉にした。

「でもね……セラは何も分かってないの! 私を上級生から守るためとか、体調を心配してくれてるだけだから、すごく真剣で、すごく純粋な顔をしてるの! 他意なんてひとつもなくて、ただの親切でやってるんだよ……!?」

袖を握りしめるリリアーヌの手がぎゅっと強まる。

「それなのに、私一人だけが勝手にドキドキして、勝手に頭がおかしくなりそうになって……! セラは私の手を取っても、名前を呼んでくれても、ちっとも動揺なんてしてなくて……! そんなの、あまりにもずるいじゃない……! どうしたらいいのか分からなくて、本当に苦しいんだよぉ……!」

絞り出すようなリリアーヌの訴え。
一人で抱え込んでいた甘く切ない苦痛が、涙とともにぽろぽろと溢れ落ちていく。
そんなリリアーヌの必死な泣き顔を、ルミは驚いたように見つめていたが、やがてその青い瞳に優しく温かな光を宿し、ふわっと柔らかく微笑んだ。
ぶかぶかの袖の中から出された小さな手が、リリアーヌの肩を優しく撫でる。

「……そっかぁ。リリアーヌちゃん、すっごく大好きなんだね、セレフィアちゃんのこと」
「っ……!」

ルミのあまりにもまっすぐで、核心を突いた言葉に、リリアーヌは呼吸を詰まらせた。

「あのね、リリアーヌちゃん。この前、アルヴィーノと一緒に街でセレフィアちゃんに会ったんだよ」

ルミは落ち葉の舞う秋空を見上げながら、静かな声で語り始めた。

「セレフィアちゃんね、すっごく大真面目な顔で言ってたの。『リリアーヌを守るために一緒にいる』って。『あの子に負担をかけていないか心配なんだ』って。もう、本当に真面目で、不器用で、リリアーヌちゃんのことばっかり考えてたよ」
「セラが……私の……?」
「うん。セレフィアちゃんはね、今まで誰のことも自分のお部屋に入れなかったし、誰にも自分の弱いところを見せなかったんだよ。でもね、リリアーヌちゃんの前でだけは、ちゃんと一人の女の子なんだ。誰かのために一生懸命になれる、優しい女の子なんだよ」

ルミはリリアーヌの顔を優しく見つめ直し、袖口で彼女の目元に浮かんだ涙をそっと拭った。

「セレフィアちゃんが動揺してないように見えるのはね、きっと自分の気持ちに気づくのが、リリアーヌちゃんよりうーんと遅いからなんだと思う。あんなに不器用なんだもん。でもね、心臓が破裂しそうになるくらい誰かを好きになれるのって、すっごく素敵なことなんだよ?」

「ルミさん……」

「だからね、死んじゃいそうになっても大丈夫。リリアーヌちゃんのそのドキドキはね、ぜんぶセレフィアちゃんに届いてるから。セレフィアちゃんの冷たかった世界を、リリアーヌちゃんが温めてあげてるんだよ」

温かな、包み込むようなルミの言葉。
その優しさに触れ、リリアーヌの胸の中に渦巻いていた苦しさとパニックは、少しずつ穏やかな温もりへと変わっていった。

「……うん……ありがとう、ルミさん……」

リリアーヌが目元を拭い、小さく頷いたその時だった。

「──リリアーヌ?」

正門の向こう側の並木道から、聞き覚えのある澄んだ声が届いた。
白ブレザーを着こなし、書類の入った鞄を手にしたセレフィアが、長い脚でこちらへ向かって歩いてきていた。
その傍らには、会議を終えたばかりのアルヴィーノの姿もある。
セレフィアは、リリアーヌが涙を拭っている姿を目に留めると、その紫色の瞳に微かな驚きと懸念を走らせ、足早に駆け寄ってきた。

「リリアーヌ……? 泣いていたのですか? 一体どうしたのですか、何があったのですか?」

至近距離まで寄り添い、真剣な眼差しで顔を覗き込んでくるセレフィア。
その距離の近さと、心底自分を案じてくれる温かな声に、リリアーヌの心臓は再びトクトクと激しい鼓動を打ち始めた。

(……ああ、やっぱり……ダメだわ)

顔が再び熱くなり、胸の奥が甘く締め付けられる。
けれど、先ほどまでの絶望的な苦しさはもうなかった。
隣でルミが、ぶかぶかの袖を揺らしながら内緒だよと言わんばかりにニコリと笑っている。

「……なんでもないの、セラ」

リリアーヌは真っ赤になった顔を隠すように少し俯きながらも、自らセレフィアの白ブレザーの袖口をキュッと掴んだ。

「なんでもないから……早く、一緒に帰ろう?」
「……ええ、もちろんです。帰りましょう、リリアーヌ」

セレフィアは不思議そうに首を傾げながらも、掴まれた手を受け止めるように、優しくその手を握り返してきた。
伝わってくる柔らかな体温。
高鳴る胸の鼓動を隠しきれないまま、リリアーヌは自分をどこまでもまっすぐに見つめてくる「王子様」の隣に並び、夕暮れの赤絨毯のような並木道を一歩一歩踏みしめて歩き出すのだった。
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