孤高の王子様に、ただひとつの特別を

週末の光が柔らかく注ぎ込む街並みは、平日とは異なる緩やかな空気に包まれていた。
聖リリウム女学院の敷地を離れたセレフィアは、落ち着いた色合いの私服に身を包み、石畳の続く商業街を一人静かに歩いていた。
その目的は、自室のデスクの引き出しで底をつきかけていた「非常食」の補充であった。

リリアーヌによってシリアルバーやゼリー飲料のストックが大半没収され、毎日のように食堂へ連れ出されるようになって久しい。
けれど、生徒会長としての業務が不意に深夜へ及んだ際や、どうしても時間が取れない万が一の事態に備え、一定の備蓄を確保しておくことは、彼女の合理的な性格上譲れない部分であった。

(リリアーヌに見つかれば、また「非常食ではない」と頬を膨らませて怒られるかもしれませんが……)

脳裏に浮かぶ同室者の可愛らしい憤慨を思い返し、セレフィアは唇の端を微かに緩めた。

今日のリリアーヌは、先週末と同様に実家へ一時帰省している。
自ら料理を学び、より美味しいものを振る舞おうと意気込んで屋敷へ戻っていった彼女の姿を思い出しながら、セレフィアは専門の食品店へと足を運んだのだった。

買い物を無事に終え、手提げ袋を手に歩行者天国となっている広場を通り抜けた時のことである。

「――セレフィアさん?」

低く落ち着いた声が、人混みの隙間から届いた。
振り向くと、そこには見覚えのある二人の姿があった。
隣接する白薔薇高等学校の生徒会副会長であるアルヴィーノと、その傍らにぴったりと寄り添う少年、ルミだった。
アルヴィーノは休日に相応しい上質なジャケットをスマートに着こなし、その隣のルミは、相変わらずアルヴィーノの私物と思われる少し大きめの薄手の上着を羽織っていた。
長すぎる袖口から指先だけをのぞかせ、水色の髪を揺らしながら、ルミは親しげに手を振っている。

「やっぱりセレフィアちゃんだ! こんにちは!」
「こんにちは、アルヴィーノさん、ルミさん。お二人で買い物ですか?」
「ええ。休日の息抜きを兼ねて、街へ出ておりました。あなたが一人でこのような場所にいらっしゃるとは珍しいですね」

アルヴィーノは瞳を僅かに細め、セレフィアの手元にある手提げ袋へ視線を落とした。
手提げ袋の隙間から覗く箱のパッケージを目ざとく見留め、彼は静かに息を吐いた。

「……なるほど。またその固形栄養食の補充ですか。懲りませんね」
「これはあくまで非常用です。万が一の備えですよ」

淡々と答えるセレフィアに対し、ルミは興味深そうに首を傾げた。

「そういえば、リリアーヌちゃんは一緒じゃないの? いつも一緒にいるって聞いてたから、今日は二人でお買い物なのかなって思ってたんだけど」
「リリアーヌは本日、ご実家へ戻られています。料理の勉強をされるのだと……」

そこまで口にして、セレフィアはふと一息ついた。
目の前にいる二人は、以前寮室を訪れた際、自身の荒廃した食生活やリリアーヌとの関係性について率直な助言をくれた相手でもあった。
アルヴィーノの冷静で合理的な視点と、ルミの感覚的でありながら核心を突く言葉。
彼らであれば、ここ最近の自分たちの状況を正しく客観視してくれるかもしれない。

「ちょうど良い機会です。お二人に、最近の状況をご報告しておこうかと思います」
「報告、ですか?」

アルヴィーノが片眉を上げ、二人は広場の端にある静かなベンチへと場所を移した。
秋の爽やかな風が吹く中、セレフィアはここ数週間の出来事を、一つ一つ順を追って客観的に語り始めた。
旧校舎の談話室で起きた上級生たちとの歪んだ擦れ違いのこと。
リリアーヌが自分を庇い、己の思いを堂々と主張してくれたこと。
そして、その一件を受けて、リリアーヌが再び上級生から不当な排斥を受けないよう、自身が可能な限り彼女の傍に付き添うようにしたこと。

「朝食も昼食も、食堂で彼女と共に摂るようにしています。登下校も時間を合わせ、彼女が移動する際は極力同行するようにしました。生徒会室へ彼女を呼ぶことも増えましたね」

セレフィアは淡々と、事故やトラブルを未然に防ぐためのリスク管理として説明を続けた。

「彼女を守るため、そして生徒会長としての責務を果たすための当然の措置です。ですが……最近のリリアーヌは、どうも様子がおかしいのです」
「様子がおかしい……とは?」

アルヴィーノが静かに先を促す。

「ええ。急に顔を真っ赤にして伏せてしまったり、手を握ると驚いたように声を上げたりするのです。体調が悪いのかと尋ねても『なんでもない』と逃げられてしまいまして。……私の配慮に、どこか不足があるのでしょうか。彼女に負担をかけているのではないかと、少々懸念しているのです」

大真面目な顔で、どこまでも真剣に「防犯と管理の報告」として語るセレフィア。
その報告を最後まで静かに聞いていたルミは、ぶかぶかの袖口で口元を覆いながら、くすくすと嬉しそうに笑い始めた。

「そっかそっかぁ……。うん、セレフィアちゃんは本当にセレフィアちゃんだねぇ」
「ルミさん……?」
「あのね、セレフィアちゃん。リリアーヌちゃんが顔を真っ赤にしてるのはね、体調が悪いからじゃないと思うよ?」

ルミは青い瞳をきらきらと輝かせ、隣に座るアルヴィーノの腕にそっと自分の手を回した。

「だってさ、大好きな人が急にずっと一緒にいてくれて、朝も昼もご飯に誘ってくれて、どこに行くにも手をつないでくれたら……誰だってドキドキして、お顔が熱くなっちゃうよ。ね、アルヴィーノ?」

振られたアルヴィーノは、興味深そうに顎に手を当て、深く頷いた。

「なるほど……実に興味深い状況ですね。セレフィアさん、あなたはご自身の行動が相手にどのような心理的影響を与えているか、全く自覚されていないようだ」
「自覚……? 私はただ、彼女の安全を優先し、共に過ごす時間を確保しているだけですが」
「それがまさに『それ』ですよ」

アルヴィーノは静かな口調で眼鏡の位置を直した。

「あなたは上級生からの保護という合理的な名目を掲げていますが、結果として彼女に対して過剰なほどの執着と親密さを示している。元々あなたに対して強い憧れと特別な感情を抱いていた彼女にとって、その距離感の急接近がどれほどの過負荷となっているか……想像に難くありません」
「過負荷……。ですが、彼女は嫌がっている風ではありません」
「嫌がっていないからこそ、心臓が持ちそうにないのでしょうね」

アルヴィーノの言葉に、ルミがそっかと楽しそうに相槌を打つ。

「リリアーヌちゃん、すっごく可愛いねぇ。セレフィアちゃんが全然無自覚だから、一人でずーっとドキドキして、いっぱいいっぱいになっちゃってるんだよ。でもね、俺はその話を聞けてすごく嬉しいな。セレフィアちゃんが、誰かを守るために自分から一緒にいようとしてるなんて、前じゃ考えられなかったもん」

ルミの温かな言葉と、アルヴィーノの分析的な眼差し。二人の反応に、セレフィアは珍しく困惑したように紫色の瞳を泳がせた。

自分にとっては、ただ誠実に、当然の配慮として行っていた振る舞い。それがリリアーヌの心をそれほどまでに激しく揺さぶり、翻弄していたというのか。

「……では、私は彼女を護衛しているつもりで、逆に彼女を混乱させていたということでしょうか」

「混乱というよりは……そうですね、甘い拷問のようなものでしょう」

アルヴィーノはフッと微かに口元を緩めた。

「ですが、あなたが引き下がる必要はないと思いますよ。彼女があなたのために傷つきながらも料理を覚えたように、あなたもまた、彼女のために自らの時間を割いて傍にいる。その不器用な歩み寄りは、傍から見ていて決して不誠実なものではありませんから」
「うん! そのままでいいと思うよ、セレフィアちゃん!」

ルミはベンチから立ち上がり、ぶかぶかの袖を揺らしながら嬉しそうに胸を張った。

「帰ったらさ、またリリアーヌちゃんと一緒に温かいご飯を食べなよ。シリアルバーなんて、内緒で食べちゃダメだからね?」
「……善処します」

二人の言葉に、セレフィアは降参したように小さく息を吐いた。
自分の無自覚な行動が、あの金髪の少女の胸をどれほど高鳴らせていたのか。
その事実を思い返すと、冷徹であるはずの自分の胸の奥にも、微かな熱が伝播していくような心地がした。

「ありがとうございました、お二人とも。少し、考えを改める必要がありそうです」
「ええ。良いご報告を期待していますよ」

アルヴィーノとルミに別れを告げ、セレフィアは手提げ袋を握り直して再び歩き出した。
秋の陽光が揺れる街並みを歩きながら、セレフィアの頭の中を満たしていたのは、やはり実家から戻ってくるであろうあの少女の姿だった。
自分を案じ、自分を守るために怒り、そして自分の無自覚な距離感に顔を真っ赤にして赤面する、愛おしい同室者。

(今日帰ってきたら……まずは、この買い物のことを正直に話すとしましょう)

きっとまた「もう、セラったら!」と頬を膨らませて怒るだろう。
その光景を思い浮かべながら、セレフィアは静かに、けれど確かな温もりを宿した足取りで、二人の待つ寮室へと帰路につくのだった。
17/34ページ
スキ