孤高の王子様に、ただひとつの特別を

夕闇が迫る古い談話室の静寂を破り、足音もなく姿を現したセレフィア。
その突然の登場に、先ほどまで高圧的な態度をとっていた上級生たちは一瞬で息を呑み、言葉を失った。
第一ボタンまで寸分の狂いもなく留められた純白のブレザー、左腕で誇らしげに光る生徒会長の腕章。
夕暮れの淡い朱光に照らし出された彼女の佇まいは、まるで一幅の絵画のように神聖で、息を呑むほどに美しかった。

「せ、セレフィア様……!?」

三年生の生徒たちは、驚きに目を見開きながらも、同時にその圧倒的な凛々しさに思わず身を震わせた。
威圧感と神聖さが同居する彼女の存在感は、見る者を一瞬で平伏させる不思議な力を持っていた。恐れおののきながらも、その美しい横顔から視線を外すことすらできない。

一方、リリアーヌもまた、目を丸くしてセレフィアを見つめていた。

(セラ……? どうして、ここに……)

生徒会棟で遅くまで書類作業に追われているはずの彼女が、なぜ人通りの途絶えたこの旧校舎の談話室に現れたのか。
状況が飲み込めず立ち尽くすリリアーヌを横目に、セレフィアは静かで重厚な足取りで室内の奥へと歩みを進めた。

「リリアーヌ。怪我はありませんか?」

セレフィアの紫色の瞳が、まずはまっすぐにリリアーヌを捉えた。
そこに宿るのは、先ほど上級生たちに向けられた氷のような冷たさではなく、静かで深い案じの意だった。

「ええ……私は、大丈夫です。でも、どうしてセラがここに?」
「図書室から戻るはずのあなたがなかなか帰ってこないのを心配していたところ、通りかかった下級生から報告を受けたのです。『リリアーヌさんが上級生の方々に呼び出され、旧館へ向かわれた』と。何やら穏やかではない雰囲気だったと聞いて、急ぎ追ってきたのですが……」

セレフィアはそこで言葉を区切り、ゆっくりと上級生たちへ視線を向けた。その瞳に冷ややかな光が戻る。

「……どうやら、報告通りだったようですね」
「っ……あ、あの、セレフィア様! これには深い事情がございまして……!」

動転した三年生の一人が、慌てて前に出ながら必死の弁解を試みた。
声は微かに震え、セレフィアの冷徹な眼差しから逃れるように視線を泳がせている。

「誤解でございます! 私たちはただ、こちらの転入生の方がセレフィア様に対してあまりにも無礼で、強引な立ち振る舞いをしていることを懸念していただけで……! あのお方がセレフィア様の手を強引に引き、無理矢理連れ回す姿は、学園の秩序やセレフィア様のご威厳を損ねていると判断いたしましたの」
「そうですわ! セレフィア様がお優しいのを良いことに、彼女は付け上がり、お立場も弁えずにお側に侍り……セレフィア様も、きっとお困りなのだろうとお察しして、私たちが少し注意を促そうとしただけに過ぎません!」

口々に捲し立て、自分たちの行動の正当性を主張しようとする上級生たち。
彼女たちはあくまで「完璧な王子様」であるセレフィアのために立ち上がったのだと、自分たちの排斥行動を美化しようとしていた。
その見苦しいまでの弁明を静かに聞き届けた後、セレフィアは深く、重いため息を漏らした。
その吐息には、失望と、そしてどこか自身の不徳を恥じるような深い落胆が混ざり合っていた。

「……誤解をしているのは、あなた方の方です」

低く澄んだ声が、しんと静まり返った談話室に響き渡る。

「私のご威厳……? 学園の秩序……? そのような上辺だけの虚飾のために、私は生徒会長を務めているわけではありません。そして……」

セレフィアはゆっくりと立ち位置を変え、リリアーヌの傍らへと歩み寄った。
彼女の肩とすれ違うほどの距離に立ち、まっすぐに上級生たちを見据える。

「リリアーヌに手を引かれ、振り回されている現状についてですが……私は何一つ、迷惑などと感じておりません」
「……え……?」

上級生たちの顔から血の気が引いていく。

「それどころか、困惑し、助けられているのは私の方なのです。……あなた方が崇め奉る『完璧な生徒会長』の実態を、ご存じですか? 私は日々の業務にかまけ、自分の身体を顧みず、引き出しの中の冷たい固形燃料やゼリーだけで食事を済ませ、体調管理すら怠っていた不肖な人間です」

セレフィアの口から語られる予想外の事実に、三年生たちは絶句した。

「周りから求められる姿を演じるあまり、自分を労わることすら忘れていた私に……本気で怒り、呆れ、それでも見捨てずに温かいスープを差し出し、食堂へ引っ張っていってくれたのは、他ならぬリリアーヌなのです」

セレフィアの言葉には、一切の飾りがなかった。威厳を保つための嘘も、繕いもない。
ただ一人の少女として、リリアーヌへの感謝と、己の不器用さをありのままに曝け出していた。

「彼女の手の傷を見たことがありますか? 包丁握ったこともなかった彼女が、私に温かいものを食べさせるために、何度も指を傷つけながら料理を覚えてくれたのです。……私のご威厳などという薄っぺらなもののために、彼女の真摯な優しさと情熱を不当に踏みにじることは、この生徒会長・セレフィアが絶対に許しません」

毅然としたその言葉には、誰の反論も許さない圧倒的な重みがあった。
上級生たちは完全に言葉を失い、蒼白な顔でただ首を垂れるしかなかった。
自分たちが信じていた「可哀想なセレフィア様」などどこにもおらず、そこにいたのは、ひとりの少女の存在によって救われ、その少女を何よりも大切に庇い立てる、血の通った一人の人間の姿だったのだから。

「二度と、彼女をこのような形で呼び出すことは認めません。……お分かりいただけましたね?」
「……は、はい……! 大変、申し訳ございませんでした……!」

頭を深く下げた三年生たちは、逃げるようにして談話室を去っていった。
重い扉が閉まり、静寂が再び部屋を包み込む。
静まり返った夕暮れの部屋で、セレフィアはふっと肩の力を抜き、小さく息を吐いた。

「……すまない、リリアーヌ。私の不徳のせいで、あなたに不快な思いをさせてしまいました」

そう言って振り向いたセレフィアの顔には、先ほどまでの冷徹な威厳はなく、どこか申し訳なさそうな、いつもの「セラ」の表情が浮かんでいた。
その横顔を見つめながら、リリアーヌの胸の奥で、熱く温かな感情が溢れ出していた。

(……間違っていなかったんだ)

お嬢様としての品格を捨て、周囲から眉をひそめられようとも、無理やり彼女の手を引っ張り続けてきた日々。
時に我が儘だと自分でも思うほど強引に、温かいスープやパンを突きつけてきたこと。
本当にこれでよかったのだろうか、彼女の重荷になってはいないだろうかと、心のどこかで抱いていた小さな迷いが、セレフィアの言葉によって完全に霧散していた。
自分の一歩は、彼女の孤独な世界に届いていたのだ。
彼女の冷え切った日常に、ちゃんと温もりを届けることができていたのだ。

「ううん……いいの、セラ」

リリアーヌは深く息を吸い込み、うっすらと涙を浮かべながらも、太陽のように輝く微笑みを浮かべた。

「私ね、セラがそうやって私を庇ってくれたこと、すごく嬉しい。でも……やっぱりセラの食生活は、これからも私がビシビシ直していくからね!」

そう言って、リリアーヌはいつものように、迷いのない手つきでセレフィアの手首をぎゅっと握りしめた。

「さあ、部屋に戻ろう! 今日は根菜をたくさん煮込んだ温かいスープを作ってあるんだから! 冷めちゃう前に、全部食べてね!」

掴まれた手首の温もりに、セレフィアは一瞬目を丸くし、それから心底参ったというように柔らかく目を細めた。

「……ええ。あなたの作ったものなら、喜んでいただきますよ」

茜色の夕闇が溶けていく廊下を、ふたりは並んで歩き出す。
手を引っ張る少女と、それに引かれながら穏やかに微笑む少女。
ふたりの絆は、誰の言葉にも引き裂かれることのない確かな温もりを纏いながら、夜の静寂の中へと続いていくのだった。
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