孤高の王子様に、ただひとつの特別を
聖リリウム女学院の朝は、長い歴史を誇る石造りの校舎に響く聖歌の旋律とともに幕を開ける。
初秋の澄んだ空気が広がる廊下を、リリアーヌは案内役の生徒の後ろについて静かに歩いていた。
波打つ長い金髪が歩幅に合わせて揺れ、白ブレザーと濃紺のプリーツスカートという完璧に着こなされた制服が、彼女の淑やかで洗練された立ち姿を際立たせている。
裕福で格式ある家庭で大切に育まれたリリアーヌは、これまで家庭教師や私塾での教育を中心として過ごしてきた。
そのため、こうした大勢の同年代が揃う学校という場は、彼女にとってどこか新しく、同時に少しの緊張感を伴うものであった。
しかし、持ち前の穏やかで素直な人柄は、転入初日の朝からすでに同級生たちの心を掴んでいた。
朝のホームルームで挨拶を交わした際にも、彼女の優雅でありながら嫌みのない微笑みに、教室内の緊張は一瞬で解けたほどだ。
「リリアーヌさん、こちらが二階の中央図書室になります。放課後も静かに自習ができますし、珍しい古書や専門書も多く揃っているのですよ」
案内役を引き受けてくれたクラスメイトの少女は、誇らしげに木製の重厚な扉を指さした。
「まあ……素晴らしいですね。そのような場所に立ち入れるのが今から楽しみです」
リリアーヌが小さく微笑むと、案内役の少女は嬉しそうに頬を緩め、次の目的地へと足を進めた。
校舎の中央に位置する大階段の近くまで差し掛かったときだった。
それまで静やかだった廊下の空気が、微かに、けれどはっきりと熱を帯びるのをリリアーヌは肌で感じ取った。
階段の上層から、規則正しい足音が近づいてくる。
それに合わせるように、廊下の端にいた生徒たちが自然と道をあけ、憧憬の眼差しを注ぎ始めた。
「――セレフィア様」
「今日もなんてお美しいの……」
「セレフィア様、おはようございます」
囁き声のような感嘆と、控えめながらも熱を孕んだ挨拶が交錯する。
その中心にいたのは、ひとりの少女だった。
銀に淡い水色が混ざり込んだような長い髪を低い位置でひとつに束ね、紫色の澄んだ瞳を持つ少女。
彼女の装いは、リリアーヌたちとは大きく異なっていた。
白ブレザーの胸元には固く結ばれた青紫のネクタイがあり、下衣にはシワひとつない濃紺のスラックスを完璧に穿きこなしている。
左腕に巻かれた白百合の校章入り腕章が、彼女が生徒会長という重責を担う存在であることを無言のうちに示していた。
華奢で小柄な体躯でありながら、その佇まいには揺るぎない気品と凛とした強さが宿っている。
歩く姿には無駄がなく、背筋は天に向かって真っ直ぐに伸びていた。
「おはようございます。みなさん、廊下ではあまり立ち止まらず、足元に気を付けて教室へ向かってくださいね」
静かで、静寂に染み渡るような声。
それは押しつけがましさのない、純粋な配慮に満ちた言葉だった。
直後、目の前を歩いていた低学年の生徒が小脇に抱えていた厚手の資料を落としそうになると、スラックス姿の少女はすべらかな動作で手を差し伸べ、それを軽く支えた。
「大丈夫ですか。少し重すぎるようですから、そちらの棚まで私が運びましょう」
「あ……ありがとう、ございます……! セレフィア様……!」
顔を真っ赤にする下級生に対し、少女は当然の義務を果たすかのように淡く、けれど誠実な笑みを返した。
扉を通る生徒がいればさりげなく手で扉を押さえ、重い荷物を持つ者がいれば自然に手を貸す。
王子様と呼ばれるに相応しいその立ち振る舞いは、演じられたものではなく、呼吸をするようにごく自然に行われているようだった。
リリアーヌは、その光景を少し離れた場所からじっと見つめていた。
周囲の生徒たちが「王子様」「セレフィア様」とため息混じりに称賛を贈る中、リリアーヌの心には純粋な疑問が浮かんでいた。
その繊細な顔立ち、声の響き、そして制服の仕立て。
どれをとっても洗練された魅力を放っているが、それと同時に、どこか独特の浮世離れした雰囲気を纏っている。
リリアーヌは頭を小さく傾け、案内役の少女に静かな声で尋ねた。
「あの……あの方は、男性なのですか?」
あまりに素直な問いかけに、案内役の少女は一瞬驚いたように目を丸くし、それからすぐに納得したように深く頷いた。
「ああ、転入されたばかりですもの、無理もありませんわね。あのお方は、この聖リリウム女学院の生徒会長を務められている、セレフィア様とおっしゃるのですよ」
案内役の少女は熱のこもった眼差しを遠くの佇まいに向けながら、滔々と語り始めた。
「もちろん、私たちと同じ女子生徒でいらっしゃいます。本校では選択制制服としてスラックスやネクタイも認められておりますの。セレフィア様は男装をされているわけではなく、単にあの装いを好まれて選ばれているだけなのですが……ご覧の通り、あまりにもその立ち振る舞いが端正で、誰に対しても紳士的でいらっしゃいますでしょう? だから校内では親しみを込めて『王子様』とお呼びする方が多いのです」
説術を続けながらも、案内役の少女の視線は完全にセレフィアへ奪われていた。
セレフィアがすれ違う生徒に軽く会釈を返すたび、その少女も小さく息を呑む。
「成績は常に学年主任、生徒会長としての業務も完璧にこなされ、困っている生徒がいればどのような小さなことでも優しく手を差し伸べてくださる……。それにしても、今日も本当にお美しく、麗しいわ……まさに私たちの王子様……」
うっとりと頬を染めてセレフィアを見つめる案内人の様子に、リリアーヌは静かに納得した。
「そう……なんですね」
リリアーヌがそう呟いたとき、生徒たちに応対しながら廊下を進んできたセレフィアと、ちょうどすれ違う形となった。
ふと、セレフィアの紫色の瞳が、見慣れぬ金髪の転入生リリアーヌに向いた。
ほんの数秒、視線が交差する。
セレフィアはいつも通りの礼儀正しさで、リリアーヌに対しても小さく肯いて通り過ぎていった。
その背中を見送りながら、リリアーヌは胸の奥で密かに思った。
周囲から「王子様」と崇められ、絶え間なく人々に囲まれるその人は、あまりにも完璧に見える。
けれど、これほど多くの熱視線を常に浴び続けていて、疲れてしまうことはないのだろうか、と。
「リリアーヌさん、参りましょうか。次は特別教室棟をご案内しますね」
「ええ、お願いいたします」
案内役に促され、リリアーヌは再び歩き出した。
遠ざかる「王子様」の歓声を背に受けながら、新しく始まる学校生活への期待と、ほんのわずかな好奇心が彼女の心の中に静かに芽生えていた。
初秋の澄んだ空気が広がる廊下を、リリアーヌは案内役の生徒の後ろについて静かに歩いていた。
波打つ長い金髪が歩幅に合わせて揺れ、白ブレザーと濃紺のプリーツスカートという完璧に着こなされた制服が、彼女の淑やかで洗練された立ち姿を際立たせている。
裕福で格式ある家庭で大切に育まれたリリアーヌは、これまで家庭教師や私塾での教育を中心として過ごしてきた。
そのため、こうした大勢の同年代が揃う学校という場は、彼女にとってどこか新しく、同時に少しの緊張感を伴うものであった。
しかし、持ち前の穏やかで素直な人柄は、転入初日の朝からすでに同級生たちの心を掴んでいた。
朝のホームルームで挨拶を交わした際にも、彼女の優雅でありながら嫌みのない微笑みに、教室内の緊張は一瞬で解けたほどだ。
「リリアーヌさん、こちらが二階の中央図書室になります。放課後も静かに自習ができますし、珍しい古書や専門書も多く揃っているのですよ」
案内役を引き受けてくれたクラスメイトの少女は、誇らしげに木製の重厚な扉を指さした。
「まあ……素晴らしいですね。そのような場所に立ち入れるのが今から楽しみです」
リリアーヌが小さく微笑むと、案内役の少女は嬉しそうに頬を緩め、次の目的地へと足を進めた。
校舎の中央に位置する大階段の近くまで差し掛かったときだった。
それまで静やかだった廊下の空気が、微かに、けれどはっきりと熱を帯びるのをリリアーヌは肌で感じ取った。
階段の上層から、規則正しい足音が近づいてくる。
それに合わせるように、廊下の端にいた生徒たちが自然と道をあけ、憧憬の眼差しを注ぎ始めた。
「――セレフィア様」
「今日もなんてお美しいの……」
「セレフィア様、おはようございます」
囁き声のような感嘆と、控えめながらも熱を孕んだ挨拶が交錯する。
その中心にいたのは、ひとりの少女だった。
銀に淡い水色が混ざり込んだような長い髪を低い位置でひとつに束ね、紫色の澄んだ瞳を持つ少女。
彼女の装いは、リリアーヌたちとは大きく異なっていた。
白ブレザーの胸元には固く結ばれた青紫のネクタイがあり、下衣にはシワひとつない濃紺のスラックスを完璧に穿きこなしている。
左腕に巻かれた白百合の校章入り腕章が、彼女が生徒会長という重責を担う存在であることを無言のうちに示していた。
華奢で小柄な体躯でありながら、その佇まいには揺るぎない気品と凛とした強さが宿っている。
歩く姿には無駄がなく、背筋は天に向かって真っ直ぐに伸びていた。
「おはようございます。みなさん、廊下ではあまり立ち止まらず、足元に気を付けて教室へ向かってくださいね」
静かで、静寂に染み渡るような声。
それは押しつけがましさのない、純粋な配慮に満ちた言葉だった。
直後、目の前を歩いていた低学年の生徒が小脇に抱えていた厚手の資料を落としそうになると、スラックス姿の少女はすべらかな動作で手を差し伸べ、それを軽く支えた。
「大丈夫ですか。少し重すぎるようですから、そちらの棚まで私が運びましょう」
「あ……ありがとう、ございます……! セレフィア様……!」
顔を真っ赤にする下級生に対し、少女は当然の義務を果たすかのように淡く、けれど誠実な笑みを返した。
扉を通る生徒がいればさりげなく手で扉を押さえ、重い荷物を持つ者がいれば自然に手を貸す。
王子様と呼ばれるに相応しいその立ち振る舞いは、演じられたものではなく、呼吸をするようにごく自然に行われているようだった。
リリアーヌは、その光景を少し離れた場所からじっと見つめていた。
周囲の生徒たちが「王子様」「セレフィア様」とため息混じりに称賛を贈る中、リリアーヌの心には純粋な疑問が浮かんでいた。
その繊細な顔立ち、声の響き、そして制服の仕立て。
どれをとっても洗練された魅力を放っているが、それと同時に、どこか独特の浮世離れした雰囲気を纏っている。
リリアーヌは頭を小さく傾け、案内役の少女に静かな声で尋ねた。
「あの……あの方は、男性なのですか?」
あまりに素直な問いかけに、案内役の少女は一瞬驚いたように目を丸くし、それからすぐに納得したように深く頷いた。
「ああ、転入されたばかりですもの、無理もありませんわね。あのお方は、この聖リリウム女学院の生徒会長を務められている、セレフィア様とおっしゃるのですよ」
案内役の少女は熱のこもった眼差しを遠くの佇まいに向けながら、滔々と語り始めた。
「もちろん、私たちと同じ女子生徒でいらっしゃいます。本校では選択制制服としてスラックスやネクタイも認められておりますの。セレフィア様は男装をされているわけではなく、単にあの装いを好まれて選ばれているだけなのですが……ご覧の通り、あまりにもその立ち振る舞いが端正で、誰に対しても紳士的でいらっしゃいますでしょう? だから校内では親しみを込めて『王子様』とお呼びする方が多いのです」
説術を続けながらも、案内役の少女の視線は完全にセレフィアへ奪われていた。
セレフィアがすれ違う生徒に軽く会釈を返すたび、その少女も小さく息を呑む。
「成績は常に学年主任、生徒会長としての業務も完璧にこなされ、困っている生徒がいればどのような小さなことでも優しく手を差し伸べてくださる……。それにしても、今日も本当にお美しく、麗しいわ……まさに私たちの王子様……」
うっとりと頬を染めてセレフィアを見つめる案内人の様子に、リリアーヌは静かに納得した。
「そう……なんですね」
リリアーヌがそう呟いたとき、生徒たちに応対しながら廊下を進んできたセレフィアと、ちょうどすれ違う形となった。
ふと、セレフィアの紫色の瞳が、見慣れぬ金髪の転入生リリアーヌに向いた。
ほんの数秒、視線が交差する。
セレフィアはいつも通りの礼儀正しさで、リリアーヌに対しても小さく肯いて通り過ぎていった。
その背中を見送りながら、リリアーヌは胸の奥で密かに思った。
周囲から「王子様」と崇められ、絶え間なく人々に囲まれるその人は、あまりにも完璧に見える。
けれど、これほど多くの熱視線を常に浴び続けていて、疲れてしまうことはないのだろうか、と。
「リリアーヌさん、参りましょうか。次は特別教室棟をご案内しますね」
「ええ、お願いいたします」
案内役に促され、リリアーヌは再び歩き出した。
遠ざかる「王子様」の歓声を背に受けながら、新しく始まる学校生活への期待と、ほんのわずかな好奇心が彼女の心の中に静かに芽生えていた。
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