恋を売る夜に、ただひとつの愛を

レオの部屋に少しずつ自分の私物が増えていく日々に、リリィは密やかな幸せを感じていたけれど、それと同時に心のどこかで、小さな申し訳なさを拭いきれずにいた。
そんなある日のこと。
レオから「今日はお伝えしたい大切なことがあります」と連絡を受け、リリィは少し緊張しながら彼のタワーマンションを訪れた。
リビングに通されると、テーブルの上には見慣れない書類が綺麗に整えられて置かれていた。
それを見たリリィが不安そうに首をかしげる前に、レオは真剣な、けれどどこまでも温かい新緑の瞳でまっすぐに彼女を見つめた。

「リリィさん」
「は、はい……っ」
「……私の家へ、完全に引っ越してきてくれませんか」

思ってもみなかった言葉に、リリィは息をのんだ。
赤く澄んだ瞳を見開き、固まってしまう。

「ひ……引っ越し、ですか……? わたしが……ここに……?」
「はい。二重生活のような形でお互いの部屋を行き来するのは、あなたのセキュリティ面を考えてもリスクがあります。……ですが、それ以上に」

レオは一歩歩み寄ると、リリィの華身な手を両手で優しく包み込んだ。

「何よりも私自身が、毎晩仕事から帰ってきたとき、あなたに『ただいま』と言いたいんです。あなたが待っていてくれる場所に、帰りたくてたまらないんです。……ここを、本当の私たちの家にさせてください」

一人の男としての、偽りのない本心の求愛。
リリィの目から、じわじわと涙が溢れ出した。
日陰の存在でいい、秘密の恋人で構わないと覚悟していた自分。
けれど、彼はいつでも自分を真ん中に置き、等身大の未来を提示してくれる。

「……はい! はい……っ! わたし、レオさんと一緒に暮らしたいです……っ」

涙を拭いながら何度も深く頷くリリィを、レオは感無量といった様子で強く抱きしめた。
それからの週末は、二人にとって慌ただしくも夢のような時間の連続だった。

小さなアパートからの引越し当日。
手際よく運ばれてくるダンボールの山を前に、リリィはどこか恐縮していたが、レオは「私に任せてください」と腕を捲り上げ、テキパキと荷ほどきを進めていく。

「リリィさんのお洋服は、こちらのウォークインクローゼットの右側を使わせてもらいますね」
「あ……そんな、わたしのお洋服なんて少ししかありませんから、端っこで大丈夫です……っ」
「ダメです。半分はあなたのスペースですから」

シックな色合いのレオのスーツやシャツの隣に、リリィの可憐で柔らかなワンピースやスカートが並んで掛けられていく。
それだけで、無機質だったクローゼットが一気に華やぎを帯びた。
本棚には、レオの難しい専門書やビジネス本の隣に、リリィが好きな小説や絵本が並んだ。
シューズボックスには、彼の革靴の隣に、彼女の小さなパンプスやスニーカーが並んだ。
そして最後に、二人で選んだ新しいベッドフレームに、お揃いの寝具をしつらえる。
日もすっかり暮れ、すべての荷ほどきが終わった頃。
リビングには、かつての冷たく洗練された「モデルルーム」のような面影は消えていた。
リリィの私物が馴染み、部屋全体が柔らかで温かな日常の香りに包まれている。
疲れてソファに寄り添うように腰掛けた二人は、窓の外に広がる東京の夜景を眺めた。

「……本当に、引っ越してきたんですね」

リリィが感慨深そうに呟くと、レオは優しく彼女の肩を抱き寄せた。

「ええ。もう『私の家』ではありません。『私たちの家』です」

そう言って、レオはポケットからひとつの小さな鍵を取り出すと、リリィの手のひらにそっと乗せた。
リリィのイニシャルが刻まれた、新しく作られた部屋のスペアキーだ。

「リリィさん。……おかえりなさい」

手のひらの金属の温もりを感じながら、リリィは涙の残る瞳で心からの満面の笑みを浮かべた。

「ただいまです、レオさん」

夜の世界の毒も、外の冷たい視線も、重い扉の向こう側の出来事。
自分たちの城で、二人はこれから始まる二人だけの穏やかな日常の第一歩を、静かに踏み出すのだった。
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