恋を売る夜に、ただひとつの愛を

あの日、初めて二人で過ごしたおうちデートを境に、レオのタワーマンションの一室は、静かに、けれど確実に色を変え始めていた。
冷徹なほど洗練され、どこかホテルやモデルルームのように生活感の薄かったその部屋に、ひとつ、またひとつと「リリィ」という存在の証が刻まれていく。
始まりは、ほんの小さな食器からだった。

「レオさん、今度お邪魔するとき、マイコップを持っていってもいいでしょうか……? いつもグラスをお借りするのも申し訳なくて……」

遠慮がちに尋ねるリリィに、レオは目を見開いた後、心底愛おしそうに目を細めた。

「そんなこと気にしなくていいのに。……でも、嬉しいです。ぜひ持ってきてください」

次のデートの日、リリィが小さな箱から取り出したのは、柔らかな白磁に控えめな白い百合の花びらが描かれたマグカップだった。
それを見たレオは、翌週の休日に密かに同じデザインのものを買いに走った。
そうして、シックなキッチンのカップボードには、白い百合のマグカップと、それと対になる深緑の葉があしらわれたマグカップが、並んでちょこんと置かれるようになった。
二人で温かい紅茶を飲むたび、並んだペアカップから立ち上る湯気が、殺風景だったキッチンに甘い温もりを添えた。
食器から始まった変化は、やがてリビング全体へと広がっていく。
ある日、大きな革張りソファの上で二人で並んで映画を観ていた際、固めのクッションに少し背中を痛めそうにしていたリリィの様子を、レオは見逃さなかった。

「リリィさん、もう少し柔らかいクッションがあるとくつろげますか?」
「え……あ、はい。でも、レオさんのお部屋の雰囲気を壊してしまわないでしょうか……?」
「私の部屋ではなく、これからは『私たちの部屋』なんですから、気にしないでください」

そう言って笑ったレオが次にリリィを迎えた時、ソファの上には、落ち着いたアイボリーと深いエメラルドグリーンの、触り心地の良い羽毛クッションが二つ並んでいた。
リリィがアイボリーを抱きかかえ、レオがエメラルドグリーンに背を預ける。
色違いのペアアイテムが増えるたび、リリィの頬には嬉しそうな赤みが差した。
そして、最も「恋人らしさ」を実感させたのは、洗面台の大きな鏡の前に並んだ小物たちだった。

「リリィさん。……これ、使ってください」

ある夜、泊まり掛けで遊びに来たリリィに、レオが照れくさそうに手渡したのは、新品の歯ブラシだった。
透明なガラスのスタンドに立てかけられたのは、レオの持つシックな黒い歯ブラシの隣。
白地にピンクゴールドのラインが入った、リリィ専用の可憐な歯ブラシ。
朝、二人で並んで鏡の前に立ち、シャカシャカと身支度をする時間。
鏡越しに視線が合うだけで、リリィは気恥ずかしさに俯き、レオは愛おしさに目元を緩めた。
朝の光の中で並ぶ二本の歯ブラシは、二人がただの「秘密の恋人」を超えて、互いの日常に深く溶け込みつつあることを無言で物語っていた。
だが、極めつけは部屋着のペアルックだった。

「これ……ルミさんが『二人でお揃いで着なよ♡』って、無理やり持たせてくれたんです……」

困惑と照れが混ざった様子でリリィが差し出したのは、触れるだけで指先が沈み込むような、ふわふわとした質の良いニットのルームウェアだった。
リリィのものは淡いミルクティー色で、長めの袖口とフリルがあしらわれた可愛らしいデザイン。
そしてレオのものは、同じ素材で仕立てられたチャコールグレーのシンプルなセットアップ。

「ルミさん……本当に、余計なことばかり……いや、今回は感謝するべきでしょうか」

苦笑しながらも、レオは早速そのルームウェアに着替えて見せた。
普段のパリッとしたスーツやドレッシーな服とは異なり、肩の力が完全に抜けた柔らかで温かな姿。

「……どうですか、リリィさん?」
「あ……あの……すごく、素敵です。レオさん、普段と雰囲気が違って……なんだかすごく、近くなった感じがして……」

照れて上目遣いになるリリィに、レオは堪らなくなって抱き寄せた。

同じふわふわの生地が重なり合い、お互いの体温が衣類を通してダイレクトに伝わってくる。

「リリィさん……あなたもお揃い、すごく可愛いです」
「レオさん……っ」

広々としたリビングのソファに二人で並んで座り、温かいココアを飲む。
二人ともお揃いのルームウェアに身を包み、色違いのクッションを抱え、目の前のテーブルにはペアのマグカップ。
洗面所には二本の歯ブラシが寄り添うように並んでいる。
夜の世界の毒も、歌舞伎町の狂乱も、この部屋の扉一枚を隔てた向こう側の出来事。

「……昔は、自分の家なのに、どこか落ち着かない場所だったんです」

レオはリリィの雪のような髪にそっと指を絡めながら、静かに呟いた。

「昼の喫茶店での仕事と、夜のホストクラブでの仕事。二つの仮面を付け替えるためだけの、ただの『脱衣所』のような場所でした。でも……リリィさんのものが増えていくたび、ここが私にとって、世界で一番温かい『帰る場所』になりました」
「レオさん……」

リリィは抱えていたクッションをそっと置き、レオの胸元に顔を埋めた。

「わたしも……です。レオさんの私物の中に、わたしのちいさな居場所が増えていくのが……胸がギュッとなるくらい、幸せなんです」

外の危険から守るために作った「隠れ家」は、少しずつ私物を重ね合わせることで、二人が心から憩える「愛の巣」へと姿を変えていた。
どれほど夜の街が険しくとも、この部屋に二人の足跡が増えていく限り、彼らの絆が揺らぐことは決してないのだった。
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